発見!特Bグルメ(46)文化におう鮒寿司
滋賀県の大橋美智子さんとは、「鎌田實とハワイへ行こう」のツアーでご一緒したり、
諏訪湖の温泉へのツアーをご一緒している。
その大橋さんから、鮒寿司をいただいた。
発酵した鮒でたいへんおいしい。
体にもいい。
見た目も美しい。
日本の大切な文化を味わった。
ちょっとにおいはきついけれど、好きになってしまえばチーズを食べているような気がして、不思議な味わいがある。
幸せでした。
ごちそうさま!!
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滋賀県の大橋美智子さんとは、「鎌田實とハワイへ行こう」のツアーでご一緒したり、
諏訪湖の温泉へのツアーをご一緒している。
その大橋さんから、鮒寿司をいただいた。
発酵した鮒でたいへんおいしい。
体にもいい。
見た目も美しい。
日本の大切な文化を味わった。
ちょっとにおいはきついけれど、好きになってしまえばチーズを食べているような気がして、不思議な味わいがある。
幸せでした。
ごちそうさま!!
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すごいおもしろい本を見つけた。
『“弁当の日”がやってきた』『台所に立つ子どもたち』。
どちらも、著者は竹下和男さんで、自然食通信社から出版されている。
香川県の小さな町の小学校、滝宮小学校の竹下和男校長が、「親は手伝わないで」と、子ども自身がお弁当をつくる日をはじめた。
その後、竹下校長は、高松市にある国分寺中学校に移られた。
ここでも、子どもたちが台所に立って自分の弁当をつくりはじめた。
弁当作りを通して、子どもたちの「こころの空腹感」を埋めはじめたのである。
竹下さんは、3つの時間の深刻な現実を訴える。
まず、「暮らしの時間」。
これが縮小した。
日本人は貧しい時代から、必死に働きながら、この暮らしの時間を減らしてきた。
電化製品に囲まれるようになり、便利になったが、一つひとつの暮らしの丁寧な営みが減っていった。
暮らしの時間を削って、働き、経済的に豊かになった。
部屋数が増えて、一人ひとりが自分の部屋をもつようになリ、テレビやゲームやパソコンやコミックが自分の部屋にあふれるようになった。
家族がどんなことを考えているか、わからなくなった。
個人個人の遊びの時間は増えたが、家族の絆は減っていった。
次第にその「遊びの時間」も縮小していった。
時間、空間、仲間という三つの「間」がなくなった。
学びの時間が増大したので、遊びの時間は減少した。
開発が進みすぎて、子どもたちが自由に遊べる空き地や野山や川原などの空間などがなくなりだした。
たくさんの仲間が集まって、遊ぶことが難しくなった。
3つめの時間は、「学びの時間」。
これが増大した。
有名私立小学校、有名私立中学校、有名私立高校に入るために、子どものころから早期教育が増大してしまった。
「暮らしの時間」と「遊びの時間」を豊かにとりながら、「学びの時間」をつくることが大事なのに、
「暮らしの時間」や「遊びの時間」を削って、「学びの時間」だけをつくったので、
知育は少し豊かになっても、体育も情育も食育もみんなやせ細そってしまった。
この本、ほんとうにおもしろい。
この二冊を読むと、どうしたらいいのか見えてくる。
ぜひ、読んでみてください。
感激しますよ。
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ツケメンといっても、B級グルメの話ではない。
TSUKEMEN(ツケメン)は3人のイケメンによるインストゥルメンタル・ユニット。
彼らのニューアルバム『序奏~プロローグ』を聴いた。
すばらしい出来栄えである。
サンサースやブラームスの曲をモダンに編曲しながら、若者の感性のよさでクラシックを見事に新しい時代によみがえらせ、「ニューシネマ・パラダイス」のような映画音楽を2台のバイオリンと、1台のピアノで奥深く演奏しきっている。
なんといっても、この3人のイケメンたちの才能を感じさせるのは、それぞれがオリジナル曲を発表していること。
これがなかなかいいのである。
Kentaの「ひかり」は、テレビコマーシャルにも使われている。
Tairikuの「不知火(しらぬい)」は、日本人の琴線に触れる美しい深みのある曲想である。
Suguru作曲の「RISING」は、スピーディーで、勢いがあり、こころがうきうきしてしまう。
このイケメンたち、やっぱり目が離せない。
注目していこうと思う。
4月18日、TSUKEMENのライブコンサートが、長野県岡谷市のカノラホールというすてきな大ホールで開かれる。
地元では大騒ぎである。
チケットはまだわずかに残っているという。
これから評判になっていく彼らの、若々しい音楽をぜひ聴いてほしい。
感動、間違いなし。
すばらしい音楽性である。
有名になってから聴くのではなく、発展途上を見出すというのは醍醐味である。
たくさんの人にファンになってもらいたい。
といっても、すでに耳の早いファンはいる。
以前、ぼくがTSUKEMENの話を書いたら、TSUKEMENのファンがたくさん、ぼくのプログをのぞきにきてくれた。
ぜひ、TSUKEMENを聴きに、岡谷へ行こう!
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北海道のサロマ湖(北見市)は、本来2月中旬には全面凍結しているはずなのに、4分の1しか凍結していない。
このため、氷下漁が例年のように行えないという。
本来はスノーモービルを使って網をかける。
カレイは氷の下の暗がりを好むために、凍らなくなればカレイを獲ることができなくなる。
屈斜路湖の御神渡り(おみわたり)も、今年は見られそうもないという。
御神渡りは諏訪湖が有名だが、もちろん諏訪湖の御神渡りも今年はない。
地球の温暖化が、いよいよ激しさを増しているような感じがする。
数年前から、新雪をもとめて世界中のスキーヤーがニセコに集まりだした。
ぼくも新雪をもとめて、ニセコに滑りに行った。
しかし、地元の人たちに聞くと、ニセコも今年は雪不足で、ニセコ特有のほんとうのパウダースノーではないという。
これも、温暖化が影響しているのではないだろうか。
写真は、札幌雪祭り。今年は氷の像も溶け気味?
