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2008年6月25日 (水)

私の人生を変えた本1

Image019 フラダンスの勉強をしている方々が、患者さんたちのために
病院の中庭でフラダンスを披露してくれた。

ぼくの絵本「雪とパイナップル」を取り上げて、雑誌「女性自身」の取材を受けた。
夜回り先生の水谷修先生が「雪とパイナップル」の感動的なコメントを寄せてくれたようだ。

寂聴さんを初め、料理研究科の辰巳芳子さんや、絵本の評価をたくさん書いている柳田邦夫さんなど、そうそうたるメンバーに褒めて頂いた。
幸せな絵本だと思う。

私の人生を変えた本(1)

本が好きだった。嫌なことや悲しいことは、本を読むことで、少しだけ中和された。
医者になってからは、じっくり本を読む時間はほとんどなかった。
病院づくりに役立つ本ばかりだった。そんな自分がうっとうしかった。

50歳頃から病院長を辞めたいと言い出したのは、自分の中にある本の虫がうごめき出したから、というのも一つの理由である。
病院を退職して2年。本をばんばん読み始めた。

18歳の頃、父とぶつかり合って、むさぼり読んだ本が「クローニン全集」20巻。
家は貧しく、母は病気だった。
医学部に行きたいと何度言っても、父は聞いてくれなかった。
「うちは貧乏だからダメだ」

父は小学校しか出ていない。
国立大学の当時の授業料は、医学部でも1月1000円だった。
父にはなかなか想像できなかったのだろう。
医学部へ行くのはお金持ちだけと思い込んでいたようだ。

泣いて泣いて父に頼んだ。
それでも初めのうちは、うんと言ってくれなかった。
そのときに読んだ本が、「クローニン全集」。

クローニン自身が臨床医で、貧しい炭鉱町の人たちを支える青年医師や、結核患者のサナトリウムで働く医師たちの姿が描かれていた。
ぼくの気持ちはますますのめり込んでいった。

泣きながら、大学へ行かせて欲しいと父に頼んだ。
あまりにも泣き続けるぼくに、父は好きなように生きていいと大学への進学を許可してくれた。
ぼくの気持ちを支えたのは「クローニン全集」。クローニンの二十巻の小説だった。

はじめにぼくが医者になろうかと思ったのは、実はもっと軽い気持ちだった。
きっかけは、あまり言いたくはないのだけど、北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」。
船医になれば本が読める、知らない国を見てまわることもできる。
なんとなく今の自分の世界から脱出できるような気がしたのだ。
なんとも軽い気持ちだった。

そのときに、父が壁のように立ちはだかってくれた。
大学なんて行かなくていいと言われ、落ち込み、クローニン全集を読み続ける中で、自分はこういう医師になりたいという具体的な思いが固まっていったのである。

医学部を卒業するとすぐに、医師がいなくて困っている諏訪中央病院へ行った。
同級生には誰一人としてそういう道を選ぶ人はいなかった。
クローニン全集が、そんな道を選ばせたように思えてならない。

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