きょうは看護の日
看護は、大切な仕事である。
今、看護師が足りなくて、多くの病院が困っている。
地方の病院などでは、看護師が足りないために病床を閉鎖しているところもあると聞く。
看護師が足りないために、さらに看護師は過重労働になり、燃え尽きてしまう看護師も多くなっている。
ワークライフバランスがうまくとれないために、みんな途中で沈没してしまう。
ぼくは諏訪中央病院看護専門学校で、3年生に「看護哲学」の授業をしている。
「看護哲学」というのは勝手な表現だが、哲学をする訓練をしていることで、燃え尽きないですむ、味のある、ケアの優れた看護師を養成できるのではないかと思って、毎年やってきた。
何人かの先生に応援してもらうが、看護哲学の時間は30時間、大事な授業だ。
試験を行った。
今、採点中である。
すべて○×ではなく、記述試験である。
4問中1問は、「あなたはどんな哲学のある看護師になりたいですか」と質問。
ある男子学生が、こう書いてきた。
「私は患者さんにとって、空気のような看護師になりたいと思う。
それはたんに患者さんの周りで漂っている存在ではない。
患者さんが必要なことを、患者さんが気づかないうちに援助できるような人になりたいと思う。
あなたがいてよかったと感じていただけるような看護師になりたいと思う」
あったかな看護師とか、思いやりのある看護師とか、よく気がつく看護師とか、看護師の目標モデルにはいくつかパターンがあるように思うが、患者さんにとって空気のような看護師というは、すごい言葉だと思う。
ぼくは筆で、いつも試験の答案用紙はコメントを書くことにしている。
ぼくの試験は合格すればいいというものではなくて、1年後、5年後、あるいは燃え尽きそうになったとき、人生の節々で、この哲学の答案用紙を見てもらいたいと思っている。
そこに書かれた自分の問いとぼくのコメントが、その人の人生を支えられたらいいと思っている。
だから、こちらも真剣勝負である。
学生たちも合格するためだけでなく、自分のために一生懸命書く。
この答案は終わったらどこからしまいこまないで、よく見るノートなどに貼ってほしいと思う。
ぼくのコメントも全力投球である。
ぼくのコメントはこんなだった。
「患者さんにとって空気のような看護師になりたい、これ、すごい言葉です。絶対に忘れないでください、日本中にこんな言葉を言える看護師さんはいないと思います」
空気はとても必要なものであるが、ときどきその存在を忘れてしまう。
でも、空気があるおかげで生きているのである。
忘れられてもいいほど、その場に溶け込んでしまう空気ってすごい。
患者さんが生きるか死ぬか、命と対峙しているとき、空気のような看護師がそばにいてくれたら、どんなに救われるだろうか。
この男子学生には、いい看護師さんになってほしいと思う。
彼は、私は人が好きである、と言い切っている。
友だちも家族もみんな大事。
そして、今まで何度も人生の方向転換をしてきたけれど、いま自分は正直に生きていると思う、と言い切っている。
今30歳。いくつかの挫折があったのかもしれない。
でも、この看護学生はいきいきと生きている。
そして、彼はいつも患者さんの味方になろう、患者さんにありがとうが言え、患者さんからありがとうを言ってもらえる看護師になりたいと思っている。
じつに素直である。
いつか本当に、この看護学生は空気のような看護師になれると信じている。
今日は看護の日。
看護という仕事が、この国でもっと評価され、大切に思われるようになってほしい。
政府はもっと看護師を支える政策をすすめるべきだと思う。
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