雪とパイナップル2
昨日、福岡空港から中部国際空港へ飛び、名古屋で1件講演を行った。
そして今朝、また熊本へ戻ってきた。明日は再び福岡へ入る予定だ。
雪とパイナップル(2)
1991年1月。ぼくは初めてソ連に入った。チェルノブイリへ行くためである。
まだ共産主義のソ連邦があった時代。なぜソ連なんてひどい国の子どもを助けにいくのだと言われたこともあった。
子どもは国を選んで生まれてきたのではない。誰もやらないからそこへ行って子どもを助けたいと思った。
難治性の白血病の子どもたちを救うため、抹消血肝細胞輸血という骨髄移植の初期の治療を現地のドクターに教えながら、11人に骨髄移植をした。
10人は白血病が完治したが、1人だけアンドレイという少年が亡くなった。
亡くなった後、ぼくはお母さんをお悔やみに訪ねた。
そこで聞いたお母さんの言葉を絵本にした。
「雪とパイナップル」というヘンテコな名前の絵本ができた。大人が読む絵本である。
サマセット・モームの「月と六ペンス」という小説が好きだった。
ゴーギャンがフランスを離れ、大地を渡っていく。野に下るのが好き。
月と六ペンスというわけのわからない組み合わせもおしゃれな感じがして、いつかそんな題名の本を書きたいと思っていた。
「雪とパイナップル」―― 南国の食べ物と冷たい雪。視覚的にもまったく異なる組合せを絵本のタイトルにつけた。
つづく
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