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2008年7月

2008年7月31日 (木)

射水市民病院でおきたこと

富山県の射水市民病院で、末期がん患者ら7人の人工呼吸器がはずされて死亡した問題で、県警は二人の外科医師の書類送検を決定した。ずいぶん時間がかかった。

県警は会見で、「厳重な処罰は求めるものではない」とも述べている。
現行の法体系では殺人罪に問わざるを得ないから、送検したということらしい。

基本的には日本では安楽死は認められていない。
安楽死は認めないが、
回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態で、患者の意思表示があることなどの条件がそろえば、延命治療中止が認められる。
いくつかの事件の判決がそう明確に示している。

この数年続いている呼吸器はずしで、いつも一番求められているのは、それを患者が望んだかどうかである。
元気だった頃、延命治療は望まないなどと書きおいていないか、あるいは家族に話していなかったか。
射水市での事件の場合、ここが不明確なのである。
一言でもカルテ上に書かれていれば、おそらく警察もマスコミも大騒ぎせず、むしろ好意的に認めていくのではないだろうか。

週刊誌や月刊誌で意見を求められると、
この二人の外科医師は、新しい時代の命に対する常識が欠落していた。
ぼくは自分の意見としてそう表明してきた。

同時に、この二人の時代遅れの意識を持った外科医を、書類送検してはいけないとも述べてきた。
もっと違うところで議論されるべきである。
この二人の医師に落ち度があり、反省すべき点があるとすれば、
数ヶ月かけて新しい医療倫理学を学ぶなど、課題を提示しクリアさせ、医療活動を継続できるようにすべきである。
悪意のない医療活動でおきたことに、警察が介入することを極力控えるべきである。
そう述べてきた。

しかし結局は書類送検になってしまった。
ただし、県警が会見で「厳重な処罰は求めるものではない」と明確に述べていることは、評価したいと思う。

医療上で起こる問題に対して、警察に変わる議論の場を、早く設けるべきだと思う。

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鎌田劇場へようこそ!(3)「画家と庭師とカンパーニュ」

8月2日(土)より、渋谷東急本店横、文化村ル・シネマ他、全国順次ロードショー。

080731心温かくなる映画だ。穏やかに、人間って結構いいなあと感じさせてくれる映画である。
友情があふれている。人生とは何か、豊かさとは何か、真の幸福の意味が見えてくる映画である。

有名になった画家と、まじめに仕事だけをしてきた元鉄道員の庭師。
名匠ジャン・ベッケル監督が、老境にさしかかった二人の小学校の同級生の友情を描く。

庭師は、純粋で、朴とつとしていて、どんな誘惑にも負けず、丁寧に生きることだけを地道にやってきた。只者ではないのである。ふるさとカンパーニュの荒れ果てた庭が、庭師の手によって徐々にきれいになっていく。荒れた土地を掘り返し、庭師は美しい野菜を植えていく。トマトやズッキーニがたわわに実り、人参がみごとにできるころ、庭師に病魔が静かに襲ってくる。

画家は庭師を知り合いの医師のところへ連れて行った。緊急手術を受けたが手遅れだった。画家に取り残された選択肢は、庭師の最期を彼の愛するカンパーニュで迎えさせてあげることだった。

庭師は画家を鯉を釣りに湖へ連れて行く。小船の上で二人で大物の鯉を狙う。
庭師は言う。「死神は巨大な鯉と同じだよ。姿は見えなくてもいるとわかる」
たんたんとした美しい言葉が、死を直前にした庭師の口から出る。
そんなとき突然湖面が揺れ、水面下に巨大な鯉が顔を出した。二人で協力して必死に吊り上げた。これで三度目だ。「これが最後」と庭師はつぶやいた。
そして巨大な鯉を湖に再び解放す。「達者でな」
まるで自分が死んでいくことがわかり、もう会うことがないと悟っているような言葉であった。

庭師は、「オレが好きなものを描いてくれ」と画家に頼んだ。画家は売れてはいたが、燃えるような絵を描けなくなっていた。その画家が親友の言葉を引き継ぐのである。

映画のエンディングは展覧会の会場。
庭師のつかったミニバイクや、庭仕事用の黄色い長靴、トマトやズッキーニ、にんじんといった野菜たち、そしてあの巨大な鯉。庭師の愛してやまなかったカンパーニュの風景が、みごとなタッチで油絵になっていた。そしてたくさんの人がその絵を買っていく。

「名画でなくていい、明るい色の絵がいいなあ」と庭師は言った。
そのとおり、素直な輝くような愛らしい絵が並ぶ。個展の会場は美しい光であふれていた。親友の画家の能力をよく評価し、難しい絵を描くよりもシンプルな絵を描かせたかったのだろう。画家は再びみごとな芸術家として開花していく。

庭師の役をしたジャン=ピエール・ダルッサン。
昨年ヒットしたサン・ジャックへの道でアルコール依存症の役をした個性派俳優である。
サン・ジャックへの道のときにも、存在感あふれる役だった。セリフは少ないが、他の役者を食ってなんとも存在感が豊かであった。ジャン=ピエールは、この作品で完全に開花したように思う。
吊り上げた巨大な鯉に、達者でなと声を掛け、再び湖中に放つ庭師の穏やかな声と顔に感動を禁じえなかった。

どのカットも美しい。人生で大切なものは何か、愛とか、家族を、おしつけることなく静かに考えさせてくれる作品になっている。
見て欲しい映画だ。心温かくなること、まず間違いないと思う。

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2008年7月30日 (水)

介護の日2

「介護の日」が11月11日と決まったのは、鎌田實の意見が発端である。

実は4年前から、「がんばらない介護の会」というものをつくり、9月25日を「介護の日」と設定して活動してきた。
毎年9月の「介護の日」には、ポスターを作り、介護のシンポジウムやレクチャーを行ったり、「介護をしてくれてありがとう」というメッセージカードを作って介護を受けている人から介護をする方へ手渡してもらったりしてきた。

やっと9月の「介護の日」が起動に乗り出したところだったので、今回政府から「介護の日」制定の話が出たとき、はじめは9月25日を「介護の日」として提案した。
しかし、9月25日という日にちには特に意味もなく、ゴロあわせもうまくいかず、広く皆に知っていただくためには物足りない気がした。

そこで第2案としてぼくが提案したのが11月11日であった。
今年11月11日、長野県で「いい日いい日幸せ介護」というキャッチフレーズでイベントが行われる。介護をしてくれる人に感謝の意を表し、介護を上手につかっていきいきと生きる、という新しい介護の時代を高らかに宣言しようというものだ。
鎌田實が記念講演を行う予定である。
これを提案したところ、インターネットを使ってヒアリングを行い、400以上の方の意見が寄せられ、
11月11日「いい日いい日幸せ介護」へのたくさんの賛同が集まったという。
厚生労働省も難産ではあったが、介護の日を11月11日に設定したとのことである。