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集英社から出ている『いいかげんがいい』がまたまた増刷。
なんと6刷、7万3000部を数える。
いろいろな雑誌やラジオで取り上げてもらっているおかげ。
このブログを読んでいる方のなかにも、買ってくださった方がたくさんいるのかも。
感謝、感謝。
自分でも驚くような勢いです。
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日本の中学生たちが、ストリートチルドレンを支援するために、カレンダーをつくって売った。
ストリートチルドレンが描いた12枚の絵に、12人のスポーツマンやタレントたちがコメントをのせている。
ぼくは、ベトナムのストリートチルドレンがかいた絵を選んで、コメントをつけた。
かつてベトナムでは、アメリカ軍が枯葉剤をまいたために、森が枯れてしまった。
森がなくなったために、緑のダムが働かなくなり、水害が多くなった。
その森がふたたび、生き返りはじめている。
ベトナムのストリートチルドレンの絵は、二度と森をつぶすような戦争がないことを望み、水害をなくすためにも木を大切にすることを訴えていた。
先日、小嵐中学校の生徒から「森の感謝状」が届いた。
彩江さんと莉奈さんからの手紙が添えられていた。
日本にいながらも、みんながストリートチルドレンのことを考えたり、環境のことを考えたり、かつてあった戦争のことを考えたりすることが大事なのである。
二度と戦争をしないために。
環境を守るために。
子どもたちのいのちを守っていくために。
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子どもを伸ばすのは、「求めない子育て」。
「求めないことの処方箋」という形で、鎌田流子育て論を書いた。
小学生ママの子育て・教育応援雑誌『edu(エデュー)』(小学館)の4月号。
なかなかおしゃれな本である。
――お母さんが子どものこころを抱きしめる時間が、子どもの生き抜く力を育てる。
がんばらなくてもいい、と子どもに体験させてあげることが大事――。
そんなことが書いてある。
ぜひ、お読みください。
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国はがん治療の拠点病院化をすすめ、救急医療の拠点化もすすめている。
中途半端な拠点化は、地域全体の医療を弱体化し、ほころびを生むことが多い。
やるなら徹底的にやらないとだめ。
兵庫県伊丹市で1月、交通事故で重症を負った69歳の男性が、14病院から受け入れを断られ、約3時間後に出血性ショックで死亡した。
救急車は5分後に、事故現場に到着したのに、である。
皮肉なことに、衝突したパイクに乗っていた29歳の男性は、目の焦点が合っておらず、緊急を要したため、「1人だけなら」と神戸の大学病院に受け入れられた。
69歳の男性は、事故直後、意識がはっきりしており、むしろ軽いと思われたために、14病院から受け入れを拒否され、出血性ショックで死亡した。
救急医療のたらいまわしは、35年前もじつに頻繁に、今以上に起きていた。
当時は、夜間や土日の救急医療を断る病院が多かった。
だが、20年ほど前から多くの病院が救急医療をきちんと受け入れるようになり、救急のたらいまわしは一時期減っていたはずである。
ここへきて、再びたらいまわしが増えだしたのは、病院の拠点化、集中化と関係があるとぼくは思っている。
拠点病院化をすすめると、拠点病院にならなかったところは自分たちの仕事ではないと思うようになってしまう。
もちろん、意識の問題だけではない。
医師はどうしても拠点病院に集中するため、今までどんな患者さんも受け入れようとしていた中小の病院が、医師不足に陥ってしまう。
中小の病院は、今まで最後の受け皿として役割を果たしてきた。
場合によっては、大学病院や専門病院ときちんとやりとりをしながら、自分たちでみれる病気と専門病院にまわす場合とをきちんとジャッジをしていた。
だが、病院の拠点化をすすめることで、弱体化していく。
その半面、拠点病院には患者が集中し、医療はパンクする。
手一杯になり、ちょっとした理由をみつけては患者を断るようになる。
これが、がんの拠点病院でがん難民を生んでいる。
がんの拠点病院は、がん対策基本法で緩和医療を充実させると法律で決められたにもかからず、再発したり進行したがんに関して、あいかわらず冷たい医療が行われている。
拠点病院化をはかるなら、国は、がんの患者さんの治癒率をあげ、助からない患者に対してはどれだけ大切にみているか、事実をきちんとフォローしていく必要があるのではないかと思う。
救急医療においても、患者を断ってはいけないはずのERで、患者の受け入れを拒否するというようなことがないよう、徹底していくしかない。
写真は、札幌で見た夜明け。日本の医療にも再びあたたかい日差しはさすのか。
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先日、ぼくの住んでいるまちで、今年いちばんの大雪が降りました。
本来のこの地域の粉雪とは違って、ちょっと重い、雨まじりの雪。
上雪(かみゆき)とこのへんではいいます。
春が来る直前に、南信州のほうに大雪を降らします。
この雪が解けると、春が一歩一歩近づいてきます。
春はもうすぐです。
スキー大好き人間のぼくは、うれしい気分と、悲しい気分があい半ばしています。
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作家の村上春樹が、イスラエルの最高文学賞、エルサレム賞を受けた。
その授賞式で、イスラエルのガザ攻撃を批判した。
なかなか勇気のいることである。
権力者は暴力で、他を圧倒しながら、ときには詩や文学や映画を大事にしたりする。
ナチスもそうであった。
そのイカサマに負けない勇気が必要なのである。
つねに権力に対して毅然とした姿勢を守り続け、権力の自由にさせないこと、横暴を許さないことが大切だ。
当然、不愉快に思ったイスラエル国民は多いと思うが、みんなが沈黙をしないことである。
テレビで見ているかぎり、何人かの人が立ち上がって拍手をしていた。
正しいことをきちんと言い続けること。
村上春樹、えらい。
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今から15年ほど前、ぼくは雪がしんしんと降りつもる雪明りのなかを、時代遅れのキャバレー現代に向かった。
迷宮をさまようようなデタラメな風が、小樽のまちの小路から小路へ雪をともなって吹きつける。
はじめて入ったときから、妙になつかしい気持ちにさせてくれる。
昔のロマンがいっぱいただようキャバレー。
アンティークなムードの静谷通りのなかでも、異様な門構えが広がる。
鉄の門扉は白いペンキで塗られ、立派な庭木があり、明治時代の医院のようなたたずまい。
1948年から、キャバレー現代はあった。
『それでもやっぱりがんばらない』に、人を切り捨てない、キャバレー現代のことを書いた。
やさしさがあふれているキャバレー。
60歳代のホステスが生き生きと働いていた。
生バンドのバンドマンたちも初老の男たちだった。
この数年後、キャバレー現代は幕を閉じた。
一本の電話が鳴った。
『それでもやっぱりがんばらない』を読んだという読者からであった。
キャバレー現代の元オーナーからであった。
今は、杉の目という郷土料理亭のオーナーをしていた。
ぼくは、札幌にある杉の目を訪ねた。
昔、質屋だった建物を買い取り、石造りの蔵を中心にしたしゃれたたたずまいだ。
二代目の息子さんとお嫁さんから、キャバレー現代のオーナーだった初代の生き方をたっぷりうかがった。
初代のオヤジさんの人生は、なかなか壮観である。
小学校しか出ていない男が、波にのって、最大17店舗の店をもつような成功を納めていく。
お汁粉屋から、ニシン御殿の屋敷をキャバレーにして、進駐軍や貿易に携わる人たちの社交場にしていった。
それが、あのあたたかいキャバレー現代だった。
そのあたたかさは、二代目にも受け継がれている。
開業当時から会計をしていたおばさんが、いまは90歳代になり、認知症が出てきた今もひきとって面倒をみているという。
あたたかい。
あたたかいということは、ぼくたちが生きていくときの原点となるはず。
こんな厳しい時代だから、人をあたたかくすることなんてできないと思わずに、こんな厳しい時代だからこそ、人をあたたかくすることが大事なんだ。
いつか、このキャバレー現代のオーナーのことを小説に書きたいと思っている。
それから、ぼくの最も力を入れた作品の一つ『それでもやっぱりがんばらない』のキャバレー現代のところを、ぜひ読んでもらいたいと思う。
集英社から文庫でも出ている。
上の写真は、キャバレー現代があり、かつて社交場として賑わいをみせていた建物。下の写真は杉の目さんの石造りのお店。どちらも時代のあたたかさを感じる。
