« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月31日 (水)

旅人カマタの2008年

2008年もいよいよ最後の日。
忙しい1年だった。

2月にスイスに氷河を見に行き、そこで『いいかげんがいい』のエッセイに登場するような劇的な人物とも出会った。Photo_2

川のように見えるのは氷河の跡である。
温暖化をなんとかくいとめなければいけない。今年はアイガー東壁が崩壊した。スイスの氷河も、ものすごい溶け方であった→

Photo_3 ←氷河の中に入ると水が滝のように溶け出していた

5月末には、障害者100人ほどをお連れして、ハワイに行った。
ちょうどこのころ、鎌田實のブログ「なげださない」を始めた。
まさか半年間で、16万人もの人が見に来てくれるとは思わなかった。
1月8日公開の月刊ココセレブでは、2009年注目のプログ特集で、「元気のでるブログ」として紹介されるようである。
たくさんの人に、健康のひけつや生き方のヒント、カマタ流経済危機への処方箋、B級グルメ、映画、音楽、芝居、本・・・など、多面的な評論を展開したいと思ってきたが、なかなかいい線をいっているかなと思っている。
来年は、自分でかいた詩のような文章をのせ2られたらいいなあ。 Photo_6

アイスランドで講演。たくさんの人が集まってくれた→

Photo_7

←ニューヨークのテロを受けたグラウンドゼロ地点

6月からは、オランダからノルウェー、アイスランド、グリーンランド、ニューヨークという船の旅をした。
たくさんの美術館を訪ねた。
ブロードウェイのミュージカルもみてきた。
北極の環境の調査もしてきた。
Photo

メトロポリタン美術館でゴーギャンの絵を見た。
下っていく男が好きで、来年はゴーギャンが流れていったタヒチを見に行こうと思っている→

Photo_3

←ジュネーブで講演。毎年JCFへ寄付をしてくれるジュネーブの人たちへのお礼

そのあと、チェルノブイリへ行き、チェコのプラハでレコーディングをし、スイスのジュネーブで講演をし、フランスPhoto_5のシャモニーの氷河をみた。
もちろん、イラクのなかに入り、子どもたちの診察もしてきた。

シャモニーの8月。氷河は小さくなっており温暖化は確実に進んでいることがわかった→

Photo_4

←氷山の浮かぶ北極海

Photo_5

イラクの難民キャンプの中で勉強する子ども→

Photo_6

←ヨルダンのダウンタウン。
ここにも病気の子どもたちがいる。
僕たちは診察して歩いた

Photo_7

チェルノブイリの原発事故により、60キュリー以上の放射能の汚染が残っている村。埋葬の村と言われていた。
地図から消されて人が住んでいないはずの村に、老人がふるさとを捨てられずに生活をしていた。
事故後、22年もたっているのに放射能はまだきれいになっていない→

あわただしい1年だった。
世界の新鮮な写真やおもしろい話をブログで紹介しているので、バックナンバーもぜひ、見てほしい。

Photo_8

←カフカの愛した迷宮プラハと、↓プラハ城下の黄金小路。カフカは、水色の小さな家の中で「変身」を書いた

いちばん心に残ったのは、フランツ・カフカが「変身」を書いたといわれるプラハ城内の長屋だ。
錬金術師や職人たちが住んでいたという長屋の一室。Photo_9
役人をしていたカフカは、この部屋を借りて、夜になるとここで執筆したという。
小さな間口の、質素だけれど美しいつくりの部屋だった。

「ある朝、グレーゴル・ザムザが、何か気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床のなかで一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」

こんな不思議な、不条理な文章ではじまる小説は、ここから生まれた。
19世紀末の、単なるニヒリズムではなく、新しい世界を予感しながら、その世界が一筋縄ではいかないことを示しているような、暗鬱な文章だと思う。
カフカが、永遠の異邦人といわれるユダヤ人だったことも、大きく影響しているのだろう。
自分の存在している場所がなかなか見えない世界、それは、いまユダヤ人だけではない。

世界中の多くの人々が、現代のなかで、どこから来て、どこへ行くのか、わからなくなりだしている。
そんな時代を暗示する「変身」をもう一度、読み直しながら、世界をみてきた2008年だった。
これらは、何らかの形でぼくの作品のなかに影響するだろうと思う。

2008年12月30日 (火)

1/2「にっぽん巡礼」をご覧ください

お正月2日に放送するNHKの「にっぽん巡礼」の収録が終わった。
松坂慶子さんは、和服姿。
日本の美しい場所や、こころのほっとするスポットを探して歩く番組だ。

北九州にある野崎島は、いまは一人も住民はいない。081225nhk
だが、100年前、隠れキリシタンの弾圧を避け、自ら教会をつくり、ひっそりと生活をしていた人たちがいた。
近代化とともにしかたなく電気をひいたが、島の収入では電気代を払えなかった。
高齢化はすすみ、医療が必要になる人たちが増えてきた。
医師はいない。
一軒、また一軒と、島を去っていく人たち。
37年前、最後の家族もこの島を出た。
無人となった島を、映画『家宅の人』のロケで、松坂慶子さんは訪れたという。

「メメント・モリ」の写真家・藤原新也さんが案内する伊根漁港も圧巻だ。
もちろん、藤原さんが撮った写真も紹介される。
藤原さんの写真に、こころを鷲づかみにされた。

番組では、大分の緒方という町にある緒方神社を訪ねる。
つい最近亡くなられた緒形拳さんが、このにっぽん巡礼の旅で訪ねたかったところである。
7年間、がんと闘病し、おそらく、いのちの秒読みをしながら、この番組で自分のルーツを訪ねようとしていた。
自分がどこから来たのか、そして、自分はどこへいくのか、確認したかったのではないか。
もうすでに病態は重かったにもかかわず、このテレビのために、彼は家族をつれて、ロケハンをしている。
すごい人だなあと思う。
仕事に厳しい人だとは聞いていた。
松坂慶子さんは、ほっぺたを平手打ちをされたこともあったという。
自分にも厳しく、他人にも厳しかった俳優のようである。

それほどまでにして緒形さんが訪ねたかった自分のルーツ。
3日前まで食べ物の相談をしながら、どうにかして訪ねたいと思っていたが、その3日後にいのちは尽きた。
亡くなられたあと、息子の直人さんが、父の名代で訪ねる。
ほんとうに美しい滝があり、すごい夜祭があり、美しい鎮守の森があった。
もしかしたら緒形さんの魂は、この山の向こうへ帰っていったのかなと、感じられた。

美しい、こころがあたたまる番組。
朝早い放送だが、早起きして見る価値のある番組だと思う。

★1月2日午前7時20分~、NHKテレビ「にっぽん巡礼」
ぜひ、ご覧ください。

チョコレートの注文、1万個突破

12月21日付の読売新聞で、イラクの病気の子どもを支援するバレンタインチョコレートの募集中の記事が掲載された。
先日、出演した大竹まことさんのゴールデンラジオと、永六輔さんの土曜ワイドでも、何度も取り上げていただいたおかげで、すでにチョコレートの注文が1万個を突破した。

とくに、永さんの土曜ワイドでは、番組の途中からかつない反響がわきあがり、
JIM-NETの事務局の電話はパンク寸前。
何度、電話をかけてもつながらなかった人、ごめんなさい。 081220_2

マスコミがたいへん応援してくれるおかげで、このチョコレート募金に、ものすごいエンジンがかかりだした。
感謝です。

チョコレートの注文は、JIM-NETの事務局で受け、発送はJCF(日本チェルノブイリ連帯基金)の松本の事務局から、という形をとっている。
反響の大きさに、うれしい悲鳴。
これから大変な状況が続きますが、よろしくお願いいたします。

チョコレートは7万個完売が目標。ぜひ、イラクの病気の子どもたちの治療費にご協力を!

お問い合わせ、ご注文はこちらへ。

写真は、永六輔さんの土曜ワイドに出演したときのもの。レポーターと、なつかしい杉並区堀ノ内の妙法寺で

2008年12月29日 (月)

1/17 今井澄先生の番組を放送

今井澄前々院長のテレビ番組の収録で、NHKのテレビの取材が入っていた。081213

今井先生は、東大の安田講堂に立てこもり、最後まで開かれた大学を叫んでいた。
その少し後ろのほうで、ぼくもつっついていた時代があった。
早いもので、もう40年が過ぎようとしている。

その節目の番組のようだ。
来年1月17日、NHK総合午前10時05分~、アーカイブス

今井澄先生が、全共闘運動後、どんな形で地域医療に取り組まれたのか、ぼくが少しコメントをする。
今井先生が新病院建設に注いだエネルギーや、脳卒中を減らすために健康づくり運動を中心的に行った話をするつもりだ。
ぜひ、お楽しみに。

写真は、北上にある雪の瀬美温泉。
いい温泉だった。忙中、ほっとひといき。

2008年12月28日 (日)

大先輩たちとのいい時間

評論家の秋山ちえ子さんのお招きで、永六輔さんとNHKラジオの村上信夫さ081213んと、銀座のざくろでおいしいお肉をいただいた。
毎年暮れに、永さんか、秋山さんが招待してくれる。
もう3年目になる。

楽しくて、刺激になり、勉強になり、大先輩からきびしい指導をうける時間でもあり、栄養をとる時間でもある。
しあわせホルモンのセロトニンが分泌される時間であった。

Photo 秋山さんは、毎年8月15日の終戦記念日に、『かわいそうなぞう』(土家由岐雄著)という絵本を朗読している。
戦時中、餓死させられた動物園の象のお話だ。
それはそれは見事な朗読で、目の前で、ラジオのマイクに向かって朗読する姿をみたときは、たいへん感動的だった。
ラジオの仕事はやめたと言うが、まだまだお元気。
「8月15日は元気でいる限り、ラジオで象の絵本を朗読し続ける」と、にこにこしてお話してくれた。

若々しくて、美しくて、すてきな92歳。
ぼくも、こんなふうにうまく歳がとれたらいいなあ。

 写真は、ざくろの霜降り牛(右)と、秋山さんが朗読しているCD。

2008年12月27日 (土)

発見!特Bグルメ(27) 納豆そば 

白樺湖ロイヤルヒルスキー場で、今シーズン初滑り。081226
2時間めいっぱい滑った。

そのあと、白樺湖畔の温泉につかり、茅野市の長寿更科というおそばやさんで、納豆そばを食べた。
とてもおいしい。

長寿更科のおかみさんは、保健補導員の会長をしていて、ぼくと一緒に健康づくり運動をしていた。
081226_2 ここのうちは広い畑をもっていて、てんぷらにする野菜や、カレー南蛮に入れる下仁田ネギ、何種類かの辛味大根をつくっている。
カレー南蛮はとてもおいしい。
辛味大根おろしそばも、絶品。
とにかく、汗が出てくるほどからい。

お昼時は満員であることが多いが、辛味大根そばとか、辛味のカレー南蛮うどん、十割そば、そして、ぼくの大好きな納豆そばはおススメ。

寄付に感謝!