政府も、口うるさい人を遠ざけず、口うるさくてもきちんとものを述べる人を、たまには委員会に呼んで意見を聞くこともいいのではないかと思っている。
福田さんは舛添大臣に対しても、週刊誌や月刊誌で激しく批判してきたにも関わらず、ぼくの意見を聞きたいといってきてくれた。
それは少し大人の判断をしだしたのかなという気がした。

耳障りの良い話しかしない人を呼び、経済財政諮問会議みたいなものをつくり、
この国のシステムを操ってきた小泉政権以降の国のあり方を少し変えて、
色々な反対意見を言う人たちの言葉に耳を傾けるときが来たように思う。

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2008年7月29日 (火)

介護の日1

いも政府は新しく「介護の日」を作るという。
11月11日を「介護の日」と設定することを決定したらしい。

堀田力さんや樋口恵子さんらを筆頭に、「介護の日」の制定についての小さな委員会が作られた。
ぼくも意見を求められて「介護の日」を制定することに賛同した。
介護をする人たちに「ご苦労様」「ありがとう」と伝え、介護される人たちも自分らしくイキイキと生きる。
高齢化社会の中、そういう国づくりを目指すためにも、「介護の日」を制定することは大変良いことだと思う。

社会保障費年間2200億円の抑制が決まった頃から、介護の世界に対しても厳しい抑制が始まり、介護職員たちの待遇の悪さが表面化され、若者たちが介護の世界へ入らなくなってきた。
多くの介護の学校が欠員を生じ、廃校をせまられている。
一時期、得策として「介護の時代」「介護は必要」と若者たちにアピールし、優しく誠実でまじめな若者たちが介護の専門化を目指した。
しかし、うなぎのぼりに増加する介護保険給付費にブレーキをかけようと抑制策に転じ、ここへきて一気に、介護で働く人たちの待遇悪化が顕在化したのである。

そして、コムスン介護報酬不正請求事件。
人材派遣業のグッドウィルがコムスンを作り介護ビジネスの全国展開をした。
グッドウィルのリーダーは巨万の富を得、大きな別荘をつくり、外車を何台も持ち、ゴージャスな生活をしていた。
一方、介護をしている人たちの生活は、頑張っているのに大変厳しい。
そういう構造が浮き彫りになった。

そんな状況の中、政府がもう一度仕切り直しをし、介護が大事だと高らかに謳い上げるために、「介護の日」制定は大いに賛成である。
「介護の日」をただ作るだけではなく、「介護の日」制定をスタートとして、介護問題を国民の問題としてとらえ、介護に関わる人たちの社会的な評価や金銭的な評価をきちんとしていくことを考えてほしいと思っている。

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2008年7月27日 (日)

第3国定住制度導入へ

後期高齢者医療制度のことで、文芸春秋をはじめ多数の週刊誌や月刊誌で、はげしく福田政権の批判をしてきた。
しかし最近、少し潮目が変わりだしていると、実はぼくは感じている。

政府は、難民を日本で恒常的に受け入れる第3国定住を導入する方針を決めたという話を聞いた。

ぼく自身、イラクの難民キャンプでの悲惨な生活を目のあたりにしている。
「ヨルダンの難民をぜひ受け入れてほしい」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のヨルダン事務所を訪れるたび、何度も要請を受けた。
日本政府が自衛隊を海外派遣する1万分の1ほどのお金で、何十人かの子ども達を助けてあげることはできるだろう。

今まで日本は、難民受け入れに対して閉鎖的だといわれてきた。
まったくゼロではなかったが、難民認定数は年間数人から数十人程度である。
第3国定住制度は導入していなかった。

第3国定住制度とは、第3国が難民キャンプなどに調査団を派遣して、難民本人と面接し意志を確認した上でリストを作り、移住が決められるという公平な制度である。

2010年から30人程度の難民を受け入れるという。
ほんのわずかだが、世界から尊敬される国づくりを目指す第1歩としては、ぼくは合格だと思っている。

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2008年7月25日 (金)

光市の人間魚雷

ピースボートの船の旅で出会った85歳おじいちゃんは、戦争中、特攻隊に所属し、21歳の8月14日人間機雷に乗って出撃する予定だった。その数日前に、終戦・撤退が決まり、命拾いしたという。そのことを、若者たちの前で泣きながら語ってくれた。
おじいちゃんとは意気投合し、平和について熱く語り合った。

昨日講演で訪れた光市ではかつて、回天という一人しか乗れない人間魚雷を作っていたという。

終戦間近となったとき、たくさんの若者が光市に集められ、飛行訓練が行われた。
人間魚雷のハッチは、外から閉めて中から開けることができない非人間的な構造になっていた。つまり逃げようがないのである。機械の調子が悪くなり、どこかの陸にあがったとしても、自分で機外へ脱出することができないのである。

080725 国民を大事にしない日本の軍隊の在り方が構造的にも見える。国民を守るべき国家が国民の命を安易にむしりとる。そんな習慣があった国であったことを、今広島に途中下車して感じている。

今日これから岐阜へ行って講演をし、夜遅く茅野へ帰る。
しかし8月6日の原爆記念日を前に、広島を素通りする気になれず、昨夜、最終電車に乗って夜11時半に広島のホテルについた。

広島の夏は暑い。しかしこの暑さの中で、祈らなくてはならないと思っている。
平和公園をお参りし、原爆ドームに立ち寄って、新幹線に飛び乗る予定だ。

駅近辺でB級ランチの王様、広島焼が食べられたら、幸せなのだけれど…。

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2008年7月24日 (木)

発見!特Bグルメ(3) 光市のハモ

山口県光市の市民大学で講演を行った。会場は900人ほど。

周南地域でホスピスを作る運動をしていた住民に呼ばれ、かつて徳山近辺で講演をしたことがあった。そこでぼくの講演を聞いてくれた方々もたくさん、今回の講演会に改めて参加してくれたようだ。

周南地域にもやっとホスピスができることになったという。病院と住民とが良い関係で、癌の末期になっても自分らしくいられるようなホスピスが作られるといいなと思った。

080724 ハモの梅肉を大変おいしく食べた。
この季節、京都へ行くとよくハモが出されるが、京都のハモはここ光市から来ていることが多いという。
その後しゃぶしゃぶ、最後はウニごはん。
とてもおいしかった。

8月15日光市民ホールで、環境の専門家でぼくの尊敬する田中優さんの講演会があるという。
お近くの方は光市民ホールへぜひ足を運んでみてください。

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2008年7月20日 (日)

