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2009年5月31日 (日)

草なぎ君とパンデミックと空気感染

この国は空気に感染しやすい。
一つの空気がつくられると、その空気に染められ、国民の心がある方向へ流されていってしまう。

草なぎ君が、テレビに復帰したという。
「謝り方が少ない」とか、いろいろなことを言う人がいるらしいが、もう無罪放免にしてあげていいと思う。
草なぎ君も、卑屈になる必要はない。胸を張って自分の才能を発揮していけばいい。
草なぎ君が注意しなければならないのは、ただ一つ。
同じ過ちを繰り返さないこと。飲みすぎて裸になったり、暴れたり、酒に飲まれないことである。

今回のことで、草なぎ君を嫌いになった人は、嫌いになればいい。09052217
でも、飄々として凛としている草なぎ君を、前よりも好きになった人もいるかもしれない。
いろんな人がいていいのである。
空気を一つにしないことが大事だ。

草なぎ君バッシングが強かった頃、「一つの空気にするな」とこのブログに書いたところ、2日間で約1万人の人たちが、このブログを見に来た。
ぼくの意見に賛成の人もいたと思うし、反対の人もいたと思う。それでいいのである。
いろんな人がいていい、それがこの国の厚みになるのである。
一つの空気に染まらないことが大事だ。

新型インフルエンザのマスク騒動も、これと同じことが言える。
はじめに、この国のリーダーたちが、野球観戦や集会などには、マスクをつけるように、と発言した。それがだんだんエスカレートし、繰り返され、一般の人から判断力を奪っていくことになった。
人々はマスクを求めて、マスク不足に陥った。
すると今度は、厚生労働大臣が、マスク業者に24時間不休体勢で増産するよう、異例の伝達をした。国民のマスク熱はますます高まってしまった。
感性が鈍いのである。
こういうことをするから、国民がますますマスクをつけないといけないと思い込んでしまうのである。

マスクは、濃厚感染者をみる医師や看護師が、患者からの飛沫感染を防ぐのには必要である。
だが、一般の人がふつうに生活していて、偶然、感染者からの飛沫が飛んでくる可能性はあまり高くない。
あとは、感染した人が、人にうつさないためにマスクをすることはある。
ただ、感染したら、家で安静にしていて、人が集まるところには行かないというのが原則であり、マナーである。
予防の効果に対して、根拠のないマスクを、国民みんなに強いる空気というのは、やっぱりおかしいのである。

今回の草なぎ君のことでも、新型インフルエンザ騒ぎのことでも、空気に染まらず、自立した人間としてきちんと判断していくことの大切さをあらためて思う。
それぞれの判断は、多様でいい。
一人ひとりが、自立した人間として、この国の文化や政治や経済をよくすることを考えていくことが大切なのだと思う。

写真は、霧降の滝

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