キャバレー現代を訪ねて
今から15年ほど前、ぼくは雪がしんしんと降りつもる雪明りのなかを、時代遅れのキャバレー現代に向かった。
迷宮をさまようようなデタラメな風が、小樽のまちの小路から小路へ雪をともなって吹きつける。
はじめて入ったときから、妙になつかしい気持ちにさせてくれる。
昔のロマンがいっぱいただようキャバレー。
アンティークなムードの静谷通りのなかでも、異様な門構えが広がる。
鉄の門扉は白いペンキで塗られ、立派な庭木があり、明治時代の医院のようなたたずまい。
1948年から、キャバレー現代はあった。
『それでもやっぱりがんばらない』に、人を切り捨てない、キャバレー現代のことを書いた。
やさしさがあふれているキャバレー。
60歳代のホステスが生き生きと働いていた。
生バンドのバンドマンたちも初老の男たちだった。
この数年後、キャバレー現代は幕を閉じた。
一本の電話が鳴った。
『それでもやっぱりがんばらない』を読んだという読者からであった。
キャバレー現代の元オーナーからであった。
今は、杉の目という郷土料理亭のオーナーをしていた。
ぼくは、札幌にある杉の目を訪ねた。
昔、質屋だった建物を買い取り、石造りの蔵を中心にしたしゃれたたたずまいだ。
二代目の息子さんとお嫁さんから、キャバレー現代のオーナーだった初代の生き方をたっぷりうかがった。
初代のオヤジさんの人生は、なかなか壮観である。
小学校しか出ていない男が、波にのって、最大17店舗の店をもつような成功を納めていく。
お汁粉屋から、ニシン御殿の屋敷をキャバレーにして、進駐軍や貿易に携わる人たちの社交場にしていった。
それが、あのあたたかいキャバレー現代だった。
そのあたたかさは、二代目にも受け継がれている。
開業当時から会計をしていたおばさんが、いまは90歳代になり、認知症が出てきた今もひきとって面倒をみているという。
あたたかい。
あたたかいということは、ぼくたちが生きていくときの原点となるはず。
こんな厳しい時代だから、人をあたたかくすることなんてできないと思わずに、こんな厳しい時代だからこそ、人をあたたかくすることが大事なんだ。
いつか、このキャバレー現代のオーナーのことを小説に書きたいと思っている。
それから、ぼくの最も力を入れた作品の一つ『それでもやっぱりがんばらない』のキャバレー現代のところを、ぜひ読んでもらいたいと思う。
集英社から文庫でも出ている。
上の写真は、キャバレー現代があり、かつて社交場として賑わいをみせていた建物。下の写真は杉の目さんの石造りのお店。どちらも時代のあたたかさを感じる。
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