野球から学んだこと2

子どもの頃から野球少年だった。
小学校のときも、中学校のときも、日曜日は朝早く起きて、練習をしたり、試合に出たりしていた。

長野県に来て、地元の早起き野球のチームに入った。
開業医の土橋先生が持っている、土橋整形外科というチームに入れてもらった。
その早起き野球を通して意気投合した土橋先生には、
病院を運営をしていく上で、たくさんの指示や指導をもらい、
地域の医師会のドクターたちと仲良くなる橋渡しをしてもらった。
やっぱり野球だったのである。

いろいろな野球チームで、キャプテンをやることも多かった。
レギュラーになれる人となれない人をまとめて、どう上手くチームワークを作っていくか、
いつも試されていたような気がする。

野球の能力としては、打つほうは、まあまあ。
野球部の低学年のときは7番を打ち、中心になる頃には3番を打った。
足は速かった。盗塁をするのが得意だった。
キャッチャーとしては、肩があまりよくなかった。
相手の盗塁を刺す率が、あまり高くなかった。
肩があまり強くないことを、できるだけ相手のチームに知られないようにしたつもりである。

080720結局、選手としては、ちょっと運動神経が良いくらいの野球青年だったけれど、
キャプテンとしてチームを引っ張るとか、キャッチャーとして8人の野手を引っ張っていく、相手のチームを覚乱していく、そういう意味で、能力の開発トレーニングが行われ、現在の自分があるように思う。

当時、それが何かの役に立つと思うことはなかった。
すぐには役立たない、無駄に思えるようなことを、一生懸命やるってことって、なんだか大事なんだなあ。
明日のために役立つことではなくても、何年か先に役立つことを、一生懸命やっていることは、大切なんだなあ。

(写真は福岡県福津市より。明日はNHKラジオ「鎌田實・いのちの対話」を福津市より生放送します)

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2008年7月19日 (土)

野球から学んだこと1

大学時代ぼくは野球部で、ポジションはキャッチャーだった。
キャッチャーというのは、9人のチームの中で、1人だけ
残りの見方のメンバーと向かい合っている、不思議なポジションである。

ピッチャーが何を考えているか、
自信を持っているのか、失いかけているのか、
どんなボールを投げたがっているのか、想像する。
他の8人のチームメイトに声を掛ける。
サインで支持を出す。
そして、バッターをうかがう。
相手のチームのベンチをうかがい、相手の監督が何を考えているのか推測していく。

ノーアウト1、2塁。ピンチである。
相手の監督は強攻してくるのか、バントで2人のランナーを送ろうとするのか、
気配をうかがう。
バッターの顔や、ランナーの動作や、相手のベンチの空気を、
ぼくは見抜こうとしていた。

相手チームは何を考え、何をしたいのか、
相手バッターの裏をかくためにはどうしたらいいのか、
同じチームの仲間であるピッチャーは、
ぼくに何をしてもらいたいのか、どんな支持を出してもらいたいのか、
そうやっていつもぼくは、色々なことを推測しながら、
ピッチャーや野手に指示を出すのである。

心理戦のトレーニングを積んできた思いがある。
それは、病院という1つのチームを引っ張っていくときにも役に立ったようにも思う。
そして病院を引退した今も、
外来や往診をしながら、チェルノブイリやイラクへの国際医療支援をどう続けていくか、
どんな人にどう応援してもらうか、どうしたら寄付や応援を頂けるか、
もしかしたらぼくのやってきた野球が、メンタルトレーニングになっていたかもしれないと思う。

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2008年7月17日 (木)

帰ってきました

目が回るほど忙しい1日だった。

久しぶりに病院に復帰。看護学校や老人保健施設を回り、3週間の間に届いた手紙や原稿のチェックをした。

7/21 NHK第1ラジオ「鎌田實 いのちの対話」をぜひ聞いてください。子どもの命について語ります。朝9時から12時まで、福岡から全国生放送です。温かな話が満載です。とろけるほど温かくなると思います。

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2008年7月15日 (火)

発見!特Bグルメ(2) 旅の終わり

グランドセントラルステーションの地下にあるオイスター&バーレストランで、生牡蠣を食べた。
0807154 当日のメニューだけでも25くらいの生産地が記されている生牡蠣が売られていた。
生牡蠣を食べ、牡蠣フライを食べ、ここでも大きな海老を食べた。
ここのオイスターは本当においしかった。
北極旅行を記念して、もう1回アイスランドオイスターを堪能した。
夜はSOHOの近くにあるウェストサイドのルパという洒落たイタリアンレストランで、最後のNYの夜を締めくくった。

たくさんの面白い人たちと出会い、たくさんのすばらしい景色に会い、熱い若者たちと熱烈な意見の交換をしあった。熱い3週間の旅は終わった。

いよいよ明日は飛行機に乗り成田へ向かう。
帰れば地獄のような日々が始まるだろう。

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RENT

ブロードウェイでミュージカルRENTを見た。

0807153 1989年12月24日から1年間のニューヨークのイーストヴィレッジが舞台となっている。
エイズにかかり死んでいく若者、死を恐れながら愛し合うエイズ患者、麻薬におぼれていく若者、同性愛、家賃(レント)も払えないギリギリの生活。
生や死、いのち、人生を考えながらよろよろと立ち上がり、助け合いながら生き抜いていく。

歌唱力がすごい。オールディーズのような曲でつながれていく。
すばらしい歌が盛りだくさんである。「星に願いを」なども出てくる。

古ぼけたホールは満員。熱気に包まれていった。
人間を死んでいく存在として作れらている。
クライマックスは全員のコーラスによるものすごい盛り上がりの中、
「今日楽しいことが大事」と歌い上げていくのである。
 
RENT―貸すという言葉から連想されるのは、ぼくたちの身体こそ借り物であるということ。

38億年の生命の歴史の中で、ぼくたちは単細胞から徐々に進化をとげていった。
魚から爬虫類、哺乳類へと、色々な生き物の中を「つながる」という宿命を持ち、
色々な乗り物に乗り換えながら、バトンタッチをしながら、生き抜いてきたのである。

ぼくたちの地球も、ぼくたちの命も、借りたものである。

一時預かりのように、ぼくたちは人生や地球を借りて、生き抜いていく。
そしていつかこの命を誰かにバトンタッチしていく。
RENTして生きていく…。

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若者たちが時代を変える

ついにピースボートの船ともお別れである。

0807152_2 ぼくが船を降りるとき、ダンシングチームの若者たちがぼくに寄せ書きをくれた。
たくさんの若者が一人ひとり丁寧にメッセージをくれた。
これからの生き方を変えると明言する若者たちが多かった。