次々に寄付をいただきました。 081217_2

茅野市更生婦人の会の方々(=写真右)が、茅野市の名産を売った利益の4万円を寄付してくださいました。

1215_2諏訪中央病院看護専門学校の学生たち(=写真左)が、文化祭のバザーで の売り上げ約5万円を寄付してくださいました。

どちらも、チェルノブイリ連帯基金への寄付。病気の子どもたちの医療支援として有効に使わせていただきます。

本当にありがとうございました。

パッチワーク作品をありがとう!

ほろ酔い勉強会が終わると、毎年、ぼくのファンの方が、パッチワークを届けてくれる。

081218f 今年は、ひまわりをモチーフにしたすてきな作品だ。大輪の、あたたかなひまわりが咲きほこっている。そのひまわりのなかを、カマタらしいほのぼのおじさんがとび回っているのもいい!

チェルノブイリやイラクの子どもたちの薬代になるようにと、鎌田がプロデュースしたジャズのCD「ひまわり」が、たくさん売れるようにという願いを込めて、つくってくれた。

うれしくなってしまった。

毎年、ありがたいなあと思う。

2008年12月26日 (金)

発見!特Bグルメ(26) ブリ茶漬け

福島でいただいた、ブリ茶漬け。 1212_2
脂がのったブリの刺身を、お茶漬けでさらさらいただく。
おいしかった。

エネルギーをもらって、次の講演へ。

鎌田實 日本経済への提言 その③

~~発想を転換しよう~~

Pc120376 「日経マネー」の取材を受けたとき、世界三大投資家の一人、ジム・ロジャースの考えとよく似ていると、ほめられた。
どの部分が似ているのか、定かではないが、おそらく、ここから述べることが似ているのではないかと、ぼくは思っている。
今後、どうなるのかという展望についてである。

石油のバブルや穀物相場を沸騰させ、だぶついたお金は、いま行き場を失っている。
ユーロ世界では、サブプライムローンで大きな傷を受け、ユーロが復権するまでにはもう少し時間がかかる。
ドルは、何とか価値が保たれているものの、アメリカの実体経済をみたときに、危うさを感じずにはいられない。

アメリカの経済を牽引してきたビッグ3の商品は、もう魅力的ではない。
この時代に、ビッグ3がつくるような高級大型車を、だれが買うのであろうか。
アメリカ政府が何兆円をビッグ3につぎ込もうとも、魅力的ではない会社を救うのは難しい。
おそらくビック3のこの数年の利益の大半は、金融工学的なでっちあげによって、利益をあげていたのではないか、と思う。

アメリカが中心となり、小泉さんもムチを叩きながらついていこうとしたねずみ講のような金融詐欺に、アメリカはどっぷりとつかっているはずである。
いまギリギリ保たれているドルの価値は、下がっていくだろう。

それにともない、どこにも行き場を失ったお金は、必然的に傷の浅い「円」に向かう。
円買いがはじまっていく。
先日、瞬間風速的に1ドル75円を経験したが、おそらく数カ月のうちには、円高の針は一気に75円まで振れていくのではないか。
そして、想像もできない世界であるが、1ドル60円という驚異的な世界にも、瞬間的に入る可能性があると、ぼくはよんでいる。

こうした状況のなかで、政府は、円高の利点を生かした政策を考え、経済危機を脱出していくにはどうすべきか、考えていかなければならない。
企業経営者や国民ももちろん、自分の資産を守るために、未曾有の円高を想定することが大事なのではないかと思っている。

こんな時代だから、と滅入ってはいけない。
こんな時代だからこそ、いま投資をすべき、とぼくは思っている。
一カ月ほど前のブログでも、「今こそ株を買おう!」と書いた。
この提案を、経済に素人のぼくがしていることも、日経マネーの編集長を驚かせたという。

時代を10年単位の大きな波で考えると、必ず上がっていく株があるはずである。Pc120378
みんなが株を売っているいまこそ、株を買うチャンスである。

では、どんな株がいいのか。
円高ドル安であるから、当然、金を買うというのが一つの選択であるが、ここは難しい。
金は、2004年くらいから3倍ほど上がってきているが、この上がり方をどう考えるかという判断は、素人のぼくには何ともいえない。
ただ、買っていい株はあるはず。
残念なのは、それが何かは、勉強していないぼくには、わからない(笑)。
でも、10年後にこの地球を救うような会社の株は、買い得かな、と思っている。
たとえば、太陽光発電の生産は、止まらないのではないか。
ぼくのうちの屋根にも、太陽光発電をつけた。
調べていないのでわからないが、太陽光発電にかかわる企業の株価が、もし、下がっているとすれば、下がりきったところで買うのも手なのかもしれない。

少量の株でもいい。
みんなが少しずつ、応援したい企業の株を買うことが、自分の資産を守るためにもなるし、この国を救うことにもなる。
そんな大きなデザインのもとに、お金のことを考えたらどうだろうか。

勝手なアメリカにひきずられて、すべてが決められていく株価に翻弄されるのではなく、
国民が、自分たちの国に投資し、自分の応援したい企業に投資しながら、その発展に協力していく。
そんな発想の転換が求められているように思う

Photo そう考えれば、自分たちの国や企業を育てていくうえで、いまは大事な時期にきている。
逆に言えば、おもしろい時期にきているのではないか。

★「日経マネー」の2月号もご覧ください。

2008年12月25日 (木)

発見!特Bグルメ(25) オムライス

大阪市中央公会堂は、宇宙飛行士ガガーリンが講演をしたこともある由緒正しいホール。
ネオ・ルネッサンス様式のホールは、後世に遺していきたい美しさをもつ。 1205_2

人権週間に、サックス奏者の坂田明さんのコンサートと、ぼくの人間の権利についての講演を行い、みんなで命について考えた。

写真は、公会堂のなかにあるレストランの、評判のオムライス。

男同士のクリスマス

081224_2  ぼくが兄と慕う画家・原田泰治さんと、一緒に食事をした。081224_3
えびの頭の、から揚げを食べた→。

しぶすぎる、男同士のメリークリスマスである。

鎌田實 日本経済への提言 その②

~~冷え切ったこころをウォームアップ!~~

不況とか、恐慌というのは、マインドの冷え込みがいちばんの問題だと思う。
不安と不信で、冷え切った国民のこころを、どうあたためていったらいいのだろうか。

ぼくは、こう考える。Pc240406
まずは、下半身にあたたかな血を通わすことが大事だ。
たとえば、今回、緊急経済対策で投入しようとする23兆円は、若者たちが結婚できて、子どもを産み、育てる気になるような政策のために有効に使うべきだ。
人口が増えていけば、しぜんに消費者が増えていく。
医療や福祉にも当然、23兆円を使って、医療と福祉をたて直さなければならない。
2兆円の定額給付金のバラマキはやめて、1兆5千億円を医療崩壊を防ぐために使い、5千億円を福祉に使えば、医療崩壊や介護崩壊をだいぶ食い止めることができる。

雇用の安定も重要である。
いま派遣切りが問題になっているが、トップランナーの大企業は、なんとか派遣労働者を生き続けさせられる方法を考えるべきだ。
正規社員の給料を5%ほど減らしてでも、派遣の給料を半額にしてでも、派遣を切らない方法をとり、なんとか土俵際で持ちこたえる粘り強さが必要だったのではないか。
それは、派遣労働者を守るためでもあるが、企業自身を守ることにもつながる。

だが、すでに引き金はひかれ、企業はドミノ倒しのように、萎縮の方向に向かいはじめている。
今まで日本にあった分厚い中流層は崩れ、下流層が多くなり、社会は安定性を失っていく。消費はますます冷えていくだろう。
そんなマイナスの連鎖を断ち切るためにも、国民や企業をまもる政策を打ち出すべきである。
国民や企業経営者に安心感を与え、雇用を安定させ、分厚い中流層をつくることが大事なのだ。下流をつくってきたここ数年の大きな流れを反省すべきである。

Pc240400 「100年に一度の経済危機」という言葉に萎縮してはいけない。
ぼくたちの国は、世界でいち早く危機を脱出する切り札をもっている。
1500兆円という、世界でもっとも多くの貯金をもっている、という切り札だ。

“眠れる貯金”を動かすには、リーダーが、安心の国づくりをするという熱い物語を語り、国民の冷え切ったこころをあたためることが必要だ。
そして、リーダーは国民にこう語ることである。
「自分の貯金をつかって、自分の人生を豊かにしてほしい、それが、この国を救うことになる」

同時に、1500兆円のお金を動かするために、ちょっとした仕掛けも必要だ。
ぼくは、「1年間の相続税の撤廃」を提案したい。
たとえば、若い夫婦は家を買おうと思っても、勇気がないし、経済力にも不安がある。
でも、この1年間は相続税がかからないということになれば、親が家やマンション、土地などを買ってあげやすくなる。
不動産だけでなく、必要ならば車やモノを買ってあげるのもいいだろう。
もちろん、今の制度でも、ルールによってちょっとずつ異なるけれど、最大3500万円までは、贈与税がかからない。
ただし、将来、親が亡くなって遺産を相続するとき、生前に贈与されたものは遺産相続の額にカウントされて、相続税の対象となる。
ぼくの提案は、この将来の相続税の部分も、1年間はナシにしようというものだ。

また、NPOやボランティア団体に寄付するとき、医薬品や医療機器Pc240409などモノで寄付する場合は税金をとらないという形にしてしまえば、もっと寄付をしやすくなる。

親の世代にとどまっていた貯金や、富裕層のお金が、しぜんに動き出すような仕掛けをつくり、いまはとにかく、買える人に、土地やマンションや高級品を買ってもらうことが大切なのである。
そうすることにより、凍りついた経済が少しずつ動いていく。

不況は、つもりつもって恐慌になるのではない。
憎しみや不信感が、暴力や戦争への連鎖を起こしていくのと同じように、
不況という不安感が連鎖を起こして、恐慌へと走っていくのである。
恐慌への連鎖を断ち切るには、不安で冷え切ったこころをあたためなければならない。

こころをウォーミングアップする政策が、いまこそ必要なのだ。

2008年12月24日 (水)

各マスコミで紹介されています!