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――冬が近くなるとぼくはその懐かしい国のことを考えて、
深い感動にとらえられている。
そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある――。
『蟹工船』で知られる、小林多喜二は小樽への熱い思いをこう書いている。
貿易港として、ニシン漁の基地として繁栄した小樽。
しかし、その後、小樽は斜陽へと向かっていく。
美しい運河の風景。
氷のランタンのなかに、ろうそくの火が揺らいでいる。
北一ガラスでは、ちょうどピアノの生演奏が行われていた。
昔、酒蔵だった石造りの洋館で、なかなか音もよい。
ランプの灯りで、雰囲気も抜群だった。
小樽の喫茶店海猫屋は、磯野商店のレンガ造りの3階建て倉庫を、喫茶店にした趣のあるお店。
小林多喜二の小説のモデルにもなった。
なかも幻想的で、すてきである。
寒さが身にしみ、やはり古い喫茶店、さかい家でもコーヒーブレイク。
運河は、夕闇がよく似合う。
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『がんばらなくてもいい 自由にのびのび生きるヒント』(本多信一著、こう書房)。
ぼくが9年前に書いた『がんばらない』(集英社)をもじったような本が出た。
タイトルだけではない。
ぼくの『がんばらない』『あきらめない』『それでもやっぱりがんばらない』などに似ているなと思うようなところが、随所に出てくる。
たとえば、「諦める」は「明らめる」だとか。
ずいぶんパクっているなと思いながら、読んでいくうちに気が付いた。
本多さんは、老子の思想から、がんばらなくてもいいという発想を生み出しているようである。
ぼくは、ぼく自身が悩んだり、いろいろな人とのかかわりのなかでたどり着いたものが、老子のタオイズムと共通するものだった。
大きな老子の道を、本多さんは意識のなかで説いているのに対して、
ぼくは、老子の道的なことを、無意識に説いてきたことになる。
本多さんは自分に向き合いながら、老子を学んだ。
鎌田は自分に向き合いながら、老子は学ばなかったが、老子的なものに近づいたということだろう。
信州のタオイスト、加島祥造さんと対談をしたとき、「鎌田さんの言っていることは、孔子の儒教ではなく、老子の道と同じだよ」と言われた。
キーワードは、タオイズム、無為。
本多さんの『がんばらなくてもいい』という本も、鎌田の『がんばらない』からはじまり『いいかげんがいい』までの本も、息苦しい今という時代を、やらわかに生き抜くヒントになるように思う。
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『死なないでいる理由』(鷲田清一著、角川文庫)のなかに、こんなことが書かれている。
「人が生まれるのも病むのも死ぬのもみな単体の身体に起こる出来事であるかのように考 えられ、またそのようなものとして処置されるが、本当は誕生も病も死もみな人の間で起こる出来事であるということ、これがいのちについて考える基本であると思う」
この本には、幸福論も語られている。
「幸福はひょっとすれぱおっぱいのようなものかもしれない。『帰っておいで』といっているのに帰れないところ。見えているのに、(あるいは見えるようになったから)、つかめないものなのだ。だから、もっともっと夢みなければならない。不幸がユーモアになるまで、幻想になるまで。幸福論は不幸の忘却であってはならないし、ありえもしない」
臨床哲学者、鷲田清一の文章は大好き。
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「医療崩壊をどう防ぐか」
こんなタイトルで、国保の病院や診療所のドクターたちの勉強会が行われた。
ぼくはこの学術部会の委員長をしていて、2日間の研修のプログラムをつくった。
いちばんのメインは、兵庫県の丹波地域にある県立柏原病院の小児科医、和久祥三先生(写真=左)と地元の丹波新聞の足立智和記者(写真=右)がキーパーソンとなり、町に革命が起きていく“物語”だ。
丹波地域の病院には、小児科医が7人いた。
一病院は小児科が閉鎖となり、ほかの二病院も、1人ずつとなった。
それでも何とか、輪番制をひいて、燃え尽きるのを防いでいたが、ついにこらえられなくなり、和久医師も辞めることを決意する。
そのことを足立記者が、新聞に書き始めた。
新聞を読んで、はじめて地元の小児科医の窮状を知ったお母さんたちは、自分たちが夜間、次々に救急外来をコンビニ受診していたことに気がついた。
そして、県立柏原病院の小児科を守る会を立ち上げた。
病院が閉鎖しないように呼びかけて署名運動を行った。
署名は5万5000人集まり、県知事に届けた。
こうして、医師会も変わる。
守る会だけでなく、いくつも新しい会ができ、丹波医療再生ネットワークが立ちあがった。
住民のパワーに、専門家たちも、理解を示しはじめる。
守る会は、ただの圧力団体になるのではなく、患者自らの意識を変えるために、三つのスローガンをつくった。
「コンビに受診を控えよう」
「かかりつけ医をもとう」
「お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう」
特に三つめは、医師にとって、とても大きな力になった。
和久医師自身がこんなことを言っている。
「患者さんのクレームと聞くと、どうせ話をしても理解してもらえない。わずらわしい。もう人とかかわりたくないと思っていた」
もうこころは冷えきっていたのである。
しかし、子どもたちやお母さんたちから「ありがとう」のメッセージを何度も聞かされているうちに、何かが変わった。
こころがだんだんあたたかくなっていき、辞めるのをやめた。
すると不思議なことが起こった。
病院に、次々に小児科医たちが集まってきた。
小児科医は、いまだかつてない5人になった。
県立柏原病院の小児科での問題は、解決されつつある。
しかし、43人いた医師は現在、全体で19人。
小児科の問題は奇跡的に改善しているが、病院全体としては依然としてたいへんな状況だ。
12あった診療科が次々と閉鎖されて、5つになるという。
303床あったが、現在146床に削減されている。
まだまだ地域医療の現場は厳しい。
その厳しさを伝え、住民と一緒になって、住民がその地域に理解を示すと、そこにあたたかな血が通う。
あたたかな血が通ったところには、あたたかな医師が集まってくるのではないかと思う。
小泉元首相の時代から、医療費抑制政策が厳しくなった。
3回の医療費改定で、6.9%の医療費の削減をし、毎年2千200億円の社会保障費の抑制もかけた。
その結果、地域の医療は崩壊しはじめているのである。
国の土台が壊れようとしているのである。
こんな間違った国づくりは、ない。
もう一度、国の土台をつくりなおさなければいけない。
教育や子育て支援や医療や福祉を充実させることが、この国にとってもっとも必要なことであり、そして、安心できる国づくりをした後、国民に自分のもっている貯金を少しでも使ってもらう。
この国の再生も、経済の再生も、医療の再生も、ここからはじまるのではないだろうか。
医療崩壊を防ぐ方法はまだまだある。
そう信じて、闘っていかなければいけない。
『小児救急』(鈴木敦秋著、講談社文庫)、『医療崩壊はこうすれば防げる』(本田宏編著、洋泉社)の本の中に、ぼくが国診協の地域包括ケア研修会のシンポジウムにお呼びした、和久祥三先生のことが書かれている。
あたたかな小児科医だ。
彼は、柏原病院を辞めかかったけれど、市民とつながることによって、もう一度、あたたかなこころを取り戻し、地域とつながりながら、いまは、地域医療がおもしろくなったとぼくに言ってくれた。
参考にどうぞ、お読みください。
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G7の記者会見中、居眠りをしたり、ロレツが回らなくなったり、日銀の現在の政策金利をきちんといえなかったり、恥ずかしいことである。
アルコール多飲者である。
この人と一緒にしては申し訳ないので、あえてアルコール依存症とはいわない。
アルコール依存症の人に失礼だからだ。
単なる麻生君の酒飲み友だちを財務相兼、金融担当相にしたことが大きな間違いであった。
麻生さんは、はじめはすぐに選挙をするつもりだった。
だから、大臣はだれでもよかった。
この国をよく治めようとするための大臣の布陣ではなかったのだ。
自分が首相になるのに世話になったお友だちたちを、大臣にすえたにすぎないのである。
だが、自民党が行った世論調査で、就任直後も、自民党の低迷が予想されたため、選挙がやれなくなった。
こんな布陣の大臣でやらざるをえない麻生内閣は、なかなか国の舵取りができない。
当たり前である。
手遅れなアドバイスではあるが、中川さんは、大臣をやっている間は酒を止めたほうがいいと思う。
国会の答弁でも、二十数カ所も、原稿の読み間違えをして、訂正を申し出る一幕もあった。