「ぼくらのような若者の心を揺さぶるのは難しいと鎌田さんは言いましたが、ぼくは鎌田さんの話で心が揺さぶられました。もっと平和のことを考えていきます」

「怒りや憎しみを感じたとき、相手を知りたいと思える人間になることを模索していきます」

「平和を守ること、難しいけどやっていきます」

「鎌田さんの話を聞くと、自然に涙が出そうになります。鎌田さんの優しさがあふれているからだと思います」

「出会えてよかったです。これからも平和とダンスを結びつけながら生活していこうと思っています」

「私達にできることを私達なりにやっていきたいと思います。ありがとう、ありがとう」

「『この世でただ独りの理解者を探すことは難しくても、この世でただ独りの理解者になることはできる』という鎌田さんのくだりで、何かひらめきました。大切に生きていきます」

うれしかった。

茶髪の若者。歌やダンスにしか興味を示さなかった若者。
今まであまり勉強もせずに…なんてなんとなくネガティブに思っていた。
でもこの若者たちに力があることがよくわかった。

ぼくの「なげださない」の主人公達と同じように、ダメ人間や弱い人間が変わった時、なにか時代を変えるのである。
若者たちがほんの少し変わることで、周りに大きな変化をもたらすのだ。
そしてきっと社会への力となっていく。
必ず新しい世の中を作り出していくだろう。

まだまだ僕たちの国は土俵を割っていない。
間違いなく俵に足がかかった状態で、若者たちがきっと踏ん張り出すだろう。
若者たちの力強さをひしひしと感じた。

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2008年7月14日 (月)

フェルメールに会いたくて

フェルメールを見るためにフリックコレクションへ行った。

0807141 「兵士と笑う娘」はなかなかの一品だった。
光があたった女性のはにかんだような優しい穏やかな顔がとても印象的だ。
少し開いた窓から差し込んだ光と、ステンドグラスを通した光とが、微妙に研鑽されている。
カーテン部分の陰影など光の捉え方が見事である。
外の光が窓に反射しているのもわかる。

フリックコレクションは、NY5番街にある邸宅美術館である。
なかなかたいしたものだった。
その他に「稽古の中断」と「女と召使」が飾られてあった。

「稽古の中断」は、窓から差し込んだ光の中、若い女性と音楽の先生が見事に描かれているが、「兵士と笑う娘」ほどの感動はない。
女性の顔があまりイキイキと感じられなかった。

フェルメールが残した絵は33~36点ほどではないかといわれている。
フェルメールは光を捉えるのがとてもうまい。
窓辺から光が差し込むとフェルメールの世界が広がっていく。
しかし光が差し込んでいない絵は、この時代のレンブラントやその他の絵と同じように暗いのだ。ぼくはあまり好きではない。
作品の中にクオリティの差があるように思った。

さらにフェルメールの絵を探して、メトロポリタン美術館へ行った。
ゴッホやマチス、ピカソなどの絵がふんだんにある美術館だが、フェルメールの絵の前には最も多くの人が集まっていた。
どこの美術館へ行ってもフェルメールの絵の前には大きな人だかりができている。
世界の人気画家であることは間違いない。

0807142 「窓辺で水差しを持つ女」が実にすばらしい。
女性が窓辺に立ち物思いにふけっている。
左手で水差しを持ち、右手で窓を開けようとしている。
水差しの下には盆があり、窓からの日差しと、盆の下の赤いテーブルクロスが、淡く映し出されて、光の反射をみごとに捉えている。
女性と背後の白い壁、そして右奥に見える掛物とのバランス。
窓にかかる手の美しさ。
確かに傑作だと思う。

その他、「眠る女」「少女」「信仰の寓意」の全部で4点が掲げられていた。
しかし圧倒的に優れていたのはやはり「窓辺で水差しを持つ女」。

350年前に活躍したフェルメールの絵が見たくて、アムステルダムからNYへたどり着いた。
たくさんのフェルメールを見た。
最も優れているのはやはり、マウリッツハイス美術館にある「真珠の耳飾の少女」と「デルフト眺望」、メトロポリタン美術館の「窓辺で水差しを持つ女」だと感じた。
この3点は心を揺さぶられるほど美しい絵であった。

8月2日から上野の東京都美術館でフェルメール展が開催され、7点の作品が展示されるらしい。ぜひ見ていただくといいと思う。
http://www.tobikan.jp/

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発見!特Bグルメ(1) ニューヨークより

ついにNYへ上陸した。
グリニッジビレッジは想像を超えてきれいな街になっていた。

0807151_2 セビラというスペイン料理店で昼飯を食べた。
ロブスターやホタテやムール貝がのった熱々のパエリアの上に、シュリンプの入ったスパイシーなソースをかけて食べる。なんとも贅沢であった。

NYは、やはりあまり好きな街ではない。
しかし、ハーレムを歩きながらぼくは思い出した。
「吠える」――アレン・ギンズバーグの詩である。

僕は見た
狂気によって破壊された
僕の世代の最良の精神たちを
飢え 苛ら立ち 裸で
夜明けの黒人街を 
腹立たしい一服の薬を求めて 
のろのろ歩いてゆくのを

0807143アレン・ギンズバーグはアルコールとマリファナとジャズにまみれながら、深く自分を見つめようとしていた。
誰しもがそうであるように、アレン・ギンズバーグの心の中にも獣はいた。暴れる心があった。
社会に反抗し、社会と戦いながら身体や心を傷つけ、言葉をたたきつけるように詩にした。

しかしその後、ビートジェネレーションのムーブメントの中で、たくさんの若者が同じようにヒゲをはやし、社会に反抗し、スケアな生き方をやめ、たくさんのヒッピーが生まれた。
ギンズバーグは風俗になってしまった。
スケアなものに対する反抗のメッセージがどんどん低下していった。
ギンズバーグの詩は、徐々に風化していったのである。

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2008年7月13日 (日)

NY摩天楼の朝日

0713_02sついにNYへ着いた。
NYの摩天楼の向こうから太陽が昇ってくる光景は、何ともいえない不思議な美しい光景だった。

大嫌いなアメリカについに上陸する。
ハワイへは、障害のある人たちに楽しんでもらうため毎年ボランティアで行っている。
アメリカ大陸にはあまり行きたいという気にはならなかった。

もちろんすべてのアメリカを否定しているわけではない。
ぼくはエッセイの中でも、アメリカの下半身には暖かな血が通っていると書いてきた。
しかしアメリカが世界を悪くしていることは今も強く確信している。
アメリカ人一人ひとりがフレンドリーで温かいとわかっていながら、
アメリカの国の形、あるいはアメリカを動かしている政治や経済や軍事が、世界を壊していると思っている。

