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2008年8月18日 (月)

フェルメールとデルフト

Fe_diana 先週、東京上野の東京都美術館で「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を見た。フェルメールの絵が7点飾られていた。実際には1点は「絵画芸術」という絵が、作品保護のため出版不能となっていたが、見ごたえのある絵画展だった。

17世紀、フェルメールの時代、オランダの小さな街デルフトでは、画家達の間で透視法という手法が盛んに用いられていた。それがフェルメールの絵のダイナミズムを生み出しているような気がする。

同時代の人たちの絵と比べてみると、フェルメールの力量がますますよくわかる。
皆同じように透視法を使いながら、心を動かされる量が違う。何かが違うのだ。
他の画家達の絵も透視法を使っているなというのはわかるのだが、フェルメールの立体感には到底及ばない。光の濃淡のみごとな使い方が、フェルメールの絵の存在感に厚みを増しているように思った。

先月デルフトの街を歩いたので、デルフトの画家達が描いた風景が、なんとなくわかるような気がした。
凸面鏡や、凹面レンズなどを使いながら、遠近の妙を確信しながら描いていた可能性が高いと推測されている。
顕微鏡の完成者で光学機器に深い知識を持っていたアンソニー・ファン・レーウエンフック(1632-1723)は、デルフト生まれである。透視箱という新しい器具も作られた。デルフトの画家たちがなんらかの影響を受けていた可能性はある。今でいう広角レンズで切り取った絵と言えばいいのだろうか。

たくさんのデルフトスタイルの絵が生まれ、その中で群を抜いて才能を発揮したのがフェルメールであった。今回の展覧会でそれがよくわかった。

Fe_letter_2特に感動したのは、「手紙を書く婦人と召使」。これはすごい。
相変わらず窓から日が差し込んで、手紙を書く女性のふくよかな存在感が見事である。床に落ちたくしゃくしゃになって手紙と、赤い封印が、繊細に描き出されている。手紙を書く女性の胸元の影の作り方などは、感嘆に値する。

Fe_komichi 「デルフト眺望」のモデルとなった街、デルフトで実際に訪れて、今もフェルメールの見た街が残っている感じがした。今回見た、「小路」という作品も、デルフトの街を彷彿させる絵であった。おそらくいくつかの風景を合体させたようなフェルメールが頭の中で再構築した風景画なのだろう。
二人の女性がみごとに風景の中に溶け込んでいる。椅子に座っている女性、路地の遠く向こうで掃除をしている女性、古びたレンガの中にぬりこんだ白が映えている。
オランダの美しい雲が浮かんでいる。この雲はいまも変わらないように思う。

Fe_lute 「リュートを調弦する女」のモデルは、「少女」に出てくる女性に似ている。
「少女」は、レンブラントと同じように、お金を稼ぐため、誰かお金持ちのお嬢さんをモデルにして描いているのではないかと思った。
そして、フェルメールの最高傑作「真珠の耳飾の少女」は肖像画ではなく、その女性にデフォルメをほどこしながら理想の少女に仕立て上げたのではないか。と勝手な想像をした。

Fe_diana_2Fe_malta_2「マルタとマリアの家のキリスト」
「ディアナとニンフたち」
当時の有名な画家レンブラントたちが描く他の宗教画と似ているところもあるが、フェルメールが描くと何か不思議な温かさを感じる。

Fe_wine 「ワイングラスを持つ娘」は、ステンドグラスの開いた窓からさしこむ微妙な光が絵の中にみごとに表現されている。
若い女性のドレスが広がり、ドレスの一つひとつのヒダやヒダの向こう側にある影がすばらしい。テーブルに広げられたナプキンのしわもまた見事である。
少女に話しかける男の髪の毛の一本一本、そしてその男の羽織っているマントの襟の光の当たり具合、女性が持っているワイングラスの輝き。
なんとも絶妙な形で描かれている。

Fe_virginals 「ヴァージナルの前に座る若い女」は、フェルメールの作品の中では、どちらでもいいなと思うものだった。

この一月半ほどの間に、17点のフェルメールの絵を見てきた。
圧倒的にすばらしかったのは、マオリッツハイスで見た「真珠の耳飾の少女」と「デルフトの眺望」。
この2点がぼくの大好きな作品である。

いつか「牛乳を注ぐ女」を見たい。会えるのを楽しみにしている。

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