「週刊朝日」12月9号で、ぼくの『いいかげんがいい』が取り上げられた。Photo

「クロワッサンプレミアム」2月号では、鎌田實とペレットストーブが紹介されている。

Photo_2「パンプキン」の1月号では、2009年の挑戦として、「弱さも強さも持ち合わせて、心が折れない生き方をする」と、カマタ節で語っている。
基本的には、いい加減に生きていいのだ、というカマタ流持論だ。

「中央公論」1月号では、タオイストの加島祥造さんと、禅宗の板橋興宗住職、そして、鎌田實が、この過酷な時代をどう生き抜くかというテーマで語り合った。
「求めない」「悩まない」「がんばらない」という、それぞれのキーワードが、大事なヒントになると思う。 Photo_3

「コレカラ」という月刊誌の2月号に、人生の幸せも、健康も、長生きも、まずは“いい加減”を知ることが大切ということで、『いいかげんがいい』が取り上げられた。

年末年始のお休みに、よろしかったら、ご覧ください。

鎌田實 日本経済への提言 その①

~~リーダーよ、物語を語れ!~~

「日経マネー」という月刊誌の取材を受けた。
経済のことは、わからない。
経済誌など、見たことがない。
基本的に素人である。

編集者から、たいへんほめられた。
日本の経済をどう立て直すべきか、持論を述べたところ、
世界三大投資家の一人とされる、ジム・ロジャースというカリスマが言っていることと、
ドクター・カマタが言っていることは、けっこう似ているなどと言われ、うれしくなった。

ぼくは、35年前、4億円の赤字を抱えている病院に赴任し、病院の再建に取り組んだ。
まず病院の、地域の評価をあげること。Pc230382
あたたかなシステムづくりをすること。 
地域へ出て行くことなどによって、成果をあげた。

経済も、経営学も、学んではいない。
ただ、ぼくは、2、3年という小さな単位ではなく、10年単位の大きな波があると考えて、
10年先を視点に入れながら、病院の舵取りも、自分の人生も歩んできた。
現在のように、100年に一度の恐慌という機運が蔓延していると、永久にこのまま悪い状態が続くのではないかと人間は思ってしまう。
だが、今は下向きの波でも、いつか必ず上向きの波がやってくるものだ。
あせってはいけない。

ところで、ぼくは、この波の高低差をできるだけ小さくするのが、新しいスタイルの資本主義のあり方だと思っている。
資本主義は、ほうっておけばドライな競争主義になる。
競争が激しくなれば、必ず、波形は大きなものとなり、上向きの好況も大きくなれば、下向きの恐慌も大きくなる。
この波を小さくすることが、資本主義を永続させるうえで、大事だと考えている。
ぼくは、これを「ウエットな資本主義」といい、3年ほど前から原稿に書いたり、話したりしてきた。

「ウエットな資本主義」とは、小泉さんがやろうとしていた「ドライな資本主義」とは真逆にある。
Pc230386そして、下半身に血の通った、あたたかな国づくりをし、上半身で貿易立国として、過激な戦いのできる国にすべき、と述べてきた。
下半身にあたたかな血を通わせるためには、分厚い中流をつくることである。
分厚い中流を育てるためには、子どもを安心して産み育てられ、教育が充実して、歳をとることが怖くないようように老後の心配をなくしてあげること。
これを徹底的に充実させながら、激しい競争ができる国にするのというが、ぼくの考える理想的な国づくりなのだ。

だが、この国のリーダーは、どんな国づくりを目指しているのか、まったく見えてこない。
こんな状態になったときこそ、理想の国づくりの物語を、リーダーは語るべきではないか。

時事通信の最新の世論調査によると、麻生内閣の支持率はさらに下がり、16.7%になった。
23兆円の緊急経済対策を出したにもかからず、
日銀が金利0.1%にし、CPを買い切るという異例の企業支援を打ち出したのにもかかわらず、
逆風は止まりそうもない。
それは、日本のリーダーが、どんな国にしようとしているのかを語っていないからである。
いくらお金を動かしても、そのお金は生きてこない。

いまこそリーダーは、国民に向かって、切々と物語を語ってほしい。
そして、その物語は、国民の冷え切ったこころをあたためるような、熱い国づくりの物語であってほしい。

2008年12月23日 (火)

鎌田實の一日一冊(10) 神がかった「ラストステージ」

『ラストステージ~ジャズシンガー石野見幸 がんを超えて響く命の歌声』(NHK取材班/構成・文 中田浩作著、小学館集英社プロダクション)をぜひ、みてほしい。
すばらしい本である。
31歳でスキルス胃がんになり、35歳まで生きた、ジャズシンガーのいのちのドキュメントである。

本だけのパターンと、本にDVDがついているものがある。Photo_4
ぼくのおすすめは、DVDがついたほう。
ブルーノート大阪の500人満杯の聴衆を前に、すばらしいジャズを歌っている。
いのちがいよいよ尽きようという人が、こんな歌をうたえるとは想像できない。
神がかっている。

ぼくは彼女と、ずっと電話で話し続けてきた。
具合が悪いときには、イラクの砂漠のなかからも連絡をとった。
miko、mikoとぼくは呼んだが、この『ラストステージ』を読んだり、DVDで彼女のジャズを聴いていると、mikoは、巫女だったのかもしれない、と思った。
生き方に、鬼気迫るものがある。

ぼくは、08年1月末に出した『なげださいない』という本に、mikoのことを書いたが、
彼女に神がかり的なものを感じたのは、父・勝彦さんの存在のせいもあった。

そのお父さんも、mikoが死ぬ少し前に亡くなっている。
亡くなる少し前に、mikoがお風呂に入っていると、お父さんが「一緒に入るぞ」といって入ってきた。
2人は、2時間も一緒にお風呂のなかでおしゃべりをしたり、携帯で2ショット写真をとったという。
お父さんは、それを携帯の待ちうけ画面にしたというから、不思議な父であり、不思議な娘である。
お母さんもお姉さんも、すてきな人で、人間的な魅力にあふれている。

そんなすてきな人たちに囲まれ、石野見幸という一人のジャズシンガーがどのようにして生まれたのか、この本を読んでいくとわかる。

見幸のプログは、多いときには30万もヒットする日があった。
見幸の生き方に、こころを動かされた人たちがいた。
その秘密がわかる本である。

ぜひ、彼女の歌声を聞いてほしい。
生きる勇気が出てくると思う。

ステージに込められた、石野見幸のラストメッセージ。
ぜひ、聞いてほしいなあ。

鎌田塾はじまる

全国の病院で、医師不足が深刻ななか、第1回鎌田塾が開かれた。

諏訪中央病院で地域医療を継承している内科の高木先生が、音頭をとってくれて実現した。
「レジデント6、7人に、一杯飲みながら、諏訪中央病院の地域医療の歴史を語ってほしい」と言われ、当日行ってみると、若い医師だけでなく、中堅やベテランの医師も加わり、総勢なんと32人!081217
おいしい「横綱」の焼肉にひかれたのかもしれないが、こんなにたくさんの医師たちが、地域医療に関心をもって集まってくれたのが、うれしかった。

デイケアのはじまりのころに撮影した、古い8ミリを探し出して上映した。
地域でいのちを支える活動の原初的な事業であり、日本ではじめてのデイケアが、どんな形でおこなわれだしたのかを語った。

久しぶりに若い人たちに囲まれて、しあわせな時間だった。

第2回鎌田塾では、どのように健康づくり運動がはじまったかを話すつもり。
地域の人々とのつながり方も、伝授しようと思っている。
主宰の高木先生は、3月の開催を計画している。

今回は奈良医大の学生も参加した。
全国の医学生も、この時期に諏訪中央病院で研修しながら、鎌田塾に参加してみるのも魅力的な計画かもしれない。

写真は、鎌田塾に集まった若い医師に囲まれて、ご機嫌なドクター鎌田

★先日、朝日新聞のインターネット新聞「どらく」の取材を受けた。
カマタが思う「いい加減」のかっこいい生き方や、医師として、一人の人間としてどう生きてきたか、などを語っている。

こちらもぜひ、ご覧ください。

深刻な医師不足のなかで

地域の中核病院である研修病院で、医師が不足している。
ほぼ4割の病院で医師の数が減っているという。

いちばんダメージが大きいのは、産婦人科で39%。
内科では38%、精神科では34%の病院で、医師数が減っている。

内科では医師が確保できず、外来診療をやめてしまっている場合もある。
内科の外来がない研修病院というのは、かなり問題ではないかと思う。
産婦人科では、病棟閉鎖が行われているという。

諏訪中央病院の産婦人科は、一度、病棟閉鎖が行われたが、いまは3人の産婦人科医により再開した。
ありがたいことだと思う。

2008年12月22日 (月)

鎌田劇場へようこそ!(11)『チェチェンへ アレクサンドラの旅』

アレクサンドル・ソクーロフ監督の作品が、久々のロードショー。
20日から、渋谷ユーロスペースで上映されている。

1990年代、2度のチェチェン紛争が起こった。
一度、停戦になったが、チェチェンのなかにもイスラム過激派がおり、チェチェン共和国として独立の機運が高まるなかで、大掛かりなテロ行為が行われ、ロシアは再び戦争を起こしはじめた。
はじめのうち、ロシアの暴挙をアメリカやヨーロッパは批判していたが、あの9.11のテロが起きてからは、アメリカなどの批判はなくなり、戦争は泥沼化していってしまった。

ソクーロフは多作作家で、毎回、注目される作品を撮ってきた。
今作品も、チェチェンの戦場で25日間にわたって、オールロケが行われた。
戦闘シーンは一度も出てこない。
80歳のロシア人のおばあちゃんが、チェチェンのロシア軍基地にいる孫を訪ねて旅をする。そのおばあちゃんの目を通して見た町は、戦場の緊迫感に満ちている。戦争がいかに馬鹿らしいものであるかという、女性の視点が、作品に貫かれているのがわかる。
実際、チェチェンに息子を送り出した母親たちが、長引き、泥沼化していく戦争をなんとかやめてもらおう、と政府に訴えかける動きもあった。
そんな母親たちの思いが、この映画に深く流れているような気がする。

80歳のおばあちゃんは、戦場の兵士たちのキャンプにとどまることなく、町や市場へ出て行く。
チェチェン人と交流するのである。
女たちは理解しあう。
町からキャンプへ帰る途中、チェチェンの若者に道案内をされる。Photo
この光景がじつにすばらしい。
若者が「メッカへ行きたい」と言う。
このチェチェン戦争も、民族戦争であり、宗教戦争であることをにおわしている。

戦場の兵士たちは、キャンプのなかでは、おばあちゃんに対して、やさしくジェントルマンであった。
だが、キャンプの外は戦場である。
人を殺すことを仕事とする男たちの世界。
なんともいびつな世界であることが見えてくる。

おばあちゃんは貨車に乗り、自分の国、ロシアへ帰っていく。
チェチェンで知り合った女友だち4人が見送りにやってくる。
情感のある、平和への祈りが込められた、美しい別れのショットが続く。
しかし、4人のなかで、もっともうちとけたはずの老婆が、
手を振ることもなく、列車を見送ることもなく、視線を遠くへ動かしていく。
チェチェン人はやさしく、客のもてなしを大切にする民族といわれている。
しかし、心のどこかに、長い間戦争をしかけてくるロシアに対して、許すことができない複雑な思いが、その老婆の遠い視線にみてとれた。

