イースター島へ
タヒチからイースター島に飛んだ。
ピースボートに乗るためだ。
本来なら直接イースター島に向かいたいところだが、日本からイースター島への直行便がないので、タヒチで2日間待たなければならなかった。
タヒチに行く飛行機も週に2日しかない。
イースター島は180平方キロメートルほどの小さな三角形をした島。
4~5世紀ごろ、ポリネシアのマルケサス諸島のほうからやってきた人が住みついたといわれている。
そのルーツをはるかさかのぼれば、西アジアの砂漠にたどり着く。
紀元前5000年ごろ、西アジアにいたモンゴロイドは、北へ向かい後にイヌイットになっていく人たちと、南へ向かう人たちとに大きく分かれた。
南へと向かう人たちは、いかだで大海原に漕ぎ出す勇敢な人たちだった。
フィリピンから、太平洋の大海原に出て、フィジーやタヒチへと航海した。
そして、4~5世紀、ようやくイースター島にたどり着いた。
星を見つめながらの巧みな航海術。
南米大陸のチリからは3800キロ、もっとも近いピトケアン島からは2000キロ。
360度どこをみても、海以外に何もない。
当時、イースター島は亜熱帯雨林の大きな林があり、泉があり、肥沃の大地であった。
もっともモアイづくりが盛んだったのは、1680年ごろ。
この小さな島に、1000体ものモアイがひしめいていたという。
モアイは、アフという祭壇に置かれ、海を背にして立っている。
モアイはマナという霊力をもっており、その霊力が島の人々に生きる力を与えると信じられてきた。
だから、ほとんどのモアイは島の中央を見ているのである。
アフアキヴィというモアイの群像は、唯一、海を見つめて立っている。
海を渡って侵略してくる人たちへの威嚇ではない。
自分たちの祖先である、ポリネシアの海の向こうにマナを与えようとしているのではないか――。
サンチャゴ大学の日本語学科を卒業したフランシスコ青年は、そう推論を述べた。
西アジアから南へ下ったモンゴロイドたちには、大海原を旅する途中、北上するグループもいた。
それが沖縄へと渡り、日本列島に上陸したと考えられている。
もちろん、日本には北からも、中国、朝鮮半島からも多くの人たちが入ってくるのであるが、この南からのルーツも、紛れもない、ぼくたちの血なのである。
日本人はどこから来たのかを探したい――。
ぼくは、この旅の目的の一つをそう決めている。
写真は、夕日を見つめるアフアキヴィのモアイ像と、ラノカウ火山の火口湖。火口には水がたまり、青く輝いている。水が豊かな美しい島。
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