地域医療の崩壊をどう防ぐか
「医療崩壊をどう防ぐか」
こんなタイトルで、国保の病院や診療所のドクターたちの勉強会が行われた。
ぼくはこの学術部会の委員長をしていて、2日間の研修のプログラムをつくった。
いちばんのメインは、兵庫県の丹波地域にある県立柏原病院の小児科医、和久祥三先生(写真=左)と地元の丹波新聞の足立智和記者(写真=右)がキーパーソンとなり、町に革命が起きていく“物語”だ。
丹波地域の病院には、小児科医が7人いた。
一病院は小児科が閉鎖となり、ほかの二病院も、1人ずつとなった。
それでも何とか、輪番制をひいて、燃え尽きるのを防いでいたが、ついにこらえられなくなり、和久医師も辞めることを決意する。
そのことを足立記者が、新聞に書き始めた。
新聞を読んで、はじめて地元の小児科医の窮状を知ったお母さんたちは、自分たちが夜間、次々に救急外来をコンビニ受診していたことに気がついた。
そして、県立柏原病院の小児科を守る会を立ち上げた。
病院が閉鎖しないように呼びかけて署名運動を行った。
署名は5万5000人集まり、県知事に届けた。
こうして、医師会も変わる。
守る会だけでなく、いくつも新しい会ができ、丹波医療再生ネットワークが立ちあがった。
住民のパワーに、専門家たちも、理解を示しはじめる。
守る会は、ただの圧力団体になるのではなく、患者自らの意識を変えるために、三つのスローガンをつくった。
「コンビに受診を控えよう」
「かかりつけ医をもとう」
「お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう」
特に三つめは、医師にとって、とても大きな力になった。
和久医師自身がこんなことを言っている。
「患者さんのクレームと聞くと、どうせ話をしても理解してもらえない。わずらわしい。もう人とかかわりたくないと思っていた」
もうこころは冷えきっていたのである。
しかし、子どもたちやお母さんたちから「ありがとう」のメッセージを何度も聞かされているうちに、何かが変わった。
こころがだんだんあたたかくなっていき、辞めるのをやめた。
すると不思議なことが起こった。
病院に、次々に小児科医たちが集まってきた。
小児科医は、いまだかつてない5人になった。
県立柏原病院の小児科での問題は、解決されつつある。
しかし、43人いた医師は現在、全体で19人。
小児科の問題は奇跡的に改善しているが、病院全体としては依然としてたいへんな状況だ。
12あった診療科が次々と閉鎖されて、5つになるという。
303床あったが、現在146床に削減されている。
まだまだ地域医療の現場は厳しい。
その厳しさを伝え、住民と一緒になって、住民がその地域に理解を示すと、そこにあたたかな血が通う。
あたたかな血が通ったところには、あたたかな医師が集まってくるのではないかと思う。
小泉元首相の時代から、医療費抑制政策が厳しくなった。
3回の医療費改定で、6.9%の医療費の削減をし、毎年2千200億円の社会保障費の抑制もかけた。
その結果、地域の医療は崩壊しはじめているのである。
国の土台が壊れようとしているのである。
こんな間違った国づくりは、ない。
もう一度、国の土台をつくりなおさなければいけない。
教育や子育て支援や医療や福祉を充実させることが、この国にとってもっとも必要なことであり、そして、安心できる国づくりをした後、国民に自分のもっている貯金を少しでも使ってもらう。
この国の再生も、経済の再生も、医療の再生も、ここからはじまるのではないだろうか。
医療崩壊を防ぐ方法はまだまだある。
そう信じて、闘っていかなければいけない。
『小児救急』(鈴木敦秋著、講談社文庫)、『医療崩壊はこうすれば防げる』(本田宏編著、洋泉社)の本の中に、ぼくが国診協の地域包括ケア研修会のシンポジウムにお呼びした、和久祥三先生のことが書かれている。
あたたかな小児科医だ。
彼は、柏原病院を辞めかかったけれど、市民とつながることによって、もう一度、あたたかなこころを取り戻し、地域とつながりながら、いまは、地域医療がおもしろくなったとぼくに言ってくれた。
参考にどうぞ、お読みください。
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