病院センター化の波紋
なぜ、銚子市立総合病院は崩壊したのか。
銚子市病院事業在り方委員会の報告書をみると、病院経営改善計画が楽天的すぎた、病院職員にも危機意識が低かった、とある。
さらに、市会議員の暴言に近い発言が、医師のモチベーションを下げた、という。
おそらく、この時点から医師たちが逃げだしたのだと思う。
結果論としては、平成19年の中ごろに、病院経営の縮小を決断すべきだった。
だが、議会や行政や市民の考え方が、すべてを存続させるか、ゼロか、両極端な決定を考えていたようだと反省している。
そして、銚子市立総合病院はすべてを失ってしまった。
「加減」をきちんとみなかったのだ。
近くには、旭中央病院という大きな病院がある。
救急医療や高度医療はそこに任せるにしても、一般病院として二次救急をカバーし、入院患者を診れる病院が銚子市にあることは大事なことであったはずである。
一つの病院の破綻は、一つの病院ではおさまらない。
病院がつぶれると、そこに受診していた患者が、別の病院に押し寄せる。
すると、医師や看護師に大きな負荷が加わり、患者や家族の要望にこたえきれない状態が発生する。
医師や看護師の士気は低下し、だれかが燃え尽きて、辞めていく。
だれかが辞めると、ほかの医師にしわよせがいく。
ほころびが、どんどん大きくなっていく。
一つの病院が破綻すると、ほかの病院に負担がかかりだし、医療崩壊の連鎖がはじまる。
一つの病院ではすまないのである。
いま、政府が苦し紛れにやろうとしていることは、集約化と拠点化である。
がん医療でも、救急医療でも、集約化、拠点化をはかることによって、その病院は一時的には質は上がる。
しかし、地域全体からみれば、医療の質は落ちていく。
一時的に質が上がった拠点病院も、患者が集中するなかで疲弊し、やがて医療の質が落ちていく。
銚子市立総合病院が破綻したいま、その負担を負うのが旭中央病院である。
どんな巨大病院でも、そこだけに任せていては、いつか疲弊していく。
大きな病院を中心として、まわりにいくつかの病院が助け合うように、存在していることが必要なのである。
銚子市立総合病院は、規模を縮小してでも、存続させる意味は、地域にとって大きかった。
日本各地で、病院の集約化や拠点化を喧伝していこうとする動きが強まっているが、苦し紛れの策に思えてならない。
それぞれの病院がきちんと機能分担をして、それぞれの特色を出し合いながら存在していくようにしないかぎり、どこかに人員を集中させたりすれば、ほかの病院がつぶれていき、結局、いつか集中した一つの病院も疲れて、崩壊していくのである。
銚子市立総合病院の崩壊から学ぶことは多い。
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