岐阜~山口
岐阜の大垣から前原へ行くため、東海道線の各駅電車に乗った。
「カマタさん」とデカイ声で呼ばれた。なんだか見たことはあるような気がするが、ちょっとすぐには思い出せない。ぼくの講演を聞きにきてくれた人なのかな等と思ううちに、思い出してきた。先月まで乗っていたピースボートで一緒だった。 69歳。男の一人旅だった。
ピースボートはNYやアラスカなどアメリカの港に着くと、不自然なチェックが入るようになり、いくつかの点を改善しないと出港させないといわれ、スケジュールが10日ほど遅れた。やっと日本に帰ってきたという。
「大変でしたね」とぼくがいうと、
「楽しくて楽しくて、同じお金で一流ホテルに泊まらせてもらって、とても幸せだった」という。
「他のみなさんはどうだったのですか」と聞くと
「最後は大盛り上がりで、文句を言う人もいたが、感動のフィナーレを迎えた」という。
よかったなと思った。
このおじさん、かっこいいのである。
横浜に着くと、山口県の防府の家に荷物を送って身軽になり、青春18切符で各駅停車に乗り、あっちへヨタヨタ、こっちへヨタヨタと、思うままに旅をしながら、山口へ向かっているという。
「今日はもう7回ほど電車を乗り降りしながら、横浜からこの東海道線を通って大垣へやってきました」という。
ぼくはその大垣の岐阜経済大学で講演し、新山口から山口市を目指している。(写真は学生と・・・)
世界一周の船で1ヶ月ほど前に別れた男に、各駅電車で会うなんて、あまりの偶然に驚いた。またお金を貯めて、2-3年後にもう1回、ピースボートに乗って世界一周したと言っていた。
前原で別れた。彼はまた各駅停車に乗り換え、大阪へ向かった。
ぼくは新幹線に乗り込んだ。
夜7:30頃、山口県の湯田温泉に着いた。旅館は、松田屋。330年の歴史のある古い旅館である。
西郷、木戸、大久保の薩長同盟がここで会見を行い、統幕を協議したと言われている東屋がいまも残っている。高杉晋作が残した文字が柱に残っている。「国家に尽くすの時なり」。憂国の想いを彫り付けている。
司馬遼太郎がこの松田屋旅館に泊まり、高杉晋作などの取材をしたという。松茸を食べ、「街道をゆく」を執筆した。今日の料理にも松茸が出てきた。ハモのしゃぶしゃぶ。なんだか今年はハモを食べる機会に恵まれているようだ。
司馬遼太郎が泊まった部屋から、司馬遼太郎が褒めた庭を眺めた。たしかにすばらしい庭だった。
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