なんとも教養のない、きちんとした国家観のない首相と大臣であろうか。
恥ずかしい。
クリントン国務長官が来日した。
皇居に行かれたり、麻生総理大臣と会い、外務大臣と会い、明治神宮へ参り、拉致被害者家族と会い、その間、インタビューにも応じ、一日を分刻みで動いた。
しかも、それを世界中のメディアが追いかけ、日本とアメリカの深い仲をアピールし、なおかつ日本の首相を世界ではじめてオバマのホワイトハウスへ招待するという話し合いをつけた。
猛烈な仕事ぶりだ。
その同じ日、中川財務相が辞意を表明した。
あえて呼び捨てにするが、中川とか、麻生とかは、結局、政治屋でしかないことがよくわかる。
中心的な存在にならないときは、適当にうまいことを言って、批判したり、おちょくったりして、気の利いた話をするが、結局、彼らがやっていることは、うまいものを食って、うまい酒を飲んで、いい生活をしているだけである。
政治屋なのである。
クリントンは命がけで、アメリカの国益を守るために全力投球している。
政治家と政治屋の違いが、明確になったような気がする。
そういう意味では、自民党には、どうも政治屋としか思えない人があまりにも多く、あとは小泉チルドレンのような、アマチュアのどうしようもない無能の集合である。
さりとて、民主党にすぐれた人材がいるかというと、残念なことに見当たらない。
日本の政治状況は、悲惨である。
日本の政治を立て直すには、二大政党にして、官僚を中心とした国家から、政治が中心の日本へと変えていくことである。
そのためには、10年くらいのスパンで、政治家のクオリティーをあげて、日本のリーダーシップをきちんととれるようにすることだ。
政治家の二代目や三代目は、職業選択の自由があるから、政治家になってはいけないわけではないが、親族の地盤をそっくり受け継ぐのはよくない。
親族から親族へと、地盤を譲り渡すようなことは法律でしばるべきで、二代目、三代目が政治家になるときは、違う地盤から出るという前提をつくるべきである。
そうすることによって、少しは日本の政治は再生することができるだろう。
2カ月ほど前のブログでも発表したが、参議院をつぶして、国会議員の数を3分の1に減らす。
そして、すぐれた政治家がきちんと議論をしながら、二大政党で意見を闘わすというスタイルにしていくことが大事だと思う。
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前橋は、とんかつ、ソースかつ丼、豚丼など、豚の料理を出しているレストランが多い。
「とんとんのまち まえばし」というキャンペーンもあるほど。
そこで、豚のステーキを食べた。
たいへんおいしかった。
ステーキは、牛だと決めつけなくてもいいかな、という感じがした。
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高校の同級生、池田香代子さんから送っていただいた『完訳グリム童話集』(グリム兄弟著、池田香代子翻訳、講談社文芸文庫)を読んだ。
全3巻である。
なんとなく子どものころに読んだ話をもう一回、確認のために読んでいると、新しい発見がある。
「ヘンゼルとグレーテル」なんかは、ずいぶん自分の記憶と違っていた。
「赤ずきん」「ブレーメンの音楽隊」「親指小僧」「白雪姫」・・・となじみ深いものが多い。
おもしろいのは、「シンデレラ」という話が「灰まみれ」であったり、「眠り姫」は「いばら姫」であったり。
200年前にグリム兄弟が集めた昔話を、ぼくたち日本人はじつによく読んでいたんだなと思う。
メルヘンという形で、新しい時代のあり方が上手に語られている。
誠実に生きることとか、家庭の営みの大切さだとか、能力がなくても何かをもっていると幸せをつかめるとか、ナポレオンに支配されたドイツ語をつかう地域で、どんな昔話がつくられ大事に語り継がれてきたかがわかる。
第2巻の「いばらのなかのユダヤ人」などは、ヨーロッパの社会がユダヤ人に対してどんな視線を向けていたのかが見えてくる。
童話集に出てくるユダヤ人像は、ガザを攻撃し、たくさんのパレスチナの子どもたちを傷つけ殺していくユダヤ人たちの姿とダブってしまう。
いや、すべてのユダヤ人がこうではなかったはず。
20世紀、ナチスに痛めつけられたユダヤ人に、世界はシンパサイズした。
ユダヤ人はだから困ったものだと、後ろ指を指されずに生きていけるはずだし、生きていってほしいと思う。
ユダヤ人は、こういう民族だというレッテルをはがしてあげたい。
苦難のなかを生きてきたユダヤ人の歴史はよくわかる。
しかし、ガザでのようなことをしてはいけないのである。
ユダヤ人よ、目覚めてほしい。
グリムのメルヘンを読みながら、そう思った。
ぜひ、ご一読を。
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ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読み直している。
「神は人間のつくった妄想」
「神は死んだ」
19世紀の末に、こんなことをいった男がいた。
やっぱり天才だとは思う。
人間は生きなければならない。
なんのために、ではなく、いかに生きるかを、自分自身で選ばなくてはならない。
『ツァラトゥストラ』は、4部構成になっている。
それぞれの部を10日間くらいで書いたという。
何かがのりうつっているような状態が起きたのだろう。
そういう意味では神経の病をもっていたのだろうな、と思う。
ツァラトゥストラはこう語った。
「自由な死。己の生を完成して生を去り、よき使命を時代へ引き継ぎたい。それが真の生だ」
うまいことを言うなと思う。
「多くのものは死ぬのが遅すぎる。また、あるものたちは死ぬのが早すぎる。時にかなって死ね」
ツァラトゥストラはこう語った。
「時にかなって死ね。もちろん、時にかなって生きなかったものが、どうして時にかなって死ぬことができよう」
ここまではいいのであるが、このあと、こう続く。
「そういうものは生まれてこないほうがよかった。私は無用のものたちにそう説く」
超人思想も、展開する。
第1部で神を否定するだけではなく、いままでの道徳や理想を捨て、新しい道徳や理想を打ち立てること考える。
そして、第2部では権力への意志についても触れていく。
このへんが危なっかいしところである。
ニーチェの思想は、ファシズムに利用さたれのではないかという批判がある。
第3部では、永遠回帰という言葉が語られる。
死んでもまた生まれてきて、同じ繰り返しがされていく。
おもちゃの水車を動かし続けるハツカネズミのような命を人間は生きている、とニーチェは言いたいのだろう。
19世紀のヨーロッパのニヒリズムを否定しながら、新しいニヒリズムを生み出しているような、落とし穴にはまりそうになる。
やっぱりニーチェは難しい。
死を言い切ったすごさはある。
その切った刀で、本当はかくあるべきとか、善とか、理想とか、というものにも容赦なく切り込んでいる。
20世紀思想のジャイアンツといわれるだけはある。
だが、ニーチェの頭のなかは、まだら状であったような気がしてならない。
圧倒的に天才の部分はあるが、10%くらいのところに、病んだこころを感じずにはいられない。
難解である。
読み直しても、読み直しても、やっぱり、難解である。
また10年後に挑戦したいと思う。
写真は、先日訪れた札幌の雪祭り
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シェ・ルネというフランス料理店に行った。
新橋演舞場のはす前の、ちょっとわかりにくい場所にあるが、
パリのア・ラ・クポールで外国人初のシェフとなった、モンパルナスでも有名なレストラン。
開高健は、ここのシェフである細谷さんを、ムッシュ、ムッシュと呼び、アラスカに釣りにつれていったり、ずいぶん気に入っていたようだ。
亡くなる最後のときも、ムッシュは開高健に、シャンピニオンモールというきのこを用意して待っていた。
開高健は、きのこが好きだったようである。
そのシャンピニオンモールを、結局、開高健は食べられなかった。
今年の秋には、フランスからシャンピニオンモールを手に入れて、ぼくになんとか食べさせてくれるという。
先日は、世話になっている集英社の編集者や、宣伝担当など、縁の下の力持ちで働いてくれた人たち総勢27人をここにお招きして、おいしいものを食べてもらった。
メニューは、これも開高健が大好きだった「バケツでムール貝」。
そのあとに、オマールエビ。
フランス料理なのに、こはだの酢漬け。
なんともダイナミックなシェ・ルネのフランス料理だった。
この店は、食堂みたいな雰囲気で堅苦しさがない。
ナイフの音がしても、大きな声でおしゃべりをしても、肩身の狭くならない、隠れ家のようなお店だ。
ぼくらが訪ねた五日後には、菅原文太さんも小さなパーティーを開くという。
ぼくがご紹介したのだが、文太さんは気に入って、ぼくよりも足しげく通うようになったそう。
今年の秋は、シャンピニオンモールが楽しみ!
