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2009年3月28日 (土)

われわれはどこから来たのか⑦

~~ガビさんとの出会い~~

「こんなに美しいものは見たことがない。
本当に美しく思えてしまったのです。
3つの光がありました。その色は、黄色と青と赤。
母と、誇りに思うべきだよね、きれいだもんね、また見に行きたいね、と話したのを覚えています。
そのころ、核実験を、自分の土地で行っていることを、誇りに思っていました」

鮮やかな民族衣装を着たガビさんは言う。015
タヒチに生まれ育った。

フランスは1966年から96年まで、ポリネシアのムルロア環礁、ハオ環礁などで、約200回核実験を行っている。
ガビさんは、68年にハオ環礁で行われた核実験を見た。
実験の島では、兵士用に防御壁があった。
7000人を超える兵士が、ハオ環礁のオテバ村に住んでいた。
島の住民には何も知らされていなかったという。
ただ、核実験場の近くで働くと、給料が3倍くらい高くなった。
魚は獲ってはいけないといわれた。
食べていい魚は、遠洋漁業で獲れたマグロだけ。

フランスに留学して、広島や長崎の原爆被害をテレビでみて、核の恐ろしさを知った。
自分のふるさとが壊れているのに気がついた。

フランスで核反対運動を行った。
ドイツでの反核運動を後押しした。
ガビさんは、広島や長崎にも講演に行った。
旧ソ連のセミパラチンスクの核実験現場もみてきた。
ボブ・マーリーやエルトン・ジョンなどとも、反核運動を通して友人になったという。

フランスの核実験が再開された。
今度は地下実験を行うという。

「タヒチの島の大地は母なる大地です。
地下に穴をほって核実験をしないでほしい。
お母さんの大切なおなかです。
母なる大地の大切なおなかです。
タヒチの自然を汚さないでほしい。
タヒチの文化を壊さないでほしい」

何度も核実験反対のデモを行い、捕まった。

ガビさんは、ポリネシアに昔から伝わる物語として5つの大切なものがあり、「大地」はその一つだという。

「大地には精神が宿っています。
だから、人が大地に対して与えるものを持たないのなら、人も大地から何も受け取ることはできません」

大地から奪うだけではいけない、とガビさんは言う。
この話は、『がんばらない』で書いた、アメリカのマイノリティー、アメリカンインディアンが書いた詩を彷彿とさせる。
アメリカンインディアンも、ポリネシア人も、もとは西アジアのモンゴロイドに起源をもつ。
自然への考え方が、似ているのではないかと思った。

L1070001  現地の言葉で「ナポノコト」は、土地への感謝の言葉。
これは、家族や友人と一緒にするものである。
ひとりではできない。

「石を囲み、火を囲み、食べ物を得るとき、みんなが自然とひとつになります。
そのとき、ほんとうに神様と一つになり、先祖の声が聞こえてきます。
土地に人が属するのであって、人に土地が属するのではありません。
きれいな土地と豊かな果物を次の世代に手渡すのが義務です。
マラエという祭壇は、過去に戻るためのものではなく、
こころと頭と視野を開き、新しい世界に入るための場所です。
ポリネシア人はけっして世界を侵略しない。
侵略してきた先進国とだって戦争をしない。
そういう大切なことを話す場所がマラエなのです」

ガビさんは、フランス留学から帰国後、PIANGO(太平洋先住民NGO連合)をつくり、自分のたちの海や大地を守ろうという運動を展開している。
タヒチを中心にして、北はハワイへ、東はイースター島、西はニュージーランド。
ちょうど、蛸が足を伸ばしたようなネットワークだ。
また、タヒチの伝統文化を守る仕事をし、外国資本が観光開発やゴルフ場開発をしながら、自然を汚し、お金を吸い上げていく構造にも反対をしている。

この船を下りると、ガビさんの村へ行く。
ガビさんのバニラの農園をみたり、伝統料理を食べる予定です。

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