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2008年5月

2008年5月31日 (土)

旅あきらめない3

Img080531 今日は約50名の方と一緒に、サンセットクルージングに乗船した。
夕日が沈むのを眺めながら、おいしいロブスターを食べた。
船のスタッフたちは皆、車いすの人たちにやさしい。
最後バスに乗るまで付き添ってくれた。

※写真は、車椅子の方々が船に乗り込むところ。
先の乗り込んだぼくが、船のデッキから撮った写真。

旅あきらめない(3)

このハワイの旅も、今年で4年目。これまでいろいろな人が参加してくれた。
ハワイで出会った仲間たちは、ハワイの旅をいい思い出にした。
自身をもって新しい元気な生き方を始めた人もいる。
もう人生に怖いものはないと気づいた人もいる。
行きたいところへ出て行き、見たいものを見て、食べたいものを食べる。
老いや病気が閉じこもりの人生にしがちだが、そんなものに負けない生き方を始めた人がいる。
ちょっとしたきっかけが大事なんだ。

旅には人生を変える不思議な力がある。

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2008年5月30日 (金)

旅あきらめない2

Pic_080530_1 ハワイについた。
再会の人たちがいっぱいである。

ハワイに3回、上諏訪温泉に4回来てくれている上山さんご夫婦もとっても元気だ。半年に一度ぼくに会うのを楽しみにしてくれている。
今年は金婚式をハワイの教会で挙げるという。

Pic_080530_2 障害があっても元気な人たちの姿を見せたくて、
孫をハワイに連れてきた。

今日は孫と一緒にオアフ島を見て歩いた。

旅あきらめない(2)

旅は人生を変えると信じてきた。
だから、どんな人にも生きている限り旅をしつづけてほしいと思っていた。

ぼくは、生んでくれた父や母のもとを離れて、1歳のときから人生の旅をしてきた。
貧乏だけれど誠実に生いきる新しい父と母に育てられた。
生かされて生きている。ありがたいことだ。
お返しがしたかった。
困難な中で「旅」ができなくなった人の役に立ちたいと思った。

介護の雑誌が、ある旅行会社に応援してもらって新しい夢の旅を計画した。
「鎌田實とハワイへ行こう」というなんだかワケのわからない計画を立てた。
バリアフリーのツアー企画だ。
初回はなんと170人の障がいやがん患者や高齢のため足腰の弱くなった人やサポーターが参加した。
人生にとって大事なことは命の長さではなく、生きていることを喜べることだと思ってきた。
ふだん、旅に行けない人に旅に出るチャンスをあげたかった。

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2008年5月29日 (木)

旅あきらめない1

Pic_080529_2  今、成田空港にいる。

有楽町で大宅映子さんや林真理子さんとシンポジウムを行った後、成田エクスプレスに飛び乗った。
これから約100人の障害や病気のある方たちをお連れして、ハワイへボランティア旅行へ出発する。

一番高齢の方が92歳。車いすの方が25人。大変だけれど楽しい5日間になりそうだ。

忙しい1日を終えて今ラウンジで軽い夕食をとっている。

明日からの報告を楽しみにしていてください。

旅あきらめない(1)

ぼくは旅が好きだ。
旅の中で、ドキドキしたりワクワクしたりがたまらない。
旅は人生の栄養剤。
旅先で見たことのない景色につつまれ、
知らない人から知らない話を聞いて、
食べたことのない食べものに出会う。
旅は自分の生活から離れ、自分と向き合う時間をつくってくれる。
旅は心を成長させてくれる。
旅は楽しい時間だ。
人生そのものが旅のようなものだ。
生きている限り人は
心の中で旅をしたいと思っている。
あなたの心の中にある旅を思い出してください。
病気があっても
障がいがあっても
高齢になっても
こわがらないくていい。
なんとかなる。
旅は、体を元気にしてくれる。
旅は、心に自信をくれる。
旅は、あなたの人生を豊かにしてくれる。きっと。