戦場でつくられた、すぐれた反戦映画であることは間違いないが、それだけではない。
人間の複雑なこころのひだが、見事に映し出されている。
さすがソクーロフと思った。

80歳のおばあちゃんの演技がすばらしい。
有名なオペラの歌手が演じている。
映画ははじめてということである。
新鮮な空気が漂っている。

瀬戸内海にいやされて

秋に来て、とても気に入ったので、再び広島のベラビスタ境が浜に宿泊した。

ここからの瀬戸内海の景色は、なんともすばらしい。1208
じつに美しく、あたたかで、静かな内海なのだ。
こころがほっとする。

一年間、よく働いた。
外国にも行った。
このところは、イラクの子どもたちの救援活動のために、チョコレート7万個を売ろうと、駆け足でラジオやテレビに出演したり、講演に歩いて、売り歩いている。
六花亭のチョコレートに、イラクの子どものイラストを添えたものだ。

こちらが一生懸命やりだすと、みんなこたえてくれる。
チョコレートだけでなく、がんばらないレーベルのCDも売れ出して『ひまわり』や『おむすび』も各会場でほとんど売り切れ状態が続くようになってきた。
たくさんのご協力、ほんとうに感謝、感謝。

ベラビスタはいま、ぼくのお気に入りのホテル。
何人かの職員が待っていてくれて、声をかけてくれたのが、またうれしい。
ラウンジの女の子が、熊のサンタをデザインしたカフェラテをいれてくれた。
こころがこもっていておいしかった。

いい景色と、ホスピタリティー。
なんとも幸せな、リフレッシュの時間になった。

どんなに忙しくても、副交感神経優位の時間をつくる。これがカマタ流である。

写真は、おだやかな瀬戸内海を背景に、ベラビスタの庭に立つカマタ

2008年12月21日 (日)

鎌田實の一日一冊(9) 今週もたくさんの本を読んだ

このところ、忙しい日々を過ごしている。
先週は、4つの講演をし、テレビの取材を1本受け、2本の映画をみて、本もずいぶん読んだ。
「人間のなかにいる獣」というテーマでの執筆は、再来年の新春の発行を目指しPhoto、2年がかりで取り組んでいる。
そのために、進化心理学の長谷川眞理子さんの『ヒトの心はどこから生まれるのか』(ウェッジ選書)を読んだ。

正月2日放送の、NHKの「にっぽん巡礼」出演のため、日本人の自然観や原始的な宗教観を学ぶために、数冊立て続けに読んでいる。

Photo_2

←『日本人の神はどこにいるか』(島田裕巳著、ちくま新書)

Photo_3

『やまと教―日本人の民族宗教』(ひろさちや著、新潮選書)→


Photo_4

『いのちの文化人類学』(波平恵美子著、新潮選書)

Photo_5

『日本文化論の名著入門』(大久保喬樹著、角川選書)→

緩和ケア病棟で、いのちに寄り添っていると、八百万の神に対する不思議な日本人的感覚を感じることがある。
入院病棟の窓に外の自然の気配に対し、大いなる何かを感じる人、
八ケ岳の向こう側に何か壮大な営みや変化を感じる人、
伊那の里山の森のなかに、何か魂のありかを感じる人。
そんな人たちが、たしかにいることを感じていた。
病院のまわりの道を歩きながら、不思議なものを感じるという患者さんもいたりする。
なんだかわからない何かが、あるのだろうと思う。

★新春1月2日「にっぽん巡礼」
 NHK総合テレビ、午前7.20~8.18
 女優の松坂慶子さんと出演する。

 ぜひ、ご覧ください!

チョコレートに申し込み続々!

イラクの病気の子どもたちの救援活動として、チョコレートの販売を行っている。
六花亭のチョコに、イラクの白血病の女の子たちが描いてくれたイラストが添えられている。
今月からインターネットでの先行販売を開始したところ、たくさんの人たちの後押しがあって、続々と申し込みが届いている。Photo_6
新聞やラジオ、インターネットなど、あちこちで取り上げてくれたことが、大きいと思う。
感謝、感謝、感謝です。

まだの方は、クリスマスプレゼントやバレンタインチョコレートとして、ぜひ、どうぞ。
一個のチョコが、白血病の子どもの一日の薬代に相当する。
“哲学のある”プレゼントは、きっと贈られた相手にもいいメッセージが伝わると思う。

問い合わせは、JIM-NETへ。

イラクのバグダッドの小児病院のドクター、マーゼン先生と、もう一人の医師の研修が、信州病院ではじまる予定だったが、入国のビザがうまくとれず、1カ月延期となってしまった。
講演会の準備をしてくださっていた人や、研修のために準備をしてくださっていた大学の先生がたには、たいへんご迷惑をかけしました。
来月、もういっかい仕切り直しで、イラクのドクターたちへのご協力をお願いしたいと思います。

2008年12月20日 (土)

文太さんとの食事

先日、菅原文太さんに、ごちそうになった。1204
麻布の江ぐちという、超おいしい和食のお店であった。

料理人の発想が大胆である。
いい素材を使っている。
おもしろいのは、ウニもカニも、このお店にやってくる前に物語がある。
日本海でとれた松葉ガニは、文太さんのファンである漁師が、わざわざこの日のために船を出したとか。物語のあるカニなんてすごい。
なんだか、とてもうれしくなってしまった。

文太さんと食事をしながら、盛り上がり、来年1月には、文太さんのラジオ番組に出演させてもらうことが決まった。
イラクの病気の子どもたちの薬代になるチョコレートの販売や、
3月13日のブラダン・コチのチャリティーコンサートのチケット販売を、ラジオで取り上げてくれることになった。

放送日は、後日、お知らせします。
お楽しみに!

鎌田劇場へようこそ!(10)今年いちばんのオススメ映画「懺悔」

本日12月20日より、岩波ホールで公開する。Photo_2
有名な映画である。
幻の映画である。
見たかった映画だった。ずっと。

テンギス・アブラゼ監督作品。ソビエト連邦崩壊直前の映画である。
1984年につくられ、86年にグルジアで一部公開され、そのあと、87年からモスクワを中心にして、ソ連全土で大ヒットしている。

1930年代のスターリンのしたことを、リアルに、そして、ときにはシュールレアリズムに、ときにはファンタスティックに物語がつくられている。
ワンショット、ワンショットがじつに繊細で美しく、力強い。

役者の演技力がすごい。
芝居や小説ではあらわせない、映像でしかあらわせないシュールでファンタスティックな画面がふんだんに盛り込まれて、想像力をかきたててくれる。

ある想像の町を舞台にして、市長が死んだところから物語ははじまる。
死んだ市長の遺体が三度にわたって掘りおこされ、木にたてかけられるのである。

犯人がつかまる。
女性である。
この市長によって、女性が八歳のとき、父母が粛清された。
裁判がはじまる。
市長の息子や孫にこころのさざなみがたっていく。
事件が次々におきていく。

1987年、この映画がソ連で全国上映されたことじだいが、新しい時代を予兆していたのだと思う。
すでにゴルバチョフが大統領になっていた。そして、1991年、ソ連は崩壊する。
この映画が、時代をチェンジしていくのである。
すでに満ちていた新しい時代の空気を、この映画がさらにたぎらせたのだと思う。
そういう意味では革命的な映画であった。

ぼくの、今年度ナンバーワンの映画。
日本では一度も一般公開をされていない映画である。
ぜひ、見てほしい。

この映画の冒頭、掘りおこされた市長の遺体が大きな木に、たてかけられているショットをみて、久しぶりに、学生時代好きだった田村隆一の詩を思い出した。

『四千の日と夜』という詩集のなかに入っている立棺(たてかん)。
「わたしの屍体に手を触れるな」という衝撃的なフレーズではじまる長い詩の一部にこんなくだりがある。

わたしの屍体を地に寝かすな
おまえたちの死は
地に休むことはできない
わたしの屍体は
立棺のなかに納めて
直立させよ

わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない

地上にはわれわれの国がない
地上にはわれわれの死に価する国がない

こんなフレーズが繰り返されていく。

久しぶりに田村隆一の詩集を読み返した。
いい映画はいくつもの連想を呼び起こしていく。
そして時代を引き寄せた。

Zange 1991年1月、ぼくはソ連邦の最後のとき、チェルノブイリの子どもの救援のために、ソ連邦をモスクワから入り、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国、そして、ふたたびモスクワへと飛び回っていた。
そのころのこの国の息遣いを、今も忘れていない。
その四ヵ月後、ソ連邦が崩壊するのである。
ソ連のなかでこの映画をつくった監督の勇気に拍手を送りたい。

何人かの人間たちがいのちがけで上映会をした時代があった。
その人たちに拍手を送りたい。

たくさんの国民がこの映画をみて、自由に対する大切なあこがれをこころのなかに準備をした。
それが1991年につながっているのだと信じている。

いい映画を見た。

2008年12月19日 (金)

冬、到来―

 

雪が降りました。
里山も真っ白になりました。
雪に朝日があたり、輝いています。
いよいよ信州に、ほんものの冬がやってきます。

1215_3

「いざなぎ越え景気」は何だったのか

「いざなぎ越え景気」は、なんだったんだろうか。
この時期に、日本の土台にあたたかな血を通わせていれば、もっとふところの深い国になっていたと思う。

「いざなぎ越え景気」のときに、トヨタをはじめ大企業は想像を超えるような利益をあげていた。
だが、実際のところは、派遣労働者を利用して、安い労働力を使ってきた結果であった。
この時点で、企業だけが収益を出すのではなく、労働者に利益がまわるような形にしていれば、もっと分厚い中流ができ、消費を喚起することができたはずである。

いまからでも遅くはない。
これから100年に一度の恐慌が起こる。
これは逆にいえば、チャンスなのである。
恐慌がずっと続くということは、ありえない。

円高もおそらく、1ドル75円ぐらいのところまではいくだろう。それ以上かもしれない。
円高を逆にどう利用していくか、ここが考えどころであると思う。

ユーロが安くなり、ドルはアメリカ経済の実態が悪いから、もっともっと安くなっていく。
そうすると、行き場のないお金が円に流れてくる可能性が高い。
円高は、必然的に起きてくるわけで、その円高をどう逆手にとるかが問われているような気がする。
そのときのために、政府は手を打つ必要がある。

2008年12月18日 (木)

一緒にピースボートに乗りませんか

第64回ピースボート「地球一周の船旅」に、鎌田實と池田香代子さんが乗ることが決定した。
南極をまわる豪華地球一周旅行だが、 Photo
そのなかでも、ブエノスアイレスから、南極、イースター島、タヒチへ、という“おいしい”コースが、まだ若干、空席がある。