グランドゼロを訪れ、フェルメールの絵を探してフリックコレクションとメトロポリタン美術館を見、ブルーノートでジャズを聴き、そっとNYの空気を吸ってみようと思っている。

甲板で朝5時から自由の女神を見ながら、たくさんの日本人たちに声をかけられた。
すてきな話を聞いた。

0713_03s 広島で原爆にあい、両親を失い、5歳と2歳の姉と弟が別れ離れになった。
姉がおじさんの家にもらわれていった。弟は祖父母に育てられた。
今、68歳と65歳の姉弟である。

弟は60歳で定年退職し、5年間レストランを経営した。大変うまくいき、繁盛した。
1年間365日のうち、362日働いたという。
一生懸命生きてきたので、一つの区切りを付けたいと思った。

繁盛していたレストランを売った。
困難の中に生きている人たちを助けたいと思って、がんの患者さんたちを支えるNPOをつくった。自分はがんではない。

姉を誘った。二人で世界一周しよう。
姉の名を呼ぶことはできても、『お姉ちゃん』とは一度も言えなかった。
63年ぶりの姉弟の絆のつむぎなおしである。

いいなあと思った。

NYのハドソンリバーの中をピースボートはゆっくりと進んでいく。

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2008年7月12日 (土)

ビ・ミンショウ先生

昨日はビ・ミンショウさんという中国で大変有名な小説家と1時間ほどお話をした。
0713_09s今中国では1・2を争う売れっ子だと言われている。もともと内科医である。15年ほど前から医師を辞め、作家に専念しているという。
1冊日本語訳されているという。日本に帰ってから読んでみようと思っている。
命の話やがん患者の話が小説の舞台となっていることが多いという。

中国・四川大地震後、ピースボートでは募金活動が始まった。約70万円が集まり、ビ先生がシンガポールから飛行機で飛び被災地へ届けたという。
中国政府から送られた感謝状とテナントが船に飾られている。
ビ先生はこのことをご自信のブログに書き、約40万人の人がそれを見た。たくさんの中国人が日本人の心意気に感動しているという。

0713_06s_2 ビ先生は、ぼくの5回の講演のうち1回、「幸せさがし」を取り上げて話してくれた。
「私もかつて、幸せはどこにあるかという散文を書きました。
中国の小学校の教科書に載り、1千万人の子供たちが読みました。
鎌田先生が考えている幸せと近いところにあります」

明日は憲法9条ダンシングチームとディスカッションする予定である。
日本の若者たちと話そうとビ先生をお誘いした。
ビ先生のブログにはたくさんの中国人ファンが訪れる。
日本人が持っている平和に対する思いと、たくさんの中国の人へ伝えていく。
それが大事だと思った。

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日はまた昇る

0713_13s 日の出は5時10分。
南下とともに日の出が遅くなっていく。
ついに美しい日の出を見た。

昇っていく太陽を見ながら、人はそれぞれ色々な思いに駆られるようだ。
次から次へと声を掛けられた。

若い女性が泣きながらぼくにささやきかけてきた。

「先生、ずっと先生のレクチャーを聞いてきました。生きる意味はなんでしょうか。私はわからなくなっています。
結婚式のマネジメントをする仕事をしていました。楽しくて一生懸命やってきました。
でも、擦り切れて、少し疲れました。
一生懸命、生きる意味を考えていますが、答えが見つかりません。
先生はどんな風に考えているのですか」

0713_12s ぼくもまだわからないのだと答えた。

「38億年の生命の歴史の中で、命は生きてきました。
命は代謝することとDNAでつないでいくことが、大切なシステムとして仕組まれています。
すべての命は限りがあります。
しかし、つなぐことなのです。バトンタッチしていくことなのです。
そうして38億年、命は生きてきました。
だからぼくは精一杯、限りある命を生きて、次へバトンタッチしていくこと
そう思っています。

短期的にみると、生き方のコツのようなものが見えてくると思います。
たくさんの命と接してぼくが感じたことは、誰かのために生きている人は、人生の意味に近づいた人のように思います。
わからなくなったり、迷ってしまったら、とにかく人のために生きてみる。それがまわりまわって自分のためになる。まず自分のためではなく、人のために生きてみる。そうすれば生きることの意味が見えてくるのかなあ」

昇ってくる太陽を見ながらぼくは、独り言のように話した。
彼女は泣きながら聞いていた。

0712_05s 次は初老の女性が声を掛けてきた。

「先生のレクチャーに感動しました。私も違う親によって育てられました。
育ての両親がともに亡くなるまで、私は貰われたことを知りませんでした。
私は1人っ子として育てられました。

親が亡くなった日、参列してくれた方々に泣きながら『独りになってしまいました』と言うと、『独りではない』と声がかかったのです。私にはたくさんの兄弟がいたのです。親戚だと思っていた人たちが、私の兄弟でした。

私の生まれてすぐ、親のいない叔父・叔母に貰われていきました。
まったく知りませんでした。既に私の本当の両親も亡くなっていました。

あっと思いました。私が16歳のとき、本当の母が、胃潰瘍の吐血で出血性のショックになったとき、輸血が必要になり、今よりも50年以上昔のことで、自宅で母の隣に寝ながら、自分の血を輸血しました。母はどんな思いだったのでしょう」

ぼくは言った。
「きっとうれしかっただろうなあ。そして、本当のことが言えずに苦しかっただろうなあ。
二つの複雑な思いで、あなたの横に寝ながら、あなたの血をもらっていたのではないでしょうか」

「私は養護教員として一生懸命働きました。
両親の夫婦仲の悪い子どもが、お父さんとお母さんが喧嘩するといつも痙攣発作を起こしてしまう。私は養護教員としていつもその子を守りました。
だんだん発作も少なくなり、無事卒業することができました。
今では元気になり、結婚し、子どもができました。
今でもその子から手紙をもらいます。
たくさんの教室に出て行けない子とも達の面倒を見てきました。

心を病んでいる娘がいます。自分がいつか居なくなったとき、娘が一人でしっかりと生きていけるように、私はこの船に乗りました。
3ヶ月、娘が少し自立してくれることを望みながら、もう心配で心配で…どうしたらいいのかわかりません。
でもこうして太陽が昇っていくのを見ると、いつかきっと私達家族にも良いことが起こるような気がしてくるのです

先生、人間ってなんとか生きていけるのね。
何度も何度も、生きることが危なくなりながらも、私はこうして生きることができました。
色んなことがあったけど、幸せだと思っています」

そう。沈んだ太陽は必ず昇ってくる。そう信じていい。
そう信じながら、人はなんとか生きている。そんなことを感じた。

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2008年7月11日 (金)

