光市の人間魚雷
ピースボートの船の旅で出会った85歳おじいちゃんは、戦争中、特攻隊に所属し、21歳の8月14日人間機雷に乗って出撃する予定だった。その数日前に、終戦・撤退が決まり、命拾いしたという。そのことを、若者たちの前で泣きながら語ってくれた。
おじいちゃんとは意気投合し、平和について熱く語り合った。
昨日講演で訪れた光市ではかつて、回天という一人しか乗れない人間魚雷を作っていたという。
終戦間近となったとき、たくさんの若者が光市に集められ、飛行訓練が行われた。
人間魚雷のハッチは、外から閉めて中から開けることができない非人間的な構造になっていた。つまり逃げようがないのである。機械の調子が悪くなり、どこかの陸にあがったとしても、自分で機外へ脱出することができないのである。
国民を大事にしない日本の軍隊の在り方が構造的にも見える。国民を守るべき国家が国民の命を安易にむしりとる。そんな習慣があった国であったことを、今広島に途中下車して感じている。
今日これから岐阜へ行って講演をし、夜遅く茅野へ帰る。
しかし8月6日の原爆記念日を前に、広島を素通りする気になれず、昨夜、最終電車に乗って夜11時半に広島のホテルについた。
広島の夏は暑い。しかしこの暑さの中で、祈らなくてはならないと思っている。
平和公園をお参りし、原爆ドームに立ち寄って、新幹線に飛び乗る予定だ。
駅近辺でB級ランチの王様、広島焼が食べられたら、幸せなのだけれど…。
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