長い船旅の間、鎌田はいのちについての講演を行う。
「世界がもし100人の村だったら」で知られる池田香代子さんからは、憲法9条や、人間の生活や環境について、おもしろい講演を聞けると思う。

壮大な南極に驚き、イースター島のモアイ像の視線の先に思いをはせ、タヒチでゴーギャンの絵を堪能する。
大変、楽しい旅になると思う。

ぜひ、ご一緒にいかがですか。

~新チャーター船・モナリザ号でゆく~

53日間のピースボート フライト&クルーズ
2009年2月26日(木)~4月19日(日)[成田発・横浜着]
旅行代金:101.3万円~200.8万円

-地球46億年の歴史が生んだ「奇跡」南極に出会う船旅-
飛行機で一路ブエノスアイレスへ。世界三大瀑布のひとつイグアスの滝を鑑賞してからマゼラン海峡、世界最南端の街ウシュアイアを経由して南極遊覧へ。氷河と紺碧の空が作り出すコントラスト。そして、クジラやペンギンといった南極に暮らす動物たちとの出会いを楽しみます。その後、イースター島やタヒチなど南太平洋の島々をクルージングして帰国。日本が冬季を迎えるなか、夏真っ盛りの南半球を贅沢に楽しむコースです。

Photo_2成田>ブエノスアイレス(アルゼンチン)>ウシュアイア(アルゼンチン)>
南極遊覧>プンタアレナス(チリ)>イースター島(チリ)>パペーテ(タヒ
チ)>ヌーメア(ニューカレドニア)>ケアンズ(オーストラリア)>ラバウル
(パプアニューギニア)>横浜
※世界遺産「イグアスの滝」観光も含まれています

写真は、(C)ピースボート/水本俊也

「モナリザ号」船内見学会のお知らせ
日時:2009年1月14日(水)
時間:9時30分~12時30分
場所:横浜港大桟橋国際客船ターミナル
費用:無料(要予約)
予約締切:2009年1月6日(火)

資料請求、お問い合わせ先
ピースボートセンターとうきょう
東京都新宿区高田馬場3-13-1-B1
TEL:03-3362-6307 FAX:03-3362-6309
またはWebから
https://g102.secure.ne.jp/%7Eg102438/office/inquiry.html

クルーズ詳細は
http://www.japangrace.com/peaceboat/tour/64/index.html

発見!特Bグルメ(24) 府中焼き

広島県府中市は、福山から北の山のなかに入ったところにある。1207
かつては、この地域の中心街であった。
洋服の青山や、リョービというおもしろい企業が出たりして、なかなか元気のいい町である。

古くから府中みそが有名で、そのみそを使ったカツサンドは、なかなかおいしい。

12072_2 府中焼きというお好み焼きがあるのを、はじめて知った。
このあたりには、お好み焼き屋が38軒あるという。
そのなかで、古川というところに行った。
うまい!

表面はかりっと焼き上がっているのに、中はふわっとジューシー。1207_2
牛や豚のミンチの脂が、キャベツのなかに溶けていく。
ミンチが使われているというのも、いい。
そばはカリカリだ。
ぼくは、赤そばというピリ辛のそばを入れてもらい、
みそソースをかけて食べる。
このみそソースがじつにうまい。
府中焼き、大好きになった。
わざわざ食べに行っても損はない。

1207_3 府中焼きが焼きあがる間、おでんが目についた。
いかにもうまそうな、真っ黒な出汁。
自分でとって、後で勘定をするシステムもおもしろい。
卵と、厚揚げを食べた。
これも、おいしかった。

府中でであったB級グルメ、なかなかだった。

2008年12月17日 (水)

不況の罠にはまるな

実体経済が悪いという以上に、不況の罠にはまりだしているように思う。

いま、みんなが少し努力して、モノを買ってはどうだろうか。
本当に必要なものはこの時期だからこそ、安く買える。
家が必要な人は、勇気をもって家を買う。
車の買い替えを考えていた人は、車を買う。
むだなところにお金はかけなくていいが、必要なものならば、今がチャンス。
自分のためにもなるし、社会のためにもなる、と考えることが大事である。

不況の罠から脱出するには、リーダーの物語が必要である。
リーダーが、物語を語れないといけない。

麻生さんは、お金を湯水のように使おうとしているが、お金を使うことの先に、どういう国にするのか、どういうふうに経済を立て直すのか、
物語が語られていない。
政策を発表しても、物語が語られていない。
それが、麻生さんのもっとも大きな欠点である。12111
失言や漢字が読めないことは、大きな問題ではない。

麻生さんが、あたたかな国づくりの物語を語れば、国民は納得する。
納得して、歯をくいしばって、ついていくのではないかと思う。

あたたかな国づくりとは、分厚い中流をつくることである。
その分厚い中流が、子どもやお年寄りを支える力を蓄えてくれる。
若者たちが当たり前に結婚できて、子どもを育てられ、40歳くらいになったらローンを組んで自分の家がもてる。
そんな、あたたかな国づくりの物語を語ることが必要ではないかと思う。

国民に向かって、本気の演説をしてほしい。
国民の心を揺さぶってほしい。
国民の心を揺さぶってくれたら、不況の罠から脱出することができる、と思う。

ラジオ番組に出演します!

立て続けにラジオ番組に出演します。ぜひ、お聞きください。

★「大竹まことゴールデンラジオ!」
文化放送、19日午後2時25分くらいから。

大竹さんと、この1年を振り返ります。

★「土曜ワイドラジオ永六輔その新世界」
TBSラジオ、20日午前9時から20分ほど。

乙女探検隊というコーナーで、子どものころに過ごした杉並区堀ノ内の界隈を散歩。
「おそっさま」という縁日がある、懐かしい妙法寺の参道を歩きます。1204_2
40年ぶりくらいになります。
ちゃんと覚えているかどうか、よくわかりません。
ぜひ、お楽しみに。

永さんの番組に出させてもらうのは、ほんとうに久しぶり。
10カ月ぶりくらいかもしれません。
イラクの子どもたちの救援活動のために、義理チョコ募金のプロパガンダに協力していただいています。

ぼく自身も、子どもたちをなんとか治してあげたいと、東奔西走しております。
鎌田實のホームページもご覧ください。

写真は、先日、NHK第一の「ラジオビタミン」にはじめて出演したときのもの。小さく写っているが、左側で手を振ってくれているのが、村上信夫さん。イラクの子どもたちの支援のためのチョコや、新刊『いいかげんがいい』について話した。

2008年12月16日 (火)

12/18 ほろ酔い勉強会

恒例のほろ酔い勉強会で、講演をします。
テーマは、あたたかな医療について。1201_2
18日午後2時から、1時間の予定です。

続いて3時からは、呼吸器の新しい治療についての勉強会があります。
講師は、チェルノブイリにも行って協力をしてくださった信州大学の内科教授、久保先生。
現在は医学部長で、信州大学の重鎮です。
場所は、諏訪中央病院の講堂。

医療に関心のある方、呼吸器疾患が気になる方、少し勉強をしにきませんか。

発見!特Bグルメ (23) そば

写真は、登美のおそば。白雪といい、そば殻をすべて取り除き、手をかけて作られた。健康もおそばも、細く、長く。

鎌田實の一日一冊(8) クラウンKと偶然の出会い

ホスピタルクラウンとして活躍している大棟耕介氏と新幹線で、偶然出会った。1204_2
二人とも、大よころぴである。

一緒に講演をしたことがある。
たしか「読売ウィークー」の仕事だったと思う。
そして、「読売ウィークリー」に二人の話が載った。

クラウンKは、プレジャー企画という会社の代表を務めている。
道化師を養成したり、若いクラウンの仕事を探し、全国に楽しさや喜びを配達している。
おもしろい仕事である。
大棟耕介を主人公にしたテレビドラマもあった。

03048472  毎年、パッチ・アダムスと、ウクライナのジトミールに行って、放射能の汚染地域の子どもたちを勇気づけているという。
来年も11月、ジトミールに行くので、どうか、と誘われた。

彼の新刊『道化師流のサービスの力』(こう書房)はなかなかおもしろい。
ホスピタリティーというのはどういうものかがわかる。
「A級サービスより、B級サービスのすすめ」だとか、「いいサービスと笑いはいつもセットである」とか、「空気をかえるクラウンの技術」であるとか、おもしろい話が満載である。
おもしろくて、ためになる本だ。

2008年12月15日 (月)

トーク&ライブショー 大成功!

「鎌田實と坂田明の世界へようこそ」というトーク&ライブショーを、大阪と兵庫で連続して行Dsc_0040 った。

サックスの坂田明さんと、ピアノの黒田京子さんの激しいジャズ、そして、鎌田のほっとするような講演で構成。
どちらの会場も超満員で、一つの会場は900人、もう一つは600人が会場に詰め掛けてくれた。
感謝です。

1206 兵庫のベルディーホールはしゃれたホールで、市民の手作りのショーになった。
坂田さんも黒田さんもやる気十分で、ときに激しく、ときに静かに、ブルースやジャズを堪能させてくれた。
2時間の予定が、3時間になり、来場者は口々に「感激、感激、よかった、よかった」と言って、帰っていかれた。

会場では、「がんばらないレーベル」のCD「ひまわり」や「おむすび」を販売した。
この売り上げは、イラクやチェルノブイリの病気の子どもたちの薬代になる。
こちらのご協力も、感謝、感謝です。

2008年12月14日 (日)

フェルメールのミルク娘出現

お気に入りの定宿、丸の内ホテルでは、夜10時、ミルク娘が出没する。Photo
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」のかっこうをしている。
希望者に、ミルクを配ってくれるのである。

きっかけは、スタッフが牛乳の不思議な力について特集したテレビ番組を見たことだった。
何種類かの条件のなかで、いちばん睡眠がとれた人を追跡すると、ホットミルクを飲んだ人がいちばん眠れた、というのである。
そのスタッフの提案で、ミルク娘が誕生した。
笑ってしまった。
楽しい。

12042 しかも、長野県の野辺山にある牧場に特別注文している牛乳で、
牛乳嫌いの人でも飲めそうな、おいしい牛乳である。

このホテルはホスピタリティーが豊かで、
こころをほっとさせたり、なごませたりしてくれる。
コーヒーも、朝と夜とでは、いれ方も種類も違っている。
スタッフたちも、おいしいコーヒーをいれるのにけっこう真剣で、自分流のいれ方に自信をもっているのがおもしろい。

2008年12月13日 (土)

がん対策基本法の狙い

東大の放射線科の准教授、中川恵一先生と毎日新聞の仕事で対談をした。
中川先生とは『がん 生きたい患者と救いたい医師』(三省堂)という本を共著で出している。
今まで対談もやっており、今回が4回目だ。
がん対策基本法をつくるうえでは、かなり大事な役回りをした一人だと、僕は勝手に思っている。