写真は、大量のムール貝の下準備をしているところ
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札幌で開かれた、グループホーム協会の設立記念講演会で講演をした。
講演会のあとは、一灯庵というお店で、野菜のスープカレー(→)と、カマンベールがまるごと一個入ったスープカレー(←)を食べた。
京都に本店のあるイノダコーヒーが、札幌にもあった。
ぼくはイノダのコーヒーが大好きで、取り寄せて、いつもうちで飲んでいる。
なじみの味だが、お店で飲むコーヒーはいちだんと味わい深い。
とくにカレーのあとのコーヒーは、定番のようにおいしい。
翌日、新雪を滑りにニセコへ。
昨年は還暦の自分へのごほうびに、スイスのツェルマットで、一日60キロを滑る体育会系のようなスキーをしてきた。
今年は、「鎌田實のがんばらないスクワット」の効果を確認するため、ニセコで滑りまくっている。
ニセコは、新雪たっぷりで、楽しいスキー場である。
蝦夷富士と呼ばれている羊蹄山が、遠くに見える。
ひらふの樹氷は、森林限界の地点。
これ以上、上は木が生えない。
厳しくて、美しい。
4分の1くらいは外国人という、国際的なスキー場である。
オーストラリア人が多いと聞いていたが、実際のところは北欧やフランスやドイツ、ロシアからもお客さんが来ているという。
円高だから、海外からの旅行客には逆風だ。
日本に1年で1000万人の旅行客を迎えようと目標をたて、ビジット・ジャパン・キャンペーンを展開しているが、
今のところ、年間850万人くらいで足踏みをしている。
だが、よく考えれば、日本も円安だったころ、不利を承知で、世界中を旅行をしていた。
円高だからちょっと懐は痛いけれど、いい観光や、いいスキー場、いいホスピタリティーがあれば、必ず旅行者は来る。
新雪をたっぷり楽しめるというのは、北海道のスキー場の大きな目玉になっている。
ルスツのスキー場では、中国や台湾や韓国のスキーヤーたちがたくさん来ているのを見た。
あとは、みんなが、外国からのお客さんに、もっともっといいホスピタリティーを示すことが大切だと思う。
今年は不景気のなかで、ニセコや八方尾根は健闘しているという話を聞いた。
外国人のお客さんを大事にしていることも関係しているのではないだろうか。
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『森林の崩壊 国土をめぐる負の連鎖』(白井裕子著、新潮新書)
『ラムズフェルト イラク戦争の国防長官』(アンドリュー・コバーン著、緑風 出版)を読むと、ラムズフェルドという男とブッシュ政権がよくみえてくる。
アメリカの政治や外交政策が大企業や経済界の利権に左右されて動いてきたかがみえてくる。
『大貧困社会』(駒村康平著、角川SCC新書)
『間違いだらけの経済政策』(榊原英資著、日経プレミアシリーズ新書)
『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著、講談社現代新書)
夜明けの4時くらいから、ブラダン・コチのチェロを聞きながら、熱々のコーヒーを飲み、本をむさぼり読んでいる。
本も、映画も、音楽も、芝居も、コーヒーも、大好き。
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毎年4万人が新たに乳がんになり、1万2000人が乳がんで亡くなっている。
日本での乳がんの発症率は、女性18人に1人。
アメリカでは、すでに8人に1人といわれている。
食の欧米化とともに、日本人の乳がんが著増していることを考えると、なんとかしていかなければいけない。
そのためには、まず乳がん検診を受けることが大事である。
乳がんは、検診の受診率を50%に上げると死亡率を大きく減らすことができるといわれている。
だが、日本の乳がん検診の受診率は22~23%しかない。
アメリカではがん撲滅宣言をした1970年代に、20兆円のお金が投じられた。
日本ではがん対策基本法ができても、関連予算も含め、がんに対する対策費は500億円くらい。
お金のかけ方が決定的に違う。
ただ、アメリカではがん撲滅をねらって、20兆円をかけたが、結局、がんは撲滅できていないという限界も悟ったということである。
がんという病気は、そういう病気。
だから、できるだけ早期発見をすることが重要になる。
そして、すべてが治るとは思わないこと。
治らないがんでも、上手につき合うことが大事なのである。
がんが再発すると、きちんと診てもらえないなんてことは、なんとも納得のできないことである。
がん難民が生じない国にしていかなければならない。
貧弱な日本のがん対策。
第一歩は、乳がん検診を受診することだ。
写真は、早朝のスキー場。
朝7時から、富士見パノラマスキー場の4キロのダウンヒルを5本滑った。
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2月の八ケ岳―。
今年は暖冬で、雪かきをするほどの雪はまだ一回しかない。
2月なのに、小春日和。
地球の温暖化はかなり、危ないところまで進んでいるような気がする。
先日、常会の新年会があり、副常会長として手伝いをした。
妻は組長。
ぼくは、副常会長。
地域の人とつながっていることの大切さを学んでいる。
正直にいうと、半分いやいやなのだが、
辞めないで続けていくこと、つながっていることが大事なんだと思う。
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~~それぞれの応援~~
「マリソル」という女性誌で、ニュースキャスターの安藤優子さんと対談した。
安藤さんの連載「私の人生の師匠たち」のコーナーに招かれたのだ。
なんと、カマタが、人生の師匠の一人にされてしまった。
安藤さんは、『がんばらない』から『いいかげんがいい』まで、ほとんどぼくの本を読んでいてくれる鎌田マニアだということがわかった。
対談の内容は、おもしろい。
丁々発止である。
そのなかで、ぼくは、最近、注文したスーツのことを話した。
はじめて、寸法をはかってもらって注文した。
えりが立っているような変わったスーツである。
経済状況が厳しいなかで、まちの洋服屋さんもたいへんな状況にある。
以前から、市内にあるまるもという洋服屋さんに、いろいろアドバイスをもらって、出来合いのブレザーやコートを買っていたが、
商店街がみんなピンチと聞いて、完全なテーラーメイドではないが、セミテーラーメイドという方法でスーツを作ったのだ。
経済を動かすためには、みんなができる範囲でお金を使うことが大切。
洋服を買ったり、お化粧品を買ったり・・・。
自動車を買う予定があった人は今こそ、買うときである。
それがこの国を守り、経済を後押しする大事なきっかけになる。
こころを萎縮させないこと。
こころの萎縮の連鎖をおこさないことが大事である。
ぜひ、月刊誌「マリソル」の3月号をみてほしい。
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医療や看護や介護で働いている人へ、100のメッセージを書いた。
副題は、命を支える人たちへ。
職場でみんなで一緒に買ったり、新入社員に配っている職場もあるという。
授業に使っている看護学校もある。
看護師や介護士がポケットに入れて、ちょっと疲れたときにパラパラと読んだりすることができる本である。
1万冊が売り切れて、増刷が決まった。
本屋さんには置いていないので、PHP出版へ申し込んでもらうしかない。
手に入りにくい本、迷惑な売り方をして申し訳ありません。
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~~麻生さん、国民に安心感を与えよう~~
主要先進国17カ国の民間調査機関が行った国際調査で、世界的な金融危機を受け、もっとも経済の先行きに悲観的なのは日本であることがわかった。
「今後3カ月間で、経済が良くなる」と答えた日本人はわずか2%。
反対に「悪くなる」が70%に達している。
金融危機の張本人であるアメリカでも「悪くなる」は、46%である。
日本人は、「今後1年間の収入が減る」が45%。
銀行と株式市場の安定度についても、日本は17カ国中、4番目に低い評価をしている。
すべてにわたって悲観的な結果がでた。
麻生さんは、75兆円の経済対策を発表している。
だが、国民のこころを揺さぶっていないので、国民はその気になることができない。
調査の悲観的な結果は、それをよく物語っている。
国民のこころをもっとあたためないと、だめ。
麻生さん、漢字は読めなくてもいいので、国民のこころを読んでほしい。
国民は、日本のリーダーにこころをあたためてもらいたいのである。
どういう国をつくろうとしているのか、見えてこないことに、まず問題がある。
今回の経済対策は、GDPでは諸外国のなかで最大規模になると、いくら胸を張っても、
どんな国をつくるために、75兆円をこう使うということを明確に示していなければ、国民は安心できない。
麻生さん、国民をぜひ安心させてほしいと思う。
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007シリーズの、22本目の映画である。
何十年か昔、ショーン・コネリーがボンドを演じた時代に、2本ほどみたことがある。
本当は「エレジー」をみたいと思ったが、時間が合わないことと、新宿から渋谷へ行く元気がなかった。
上映時間ぴったりなものならなんでもいいや、ということで「007/慰めの報酬」をみた。
失敗だった。
迫力があってスリルに富んでいて、ひきつけられるのだけれど、ストーリーがやっぱりチャチだなと思った。
だが、前作の「007/カジノロワイヤル」からボンドを演じているダニエル・クレイグがかっこいい。
若かりしころのスティーブ・マックイーンのような感じがした。
ボンドガールのオルガ・キュリレンコというウクライナ生まれの女優もなんとも魅力的だった。
この2人の俳優を見る価値はあった。
劇場は超満員。
わずかな席しか空いていなかった。
ぼくのあとの回も、ほとんど満員だった。
こういう映画が、映画館をいっぱいにしているんですね。
なんかちょっと悲しい。
ぼくが行った新宿のシネコンでは、「チェ 39歳別れの手紙」は12時からの上映たった。
この映画をかける劇場もそれほど多くはないし、上映回数も少ない。
少し前、ぼくは一作目の「チェ 28歳の革命」を、デル・トロという役者の魅力はあるが、ちょっと失敗作だと批判した。
一作目がもっとおもしろかったら、二作目ももっと多く上映されたのではないか。
ソダーバーグ監督の映画の作り方は、趣味的というか、エキセントリックというか、映画青年にはこたえられないようなおもしろい作りになっている。
だが、ふつうの映画を期待する人には、少々つらい映画になってしまった。
こんな時代だから、この映画をたくさんの人にみてもらいたかったと思う。
ソダーバーグ、ちょっと頭でっかちに映画をつくってしまった。
残念!