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2008年5月28日 (水)

イラクの病気の子ども達4

 原村診療所に外来のお手伝いに行った。大好きな時間である。
 午後は諏訪中央病院看護学校の校長として、3年生に2時間哲学の授業を行った。哲学のある看護師を育てたいと思っている。
 夕方はテレビ朝日「スーパーテレビ」の打ち合わせがあった。

イラクの病気の子どもたち(4)

 急性リンパ性白血病のサラは5歳、かわいい女の子だ。バクダッドからやって来た。6カ月前に発病した。サラは注射が嫌い。採血のときサラは泣く。JIM-NETで雇っている院内学級の先生、イブラヒム先生が、サラに寄り添う。サラの心の支えになろうとしている。

 お金を支えてあげること。
 生活を支えてあげること。
 お母さんやお父さんを教育すること。
 そして、子供たちの勉強の面倒を見ること。
 子供たちの心を支えてあげること。
 その上で病院の薬や検査のキットを支えてあげなければ、子供たちの病気は治らないのだ。
 幾つものことを支えないと病気は治らない。幾つもの幾つもの支えが子供たちの命を救うのだ。

 院内学級のイブラヒム先生は格好いいことを言う。
「イラクに残念だけど今、希望はない。それでも希望を持って子供たちを助けなければいけない。
 子供たちは人間の体にたとえれば肝臓のようなもの。エネルギーを蓄えたり、体の毒素を解毒したり、エネルギーが足りないときには、そのエネルギーを肝臓から放出したり、たくさんの役割を肝臓はしている。
 子供たちが、生きていくためのエネルギーを蓄えてくれたり、エネルギーを放出してくれたり、この世の中の毒素を解毒してくれている。だから、私たちは子供たちを助けなければならない」

 戦争があって、厳しい社会環境の中で病気になって、貧困があって、家庭が崩れる幾つもの困難が子供たちに襲いかかる。でも、子供たちは負けない。いつかイラクに平和が来る日を祈って、とにかく子供たちに手を差し伸べ続けたいと思う。

 応援をお願いいたします。

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2008年5月27日 (火)

イラクの病気の子ども達3

9時から諏訪中央病院看護学校の1年生に1時間の授業を行った。ホスピスの回診。13時から予約外来。夕方、厚生労働省の課長と雑誌の対談を行った。

イラクの病気の子どもたち(3)

 <ヨルダンにて>
 マリアンは12歳の女の子。2カ月前と6カ月前に、親戚のおじさんが2人、バクダッドで殺されたという。お母さんの乳がんが再発しないことを祈っている。イラクは大好き。早く平和が戻って、イラクに帰りたいと言う。

 今、マリアンはヨルダンの学校に通っている。幸せな方である。アラビア語の勉強が好き。
 明日、イラクとヨルダンのサッカーの試合がある。
「どっちを応援するの」と僕が聞くと、
「ヨルダンも好きだけど、やっぱりイラクを応援する」と恥ずかしそうに笑った。

 最近、イラクからヨルダンへやって来た子は学校へ行けない。
「私は学校に行けてるから幸せ。
 同級生に、イラク人だといってばかにされることもある。でも、先生はよく守ってくれる。いじめられても私は学校が好き。
 昔は、サダム・フセインが好きだった。でも、今は嫌い。イラクの国をめちゃくちゃにしたから。サダム・フセインが処刑されたことは知っている。仕方がないことだと思う。
 私が6歳のときに、私はイラクを出た。イラクのことはいっぱい覚えている。イラクへ帰りたい。友達のことも覚えている。しかし、今、生きているかどうかはわからない。イラクは美しい。だれも嫌いになる人なんかいない、いい国だった。
 まるでパズルのようだ。すべてがうまく当てはまらない。私の将来が見えてこない。私の将来はわからない」

