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2008年8月 8日 (金)

ミュージカルCATS

「一度ミュージカルを見にいらっしゃいませんか」
劇団四季から声がかかった。音楽も芝居も大好き。すぐに「見ます」とお答えした。
しかし忙しくてスケジュールの空きがなかなか取れず、何度も日程の変更をお願いし、ようやくCATSシアターへ足を運ぶことができた。

3週間程、北極を回る旅にでていた。オランダから船に乗り、ノルウェー、アイスランド、グリーンランドと、氷山や氷河を見ながら北極圏の海を渡り、1週間前にNYから日本へ帰ってきた。

NYではブロードウェイ・ミュージカルRENTを見た。生きることの意味、人生、そして死を考えさせられるストーリーが、心地良い音楽でつながれていく。なかなかみごとな出来ばえであった。

Cats CATSシアターに一歩足を踏み入れると、おっと驚かされた。都会のごみ捨て場が見事に演出されている。見世物小屋的な楽しさがあふれている。都会の中に怪しい空間があることが大事なのだ。劇場は都会の闇の空気に包まれていた。1200人の客席がうまく配置され、圧迫感がない。良い芝居小屋だと思った。

オープニングで引き込まれる。魔女猫タントミールの出だしの静かなダンスが、なんとも怪しく美しい。訓練されたダンス。異常に長い手足と、それをさらに何倍にも長く魅せるような踊りと照明。このオープニングを見た瞬間、「あ、日本のミュージカルもなかなかやるな」と思った。

しかしなんだかちょっと白けてしまうところもあった。
日本語と音楽がどうもマッチしないのである。
本来英語の詩につけられた音楽。
歌にするつもりで詞が作られたのではなく、詩人エリオットの言葉に後から音楽がつけられた。
おそらく作曲したアンドリュー・ロイド=ウェバーは、エリオットの英語の詩を繰り返し暗誦しながら、自分の心の中に旋律が舞い降りてくるのを待ったはずである。

今年5月、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「星の王子様」をフランス新鋭の作曲家アルベルトがオペラにして、紀尾井ホールで初演を行った。
非常にすぐれた楽曲であった。オリジナルに作り直された日本語訳の詩も素晴らしかった。にも関わらず、それがオペラとなったとき、おそらくフランス語でこれを聞いたら何倍も素晴らしいだろうなとそのときも思った。

日本語の歌詞が説明口調になってくると、熱くなりかけた心に水をかけられるような気がする。
CATSはもともとそれほどストーリー性のないミュージカルなので、いくつかの音楽は英語の原曲でやっても、日本の観衆もついていけるのではないかなと感じた。

昼間は一切動かない物ぐさな太ったおばさん猫ジェニエフ・ドッツは、確かにおもしろいキャラクターだが、中肉でなんだか物足りない感じがした。中途半端はよくない。もっと本気で太っている猫が一匹くらいいてもよかったのかなと思った。

個性が求められる海賊猫グロールタイガーや長老猫のオールド・デュトロノミーなどの歌唱力もちょっと問題がありそうな気がした。それほど引き込まれなかったのだ。

に娼婦猫グリザベラはもっとカリスマ性があってもいい。
ボロボロ猫の向こう側に光り輝く何か、それがなかなか見えてこなかった。
ちょっと残念な感じがした。難しい役どころなのだろう。

とはいいつつ、もちろんその後ぼくは、圧倒的なダンスや声量や音楽にぐいぐいと引き込まれていった。

若い黄色いメス猫シラバブの「メモリー」は圧巻。
若いオスのマジシャン猫ミストフェリーズの歌やダンスには感動した。
ガラクタから機関車を作り出した、気のいいオス猫スキンブルシャンクスの声は魅力的で、白猫ヴィクトリアのダンスも神秘的で素晴らしかった。

俳優たちの圧倒的な運動力には脱帽した。
1階と2階を鉄柱をつかって自在に登り降りし、ステージと客席を疾走する24匹の猫たち。
そのフットワークは、まさに猫そのものであった。
客席に入り込んでくる猫たちの息遣いや親近感は、このCATSシアター2004の構造とマッチし、見事な演出だと思った。

総合的に判断すると、日本のミュージカルもなかなかすごいと思った。

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