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2008年8月12日 (火)

チェチェルスク~ベトカ

チェチェルスクを訪ねた。新しい病院長が就任していた。JCFが寄付した超音波の機械は1日18~25例ほど大活躍しているという。ゴメリ市にある病院の副院長をしていたようだ。有能な管理者にみえた。
ルカシェンコ大統領の体制の下、指名された院長なので、本当に信頼できるカウンターパートとなるかは、慎重に見てかないといけないと思った。

映画「ナージャの村」のナージャのお母さんに会った。ドゥヂチ村から引っ越して、チェチェルスクの地区病院の真裏に住んでいる。アルコールが大好きだった夫は5年前に亡くなったという。ナージャはゴメリ市で洋服を作る工場で働いているという。三女は結婚して一児の母となっていた。生活は厳しそうである。

0812 今回の旅の最大の目的地、ベトカを訪ねた。チェチェルスクより放射能汚染度の高い地域が、町の真ん中に広がっている。
ベトカ地区病院のナジェージダ院長は、すばらしい女性だった。まるでゴメリ州立病院のタチアナ先生の妹分のような空気を持った人だ。
ナジェージダ先生は、JCFが寄付した保育器を嬉しそうに見せてくれた。産婦人科医である。出産で未熟児が生まれたとき、どうしてもほしかったのだろう。ベラルーシ全体で4つしかない優れた保育器だと、うれしそうに語ってくれた。

ベトカの地区病院には35名の医師がいる。チェチェルスクの地区病院の医師は30名。ベトカのほうが病院も綺麗で、活気にあふれていた。分院は脳卒中や整形外科の患者たちが2週間半ほどのリハビリ入院をする施設となっていて、5名の医師がいる。医療費は無料である。
ナジェージダ先生は、その他に15の診療所を管理しているという。内2つの大きな診療所には医師が2人ずつおり、残りの13の小さな診療所には、フェイシャルという専門家が配置されていた。看護師資格を得た後、もう1年勉強して取得することができる、医師と看護師の中間のようなライセンスで、医師と相談しながら薬を投与することもできる。午後は往診し、健康指導をする。アルコール依存症の患者の生活指導をしたり、高血圧の患者の血圧を測って歩いたりしている。
ぼくの地域では、保健師さんを中心とした健康づくり運動をやってきた。似ているなと思った。日本の保健師よりもっと色々な権限をフェイシャルに与えているところがユニークである。ぼくはなかなか良いシステムだと感じた。

真ん中に60~100キューリ以上の汚染が残された森がある。人が全く住めない。埋葬の村がいつくもあり、そのうちの2ヶ所には、国の立退の支持に従わず放射能の汚染地域に残って生活しているサマショーロと呼ばれる人たちがいた。9人と2人の2つの村である。
9人の村を訪ねた。ナジェージダ先生の患者がいた。ナジェージダ先生の顔を見ると、おじいちゃんはバツの悪そうな顔をして、タバコを隠した。ナジェージダ先生はそれを見つけると「吸わない約束だったじゃない」とニコニコしながら言った。

ナジェージダ先生は、病院を歩いているときも、常に患者に声を掛けたり、スタッフの背中に手を当てたり、診察中の若い女医に激励の声をかけたり、院長としてなかなか優れたリーダーシップを見せていた。彼女より10歳くらい年上の医師の診察室にもつかつかと入っていき、ぼくに外来風景をみせてくれた。年上医師もナジェージダ先生に対しては尊敬の念を持っているようである。
掃除のおばさんがぼくに、「院長はすばらしい人だ」と声をかけてきた。タチアナの生まれ変わりのように見えた。「命がけで仕事しています」と笑いながら言う。まだ46歳。41歳のときに院長になった。ぼくは31歳のときに院長の辞令をもらった。似ている。

埋葬の村で、おじいちゃんと立ち話をしていると、次々と村の年寄り達がやってきた。ホールボディカウンティングをすると、やはり体内被曝をしている人が多い。ベトカの地区病院にはホールボディカウンターがあり、昨年は56名の市民が高度の汚染をしていることがわかった。今年はすでに年前半期で24人、新規の高汚染者が見つかった。高汚染者たちは年2回の詳しい検診を行いながら、癌の早期発見ができないか、慎重にフォローしているという。なかなかのシステムを作り出しているように思えた。

大人の甲状腺癌が増えていると心配している。癌は相変わらず多いが、この数年急に数値が変わっているわけではない。ベトカは真ん中が高汚染地のため、人の住む場所が南と北に二分されている。そこをナジェージダ先生はいったりきたりしながら、15の診療所を管理している。

南北の村は放射能の汚染があまりひどくないといわれているが、15~40キューリ以上の汚染が多くの場所で観測されている。汚染が40キューリを越えた土地の住民は、強制疎開させられるが、40キューリ以下の土地では、そこに住むかどうか自分で選択ができる。多くの市民がそのままの生活を選んでいるという。それでもチェルノブイリ原子力発電所の事故当時約4万人だった住民は、現在約2万人になっている。高汚染地で生活するということはとても大変なのだ。しかしここで生活せざるを得なくて残った人がいる以上、できるだけ良い情報を流して生活指導をしながら、少しでも被害を少なくするよう食い止めるのが医療の役割なのだろう。ナジェージダ先生は実に優れた仕事をしていると思った。

地区病院と分院を見学し、埋葬の村を見た後、ナジェージダ先生のダーチャ(別荘)へ行った。病院の婦長がお昼ご飯の準備をしていてくれた。すばらしいご馳走である。にくい心配りである。スタッフたちがナジェージダ先生を信頼し、色々な面で支えていることがよくわかった。

今も広い放射能の汚染。情熱的に市民を守ろうとする地域医療。民主的な運営をしている病院。きちんとしてくれそうである。カウンターパートナーとしては最適な人をみつけたように思った。

今後、南北の村の人々の生活を観察していくとともに、高汚染地の森や失われた村、そしてその村に残っている人々の心や体のケアをしていくことが大事だと思う。

世界中が温暖化を盾に原発推進ムードに走り出している。原発に慎重だったアメリカも原発容認へ舵取りをし始めた。環境を重視してきたヨーロッパも温暖化哲学に負け、原発建設へ動く国がいくつか出てきた。日本でも福田首相が、再び原発建設に向かうアクションプランをこっそり小さな声で発表している。今ある原発を壊せとはいわないが、原発を作ることに慎重であったほうがいい。もう一度、自然エネルギーを見直し、できる範囲での省エネを試みるべきだと思う。

ベトカを見て、原発の恐ろしさをまざまざと感じた。チェルノブイリ原子力発電所の事故から22年が経っているにもかかわらず、森は蘇っていなかった。
「きのこを食べるな」「ベリーは食べちゃダメ」と村人たちは相変わらず合言葉のように言い合っている。それでもお年寄りは森に入り、きのこやベリーを食べ、体内被曝してしまう。なんとも悲しい話である。

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