乳がんは、1センチの大きさになるのに15年かかる。Gan_ikitaikanjya
直径1センチから10センチになるにはさらに5年、そのころには手がつけられなくなる。
1センチ以内で見つけるのはとても難しい。
だが、1センチから2センチになる1年半の間に、見つけることはできる。
だから、年に一度、がん検診が必要ということになるのだろう。

日本のがんの検診率は20%。
これを何とか50%以上にしないかぎり、がんでの死亡率を下げることは難しい。

たばこをやめること、健診を受けること。
そして、大腸がんなどは、軽い運動をすることが、あきらかに効果があることがわかっている。
赤や黄色、緑の色素の入った野菜を多く食べることもいい。

がん対策基本法の話になった。
この法律そのものが、「がんばらないけど、あきらめない」ことだと中川先生は言った。
僕のフレーズを使いながら、うまく説明をしてくれた。

がん対策基本法は、がんの三大治療である、手術、放射線治療、化学療法をバランスよく充実させることを一つの大きな目標にした。
手術や化学療法はがんばる治療であるが、放射線治療はがんばらない治療だ、と中川先生は言う。
脳に転移があっても、骨に転移があっても、あきらめずに放射線治療をすることで、しばらくの間、いい時間を過ごすことができる。
前立腺がんや食道がんでは、手術と放射線治療はほとんど効果は同等というデータが世界中で報告されている。
だとすると、高齢の場合は放射線治療を選んだほうがメリットが多いという場合が出てくる。
まさに、がんばらないけど、あきらめない治療なのだ。

放射線ががんに効くしくみというのも、意外に知られていない。
喉頭がんの放射線をあてると治るが、これは免疫なんです、と中川先生は言う。
がんは自分の細胞からの突然変異なので、免疫はなかなか異物とみなすことがむずかしい。
がんと闘うマクロファージなどは、がんを異物と同定することができず、見逃してしまうのだ。

だが、放射線をあてることによって、がんの隠れ蓑であるステルスを消してくれる。
それによって、がんがはっきりと異物と同定できるようになり、マクロファージががんを必死に食べ始める。
そして、喉頭がんが消えていく。
放射線で被爆をさせて、がん細胞を壊しているのではなく、
ステルスを消して、マクロファージに食べさせているのである。
なかなかわかりやすいなと思った。
もちろん、悪性リンパ腫のように、がん細胞にアポトーシスという細胞の自死をおこさせるものもある。

がんの痛みに関して、ぼくたちの国は、積極的ではなかった。
モルヒネは、カナダやオーストラリアの7分の1の量しか使用されていない。
医療用麻薬の使用量は、アメリカの20分の1である。
日本の医師は、患者の痛みに関して鈍感であった。

これをがん対策基本法では改善し、患者さんを痛みで苦しませないようにしようというのが、二つ目の大きな狙いだ。
そして、がんを早期発見するために、検診率を上げ、がん登録を推進して、がん治療の効果判定が科学的に同定できるようにしようというのが、がん対策基本法の考えなのだという。
がん対策基本法では、緩和医療の充実を強く後押しをした。
がんを治療をする外科医も内科医も、5年間に10万人が学ぶことを目標に、現在すすめられている。

だが、現実はまだまだ厳しい。
がん患者を救うはずのがんの拠点病院で、がん難民を生み出しているという現実を、中川先生も鎌田も指摘している。
この指摘にご不満のある厚労省の局長もおられたが、中川先生もぼくも、たくさんのがん難民が、大学病院やがんセンター、癌研、そのほか多くの拠点病院でつくられていることはよくわかっている。
いまの在院日数が病院の収入に影響するようなルールがあるかぎり、がん難民はある率、生じてしまうのである。
医師が忙しすぎることも、大きな原因である。

お産難民が母子の総合医療センターなどでつくられている。
救急医療のたらいまわしで、救急医療難民もつくらている。
この現実をきちんとふまえないといけない。
患者を救うのは、医者の仕事だけでは限界がある。政治の仕事が必要だ。
医療費の抑制政策をしていては、この問題を治すことはできないだろう。

2008年12月12日 (金)

国際人・新渡戸稲造

花巻にある新渡戸稲造の記念館にいってきた。1129
農家の出身である。
現在の五千円札の人である。

第一次世界大戦後、国際連盟の事務次長をしていた。
北欧バルト海、オークランド諸島の領土紛争を、非武装地帯として治めた。
国際人だ。
こういう国際人がいたことがすごい。

今年8月、ぼくはジュネーブの旧国際連盟を訪ねた。
レマン湖のほとりで、新渡戸稲造は7年間、
第二次世界大戦直前のヨーロッパのきな臭い状況のなかで、平和を模索し続けた。

新渡戸稲造が英語で書いた『武士道』は世界的なベストセラーになり、いくつもの言語に訳され、世界中で愛読された。
日本人の骨格をつくってきた名著ともいわれている。

ラブレーと対談をしているときに、日本には宗教学が学校のなかであるか、と聞かれて、答えに窮した。
しかし、日本にはヨーロッパにはない倫理観があると思い、彼はそれを知らしめるために英語で『武士道』を書いている。
このへんの国際感覚がべらぼうにすごい。

Photo 書かれていることは、孔子の儒学に近いことである。
「義」や「勇」や人の上に立つ条件としての「仁」、そして「礼」、「誠」、「忠義」、「名誉」などが、わかりやすく書かれている。
女性に求められる立ち居振る舞いも書かれている。
侍は民族全体の美しき理想、桜は大和魂の原型などと、見事な展開をしている。

しかし、もとが孔子的というか、儒学的で、見える社会のなかでの具体的な生き方しか示していない。
一方で感心しながら、何か物足りないのである。

老子によるタオのほうが、さらに大きな宇宙へと羽ばたかせてくれる。僕個人は、そのほうがひきつけられる。

新渡戸稲造という国際人としての生き方は天晴れと思う。
だが、『武士道』に関しては、なるほどとは思うが、こころが揺さぶられることはなかった。

↑写真は、ジュネーブのレマン湖のほとりに立つ旧国際連盟

宮沢賢治はマルチプレーヤーだった

地質学を学び、天体学者で詩人で童話作家。
農業を教える教師で、生活改善運動の実践者でもあり、最後は宗教家にもなりかかっていた。
不思議な能力をもった男であった。1128
宮沢賢治である。

賢治が、好んで生徒をつれて訪れたという「イギリス海岸」に、雨の中に行った。
「イギリス海岸」という呼び名は、地質調査の結果、古代には海だったことが推測され、その地質がドーバー海峡のものと似ていることから、賢治が名づけた。

1128_2 今年はダムで水量を調節し、賢治が命名した当時の雰囲気が漂うように試みたという。
だが、当日は大雨で、水量も多く、イギリス海岸をほうふつさせるのはむずかしかったようである。

その後、賢治が1923年ごろ、花巻農学校の学生をつれて、よく食べにいったという、そば屋のやぶ屋を訪ねた。
わんこそばで有名のようである。

賢治は、てんぷらそばとサイダーという組み合わせがお気に入りだったと聞いた。
てんぷらそばとサイダーを注文した。
てんぷらそばは15銭で、サイダーは23銭。
サイダーのほうがずいぶん高かったようである。

この組み合わせが、なかなか、どうして。
てんぷらそばのあと、サイダーがちゃんと飲めないのである。1128_4
けっこうたいへんな組み合わせであった。

数年前に来たときには、わんこそばを食べたら、
一人前3000円のコースで、15杯くらいしか食べられなかったのを覚えている。
60杯は食べないともとはとれませんよ、と町の人に言われたが、
とてもそんなには食べられない。
240杯を食べた人がいると聞いて、呆然とした。

やぶ屋のことを、賢治は「ブッシュ」と言っていたようである。
ぼくは、やぶ医者。
アメリカにも一人、どうしようもないブッシュというのがいる。
やっぱり、そばやのやぶが、いちばんいいなあ。

現在の花巻農業高校の敷地内に移築されている、羅須地人協会の入り口に、小さな黒板が置かれていた。
「下ノ畑ニ居リマス、賢治」
その文字が今も黒板に残っている。

写真は、水量の多い「イギリス海岸」こと北上川。そして、やぶ屋のてんぷらそばとサイダー

2008年12月11日 (木)

東北には啄木の空気があふれていた

先月末、二週続けて東北をさまよった。
石川啄木の『悲しき玩具』をポケットに入れ、26歳で逝った天才歌人をしのんでいる。

今日もまた胸に痛みあり。
死ぬならば、
ふるさとに行きて死なむと思ふ。

死ぬ直前の歌である。
貧困であり、結核に倒れ、石を投げられ追われたふるさと岩手を思っている。
ふるさとが恋しかったんだろうなと思う。

呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!

結核性の肺炎を起こし、病床でうたった悲しい歌である。

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて、
空に吸はれし、
十五の心

『一握の砂』のなかにあるこの歌は、なんとも美しいフレーズである。

啄木の足跡を追っていくと、社会とうまくやっていけない何かがあった。
不適応だったんだろうと思う。
中学校時代にストライキ事件を起こし、退学。
早く結婚をするが、次々に仕事をやめている。
小学校の代用教員、商工会議所の事務員、函館日日新聞、北門新報、小樽日報、釧路新聞、朝日新聞校正係り・・・。
漂泊者だからこそ、次の時代にのこる歌や詩をつくった。

歌人・啄木は、いまも輝き続けている1129_21129_3
そう、東北をまわりながら思った。

発見!特Bグルメ(22) 盛岡冷麺

真っ赤なスープの盛岡冷麺と、アツアツの石焼きビビンバをいただく。 

外は寒いが、汗がでる。

2008年12月10日 (水)

発見!特Bグルメ(21) 生わさびごはん

生わさびを擦って、ちょっとしょうゆを落とし、ごはんにかけただけの生わさびごはん1128
僕がうまい、うまい、と食べると、
「いがったあ~」と、岩手県の言葉でうれしそうに答えてくれた。

副交感神経がぐんと優位になった。
なんだか、ほっとした。
体がほかほかして、免疫力が上がってくるような感じがする。
わさ1128_3びには、デトックス効果がある。
なおかつ、代謝効率を上げ、からだをぽっぽと温めてくれる。
アディポネクチンという動脈硬化を予防してくれる、いいホルモンも刺激して分泌してくれるのだ。

たっぷりと、わさびが利いて、涙もジワァっと出そうな感じ。Photo_4
気持ちのいいジワァっであった。

ひっつみは、岩手ではわりあいポピュラーな家庭料理。
うどん粉を練って、手のひらで薄く伸ばしたものを、具だくさんの豚汁のような汁で煮込んでいる。
やっぱり、あたたまる。

