中原中也を訪ねて
中原中也記念館を外から見て、JR山口線に乗り込んだ。これから津和野を通り、益田へ向かう。司馬遼太郎もこのコースを歩いたという。
ぼくの信三郎鞄の中には、中原中也の詩集が入っている。詩人として優れた才能があったとは思えないが、青春の淡い心の想いを表す能力にあふれていたと思う。一歩間違えると、詩が好きな素人が詠む詩と紙一重。ギリギリの線をいっているような気もするが、中原中也の詩は、理屈なく頭の中に残ってしまうのである。
と始まる詩のフレーズは忘れられない。
「サーカス」
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました・・・
これは、ぼくがチェルノブイリ原子力発電所の技術者たちが住んでいた街、プリピアチを訪れ、誰もいなくなった広場に取り残された、出来立てのメリーゴーランドが風にカタカタと音をたてているのを見たときに、思い出された詩である。中也のシンプルなフレーズは、すっと心にしみこんでくる。
「山羊の歌」
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる・・・
なんともメルヘンチックでうまい。
「生ひ立ちの歌」
幼年時 私の上に降る雪は 真綿のやうでありました
少年時 私の上に降る雪は 霙のやうでありました・・・
なんとも繰り返しがうまい。
詩集「在りし日の歌」の中で好きなのは、
思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
1行目でぐっと捕えられてしまう。
(※写真右は、中原中也が被っていた帽子と同じデザインの帽子。ぼくも購入した。)
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや…
常にはじめの1行が美しいのである。
中原中也は、ここ湯田温泉の開業医の息子として生まれた。大正13年、17歳のとき、長谷川泰子という新劇の美人女優と同棲を始めた。その頃、宮沢賢治が「春と修羅」を刊行している。面白い時代だったのだと思う。
18歳のときに、同棲していた泰子が小林秀夫のもとへ去る。すごいなあと思う。谷崎潤一郎の妻が佐藤春夫のもとへ移ったように、芸術家の世界ではこんなことが平然と行われるのかと不思議な思いである。
またこの頃、芥川龍之介が自殺をしている。26歳の頃には、坂口安吾と同人誌をやったりしている。すごい時代があったのだなあ。
中也は、30歳で結核性脳膜炎で亡くなった。亡くなる少し前、詩集「在りし日の歌」を小林秀夫に託し、没後評判となった・・・。
電車に揺られながら、大正ロマン~昭和のはじめに思いを馳せた。
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