二胡のしらべ

0713_10s船の生活は面白い。

ぼくの隣の部屋から中国の音楽が聞こえてきた。大変美しい調べである。
部屋を出て、お隣の部屋の前でしばらく耳を傾けた。どうもCDではない。
中国のご夫婦が乗っていることは知っていた。
ドアをノックした。英語も日本語もわからない。でもぼくを招き入れてくれた。

二胡を奏でていた。
中国の楽曲を一つ、そして「峠の我が家」を演奏してくれた。
廊下でメンテナンス作業をしていたフィリピン人船員が口ずさみ出した。
みんなが知っている曲なのだ。0713_05s

ぼくは感動して、「ぼくの最終講演の前に、ぜひみんなに聞いてもらいたい」とお願いすると、快くOKしてくれた。

実際、講演前人が集まり出したところで二胡が奏でられ、最高のオープニングが飾れた。

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2008年7月10日 (木)

船には温かい血が通っている

ピースボートでいい話を聞いた。
50歳くらいの女性がぼくに声をかけてきた。

「先生の講演を聞いて感動しました。先生が3回目の講演の後、ピースボートには温かい血が通っていると話されました。その通りだと思います。

070802実は息子がうつ病になり、外へ出られなくなりました。
数少ない友人が、ピースボートに乗らないかと誘ってくれました。
私はどんなチャンスも逃したくないと思い、賛成して息子をピースボートへ乗せました。

閉じこもっていた息子が変わりだしたのです。ピースボートのおかげです。
人と話ができるようになりました。色んなことを考え、実行にうつすようになりました。仕事を始めました。今年やっと正式に就職もできました。立ち直れたのです。

そのピースボートという不思議な世界を自分の目でみてみたいと思い、この船に乗り込みました。感動の連続です。

070804_2 若者だけではなく、中年の私のような女性にとっても、お年寄りにとっても、それぞれの年代にとって、ピースボートは何かを変えてくれる力があるように感じます。

先生のおっしゃるように、ピースボートには間違いなく温かな血が流れていると思います」

いい話だなと思った。

ピースボートでは、みんなが環境のことや人生、平和のことを考えている。
寄港地に下りて、たんなる観光をするだけではなく、その土地の人たちと交流をしながら、地球のあるべき姿や世界のあるべき姿について話し合い、普通の観光では食べられないような、現地の人たちが食べているものを食べさせてもらう。

世界の多様さを知ることができる。

ピースボートはすごい。

(写真上は、グリーンランドの街並み)
(写真下は、クジラ。潮をあげて泳いでいた。クジラやトナカイの肉も食べた)

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2008年7月 8日 (火)

グリーンランドより

グリーンランドに着いた。とにかく寒い。1週間くらい前まで、この辺りの海は氷で埋め尽くされていたという。急激に暖かくなっているらしい。
しかしぼくとってはとにかく寒い。何枚も厚着して、スキーウェアを着、モモヒキをはいて、寒さにこらえている。

0708038世紀にバイキングがノルウェーから氷河の島グリーンランドを見て、あまりの寒さに希望をこめて、また入植者を募るため、あえてグリーンランドと名づけたという。
グリーンランドは希望を込めた名前であって、実際はホワイトランドと呼んだほうが間違いなさそうだ。
しかしその白い世界のグリーンランドが、今や本当にグリーンになってしまいそうな気配である。

イヌイットに会い、マスクダンスやドラムダンスを見た。

温暖化のため、氷が張り出すのが1ヶ月遅くなり、氷が解けるのが1ヶ月早くなったという。
そのため、狩で生計をたてる先住民としての生活がなかなか難しくなってきた。

7月のグリーンランド。ちょっと足を伸ばせば、85%は氷の世界だが、街の中には、雪がほとんどなくなっている。(写真左上)

070801 氷河が海へ流れ落ちるところを見た。(写真右)

その氷河がどんどん痩せ細っているという。20年前に比べると、7月の気温は3~4度高まった。
間違いなく温暖化は進んでいる。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル Intergovernmental Panel on Climate Change)、北極周囲圏委員会のアケルット・リンゲンさんは言う。
「今イヌイットは、アラスカ、カナダ、ロシア、グリーンランドに16万人が生活している」

5千年前、モンゴルの近くからアラスカやグリーンランドへ渡ってきた。日本人にそっくりなのである。モンゴロイドである。伝統的な生活を守りたいと思い、交渉の末、1年間に20頭のくじらを捕ることを許されている。

イヌイット北極周辺青年団の責任者の女性は、温暖化とともにイヌイットの生活が壊され、若い男達の自殺が多くなっていると心配な報告をしていた。アルコールに走る若者も多いという。

温暖化のため、首都ヌークから北へ移動していく。
食べ物のなくなった北極グマが、氷にのって移動し、人間と同じ地域で生活するようになった。
お互いが危険な存在になってきている。
氷の国グリーンランドにハエや蚊が見られるようになってきた。

ぼくたちは船を借りて海へでた。
1週間前までヌークのまわりの海は氷山で埋め尽くされていたという。その氷山はいまはほとんどない。
わずかに浮いている氷山の近くまで船を走らせた。
不思議な緑の氷。氷山の周りは紫色に輝いている。幻想的な光景である。

船をとめて、氷山の一角を砕いて取ってくれた。
コップの水の中へ氷を入れる。何千年も前のものかもしれない空気が、はじけるように溶け、耳元でパチパチと音をたてた。初めての体験である。

水がおいしい。不思議なことに、氷の中には塩分を閉じ込めないのだ。海の氷は塩辛くないのである。

070805その分北極海の海水は比重が重くなり下へ沈んだ。そこへメキシコ湾流という暖流が表層状に流れ込み、アイスランドやオランダやデンマークを緯度の割には暖かくしている。
メキシコ湾流は風を運んできた。それがデンマークの風車の技術となっていった。

海が凍らなくなると、世界中の対流が止まる可能性がある。魚にも大変なことが起こるだろう。
人間の命を守っている魚がとれにくくなる可能性がある。

イヌイットと温暖化について議論を交わし分かれた。

白夜の夕暮れは大変美しかった。夕暮れといっても夜中の12時近くである・・・

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2008年7月 5日 (土)

チャリティコンサート

自然豊かな奥志賀高原ホテルに、小澤征爾が設計した音楽ホール「森の音楽堂」がある。そのステージでこの夏、チャリティコンサートが開かれる。

利益はすべてチェルノブイリ連帯基金へ寄付される。

日本チェルノブイリ連帯基金チャリティコンサート
鎌田實+坂田明「がんばらない」コラボ&坂田明+坂田学デュオ

日時:2008年8月2日(土) 16:00~   
料金:大人5,000円(税込)  高校生以下2,500円(税込)
    宿泊パック 21,000円(税込) 1泊朝食付 

