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2008年8月 9日 (土)

長崎に原爆が落ちた日

今日は長崎に原爆が落ちた日だ。あれから63年。

ぼくたちJCFは数年前、永井隆 平和記念・長崎賞という賞を頂いた。チェルノブイリ原子力発電所事故後の放射能汚染地域の子どもの救援活動を評価され、永井隆先生の賞を頂いたのである。

永井先生は、放射線科の医師であった。長年の放射線研究による被曝で慢性骨髄性白血病を患っていた。余命宣告を受けた後、長崎医科大学で仕事中、長崎に原爆落ち、直下で被爆した。
体調がわるくても、医師として被爆者たちの救援を行い、さらに病状が悪化すると、寝ながら顕微鏡をのぞき、白血病の研究を続けた。
同時に「長崎の鐘」や「ロザリオの鎖」、「この子を残して」など、本を書き続けた。
住まいとした如己堂はたった2畳の粗末な平屋である。
印税などの収入は被爆して困っている人のために使ったという。

「長崎の鐘」
こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
(詩:サトーハチロー 曲:古関裕而 歌:藤山一郎)

歌も映画も小説も大ヒットした。

天皇陛下、ヘレンケラーなどが永井先生のもとを見舞った。
そして、二人の子ども達に見守られ、永眠。43歳であった。

ぼくたちが永井隆賞を受賞したとき、永井隆さんのご長女、茅乃さんが舞台に立ち、スピーチをしてくれた。茅乃さんは普段、永井隆賞の授賞式には顔を出されるが、舞台でスピーチをしたことは今までなかったという。
「父は、東京の学会で白血病の発表を行った後、東海道本線に乗らず、中央線に乗って名古屋経由で長崎へ帰ってきました。
そのとき父は、車窓から見える八ヶ岳山麓の美しい景色に心を奪われました。
私の名前は、そのときの美しい思い出の中で作られたのです」

そう、なんとぼくの住む茅野(ちの)市のことである。
「茅」の読み方を「かや」と変え、「野」の字を「乃」と変えて、「茅乃(かやの)」という名前を娘につけたのだ。ああすごい、とぼくは思った。不思議な縁である。

永井先生の本の中には茅乃さんのことがたくさん出てきる。大変愛されていた。
ぼくがお会いした当時、茅乃さんは60代半ばだったと思う。
その茅乃さんも数年前、癌でお亡くなりになった。
やはり被爆が遠因だと考えられる。子どもの頃被爆し、幹細胞の遺伝子に傷がつき、長期間かけて癌化する。被爆したひとたちが重複癌をわずらうことはよく報告されている。
こんなおそろしい武器、核兵器が、いまだに世界中にたくさん存在していることは信じがたい事実である。

今日は静かに、世界の平和を祈りたい。

今日これから、諏訪中央病院でホスピタルコンサートが行われる。
いままで8月9日に重なったことは不思議と一度もなかった。
今日のコンサートは「レクイエム(鎮魂歌)」である。

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