ポリネシアから鎌田實の経済提言
ポリネシアに来て思う。
人々の笑顔がすばらしい。
すれ違うだけでほとんどの人が声をかけてくる。
幸せの閾値が低いような気がした。
ぼくはずっと「ウエットな資本主義」という言葉を用いながら、新しい資本主義のあり方を模索している。
古い資本主義は、欲求をあおり、かきたてることで発展してきた。
ぼくたちは、バブルをつくり、そのバブルを破裂させるという経済の失敗を経験した。
バブルの背景にあるものは何か。
幸せの閾値を身の丈以上にあげていったこと、がある。
1000万円を貯めた人は、1億円を貯めようと必死になった。
おいしいものを口にしたら、もっともっとおいしいものを口にしたいと思った。
ちょっとやそっとのことでは感動しなくなった。
欲望を際限なく暴走させていったのである。
だが、ポリネシアの人たちは、雨が降っていると、「いま雨の神様が来ているんだよ」と受け入れて、納得してしまう。
なんで雨なんだ、と愚痴ったり、文句を言ったりしない。
そして、天気がいい日は、それだけで幸せを感じている。
ちょっとおいしいものを食べただけで、いかにも幸せそうだ。
もっと幸せの閾値を下げて、小さなことに喜びを見出すこと。
これが新しい世界観にとっては必要なのではないかと思った。
たくさんの人たちがこの地球で生きていかなければいけないとすれば、幸せの閾値を低くしなければ、地球が永続しない。
ゴーギャンが最後に暮らした家は、「喜びの家」という名がつけれらていた。
原住民が住む木造りの安っぽい家である。
お金もなく、有名でもなく、しかし、豊かな自然のなかに生きることが、ゴーギャンの喜びだったのだろう。
ゴーギャンの、物質的なものに対する欲求の閾値は低かった。
だが、ゴーギャンのこころのなかにある、ほんものの幸せの閾値は高かったような気がする。
タヒチやイースター島を見てあるき、人々は貧しいはずなのに、実に明るくのびやかである。
新しい資本主義、ウエットな資本主義への道筋のヒントが、このポリネシアの人の笑顔に隠れていると思った。
写真は、バナナの葉で伝統料理クラントをつくっているところ。ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
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