ぼくはまだ「39歳別れの手紙」をみていない。
「28歳の革命」から推測して、なかなか足が向かない。
もしかしたら、この映画は、2本いっぺんにみてしまうと満足感が高いのかしれない。
2本を一本に編集して、3時間くらいでいっぺんに見せるという手もあったと思う。
残念!!
ゲバラは、革命の戦場でも、トルストイやドストエフスキーを読んでいたという。
医者で革命家。
キューバで大臣の地位にあったときも、休日は重労働のボランティアに出て、汗をかいたという。
かっこいい男である。
彼の言葉。
「酒は飲まない。タバコは吸う。女を好きにならないくらいなら、男をやめる。
だからといって、あるいはどんな理由であっても、革命家としての任務を最後までまっとうできないならば、ぼくは革命家であることをやめる」
かっこいいですね。
「愛のない本物の革命家なんて考えられない」
いい言葉である。
愛のない本物の政治家なんて考えられない。
愛のない本物の経営者なんて考えられない。
いまこそ、政治にも、経済にも、病院づくりにも、地域づくりにも、愛が必要なのかもしれない。
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~~ビジット・ジャパン・キャンペーン~~
2010年までに外国人旅行者を1000万人にしようとビジット・ジャパン・キャンペーンが展開されている。
08年では、年間約835万人の外国人旅行者が日本に来てくれた。
03年には521万人だったから、着実に目標に向かって増えているが、もっと拍車をかける必要がある。
ぼくが住んでいる茅野市も、中国や台湾からの団体旅行者が多い。
誘客活動の成果だと思う。
ちょっと心配なのは、日本人のホスピタリティーだ。
とくに中国や韓国や台湾というアジアのゲストに対して、日本人はきちんとホスピタリティーをもって迎えているだろうか。
旅館やホテルは、生活がかかっているので、丁寧におもてなしをすると思うが、一般の人たちは、自分自身もふくめて、何かよそよそしい。
日本人のシャイなところが、コミュニケーションを邪魔している。
言葉の問題ではない。
何かその場にある空気というか、ぼくたちの目があまり彼らを歓待していないような気がするのである。
異文化の人たちだって、その感じはわかるのではないだろうか。
観光資源は、京都や奈良や各地に有名なお寺があり、温泉があり、自然あふれる景観があり、スキー場やゴルフ場がある。
どの国にも負けない観光資源があるわりには、外国からのお客さまが少ないのは、ぼくたちが持っている外国のお客さまへの空気が関係していないだろうか。
ヨーロッパやアメリカの人にはちょっとあたたかな気がするが、より強い絆を結ばなくてはいけないアジアの人たちに対しての空気は、もっとあたたかなものに変えていく必要がある。
観光立国を目指すならば、日本全体が外国から来るお客さんに対して、日本人が本来がもっているおもてなしのこころを発揮すべきだと思う。
写真は、特急しなのの車内。一車両に1人しか乗客がいないというのも、ちょっとさびしい。
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イラクの小児がんの子どもたちを支援しようと、ピースボートがバレンタインデーの日に、チャリティ・サッカー大会を開く。
日本のサッカー少年たちに、同年代のイラクの子どもたちのことをちょっと考えるきっかけにしてほしい、と企画されたようだ。
会場は、新宿区四谷の「四谷ひろば」。
JIM-NETの義理チョコ募金や、イラクの子どもたちの絵やメッセージの展示、サッカー用品の支援受付なども行う。
サッカーの好きな人は、ぜひ、どうぞ!
詳しくは、ピースボートのホームページをご覧ください。
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イラクの病気の子どもたちを支援するチョコレートは、おかげさまでバレンタインデーを前にして完売。
本当にありがとうございました。
そのチョコレートに添えた、イラクの子どもたちの絵画展が東京の2会場で開かれています。
ハウラちゃんの花の絵を、難民キャンプのテントに転写したものも見ものです。
ぜひ、足をお運びください!
★町田展 ギャラリーカフェアルル。
明日2月9日まで
※チョコ募金は終了しました
★日比谷展 ギャラリー日比谷
2月13日~18日
※チョコ募金もあります。チョコレートを買えなかった方は、ぜひ、どうぞ!