めずらしいミズのこぶのおひたしも、東北らしい素朴なご馳走。 

うそっぽい改革

この国のリーダーの支持率が、急降下している。しかし、人気とは何なのか。

国民に人気があった小泉首相の改革。
郵政民営化を争点にもちあげて暴れまわったが、十分な規制緩和、民営化がほかの業界になだれうっておきたとはとても思えない。
最大の目的は、一握りの既得権を得て、うまみを吸っている人々を減らすことであった。
だか、天下りも官政談合も、社保庁などの不祥事も、メスが入っていないのである。
野放しの特別会計は、たくさんの既得権をもった人にとって、依然として宝の山である。
このうまみを吸う人たちを、自民党のなかで切ろうとしたのは勇断ではあった。
しかし、結局、自分が辞めて、息子に地盤を渡し、世襲をしてしまう。
うまみを吸う人たちを野放しにしたまま、小泉さんは終わろうとしているのだ。

郵政民営化は結局、何だったのか。
小泉さんは、日本の大改革をやりかけたが、やりきれなかった。
実に残念である。
それどころか、日本の医療も福祉も、ぐちゃぐちゃにして去っていった。

あたたかな国づくりをするリーダーを望む。

2008年12月 9日 (火)

木曽の栗しぼり

木曽路は雪だった。1130_2
最後の紅葉が残って、そこに雪がはらはらと降り出していた。

数年前、木曽へ来たとき、栗しぼりに「うまい、うまい」と感動した。
それを覚えていてくれ、また、つくっていてくれた。

ぼくはよく講演で、心をあたためる大切さについて、話している。
おいしいものを食べたときには、うまい、と言う。
1130_3 きれいなものを見たときには、きれいと、感動を口にする。
それが、心のウォーミングアップになる。

ぼくも毎日、実践している。
毎日のほんのちょっとでもいい、試してみてください。

右の写真は、奈良井の宿にて。

2008年12月 8日 (月)

鎌田實といくドリームフェスティバル イン 上諏訪

旅をあきらめない、夢をあきらめない―
そんなキャッチフレーズで、4年間、温泉旅行をやってきた。2_2
脳卒中になっても、障害があっても、加齢があっても、がんがあっても、どんな病気があっても、
旅を楽しみたい、わくわくしたいという人をお手伝いします、というコンセプトだ。

こころとからだをウォーミングアップしよう、という切り口で、3日間、晩秋の上諏訪を楽しんでもらった。
諏訪湖畔を散歩し、ワカサギ釣りをし、マッサージを受けたりした。
迫力ある千発の湖上花火を、毛布にくるまって鑑賞し、感動した。
原田泰治美術館に行き、大村みのりの叙情歌を聴き、みんなで歌い、踊った。
そして、食べた。

Jpg_2 今回は、鎌田が上諏訪温泉のホテル華乃井の料理長にお願いをして、
朝も夕も、健康にこだわった食事をつくってもらった。
1日目の夕食は中華。
クラゲの冷菜、えびのチリソース、ホタテ、モンゴイカ、タイ、カニの爪、ふかひれスープ(=写真)。
ぜんぶ魚を中心に組み立ててもらった。

2日目は和食で、魚と繊維と色素を意識したメニューだ。
キノコがふんだんに使われている。3_2 

アンチエイジングにはヌルヌルがいいということで、ふかひれやオクラ、納豆などを、朝食や夕食のなかに上手に使ってもらった。
クエン酸は疲労をとるということで、中華料理のかゆも、ポン酢で食べてもらう工夫もした。
おやつには、鎌田から参加者へのプレゼントで、僕が毎日、牛乳と割って飲んでいるシトラックスというクエン酸を試してもらった。
というわけで、こだわりのある三日間、健康の食を堪能してもらった。

Photo_4 137人が参加してくれた。
サポーターは27人。自分でお金を出して、障害者の旅を応援してくれるボランティアなんて、本当にすごいと思う。
この旅の企画も4年目になると、顔見知りも多くなる。
たくさんの人たちと再会した。

みんないい顔をしている。にこにこなのである。
79歳で障害のある女性と結婚した志の高い男や、『いいかげんがいい』の中に「男前の生き方」と書いた障害者を囲む友人がまたまた関西からやってきた。
今度はもう一人仲間を増やしいた。
小学校のときの友情が、年をとっても、障害があっても、何も影響を受けず、ゆうゆうと続き、楽しんでいる。
なんともあったかい旅である。
ご主人がいろいろな難病になった夫婦も来た。
ちょうど同じ年代の女性たちと同じテーブルを囲んだ。
みんなで喜びや愚痴を語り合ったりしながら、笑ったり、泣いたり。
4年間、このドリームフェスティバルのハワイ旅行や温泉旅行にずっと参加してくれ、車いすからついに歩いて、今年はハワイで僕の立会いのもと、金婚式を行った上山さん夫妻も、元気に参加してくれた。
「5年後のエメラルド婚を目標に生きる」と、ニコニコ顔で話してくれた。
どんどんいい顔になっていく。
病気に負けてない、人生に負けていない、と実感した。
旅はいいなと思う。

4年間やってきてよかったと思う。1_4
こんなたいへんなことをよくやるなとよくいわれるが、 
この感動は何にもかえられない。
旅はすごいな、と思う。

来年は5月30日夜か、31日朝の出発の予定で、新しい企画「鎌田實とグァムへ行こう」が企画されている。
どんな重い障害があっても、がんがあっても、人生をあきらめる必要はない。
旅を楽しむと、こころがあったまる。
こころがあったまると、副交感神経が刺激されて血管は拡張し、血圧は下がり、循環はよくなり、リンパ球は増えて、免疫力はあがる。
一緒にいい旅をしよう。
ちょっと足腰が弱った人も大歓迎。
バリアフリー旅行なので、安心できる。

2008年12月 7日 (日)

注目ユニット「TSUKEMEN」デビュー

僕が兄貴のように尊敬をしている原田泰治さんのお嬢さんの結婚式があった。
司会は、原田泰治を書の師と仰いでいる一番弟子のさだまさしだ。
4時間を超す結婚式を、全力投球で司会をした。2008_11_25_0984
最後は、まさしさんの娘がピアノをひき、間もなくライブデビューをする息子の大陸くんが、
バイオリンをひき、まさしさんが歌った。
豪華な家族トリオによる「コスモス」で、結婚式のフィナーレを迎え、なんとも楽しくて、感動的な結婚式になった。

忙しいのに、まさしさんは情の人。
大事な人のためには、どんなこともしてしまう。
ここが、まさしさんのすごいところ、とあらためて感じた。

大陸たちが小さいころは、家族ぐるみで集まって、よくご飯を食べた。
その大陸がすっかり立派になって、あいさつに来てくれた。
00212月15、16日、東京のサントリーホールでファーストライブを行うという。
19日は広島県民文化センターでもライブをする。
大陸ともう一人がバイオリン、もう一人はピアノ。
若い、男前のイケメントリオである。
が、その名は「TSUKEMEN」(ツケメン)。
笑ってしまった。

クラシックとジャズと、ポピュラーがごった煮のように盛り込まれていて、なんとも心を揺さぶられる。
新しい形の音楽を追求している若者たちである。
間違いなく感動すると思う。
3人の若者の音楽は、きっと評判になると思う。
デビューのときから、ちょっと彼らに注目してみてほしい。
できれば、ライブにも足を運んでほしい。
はずれはないと思う。

2008年12月 6日 (土)

発見!特Bグルメ(20) カニ玉チャーハン

大宮駅の中に、おいしいB級グルメがあった。1129
チャーハンに、カニ玉のあんかけをふんわりとかけている。
たいへんおいしい。

とにかく、僕はどんぶりものが好き。
子どものころ、母親がお弁当によくつくってくれた。
前の日の残りのコロッケを、おしょうゆと砂糖で甘辛く煮て、ドンとごはんの上に汁ごとのっけてくれたやつ。
ほかにおかずがないので、友だちにはあまり見られたくないはずかしいお弁当だったけれど、
とてもおしくて、忘れられない。
これがどうも、僕のDNAに刷り込まれているらしい。

核燃料サイクルの導入に疑問

東北の女川原発でのプルサーマルによる発電実施にむけて、地方自治体に申し入れが行われはじめている。
着々と世界が撤退したプルサーマルを、日本では推し進めようとしている。

九州の佐賀県にある玄海原発、四国の愛媛にある伊方原発、福井県にある高浜原発、静岡県にある浜岡原発については、地方自治体がすでにプルサーマル計画導入を了承している。
プルサーマルとは、原発からでる使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜて、混合酸化物燃料をつくり、再び原発の燃料とすることである。
お金も余分にかかり、危険も高まる。
青森県の六ヶ所村にある核燃料再処理工場は、本格操業が大幅に遅れている。
実際のところはまだまだハードルが高いのである。

今年7月、僕はチェルノブイリ原発事故を起こした、ベラルーシ共和国にあるベトカという村を訪ねた。
事故後22年たった今でも、60~100キュリー以上の汚染地域が一帯に広がり、新規の体内被曝をしている患者が、人口2万人強の町で、年間56人発生している。
原発の事故は怖い。
あいまいなまま、安易にプルサーマル導入計画がすすんでしまうことは疑問である。
できるだけオープンな形で科学的な話し合いがもたれ、導入することのプラス、マイナスを検討すべきと思う。

2008年12月 5日 (金)

手遅れ、麻生さん

麻生さんは、11月末に来年度の社会保障費の2200億円の抑制を行うかどうか再検討するように、与党に指示を出した。
小泉さんがはじめた社会保障費の抑制を、麻生さんがやめるのなら、拍手喝采であった。

2兆円のバラマキがなければ、ほめたいところであった。
麻生さん、ピントがはずれている。

そもそも、1兆5000億円を医療に、5000億円を介護・福祉に使い、2兆円を有意義に使えば、医療崩壊も介護崩壊も防ぐことができるはずだ。
そうすれば、2200億円の社会保障費の抑制は継続していいのだ。
財政再建の旗を振り下ろし、2兆円を無駄にバラまくのと、
財政再建を継続しながら、緊急経済対策として2兆円を安心の国づくりのために使うのとでは、大きな違いだ。

今からでも遅くはない。
麻生さん、考え直してみてはどうだろうか。

収穫祭

Photo 諏訪中央病院のグリーンボランティアたちが、野菜を育ててくれた。

形はあまりよくないかもしれないが、水分を含んでつやつやのニンジン、太陽をいっぱい浴びたトマト、そのへんのスーパーでは、ちょっとお目にかかれない。

12032_2

ニンジンを、生のままかぶりついた。
あまくて、うまい!

収穫に感謝して、みんなと一緒にガーデンランチ!

