オランダ・アムステルダムより
アムステルダムでの初めての朝を迎えた。ときおり雷を伴って雨が降っていた。空は雲に覆われている。徐々に雨が上がり、厚い雲の向こう側に太陽が輝きを取り戻し始めている。レンブラントの朝を迎えたようだ。レンブラントが描いた空や雲を思わせるような朝だった。
(写真左は、アムステルダムの運河)
マウリッツハイス美術館へ向かう。デン・ハーグへ1時間ほど車を走らせる。郊外に入ると、オランダの風にまかれてたわみよじれるゴッホの糸杉のような木をいくつも見かけた。ゴッホの心の叫び、激しく描かれた糸杉がオランダにはあった。
マウリッツハイスで見たかった絵に出合った。「真珠の耳飾りの少女」。
憂いに満ちた瞳、美しい唇、不思議な青色のターバン。フェルメールの傑作である。
フェルメールの絵は他に2点あり、「ディアナと妖精たち」と「デルフトの眺望」が展示されていた。
「デルフトの眺望」も見たいと思っていた絵の一つである。傑出した風景画だと思った。
(左の写真は、ぼくが実際に同じ地点に立って撮ったデルフトの写真。右は絵画「デルフトの眺望」)
「失われた時を求めて」を書いた小説家マルセル・プルーストが、世界で最も美しい絵と言った意味がよくわかった気がした。
旅の終わりに、NYの美術館でもなんとかフェルメールの絵を見たいと思っている。
アンネフランクハウスを見た。(写真左)
右下の写真は、アンネフランクの隠れ家へ続く階段である。この上に小さな空間があり、3ヶ月8人が生活していた。アンネはそこで2年間必死に生きる挑戦をした。
アンネはベルゲン・ベルゼンの収容所でチフスにかかり、亡くなっていく。8人のうち、アンネの父フランクを除いて全員が収容所で亡くなった。
アンネの日記の中に窓辺から見える運河の話がでてくる。
「運河に面したこういう古い家の中に、隠れ家があるなんて、そしてその中に明るい家があるなんて、信じられません」
運河は今も残っていた。
夜、ピースボートに戻ると、オランダの平和活動家たちとの100人ほどの懇親会が行われた。
オランダの歴史家で、元国会議員であるJUDITH BELINFANTEさんと、平和の大切さについて語り合った。(写真右下)
子どもの頃、死の収容所ホロコーストに入れられ、たくさんの人々に助けれて生き延びた。今は平和活動家として生きているという。
アムステルダム港を出航し、船はノルウェーへ向かっている。
ただただ、海が見えるだけである。
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