われわれはどこから来たのか③ ゴーギャンの島へ(2)
ゴーギャン博物館は、ゴーギャンの息遣いと彼の愛したフレンチポリネシアの空気を見事に閉じ込めている。
1901年、ゴーギャンはやっと画商がつき、安いながらも年間の契約ができ、最低限の生活が確保できつつあった。
なのに、彼は、マルケサス諸島にわたる。
タヒチから1500キロ離れた、さらに辺鄙なところへ、彼は自然を求めに行くのである。
少しうまくいきだすと、下る。
下りながら、問題を起こすのである。
それが彼の生き方だった。
若い女の子をパートナーにし、批判された。
教会は、原住民の人たちにゴーギャンの家に行くことを禁じた。
ゴーギャンは、教会にたてついた。
「助平神父とテレーズ尼」という彫像をつくったりしている。
挑戦的なのである。
ゴーギャンは無頼漢である。
そんな彼を、原住民の人たちは慕い、毎晩、酒盛りに集まってきた。
このころゴーギャンはずっと、下肢の痛みを訴えている。
おそらく神経性梅毒があったのだと思う。
神経性梅毒だけでなく、梅毒によって全身の血管が動脈硬化をおこしていた。
最後の死に方はわからない。
1903年、彼は大嫌いな教会の牧師を呼びにいかせている間に亡くなっている。
「神と道徳を冒涜したものにして、偉大なる芸術家となったゴーギャン、ここに眠る」
墓にはそう書かれている。
なんとも、ゴーギャンらしい。
亡くなったあとまでも、教会から侮辱されているのである。
これがたまらなくいい。
神と道徳なんて、クソくらえ―。
ゴーギャンは、きっとそう思っていたにちがいない。
彼のなかには、つねに獣がいた。
1901年、マルケサス諸島のヒバオア島に行ったあとも、無頼の徒であった。
新聞記事を書いたり、エッセイを書いたりして、フランスの植民地支配を批判し続ける。
フランスは自然を壊し、原住民の生活を壊していると訴えているのである。
ゴーギャンは、大作「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」のなかに、生まれて、そして死んでいく人間の人生をが荒々しく描いた。
絵のなかには、仏像も描かれ、両側の上部に日本画の琳派の金を取り入れたようなジャポネスクの影響もみてとれる。
人生をうまく泳ぎきろうとしないゴーギャンの、面目躍如たる絵と、放浪の生き方。
絵のなかにも、彼の生き方のなかにも、ゴーギャンのなかに住みついた獣の存在を感じずにはいられない。
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