→詳しくはこちら          

また、鎌田實の健康ゼミナール、鎌田流の「雲上のフレンチ」食事会なども行われる。

講演では、若々しく健康で長生きする秘訣や、いのちの話をたっぷりお話する予定だ。

また、最高においしい料理を作る評判のシェフに、おいしくて健康長寿につながるようなフランス料理を作っていただく。鎌田實のプロデュースメニューである。

おいしいものを食べた翌日は運動療法として、ぼくと一緒に奥志賀高原を散策する。

鎌田實の「健康の森」へいらっしゃい

8月1日(金) 13:00   軽井沢集合、送迎バスにて~草津、白根の高原ルートを周遊して奥志賀へ。
*長野からの方は個人行動になります。
  15:00 ホテル到着~自由時間
  17:00 鎌田先生のおはなし
  18:00 鎌田實プロデュースメニュー「雲上のフレンチ」食事会
  20:00 自由行動
   
8月2日(土) 7:30 ご朝食
  11:00 鎌田先生とハイキング「おにぎり持って奥志賀渓谷」 
  13:00 自由行動
  16:00 鎌田實先生講演会&坂田明コンサート 
  18:00 終了後、長野駅までバス送迎    

→詳しくはこちら     

夏休み、奥志賀高原へぜひお出かけください。

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2008年7月 4日 (金)

われわれはどこから来たのか①

~~生命の誕生~~

海底にある熱水鉱床で、膨大な熱エネルギーが加わり、黄鉄鉱のような特別な電磁波によっていくつかの元素が変化し、アミノ酸が生まれた。
38億年前に起こった生命の誕生である。

おそらく火山エネルギーが生命の誕生には必要だったのだろう。
アイスランドは今も激しい火山活動を続け、2つのプレートがぶつかり合い今も地表が動いている。
国エネルギーの25%を支える地熱発電所がいくつもあり、地球のエネルギーを感じさせられる場所である。

0705_03s 水力発電所と地熱発電所を見て歩いた。

地熱発電所の横にある“ブルーラグーン”につかった。
地下からくみ上げた熱を利用して海水を温めた、世界一大きな温泉だ。
辺りは見渡す限りの溶岩大地。1千年前に流れた溶岩である。
37度くらいの温泉で、日本人には少し熱さがものたりないが、大地のエネルギーを存分に注入した。

0705_04s レイキャビークのダウンタウンでシーフードレストランに入り、ロブスター料理を満喫した。ロブスターといっても、こちらでは大きな手長海老をロブスターと言っている。
ハマチの刺身もあった。GDP世界5位の豊かな国であることがよくわかった。

アイスランドは長寿王国。男性の世界一の長寿である。日本も、男性4位、女性1位の長寿国。

「なぜ長寿か」と質問すると、「魚を食べることと、良い医療があること」と答えが返ってきた。
正解だと思う。

このところぼくがずっと理論化してきたように、魚を食べることでEPAやDHAを上手に取り入れ、脳卒中や心筋梗塞にならないために大切なのである。
アイスランドと日本はここでも重なり合っていた。

いよいよこれから北極圏へと入っていく。
グリーンランドのイスワ地方にある地層を見たいと思っている。
今までに科学的に証明されている生命の歴史の一番古いものは、38億年前の地層の中に生命の痕跡があった。まさにアイスランドやグリーンランドは命を生み出す根っこだった可能性があるのだ。
イヌイットに会うか、地層を見るか、船旅の限られた時間の中で、どちらを選ぼうか迷っている。

あいかわらずクルクル時差が変わる中、早朝に起きて勉強は続けている。10月出版予定の本作りに入った。元気です。

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2008年7月 3日 (木)

アイスランドより

0705_05s ついにアイスランドに到着した。岸壁から見える景色はとても美しい。

日本と同じ島国で火山の国。しかも同じ北米プレートとユーラシアプレートの接点に位置している。この二つのプレートが離れて再び日本で交わっている。
伊豆半島から日本を横断する形で北側には北米プレート、南側にはユーラシアプレート、その接合点で最近大きな地震が起きている。

アイスランドでは、ヴィグディス・フィンボガドティルさんが世界で初めて女性大統領となり、16年間尊敬を集めた。

マグナソンは笑いながら言った。
「930年世界で初めて民主議会(アルシング)が開かれたが、民主主義の国ではなかった。それは女性に参政権が認められてなかったから」
フェミニストなのだろう。女性の参政権が認められて本当の民主主義が行われるようになったという。その結果が女性大統領へとつながったのだろう。
バイキングの国だったことを誇りに思っている国民性があるという。

0705_01s今世界一の長寿国は日本といわれている。しかし男女別でみると、日本人男性は世界で4位である。では男性世界1位はどこの国かというとこのアイスランドなのである。
豊かで健康で長生きの国、アイスランド。そして美しい国、アイスランド。

アイスランドの人は日本を尊敬し、日本の技術を高く評価している。地熱発電所のタービンを回しているのも日本製品である。たくさんの日本製品がアイスランドに入っている。日本に対する共感も強い。

しかし日本はむしろアイスランドの国づくりに学んだほうがいい。民主主義の在り方、女性の地位、生活と仕事のバランス、軍隊をもたないこと・・・。

京都議定書で、日本はCO2を含めた温暖化物質の6%の削除が必要とされているが、アイスランドはCO2を10%増やしても良いほど、世界一の環境立国になっているのである。

北緯64.8度、世界で最も北に位置するレイキャビーク。ここでかつて東西の代表が平和について語ったこともあった。

1492年、コロンブスが北米大陸を発見するより500年も前に、西暦1000年に、大西洋を渡って新大陸を発見したバイキングがいた。
レイブル・エイリクソン。西暦1000年、エイリクソンはグリーンランドを通りアメリカ大陸を発見していたのである。アメリカもそのことを認めている。

バイキングの国アイスランドは、魅力にあふれた国である。

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2008年7月 2日 (水)

北極点が海に沈む日

6/29夜ベルゲンを出港し、丸3日をかけ、船はアイスランドへ向かっている。
アイスランドの有名な作家であり、環境保護運動家、マグナソンさんと、環境の専門家、田中優と語り合いながら、航海は続いている。

0705_06sこのままでは、今年の夏には、北極の極点は海に沈むと予測されだしている。それくらい氷の解け方が激しくなってきている。南米、南極、北極、シベリア、世界各地で氷が溶けている。いよいよ尋常ではないことがおき始めているような気がしてならない。