詳しくは、JIM-NETのホームページをご覧ください。
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新宿の通称しょんべん横丁にある若月というラーメン屋さん。
ここのラードたっぷりでいためた焼きそば=写真。
学生時代は、よくここで大盛焼きそばを食べた。
20年ぶりくらいである。
ここの焼きそば、下品だけれど、実にうまい。
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地元の焼肉屋「横綱」に行った。
野菜サラダとカクテキとキムチとオイキムチ。
野菜をたっぷりとっている。
お肉はちょっとだけ。
このところ、ご飯断ちもしている。
おいしいものを食べ過ぎてしまったら、次の日は、ちょっとだけ食事に気をつけて、数日単位で帳尻を合わせればOK。
ダイエットは、挫折しないことが大事。
カマタ流ダイエットは、“いいかげん”で、長続きする。
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~~流民をつくるな~~
派遣切りが行われ、行き場がなくなって、ふるさとにも帰れない若者たちが続出している。
「住所不定」にしないであげる方法を考えるべき。
デフレで人や社会が豊かになれるわけがない。
給料が下がって、ものの値段がもっと下がれば、差引勘定、生活がしやすくなるという考えもある。
反対に、給料が上がって、物価がもっと上がれば、個人の収入は減る。
だが、少しつらいけれど、物価が上がり、軽いインフレが起きているほうが、社会はまっとうになる。
雇用を生み出し、流民を減らすことができるからである。
インフレを起こすためには、日銀の発行する貨幣だけでなく、政府も貨幣を発行するのも方法だ。
政府の発行したお金を、国民に20万円ずつくらい配って、みんなに使ってもらえば、インフレは起こる。
と同時に、こういう邪道に走れば、円は下がる。
下がっていい。
少し円安にもちこむことができるからだ。
いまドルは、ドル高の虚像がつくられていたが、化けの皮がはがれていくたびに、ドルは評価が下がり、安くなっている。
ドルが安くなれば、円は本来の力以上に円高にもちこまれていく。
その円高を防ぐためにも、政府の貨幣の発行などの方法で、少しだけインフレにもちこむことが大事なことだと思う。
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新宿歌舞伎町の入り口にあるすずやは、昭和20年代からある老舗とんかつ屋である。
昔、何回かここのとんかつを食べたことがあったが、うわさに聞いていて食べていないのが、とんかつ茶漬けだった。
とんかつを半分ほど食べて、残りはごはんの上にキャベツとともにのせ、わさびをつけてお茶漬けにする。
わさびととんかつはけっこう合う。
しかし、どうももう一度食べたいという気にはなれなかった。
やっぱり、とんかつはキャベツいっぱいにソースをかけた、ソースとんかつがうまい。
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おかげさまで、チョコレートは売り切れ御礼。
3月13日のブラダン・コチのコンサートの特別席も、完売です。
たくさんの人のあたたかな応援、ほんとうに感謝いたします。
いのちや平和、環境について関心のある方は、「千羽鶴」の映画会と鎌田實の講演会にぜひお越しください。
サダコは、被爆によって白血病になった少女。
千羽の鶴を折ろうとして、六百羽を折ったところで命が尽きました。
広島の平和公園にサダコのブロンズ像があります。
鎌田は、「いのち、環境、平和を語る」というテーマで講演します。
日時は、2月22日午後2時~4時。
東京都文京区の文京学院大学本郷キャンパス 仁愛ホールで開かれます。
ホールは、文京学院大学のご厚意で無料で貸していただきます。
参加は、無料。
ご参加をお待ちしています。
詳しくは、こちらへ。
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~~空気を壊すな~~
大阪の釜ケ崎にある子どもの里では、毎週土曜、おにぎりとみそ汁と毛布を持って、町のなかを歩くという。
80人ほどの子どもたちが、5つほどのグループに分かれて、野宿している人たちに声をかけてあるくのだ。
夜まわりは、夜の8時から2時間ほど。
寒空の下、子どもたちも、よくやっている。
子どもたちは、釜ケ崎に流れてきた人たちの人生の話を聞く。
なぜ、どんな事情で、釜ケ崎に来て、いま野宿するようになったのかという一人ひとりの自分史に、耳を傾ける。
子どもたちはそれに共感し、何かを学んでいく。
釜ケ崎では、シェルターに入りきれない人たちが、この冬の寒風の中、野宿をしている。
食べ物はいろいろなNGOが曜日を決め、分担を決め、炊き出しをしながら、最低限の食がとれるようにしているが、十分とは言えない。
派遣切りが行われ、40歳くらいの働き盛りの人たちも釜ケ崎に増えている。
すると、今まで日雇いの仕事をもらえていた50歳代の人たちがあぶれてしまう。
職を失い、ドヤに泊まれていた人たちが、野宿に転落しているという。
軽い知的障害がある人たちも、数年前までは、日雇い仲間がみんなで守りあい、見守りあうことで、その人も一人前の給料をもらっていた。
だが、自分が生きるのがやっとという時代になり、恵まれない社会でさらに恵まれない人たちを、なんとかみんなで守ってきた空気が壊れ始めている。
日雇い労働をたばねていた親方役には、人格者で面倒見がよい人が多かった。
だがそんな親方役自身も仕事がなくなり、野宿をするようになった人もいるという。
今回の派遣切りのしわ寄せは、もっとも弱いところに、さらに厳しい形であらわれている。
職を失うことによって、今まで何とか成り立っていた、見えない支え合いの空気をも壊していく。
なんとか雇用の創出を考えないかぎり、今の状況は打破できないと思う。
低賃金だとしても、仕事があれば、賃金を使う。
使うことによって資本主義社会はまわりだすのである。
自治体も国も企業もNGOも、雇用の創出へ向かって、全力投球しないといけない時代がきている。
それが、自分の地域を守ること、自分の企業を守ること、この国を守るることにもなると思う。
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「週刊朝日」の2月6日号から短期集中連載が始まった(今発売中の2月13日号は、連載2回目)。
「言葉で治療する」と題して、医療のなかのコミュニケーションについて考えていく。
なぜ医療が患者さんの満足度を上げていないか、読者からの手紙をもとに、鎌田實が読者とコミュニケーションをしていく。
医療だけでなく、介護や、教育の現場や、一般の職場でのコミュニケーションの問題にも共通することが多い。
ぜひ、週刊朝日の連載を読んでください。
そして、「コミュニケーションで傷ついたこと、励まされたこと」など、体験談を鎌田(週刊朝日宛)にお寄せください。
「看護展望」の2月号に、「プロフェッショナリズム」という巻頭エッセーを書いた。
テーマは、「物語を語れ」。
現状をこう変えて、こうありたいという物語を周囲に語れないと、自分の仕事を成功に導くことは難しい。
それは、教育でも、政治でも、会社運営でも、みんな同じ。
看護師さんに向けて、物語を語れる看護師長さんになってほしいと書いた。
看護師さん、ぜひ、読んでください。
「一個人」3月号の「大人の読書案内」という特集号で、鎌田の書斎や、原稿の構想をストックしておく整理棚、大きな書棚などがグラビアで紹介されている。
鎌田おすすめの人生最高におもしろい本は、『カラマーゾフの兄弟』『田村隆一詩集』『クローニン全集』の3冊。
よろしければご覧ください。
「ゆうゆう」3月号では、「こころが折れそうなあなたへ うつな気分と上手につきあう、早めに直す」というテーマで、桐島洋子さんらと一緒に取り上げられている。
100%完璧主義のがんばるカマタミノルをやめたら、弱さによる「たわみ」が、強い自分になるための力になった。
弱さと強さは裏腹の関係にある。
弱くてもいいのだ。
そんなカマタ流の生き方を、4ページで紹介している。
疲れたときには、今は休むときだと考える。
自分の弱さを認めてしまう。
人のために何かをしてみる。
自然のなかにじっくり身をおく。
こころが折れそうなとき、ぜひお試しください。
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~~仕事を創出しろ~~
マルクスは『資本論』のなかで、資本主義経済が進めば進むほど貧困がつくり出されるといっているが、まさにその通りの惨状になってきた。
3月までの半年間で、日本では40万人の製造業にかかわっていた派遣労働者などが職を失う。
大変なことである。
麻生首相は、国会で、失業保険をもらいやすくできるように制度改革すると表明した。
もちろん悪いことではないが、大事なことは、安心して失業できる状況をつくるのではなく、失業しない社会をつくることである。
仕事の創出を最優先するべきである。
介護の世界は、小泉首相のおかげで、崩壊寸前である。
人手が足りなくて困っている。
5万人ほど確保するには、介護ヘルパー2級のライセンスをとる間、生活の保障と受講料の保障をし、仕事の斡旋をすることがまず、大事である。
そして、さらに環境の時代を意識した、新しい産業へ人を促すことである。
以前、このブログでも書いたが、太陽光発電を本気で普及させるなら、自家発電の電気の買取価格を、現在の4倍であるドイツ並みに引き上げるべき。
同様に、エコカーを本気で普及させ、また日本がエコカーで世界トップを目指すならば、国も企業も全力を傾けるべきである。
