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2009年2月16日 (月)

鎌田實の一日一冊(14) ツァラトゥストラはかく病めり?

ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読み直している。
「神は人間のつくった妄想」
「神は死んだ」
19世紀の末に、こんなことをいった男がいた。0902101
やっぱり天才だとは思う。

人間は生きなければならない。
なんのために、ではなく、いかに生きるかを、自分自身で選ばなくてはならない。

『ツァラトゥストラ』は、4部構成になっている。
それぞれの部を10日間くらいで書いたという。
何かがのりうつっているような状態が起きたのだろう。
そういう意味では神経の病をもっていたのだろうな、と思う。

ツァラトゥストラはこう語った。
「自由な死。己の生を完成して生を去り、よき使命を時代へ引き継ぎたい。それが真の生だ」
うまいことを言うなと思う。
「多くのものは死ぬのが遅すぎる。また、あるものたちは死ぬのが早すぎる。時にかなって死ね」
ツァラトゥストラはこう語った。
「時にかなって死ね。もちろん、時にかなって生きなかったものが、どうして時にかなって死ぬことができよう」
ここまではいいのであるが、このあと、こう続く。
「そういうものは生まれてこないほうがよかった。私は無用のものたちにそう説く」

超人思想も、展開する。
第1部で神を否定するだけではなく、いままでの道徳や理想を捨て、新しい道徳や理想を打ち立てること考える。
そして、第2部では権力への意志についても触れていく。
このへんが危なっかいしところである。
ニーチェの思想は、ファシズムに利用さたれのではないかという批判がある。

第3部では、永遠回帰という言葉が語られる。
死んでもまた生まれてきて、同じ繰り返しがされていく。
おもちゃの水車を動かし続けるハツカネズミのような命を人間は生きている、とニーチェは言いたいのだろう。
19世紀のヨーロッパのニヒリズムを否定しながら、新しいニヒリズムを生み出しているような、落とし穴にはまりそうになる。
やっぱりニーチェは難しい。

死を言い切ったすごさはある。
その切った刀で、本当はかくあるべきとか、善とか、理想とか、というものにも容赦なく切り込んでいる。
20世紀思想のジャイアンツといわれるだけはある。
だが、ニーチェの頭のなかは、まだら状であったような気がしてならない。
圧倒的に天才の部分はあるが、10%くらいのところに、病んだこころを感じずにはいられない。

難解である。
読み直しても、読み直しても、やっぱり、難解である。
また10年後に挑戦したいと思う。

写真は、先日訪れた札幌の雪祭り

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