2月スイスのサース・フェー氷河を見に行ったときにも感じた。広大な美しい氷河が少しずつ細く小さくなっている。
今年の夏、スイスのジュネーブに講演に呼ばれている。もし再び氷河を見られたら、さらに痩せているのが克明にわかるのではないかと思っている。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル Intergovernmental Panel on Climate Change)の報告によると、温暖化には疑う余地がないと決定的な表現をしている。

これを陰謀だという説もある。温暖化を唱えながら、原子力産業を世界中に広めようとしているのだという穿った見方をする人もいる。原子力発電をこれ以上増やす必要は全くありえない。別の問題である。

温暖化は太陽そのものの活動の周期によって温度が上がったり下がったりする大きな波によるもので、二酸化炭素の排出量とは関係ないという意見もある。
確かに太陽は、100億年の寿命のうち今46億年を生き、これまでにも大きな活動の波があったことは間違いない。100~200年単位の中で、地球全体が小さな気温低下を起こし、冷害や疫病を増やした時期がある。
大きな流れが太陽によって影響を受けていることは事実だが、それとはまた違う、速度の速い温暖化、つまり人為的な影響を受けている可能性が強い。
それが今ぼくが北極で見ようとしている現実と、スイスの氷河で見た現実にあるように思う。

ぼくはチェルノブイリの病気の子供たちを救うため、シベリアの空を飛ぶ。
春先のベラルーシ一体の湖沼化が見て取れる。

熱を反射して宇宙へ逃がす氷河が解け、氷が水に変わることによって、熱を吸収しやすい状況になる。
永久凍土が解け出して水になると、さらに太陽の熱を受けて、周りの森をなぎ倒していく。
その池や湖からメタンガスが湧き、二酸化炭素の20倍以上の地球温暖化を進めてしまう。
立ち枯れた木々は微生物に分解され、逆に二酸化炭素を出すことになる。二酸化炭素を吸収し、酸素を作り出してくれるはずの森が、逆に二酸化炭素を排出するようになっている。
温暖化の悪循環が起き出しているのだ。

おそらくこれから、ヒマラヤやヨーロッパに広がっている氷河が解け出すことによって、下の街に水の飢饉が起こり、何千万人の人たちが水不足に悩み始めるだろう。
温帯や亜熱帯の地域で砂漠化はさらに進み、農業や牧畜ができなくなるだろう。
ペルーではアンデス山脈の氷河が消え、1千万人が水不足に直面するだろう。
アジアやアマゾンの熱帯雨林では森林火災が起き、さらにCO2を排出し、温暖化の悪循環は広がっていくだろう。
モンスーン、台風、スーパーエルニーニョが発生し、世界的な気候の混乱が起こるだろう。

時間に追われているぼくが、なぜ時間をやりくりしてまで北極を目指したのか。
それがだんだん見えてきた。

いつか時間を作り出して「ドリームプラネット」という小説を書きたい。
46億年の地球の歴史の中で、38億年の生命の営みが土壇場に今ある。それを小説という形でうまく書けないだろうか・・・。

アイスランドのレイキャビークを目指す海の上で考えている。グリーンランドではイヌイットと会えそうだ。

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2008年7月 1日 (火)

船上で

鎌田實の第1回講演(全5回)を行った。
500人の会場は満席、立ち見が出、会場に入れない人たちであふれかえった。
CD「ひまわり」、「おむすび」も飛ぶように売れた。
CDの収益金はイラク、チェルノブイリの医療支援に使われる。
ピースボートの乗船客たちは、環境や平和の勉強をしてきているので、意識が高い。

0703_03sぼくの講演の後、すぐに マグナソンさんの講演があり、食事を挟んで、田中優さんの第4回目の講演が行われた。六ヶ所村――原発と環境問題が語られた。

船の中では、妻のサトさんと2人、スポーツジムで快適な汗を流したり、寝室とは別にもうけられた部屋で、勉強をしたりしている。
苦手な英会話のレッスンも始まった。先生はニュージーランドの方である。いつも通訳を頼らず、少しは会話ができるようにしたいと思っている。

船は全力でアイスランド・レイキャビークへ向かっている。

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ドリームランド

アンドリ・スナイル・アグナソンが、ベルゲンから11歳の息子を連れてピースボートに乗船してきた。1973年レイキャヴィーク生まれである。

0703_02s_21999年に「青い惑星のはなし」という児童書を書き、アイスランド文学賞を受賞。
2006年「ドリームランド」がベストセラーとなり、再び二度目のアイスランド文学賞を受賞している。
船上で彼の講演会が行われた。
(写真左:マグナソンさん、田中優さんらと・・・)

アイスランドは環境立国として有名になってきている。
かつてエネルギーの50%を石油で賄っていたが、火山国という点を利用して地熱エネルギーを開発したり、水力発電などを取り入れたりしながら、CO2の排出量を減らしてきている。

しかしマグナソンは自国の問題をいくつか挙げている。

アルミニウムの精錬所が増えてきた。世界資本が入ってくる。電気が安いという理由である。アルミニウムは電気の缶詰と言われている。同じ目方でいうと、鋼鉄の30倍の電気を必要としているという。

ヨーロッパやアメリカではアルミの工場をアイスランドへ移転する計画が多く持ち上がっている。政府は雇用や地域経済のことを考え、グローバル企業の要望に従おうとしているが、マグナソンは新しい市民運動を起こし、アイスランドの自然を守るべきだと語る。

冷戦時代、アイスランドにはアメリカ軍の基地があった。ソ連を睨むにはもってこいの場所だったのだ。
冷戦が終わり、2006年アメリカ軍は撤退を決めた。アイスランドの中では意見が分かれた。アメリカ軍が地域経済を潤す。日本でも良く聞く議論である。
マグナソンはもちろん、アメリカ軍がいなくなることを望んだ。

もともとアイスランドには軍隊がない。この数百年、戦争をしてこなかった。平和な国のシンボルとして、外国の軍隊も必要ないと思っていた。

当時1000人の人が基地で働き、おそらく5000人近くの人がその経済で生活していると推測された。2006年アメリカ軍が撤退したあと、1000人の人の新しい仕事はきちんと見つかった。義肢や義足の工場に500人が雇われ、新しい平和の産業が生まれた。

アイスランドはもともと豊かな国であった。さらに豊かになろうとして、国はアルミニウム精錬所の建設を進めている。次々と川にダムをつくり、美しい滝や自然が壊されていった。
売買ゲームに電気を必要とするようになった。アイスランド人にとって豊かな暮らしのためには、充分すぎる電気がある。大切な自然を壊し、世界企業の精錬所をつくるための電気はもういらない。

マグナソンたちは立ち上がった。その一つがベストセラー「ドリームランド」の出版である。日本語の翻訳本はまだ出ていないのが残念だ。

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