われわれはどこから来たのか②
~~卑弥呼の墓に行った~~
箸墓古墳をみてきた。
孝霊天皇の娘の墓ということになっているが、邪馬台国の卑弥呼の墓ともいわれている。
卑弥呼は184~248年の長きにわたって、邪馬台国というよりはもっと広い範囲の倭の国の代表だったらしい。
その倭の国は、弥生時代から古墳時代に移るころに、紀伊半島から関西、中国地方を示す領域に広がっていく大和王国の前身だった。
形の見える武力ではなく、祭祀呪術、あるいは原始宗教のようなもので国を治めた可能性が高い。
後に大和王国に王が生まれ、天皇と呼ばれるものがつくられていく。
箸墓古墳のある奈良県桜井市の南東には、あの三輪山がある。
万葉集にもよまれている三輪山である。
三輪神社の祭祀は、天皇家の祭祀に似ているものがあるという。
そして、大和地方に、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳がある。
これはいったい何を物語るのか。
弥生時代の末期、この大和の地を中心に、卑弥呼の邪馬台国があったのではないか。
「邪馬台」は、漢字一字ずつに一音を発音していたので、「やまたい」ではなく、もしかすると「やまと」ではないかといわれている。
魏志倭人伝に出てくる邪馬台国は、大和の国の前身ではなかったのだろうか。
大和という地域に大和の国があり、その中心が三輪山、三輪神社がある一帯ではなかったかと推測されている。
『三輪山と卑弥呼・神武天皇』(学生社)には、卑弥呼と三輪山と大和王国と天皇家のはじまりである神武天皇のことが、史実と神話に基づいて書かれている。
たいへんおもしろい本である。
もちろん、卑弥呼は北九州にいたという説もある。
大和説は諸説の一つで、証明されているわけではないが、たいへんおもしろい学説だと思った。
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