楽しく、おいしいひとときだった。

1203_3

 

2008年12月 4日 (木)

12/6 NHKテレビ出演

NHKアーカイブス 年間シリーズ<ともに、生きる>「小さな命をはぐくむ」という番組にコメンテーターとして出演する。
過去に放送された番組をあらためて見直し、いまを考える。

ドキュメント日本列島「いのちのおくりもの」では、先天的な胆管閉鎖症のため、肝臓移植を受けた若いお母さんが、日本ではじめて移植後、出産する。
2004年までのデータでは、日本には肝臓移植者が2500人いる。
2500人もいれば、当然生き抜いた若い女性が結婚し、出産する可能性もあるだろう。
その出産までの喜びや葛藤を、番組で取り上げている。

そして、12年が過ぎた。
子どもは12歳、小学校6年生。
とても元気だという。
お母さんは、子育てをしながら、仕事もしているという。
その若いお母さんと、電話で話した。

番組のなかでも語ったが、僕はどちらかというと、臓器移植に関しては消極的だった。
彼女のお母さんも、臓器移植を受けることに揺れる。
彼女本人も揺れながら、揺れながら、臓器移植を受け、生き抜いたあと、好きな人ができて結婚した。
当たり前のように子どもができ、産むことになる。
出産の場面は、ほんとうにハラハラし、ドキドキしてしまった。
感動の出産である。

「人の死の際にもらったいのちだから、丁寧に大切に生きなければいけないと思っている」
そんなお母さんや本人の言葉を聞いて、重い思いをもちながら、一生懸命生きているんだなと思った。
「臓器移植」、これもありかなと、ちょっと思ってしまった。
こういう番組に協力したことは、勇気が必要だったと思う。
だが、その勇気が、この番組をみた人たちに強い感動を与え、臓器移植に対する考え方を少し、変えていくのかもしれない。

もう一つの番組は、NHK特集「誕生~医師三宅廉の一週間」。
83歳の小児科医を追っている。
三宅医師は、1万人の出産に立ち会っている。
産婦人科と小児科の連携がなかった時代、民間の自分の小さな病院に、NICUの原型のようなものをつくり出す。
三宅先生のおかげで、産科と小児科の連携が今では当たり前になった。

しかし、母子総合医療センターというもっとも中核になる病院の手薄さが、いま問題になっている。
東京という大都会で、脳出血になりかかった若いお母さんが八つの病院に受け入れ拒否をされたことは記憶に新しい。
原因の一つは、新生児特定集中治療室NICUの不足だ。
背景には、医療費の抑制政策がある。
必死に産婦人科医や小児科医が支えてきたものが、政府が病院医療にお金をかけなくなったことによって、崩壊しかかっているのである。
今、この番組を見直すことは意味が深い。

三宅先生のおかげも少しあって、日本の乳児死亡率は、世界でもっとも低い国になった。
しかし、医療費の抑制政策を続けてきた結果、1~4歳までの死亡率は先進国のなかでワースト3になってしまった。
小児集中治療室(PICU)が極端に少ないためだ。
ほとんどない、といっていい。
政府は、ほとんどここに肩入れをしてこなかった。

安心して子どもを生み、育てるには、NICUとPICUをともに充実させることが急務である。

2兆円を国民にばらまくのは意味がない。
けれど、安心して子どもを産める国にするために、2兆円を使えば、
10年後、麻生さんの名前は「子どもたちのいのちを守った首相」として残るはずだ。
今のままでは、おかしな、ただの漢字の読めない首相で終わってしまう。
いまからでも遅くはない。
麻生さんも、この番組をみて、考えてほしい。

放送は、NHK総合、12月6日(土)午前10時05分から11時25分。
ぜひ、ご覧ください。

2008年12月 3日 (水)

医師693人増員

医学部の入学定員を増員し、総定員数を8486人とする計画が発表された。
今までは毎年、約7800人が新たに医師となっていた。
しかし、平均4300人の医師が開業し、老齢化や死亡などで廃業する医師もいるので、病院の医師はいっこうに増えないという問題が生じていた。
病院の医師は、拘束時間が長い半面、給与が低いという厳しい労働条件であるため、開業へとなびいていくのである。
歯止めが必要である。

病院の医師の仕事に、やり甲斐を感じている医師は実はたいへん多い。1120
病院では、チーム医療でなければ、助けられない命がいっぱいある。
チームの一員として、自分のスペシャリティーを発揮していくことを、ずっと続けたいという医師はけっこう多い。
だが、情熱だけでは、続けられない。
時間的な余裕をつくりだしてあげること。
そして給与を大幅に見直してあげることが大切だ。

それには、医療費を見直さなければならない。
日本の医療費はGDP比8.0%で年間33兆円、先進国のなかで最も安い国の一つである。
せめて先進国の平均並みの、9.6%前後にもちこんで、約40兆円にすれば、救急医療も充実する。
産婦人科の救急患者さんのたらいまわし問題も、防ぐことができるのである。

麻生政権は、勇気をもって、このことに明確に手をくわえなければならない。
2兆円ものわけのわからないバラマキをするのではなく、医療崩壊を食い止めるために使うべきだ。

  写真は、雪をいただく八ケ岳。

2008年12月 2日 (火)

12/8~TBSラジオに出演します

12月8日から5日間、TBSラジオの「荒川強敬のデイ・キャッチ」に出演します。Cbc_2
午後5時45分から4分間のコーナーで、毎回テーマを変えてお話します。

ぜひ、お聴きください!

イメージトレーニングが大事

交感神経=がんばる神経がつねに緊張状態にある現代社会では、ときどき、意識的に副交感神経=がんばらない神経を刺激することが大事である。
そんなことを、『いいかげんがいい』という本に書いてきた。

温泉に入ったり、おいしいものを食べたり、気の合う友だちとおしゃべりをしたり、きれいな景色をみたときに「わあ、きれい」と思うことが、副交感神経を優位にする。
そのイメージを強めるには、声に出すことがよい。
感動を、言葉にするのだ。

スポーツのイメージトレーニングでは、サイキングアップという手法が行われる。Pb210370
呼吸法や音楽やイメージによって、心を興奮状態に高めるというものだ。
だが、この手法は、なかなか日常生活には応用しにくい。
たとえば、自動車のセールスマンが、高級車を買ってくれそうなお客に商談に行く。
そのときに、アドレナリンをバンバン出すようにサイキングアップすると、かえってお客は勢いに圧倒され、逃げ腰になり、商談はうまくいかない。
むしろ、副交感神経を優位にするイメージをしたほうが、商談は成立するのではないかと思う。

実はスポーツのなかには、サイキングアップで交感神経の緊張を高めるよりも、副交感神経を刺激してリラックスするほうがいいものがある。
野球なんかは、微妙である。
イチロー選手は、バッターボックスに立つ前に、脱力系のルーティンを繰り返す。
一方、今年引退したスラッガー清原は、まるでプロレスラーがリングに立つときのように気持ちを鼓舞する、長渕剛の「トンボ」にのって、バッターボックスに入っていく。
サイキングアップしすぎているのではないか、と思った。
相撲や柔道やプロレスとは、野球は違うところがある。
そこを彼は勘違いをしていたのではないか、という気がする。

人生も、多くのスポーツも、リラックスをして、副交感神経を優位にもちこんだときのほうが、ここぞというときに、ぐんとアドレナリンが出て、がんばる神経に切り替えられるのではないか、という気がする。
発想の転換をしてはどうか。
実は大事なときほど、副交感神経にゼロ調整しておくほうが、のびのびと、しなやかに状況に対応できるのではないか。
リラックスムードのほうが、相手からも受け入れられやすい。

そのために、リラックスできる自分なりのルーティンを探しておこう。
いい景色を見ながら、深呼吸をするのもよい。
わあ、おいしい、幸せ、と感動を声に出すのもよい。
そういうルーティンが、幸せの作法となる。

2008年12月 1日 (月)

日本人はどこからやってきたのか

「日本は単一民族」という偏見をもった大臣がいた。
日本人は、どこから来たのか、興味深い。

アメリカのオッテンバーグや、日本の古畑種基らの考えをもとにすると、
今から2万年くらい前に南方系の人々が海を渡ってやってきたらしい。
この、太平洋諸島からやってきた人たちは、血液型ではO型が多かったらしい。
少し時代が下って、1万4千年くらい前には、モンゴル平原に住んでいたモンゴロイドが、おそらく北からやってきた。
彼らは、血液型でいうとB型が多いという。
カムチャツカ半島や間宮海峡は、当時、凍っていたのではないかと思われ、氷で陸続きになっていた海の上を渡ってきたらしい。

これは、それまでいた南方系のO型の人たちにとって、大事件である。
北方系のモンゴロイドに追われ、日本列島の北と南に別れていく。
アイヌ民族の人たちは、南方系の血の影響も受けているのではないかという説もある。
沖縄とアイヌの人たちは、文化的に似ているところもあるらしい。

1120 この南方系の人たちは、オッテンバーグによると、太平洋アメリカ型という人たちだ。
すなわち、約2万5000年くらい前にO型のモンゴロイドが、シベリアからベーリング海峡を越えて、北アメリカに移動し、アメリカインディアンになったという人たちである。
その大移動の途中で、一部の人たちが、南方から日本にやってきたとすると、
今年7月、僕が出会ったイヌイットの人たちと、いちばんはじめに日本にやってきた人たちは、同じ人々だった可能性がある。
さらに詳しくみてみると、この人たちは天山山脈のあたりにいて、カムチャツカ半島から入ってきたという説と、朝鮮半島から入ってきたという説が分かれる。

約6000年前には、雲南省にいた血液型A型の湖南型の人たちが日本にやってきた。
約2000年前には、もう一度、新しい人たちが、朝鮮半島を経て北九州へとやってくる。これが弥生のはじまりだ。

おそらく、日本人は、このようなたくさんの人たちの流れの下で形成された。
多様な種族が織り交ざって、日本という国家ができた。
当然、日本の皇室も、日本民族という純血ではなく、おそらく南方からか、湖南型の大陸から移ってきた人か、天山山脈に住んでいた人々の血を受け継いでいる可能性が高い。

そもそも、大きく考えれば、700万年前、アフリカのサバンナに人間らしきものが生まれ、700万年という大きな流れのなかで、移動し、地球上に広がっていった。
その過程で、生き抜くために白い肌や黄色い肌や黒い肌や、さまざまな遺伝子を獲得していったのだ。
さらに、38億年前にさかのぼれば、僕たちは一滴の細胞だった。
この細胞が、「伝える」という機能DNAと、「代謝する」という機能を備えたために、いのちは悠々たる歴史をつむいでいる。

「単一民族」などという偏見は、いのちを軽視する。
日本のリーダーである大臣になるような人が、もってはいけない発想だ。

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »