旅あきらめない4
真夜中から午前3時まで、NHK BS「地球アゴラ」の生放送があった。
寝不足である。
サポーターの力を借りながら、気持ち良さそうに足をつける人、
専用の車いすに乗り換えて、波に揺られる人、
ビーチで海の風と香りと景色を楽しむ人、
それぞれが楽しい時間を過ごした。正午には3組の銀婚式、金婚式、ダイヤモンド婚式が執り行われた。
ホテルの中庭に作られたチャペルで、それぞれが誓いの言葉を述べた。
たくさんの涙と笑顔につつまれて、感動のセレモニーとなった。
午後は、大村先生の歌のコンサート、ウクレレレッスン、バリアフリーフラレッスン、アロマテラピーなどが催され、ぼくの講演会が行われた。
パーティーではおいしいディナーと音楽とダンスを楽しんで、この旅で出会った新しい友人と、それぞれが感動の最後の夜を過ごした。
旅あきらめない(4)
小学3年のころ、親にないしょで小さい冒険をした。
東京・杉並区の和田から井の頭公園へ自転車の旅。
父はタクシーの運転手をしていたので、自動車の多い道を自転車で走るのは危険と思っていた。
だから父にはないしょだった。
見つかって怒られた。
でも、知らないところへ旅する楽しみを知った。
青春のころ「遠くへ行きたい」と思った。
でもあのころは貧乏で、お金も、一歩踏みだす勇気もなかった。
大学を卒業すると、忙しい仕事があって、結婚し、子どもを育てて、なかなか動けなくなった。
「遠くへ行きたい」はただの夢、テレビの世界だった。
でも、このままただの夢で終わらせたくないと思った。
一生懸命生きてきたのだから、自分にごほうびをあげてもいいんじゃないか。
子どものころや青春のころの淡い夢を実現した。
チェルノブイリへ通い始めた。
病気の子どもたちを救いたいと思って87回、医師団を派遣したが、ぼくが行けたのは5回だけ。
病院の仕事が忙しくて行けなかった。
14億円の医薬品を送るために、国内でお金を集める縁の下の力持ちの役を演じた。
でも、率先して病気の子どもたちのところへ飛んで行きたかった。
ぼくは病院を退職して、パートの契約医師になった。
これで、ぼくを必要としているところへ、いつでも、どこでも飛んで行ける。
イラクの5つの小児病院へ支援を始めた。
ヨルダンやクウェートへ行って、イラクのドクターたちと救援の打ち合わせをしたり、イラクの難民キャンプに飛んでいけるようになった。
ぼくは自由な身になった。
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