世界の最先端を走れるような、新しい研究には助成が必要だ。
エコカーは、電池の性能が命であるから、その開発はとくに重要だ。
全国のスタンドで、充電できるようなインフラも必要である。
そういうことにお金の投入をして、日本がこの1、2年の間に、エコカーの部門で、一気に世界の先頭を走れるようにするのである。
もちろん、それにともなう雇用も生まれる。
自動車業界は、できるだけ雇用の確保に内部留保資金を投入すべきである。
ある企業などは10兆円を超えるような内部留保金があると聞く。
企業も国も、雇用の創出に全力を傾けるべきなのだ。
この国を守るために、みんながひと肌脱がなければいけない。
写真は、岩次郎小屋から。八ケ岳に朝陽が昇る
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なぜ、銚子市立総合病院は崩壊したのか。
銚子市病院事業在り方委員会の報告書をみると、病院経営改善計画が楽天的すぎた、病院職員にも危機意識が低かった、とある。
さらに、市会議員の暴言に近い発言が、医師のモチベーションを下げた、という。
おそらく、この時点から医師たちが逃げだしたのだと思う。
結果論としては、平成19年の中ごろに、病院経営の縮小を決断すべきだった。
だが、議会や行政や市民の考え方が、すべてを存続させるか、ゼロか、両極端な決定を考えていたようだと反省している。
そして、銚子市立総合病院はすべてを失ってしまった。
「加減」をきちんとみなかったのだ。
近くには、旭中央病院という大きな病院がある。
救急医療や高度医療はそこに任せるにしても、一般病院として二次救急をカバーし、入院患者を診れる病院が銚子市にあることは大事なことであったはずである。
一つの病院の破綻は、一つの病院ではおさまらない。
病院がつぶれると、そこに受診していた患者が、別の病院に押し寄せる。
すると、医師や看護師に大きな負荷が加わり、患者や家族の要望にこたえきれない状態が発生する。
医師や看護師の士気は低下し、だれかが燃え尽きて、辞めていく。
だれかが辞めると、ほかの医師にしわよせがいく。
ほころびが、どんどん大きくなっていく。
一つの病院が破綻すると、ほかの病院に負担がかかりだし、医療崩壊の連鎖がはじまる。
一つの病院ではすまないのである。
いま、政府が苦し紛れにやろうとしていることは、集約化と拠点化である。
がん医療でも、救急医療でも、集約化、拠点化をはかることによって、その病院は一時的には質は上がる。
しかし、地域全体からみれば、医療の質は落ちていく。
一時的に質が上がった拠点病院も、患者が集中するなかで疲弊し、やがて医療の質が落ちていく。
銚子市立総合病院が破綻したいま、その負担を負うのが旭中央病院である。
どんな巨大病院でも、そこだけに任せていては、いつか疲弊していく。
大きな病院を中心として、まわりにいくつかの病院が助け合うように、存在していることが必要なのである。
銚子市立総合病院は、規模を縮小してでも、存続させる意味は、地域にとって大きかった。
日本各地で、病院の集約化や拠点化を喧伝していこうとする動きが強まっているが、苦し紛れの策に思えてならない。
それぞれの病院がきちんと機能分担をして、それぞれの特色を出し合いながら存在していくようにしないかぎり、どこかに人員を集中させたりすれば、ほかの病院がつぶれていき、結局、いつか集中した一つの病院も疲れて、崩壊していくのである。
銚子市立総合病院の崩壊から学ぶことは多い。
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「哲学のある義理チョコ」が、なんと完売です!
六花亭のチョコレートに、イラクの白血病の女の子たちの絵を添えたチョコ。
一つ買うと、白血病の子どもの一日の薬代に相当するお金を募金することになります。
いろいろなメディアで取り上げられたおかげで、注文の電話が鳴り続け、あっという間に売り切れになりました。
バレンタインデーを2週間以上前にして、用意した7万個のチョコがすべて、なくなりました。
コールセンターのスタッフも懸命に応対しましたが、それを上回る数のご注文をいただきました。
何度電話をしても、つながらず、あきらめた方も多かったと思います。
たいへんご迷惑をおかけしました。
あったかな国だと思います。
あったかな日本人のこころを、病気や困難のなかにいる子どもたちに伝えてきたいと思っています。
本当に、本当に、応援感謝です。
ありかどうございました!
3月13日のブラダン・コチのコンサートは、通常の席はもう完売しましたが、急きょ、舞台の上に設けたプレミアムシート(5000円)のほうも、あとわずかになりました。
日本中から応援が来ています。
感謝です。
ありがとうございます!!
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再び、高速増殖原型炉もんじゅの再開が延期された。
1995年12月のナトリウム漏れ事故から13年たっている。
再開、再開といって、もう4度目である。
日本原子力研究開発機構の力のなさがはっきり示された。
名前ほどの“もんじゅ”の知恵が、ないのではないだろうか。
高速増殖原形炉の構想そのものに、やはり問題があったのではないだろうか。
もうすでに13年、構想そのものの再検討をしたほうがいいように思う。
無理なことは無理とするのが、賢いジャッジメントだと思う。
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読売新聞の医療情報部長、田中秀一さんが、『がん治療の常識・非常識』(講談社ブルーバックス)という本を書いた。
彼は、若い記者だったころ、松本支局にいたため、古いつきあいである。
ぼくと彼は、「コレステロールは少し高くても配ない」という点で、同じ考えをもっていた。
コレステロールの正常値は220と、かつて日本動脈硬化学会などで決められていたが、240~260くらいが、むしろ長生きをしている、と2人とも論陣を張っていた。
彼は「医療ルネサンス」という読売新聞の医療連載の中心的な役割を担っていた。
この「医療ルネサンス」が4000回を超えたとき、彼から声をかけられ、「医療ルネサンス」のキャンペーンに協力したこともある。
テレビのコマーシャルに出たり、銀座の大きなビルの壁一面にぼくの顔が映し出されたり、電車の中吊り広告がすべてぼくの顔になったりした。
月刊誌「がんサポート」でも対談した。
「SMAPは効かない」
そのとき、彼から聞いた話である。
サメ軟骨、メシマゴブ、アガリクス、プロポリス。
がん患者に人気の4つの健康食品の頭文字をとって、SMAPというらしい。
ぼくは笑ってしまった。
田中さんに聞いた。
「スマップでも、効きませんか?」
田中さんは答えた。
「まったく効かないと断定はできませんが、少なくとも効くという裏づけはまったくありません」
がんになったからといって、へんな健康食品に走らないほうがいい。
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~~子どもを産もう~~
豊かな社会は、分厚い中流が支えている。
分厚い中流の多くは、若者たちによってつくられる。
好きな人ができたら結婚し、子どもを産む。
当たり前のようだが、今はそれができにくい。
結婚し、家庭を築いていくことは、よい消費者となる。
結婚式や出産祝いなども、GDPを押し上げる。
子どもができることが、分厚い中流をつくっていくうえでたいへん大事なのである。
日本の人口は、2005年、1億2777万人。
2030年には1億1522万人になり、高齢化率は31.8%になると推計されている。
このままいくと、2055年には人口は8993万人と1億を割ってしまう。
日本の人口は急激にブレーキがかかり、消費者が減っていくのである。
資本主義社会としては、成り立たなくなる。
2055年の高齢化率は40.5%。
弱者や高齢者を支えようも、支える力が非力になっていく。
若者を大事にすることである。
昔は、世話好きのオヤジやオバサンがいた。
若者たちを一緒にさせようという世話好きが、いまもう一度必要なのかもしれない。
大きなお世話と思わずに。
出生率を上げるためには、子育て支援のお金をフランス並にGDP比3.02%くらいにす べきである。
日本は0.75%しか支援していない。
みんなが、子どもを産みやすいような環境をつくるべきである。
医療も小児科や産婦人科が手薄にならないように、制度改革をしていく必要がある。
国立大学の医師には、それぞれの希望する科の枠の制限などを設け、日本が今後必要な数の医師を養成していくことである。
たとえば、一つの科に多くの医師が希望したら、成績順に決め、そして、それ以外の科でも、社会にとって必要な数の医師をきちんと養成していく。
公共財として医療を考えていくべきだと思う。
医師の職業の選択の自由は少し狭まるが、そのぶん、医師に対する社会的な評価や金銭的な評価を、きちんと高めることによってカバーすればいい。
この国をどうしていくのかというデザインのなかで、ぼくたちの税金をどこに投入すれば、国の勢いをつくり出せるのか。
人口推計からみれば、はやく手を打たなければならならいのは間違いない。
日本には、10年先をみている政治家が非常に少ないことが危惧される。
ましてや、40年以上先の2055年の、人口8900万人台の日本を想定しなら、こうならないようにどうしたらいいかを考えている人はとても少ないと思う。
もちろん、短期的な視点で、ここ数年の経済不況を脱出するための方策を考えることが大事だが、長期的な視点で、50年先の日本の姿を想定しておくことも大事なのだと思う。
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