この国が好き1
ハワイから帰国して2日後の今日、朝早く、あずさで東京へ出た。
東京医科歯科大学でレクチャーをした後、明日の講演に備えて、
羽田から鹿児島へ飛んだ。
この国が好き(1)
信州の小さな町で、田舎医者として働いてきた。
脳卒中の多発地域で、健康づくり運動をし、現在では日本でも有数の長寿地域になった。長寿であるということは、お年寄りが多い。
お年寄りが多ければ、医療費が多くなるはずなのに、日本でも有数の医療費が安い地域になった。
常に暖かな医療を目指して、日本で初めてデイケアを始めたり、往診を始めたりしてきた。
今もぼくは往診をし続けている。
小さな田舎医者としていのちに関わりながら、
環境も大切だけど、平和も大切だと思うようになってきた。
ちょうどそんな時、ぼくはおじいちゃんになった。
ぼくは、広島の原爆が落ちた日に生まれたぼくの長男に、原爆の「爆」という名前をつけようとした。
しかし、ぼくの父の反対にあってつけることはできなかった。
その長男が成長して父親となり、子どもにBAKUという名をつけた。
この子が、元気で幸せに、自由を謳歌して育ってもらいたいと思う。
ぼくはこの国が好き。
ぼくを生んでくれた父や母は、ぼくが1歳のときに、ぼくを育てられなくなって放り出した。
にも関わらず、貧乏な岩次郎がぼくをひろって育ててくれた。
ぼくの未来はつながった。
ぼくのような子どもはたくさんいたはずである。
日本は捨てたもんじゃないと、ぼくはいつも思い続けてきた。
しかし、このごろの日本はちょっとおかしい。
いい日本をいい日本のまま次の世代へバトンタッチしたい。
それがぼくたちの役目だと、ぼくは思っている。
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