旅人カマタの2008年
2008年もいよいよ最後の日。
忙しい1年だった。
2月にスイスに氷河を見に行き、そこで『いいかげんがいい』のエッセイに登場するような劇的な人物とも出会った。
川のように見えるのは氷河の跡である。
温暖化をなんとかくいとめなければいけない。今年はアイガー東壁が崩壊した。スイスの氷河も、ものすごい溶け方であった→
←氷河の中に入ると水が滝のように溶け出していた
5月末には、障害者100人ほどをお連れして、ハワイに行った。
ちょうどこのころ、鎌田實のブログ「なげださない」を始めた。
まさか半年間で、16万人もの人が見に来てくれるとは思わなかった。
1月8日公開の月刊ココセレブでは、2009年注目のプログ特集で、「元気のでるブログ」として紹介されるようである。
たくさんの人に、健康のひけつや生き方のヒント、カマタ流経済危機への処方箋、B級グルメ、映画、音楽、芝居、本・・・など、多面的な評論を展開したいと思ってきたが、なかなかいい線をいっているかなと思っている。
来年は、自分でかいた詩のような文章をのせられたらいいなあ。
アイスランドで講演。たくさんの人が集まってくれた→
←ニューヨークのテロを受けたグラウンドゼロ地点
6月からは、オランダからノルウェー、アイスランド、グリーンランド、ニューヨークという船の旅をした。
たくさんの美術館を訪ねた。
ブロードウェイのミュージカルもみてきた。
北極の環境の調査もしてきた。
メトロポリタン美術館でゴーギャンの絵を見た。
下っていく男が好きで、来年はゴーギャンが流れていったタヒチを見に行こうと思っている→
←ジュネーブで講演。毎年JCFへ寄付をしてくれるジュネーブの人たちへのお礼
そのあと、チェルノブイリへ行き、チェコのプラハでレコーディングをし、スイスのジュネーブで講演をし、フランスのシャモニーの氷河をみた。
もちろん、イラクのなかに入り、子どもたちの診察もしてきた。
シャモニーの8月。氷河は小さくなっており温暖化は確実に進んでいることがわかった→
←氷山の浮かぶ北極海
イラクの難民キャンプの中で勉強する子ども→
←ヨルダンのダウンタウン。
ここにも病気の子どもたちがいる。
僕たちは診察して歩いた
チェルノブイリの原発事故により、60キュリー以上の放射能の汚染が残っている村。埋葬の村と言われていた。
地図から消されて人が住んでいないはずの村に、老人がふるさとを捨てられずに生活をしていた。
事故後、22年もたっているのに放射能はまだきれいになっていない→
あわただしい1年だった。
世界の新鮮な写真やおもしろい話をブログで紹介しているので、バックナンバーもぜひ、見てほしい。
←カフカの愛した迷宮プラハと、↓プラハ城下の黄金小路。カフカは、水色の小さな家の中で「変身」を書いた
いちばん心に残ったのは、フランツ・カフカが「変身」を書いたといわれるプラハ城内の長屋だ。
錬金術師や職人たちが住んでいたという長屋の一室。
役人をしていたカフカは、この部屋を借りて、夜になるとここで執筆したという。
小さな間口の、質素だけれど美しいつくりの部屋だった。
「ある朝、グレーゴル・ザムザが、何か気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床のなかで一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」
こんな不思議な、不条理な文章ではじまる小説は、ここから生まれた。
19世紀末の、単なるニヒリズムではなく、新しい世界を予感しながら、その世界が一筋縄ではいかないことを示しているような、暗鬱な文章だと思う。
カフカが、永遠の異邦人といわれるユダヤ人だったことも、大きく影響しているのだろう。
自分の存在している場所がなかなか見えない世界、それは、いまユダヤ人だけではない。
世界中の多くの人々が、現代のなかで、どこから来て、どこへ行くのか、わからなくなりだしている。
そんな時代を暗示する「変身」をもう一度、読み直しながら、世界をみてきた2008年だった。
これらは、何らかの形でぼくの作品のなかに影響するだろうと思う。
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