 12歳のマリアンは、美しい顔をしながら、悲しげに笑った。

 なぜ、子どもたちに未来をあげられないのか、悔しい。

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2008年5月26日 (月)

イラクの病気の子ども達2

今日は東京プリンスホテルで、全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会の主催の講演を行った。講演時間はたった30分ほどであったが、皆、涙を流して聞いてくれた。

夜遅く、約1週間ぶりに茅野の自宅、岩次郎小屋へ帰ってきた。山積みの原稿や書類がぼくを待っていた。

イラクの病気の子どもたち(2)

080526_3  治療は順調である。アハマド・サラームの中を流れている血液の中から、白血病細胞が消えた。完治がいよいよ近づいてきている。お父さんが言う、やっと希望が見えてきた。この子にすべてをかけた。この子は今、再び元気な命をもらうことができつつある。うれしい。

 イラクの病院をどう思うかと聞いた。
「すぐれた技術をかつては持っていたが、今はおくれてしまっている。とても自分の大切な子供を安心して任せられない。少し難しい病気のときは、結局、国外に脱出するしかないように思う。早く平和が来てほしい」

 平和は来るでしょうか」と聞くと、
「必ず来る、アメリカ軍がいなくなれば」とにこっと笑った。

 アメリカ軍がいなくなっても宗教の対立があるのではないかと僕が聞く。
「大丈夫、心配するな。私と妻はシーア派とスンニ派。こんな夫婦はたくさんいる。今のように戦争状態が続いているときでも、スンニ派とシーア派の若者が結婚をしている。すぐ仲よくなる、大丈夫だ」

 通訳をしてくれているアブ・アハマッドさんが、自分の意見を急に差し込んできた。私はクルド系イラク人だ。イラクから脱出してきた。クルドも、スンニ派も、シーア派も、いつでも仲よくなれる。私たちは一緒に助け合って、こうやって今だって生きている。大丈夫、アメリカ軍だけでなく、アルカイダを追い出すことが大事。

 アハマド・サラーム君のお父さんの言葉は明快だった。そうだ、そうだ、と思った。そうか、シーア派とスンニ派が憎しみあっている今でも、結婚する若者たちがいるって、何か救いのような感じがした。

 宗教の対立を見ていると悲しくなる。仏教はいい。おだやかでいい。考え方の違う人の存在を認める宗教はいい。チベット仏教なんか、あれだけひどい弾圧を受けても、理性を失わないのはすごい。世界を平和にするためには、仏教の力が必要なのかもしれない。

 JIM-NETは、サラーム君のようにイラクから重い病気の治療にやって来るときのアパートの家賃の援助をしている。せっかく白血病の治療が軌道に乗っても、その後の経過観察をきちんとしないために、再発をし、亡くなっている子供たちが多い。お父さんは、ぼくらのNPOのおかげで助かっていると喜んでくれた。

 イラクの子どもたちを救いたいと思って、5つの小児病院に毎月400万円の薬を送っている。フセインの国に生まれたいと思って生まれてきた子どもは一人もいない。子どもに責任はないのだ。
 困難の仲にいるときに、自分の国の子どもを救ってくれた国は、いつまでも忘れないものだと思う。これが日本のセーフティネットになると信じて、医療支援をこれからもしてきたいと思っている。

 悲報が入った。
 アハマド・サラームのお父さんが死んだ。「うれしい」とぼくの手を握ってくれたのは、数週間前のことだ。その後バグダッドの自宅に帰って、爆撃にあったという。
 戦争は悲しい。
 お父さんに代わって、サラーム君をなんとかぼくらが支えていかなければいけないと思う。応援をお願いします。JIM-NET:TEL 0263-46-4218

※写真は、白血病の少年と子どものお父さん。お父さんは、この写真撮影のあと1ヵ月程して爆撃にあって亡くなった。

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2008年5月25日 (日)

イラクの病気の子ども達1

今日は、埼玉県春日部市にある秀和綜合病院で講演を行った。
院長の五関先生は、大学の1年先輩である。
野球部でピッチャーをしていた。ぼくはキャチャーとして五関先生の球を受けていた。バッテリーを組んでいたのだ。昔よくご馳走になったので、恩返しをしなくてはいけない。
会場のロビーは700人ほどの人であふれ、たくさんの方が聞きにきてくれた。

イラクの病気の子どもたち(1)

080525_2  アハマド・サラームは8歳の男の子。急性リンパ性白血病。バクダッドで2005年、発病した。
 イラクでは治療ができないと言われ、ヨルダンのがんセンターへ紹介された。
「絶望に襲われた。でも、どんなことをしてもこの子を助けたいと思った」
 と、お父さんは言った。

 バクダッドからヨルダンのアンマンの病院へ向かう間中、14時間、車の中でずっとアハマド・サラームは泣き続けた。家が恋しかった。お母さんが恋しかった。

 ヨルダンのがんセンターに着いてからも、「イラクにいつ帰るの、いつ帰るの」と泣き続けた。どんなにイラクが荒れ、バクダッドが危険になっても、アハマド・サラームにとっては大切な家だった。

 3年間、必死に治療を続けた。

 治療が長引いて、副作用で苦しいときに、JIM-NET(ジャパン・イラク・メディカルネットワーク、代表:鎌田)が派遣をした学校の先生、イブラヒムに病院の中で勉強を教えてもらった。勉強を教えてもらうことは心の支えになった。

 アハマド・サラームは、今、1年おくれたが、バグダッドの学校に通い出した。勉強が好き。特に理科が好き。大人になったら先生になりたいと言う。いい笑顔である。

※写真は、白血病の少年、アハマド・サラーム君。

<つづく>

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2008年5月24日 (土)

食の崩壊5

12時から諏訪実業高校の東京OB会に呼ばれて講演をした。
13:30、テレビ東京の1時間番組「主治医の見つかる診療所」の収録を行った。

夜は鬼子母神で唐組の芝居を見た。唐十郎からじきじきに電話を頂き、「見てくださいよー」と言われたのである。


食の崩壊(5)

080524  日本食の特徴は野菜が多い。色のついた野菜は色素の中に抗酸化力がたくさん含まれていて、動脈硬化の原因になるフリーラジカルが暴れないようにしてくれる。色のついた野菜を食べることは、若々しい血管を保つためにも、がんにならないためにも、大切なことである。
 植物油なら安心というのではなく、リノール酸の多い油ではなく、αリノレン酸の多い油を摂ることが大事。シソ油やエゴマ油がいい。
 魚を週5回は食べたい。塩分は、高血圧や脳卒中、心臓病、胃がんの発生に関係しているので、少なめにすることが大事である。
 日本特有のだし文化は大事。こんぶや鰹節で採っただしを適切に使うことが必要である。

 700万年の歴史において人類は、食べるための戦いをしてきた。痩せていることに価値を見出している最近の傾向は、人間の歴史からすると、無理があるように思う。食べないダイエットは、あまり健康に長生きにはつながらないとぼくは信じている。

 肥満ギリギリでもいい。BMI(ボディ・マス・インデックス、体重÷身長÷身長)18.5以下は痩せ型、25以上は肥満。実はこの25前後のところが健康で長生きしている。ちょい太でいいのだ。おお太はいけない。

 食べると脳内ホルモンのセロトニンが動く。セロトニンは腸の周りに80%があると言われている。食べると幸せと感じるのである。錯覚ではない。本当に幸せホルモンが動いているのである。がまんがまんの食べないダイエットは、幸せホルモンが分泌されない。幸せだなと思うことによって、副交感神経が刺激され、リンパ球が増え、免疫力が上がる。いつも食べずにイライラしながらいるのは、免疫力を下げ、病気の発生につながってしまう。食べないダイエットは体によくないのである。良い食べ物を知って、しっかり食べて、幸せだなと思うことが大事。

 日本食の良さをもう一度見直して、自分たちの生活の中に再び取り入れたいものである。

 詳しくは、ぼくの著書「ちょい太で大丈夫」を読んでください。 
 6/16(月)テレビ東京「主治医が見つかる診療所」でも食についての話をします。

※写真は、自宅“岩次郎小屋”のデッキで「がんばらないスクワット」をするカマタ。
 

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2008年5月23日 (金)

食の崩壊4

今日は、「がんサポート」(エビデンス社)の企画でお二人の方と対談をした。

午前中は、読売新聞の田中秀一さん。
有名な医療ジャーナリストである。
彼が最近出した新しい本「がん治療の常識・非常識 (ブルーバックス)」 (講談社) を肴に、初めての対談である。

午後は、埼玉大学の大西秀樹教授。
「がん患者の心を救う―精神腫瘍医の現場から」(河出書房新社)という本を4月に出している。

14時半頃から、大竹まことのゴールデンラジオ!(文化放送)に出演した。

その後、文京学園で講演会をした。
JIM-NETのスタッフがやってきて、がんばらないレーベルのCDを販売してくれた。
利益はもちろんイラクやチェルノブイリの子どもたちの薬代になる。

食の崩壊(4)

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2008年5月22日 (木)

食の崩壊3

浜松で講演をし、フォーシーズンズホテル椿山荘東京でテレビの打ち合わせがあった。

6/16(月)19:00~、テレビ東京「主治医が見つかる診療所」で健康の話をする。テーマは「ちょい太で大丈夫」。

食の崩壊(3)

 ファーストフードは安くて旨くて便利である。この便利であることが曲者だ。それぞれが忙しい自分の時間に合わせて一人で食事を済ませることができてしまう。孤食化が進んでいる。
 地方の小中学校の4割が、朝食を週1回以上1人で食べているというデータが出ている。その傾向は学年が上がるごとに増え、中学生では5割を超える。

 1人で食べるものは、好きなもの、簡単なものだ。肉まんをチンして食べる。ケーキを食べる。スナック菓子を朝食として食べる。あるいはジュースだけ。そんな子どもの朝食が増えている。

 2004年に行われた国民健康栄養調査で、20歳未満を含めて朝食の摂食率が約11%だった。1日の食事が2回になることで、成長期の子どもには栄養の不足が心配される。
 血糖値の上昇が脳細胞を目覚めさせる。朝食を摂らないと、学校へ行っても朝ぼーっとした子どもになってしまう。
 食事が2回になるので、かえって肥満になりやすいと言われている。

 肉まんをチンして、これを食べて学校へいけと言われても、不登校の子どもには、学校へ行く力にはならないだろう。

 お母さんが1時間ほど前からお勝手でガサガサ仕事を始める。まな板で葱を切る音、味噌汁が煮立つぐつぐつという音、みその匂い。ごはんが炊けるゆげの音、お米の匂い。味だけではなく、音や匂いの中で、日本人は育てられてきたのではないだろうか。
 コーンフレークにミルクを入れてあわただしく口の中へかき入れても、本当に力のつく朝食にはならないだろう。

 ファーストフード店が多くなり、ファーストフードを食べる人が多くなることによって、肥満の人たちが増えていく。そしてそれだけではなく、いずれ家族で一つのテーブルを囲む回数がどんどん減っていくことだろう。

 食事をしながら、おじいちゃんと孫たちが会話をし、食育が行われたはずだ。分け合うこともそこで教えられた。
 最後に一個残ったときに、どうやって食べればいいかの想像力もそこで養われていったのである。おじいちゃんに勧める。おじいちゃんが孫に食べろと言う。じゃあ2人で食べるかと、想像力も共感力も養われてきたのではないかと思う。

<つづく>

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2008年5月21日 (水)

食の崩壊2

山口県周防大島町で行われる国診協(社団法人全国国民健康保険診療施設協議会)の地域医療現地研究会に出席した。
地域医療を行っているドクターたちの学術的な勉強会の責任者をしている。
どうしても来なくてはならなかった。
この大島の地域包括ケアはなかなかたいしたものである。

080519 読売ウィークリー・今週号の水谷修先生との往復書簡は、水谷先生の番である。
「戦後の日本の発展は自己否定の歴史。大切な心と文化を捨ててしまったようです・・・」
といったことが書かれていておもしろい。

食の崩壊(2)

 健康長寿王国を誇っていた沖縄が、2000年、26ショックに見舞われる。大正時代から長寿日本一だった沖縄だが、男性が2000年に26位に脱落したのだ。
 野菜を食べなくなった。1年中野菜が採れる沖縄県人が、1年の半分しか野菜を作ることができない長野県人よりも、野菜の消費量が少ない。
 海に囲まれているにもかかわらず、魚を日本一食べなくなった。日本一肉を食べるようになった。一番の大きな問題は、人口比でみると、日本一ファーストフード店が多くなったことだ。
 実は沖縄だけの問題ではない。日本がよりアメリカ的になることを目指す、この国のリーダーたちの関心が、そうさせてきたのだと思う。

 アメリカの富裕層では、久司道夫という日本人が提案するマクロビオテックという食法を、400万人の人が実践しているという。日本人が数十年前に食べていたようなものを中心とした食法である。ロシアでも、同じことが見られる。富裕層が日本食を好んで食べ始めた。

<つづく>

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2008年5月20日 (火)

食の崩壊1

080520_2 諏訪中央病院には美しい庭がある。いつもグリーンボランティアの方々がきれいに手入れしてくれている。だれでもハーブや花を摘んでよいことになっている。車椅子でも通れる小道もあり、患者さんやそのご家族のための憩いの場になっている。
 5月初め、その庭に美しい紫色のチューリップが咲き乱れた。有名な英国園芸研究家で、蓼科高原 バラクラ イングリッシュ ガーデンのオーナー、ケイ 山田さんが病院に寄付してくださったのである。紫と淡いグリーンのコントラストが実にみごとである。ケイさん、どうもありがとうございました。

  今日は、諏訪中央病院 看護専門学校で授業を行った。テーマは「脳死と臓器移植」。授業が終わると、緩和ケア病棟の回診を行い、その後、TBSテレビ夢の扉のスタッフが打ち合わせにやってきた。午後は予約外来である。

Bungeishunju0806 夕方、文藝春秋の編集者が取材にやってきた。
後期高齢者医療についての取材である。
先週サンデー毎日に後期高齢者医療についての意見が他の人たちと違っておもしろかったらしい。
来月号の文藝春秋を読んでください。
今月号には、グラビア「日本の顔」に出ています。

少し前、文藝春秋に「食」の崩壊について文章を載せた。
 

食の崩壊(1)

 アメリカは傷ついていた。日本に経済で№1の座を奪われ焦っていた。1970年代後半、心臓病とがんが多く、国民の健康が脅かされていた。医療費が高く、アメリカ経済の足を引っ張っていた。

 医療改革を行うために、上院に国民栄養特別委員会が置かれ、7年の歳月と数千万ドルの国費が導入され、5千ページのめくら判レポートが出された。

 脂肪の摂りすぎで乳がん、子宮内膜がん、前立腺がん、大腸がん、すい臓がん、胃がんなどの発症率が高まる恐れがあるとまとめ、高カロリー高脂肪食を減らし、精製しない穀物、果物を多くとることを強調した。

 日本食が理想的だと述べ、日本食ブームの火付け役となった。アメリカからヨーロッパへ広がり、日本食ブームは一大潮流になり出している。

 世界が日本食に高い評価を当てているにも関わらず、日本人が日本食から離れ出していることは、一つの大きな問題である。

<つづく>

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2008年5月19日 (月)

温かな資本主義

諏訪中央病院の敷地内にある特別養護老人ホーム「ふれあいの里」で、おすしの日があり、入所者の方々と一緒においしいおすしの昼ごはんを食べた。

080518 昨日、5月18日(日)の読売新聞の朝刊に、
ぼくの連載「見放さない」第11回が掲載された。

「血の通った資本主義」というタイトルで、幸福感のない日本についてエッセイを書いた。
何人もの人から、「おもしろかった」「よかった」という電話を頂いた。
どうもありがとう。

このところ、温かな資本主義について書くことが多い。
ウェットな資本主義が大事といい続けている。

よかったら読んでみてください。

一部抜粋:

あたたかな土台のないまま競争を続けたこの10年、ぼくたちの国は何か冷たく、豊かにはなったが幸せを感じない国になっているように思えてならない。

いい国がいい国で在り続けるためにも、世界経済の大きな枠の中で負けないためにも、貿易立国として生き延びていくためにも、土台の温かな国づくりが大切だ。

血の通ったウェットな資本主義社会を作っていくことが、ぼくは大事だと思っている。

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2008年5月17日 (土)

“がんばらない”レーベル

Himawariイラクとチェルノブイリの病気の子どもたちの薬代を稼ぐため
「がんばらない」レーベルというNPOのレコード会社を作った。
利益はすべて、チェルノブイリやイラクの医療支援に使われる。

第1弾アルバム「ひまわり」(坂田明)が大ヒットと2万枚の大ヒットとなった。
ジャズではめずらしいという。

Omusubiぼくのエッセイがもとになって第2弾アルバム「おむすび」(坂田明)ができた。

42歳のスキルス胃がんのお母さんが、余命3ヶ月という宣告を受けた。

子どもの卒業式まで生きたいとお母さんは願った。
子どものために生きたいという希望が、お母さんの免疫機能に影響を与え、奇跡が起きた。

お母さんは卒業式まで生きた。
そして不思議なことに、さらに1年生きて、末っ子の卒業式まで見届けた。
余命3ヶ月の命が、1年8ヶ月生きたのである。

お母さんはときどき家に帰ると、お勝手に立ち、子どもたちのお弁当を作った。
最後にお母さんが作ってくれたお弁当は、おむすびだった。

久しぶりにお母さんが作ってくれたお弁当を持って学校へ行った。
待ち遠しかった昼休みが来た。
お弁当を広げると、うれしかったはずなのに、
切なくて切なくて、なかなかおむすびに手が届かなかった。

080517このお母さんのおむすびがジャズになった。

ぜひ聞いてください。
「ひまわり」は静かで癒される曲。
「おむすび」は熱く泣けてくる曲。

ご注文は各レコード店でお願いします。
また、日本チェルノブイリ連帯基金でも受け付けています。
応援よろしくお願い致します。

※写真はレコーディングの模様

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2008年5月16日 (金)

なげださない

Minoru Kamata今年の1月末、「なげださない」という本を書いた。

なげださない人たちの感動的な生き方を描きたかった。

がんが再発し、手術しても再び再発し、そこから奇跡的に治った人がいた。
自分の夢を変えてまで、自分の村をなげださない人がいた。
自分の国をなげださない人がいた。
自分の命をなげださない人がいた。
病気の子どもや親をなげださない人がいた。

Nagedasanai_sぼくも、自分の夢をなげださないでやってきた。

16年間、チェルノブイリの汚染地の子どもたち支える活動をしてきた。87回医師団を派遣し、約14億円の薬を送ってきた。
3年前から、イラクの5つの小児病院へ毎月400万円の薬を届けている。
イラクに生まれてきたいと思って生まれた子どもはいない。
子どもは、親や国を選んで生まれてきたのではない。
子どもに責任はないと思ってやってきた。

このブログに、ぼくの考えていることや、体験したことなどを綴っていきます。
なげださない生き方のヒントを見つけて頂ければ幸いです。
ぜひご愛読ください。

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