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2009年6月24日 (水)

鎌田劇場へようこそ!(22)『ポー川のひかり』

カンヌ国際映画祭特別招待作品。
名匠エルマンノ・オルミ監督の作品である。
イタリア映画名作『木靴の樹』をつくったオルミが、最後の作品だとつくった映画である。
病める時代におくる、あたたかでやさしさに満ちた映画である。

ある日、川をさかのぼって、“キリストさん”がやってくる。3

イタリアの古都ボローニャ大学で事件が起こる。
大量の古文書が太い釘で床に打ちつけられる。
犯人はどうも、新進気鋭の若い哲学の教授。
教授は、大切にしていた古文書から離れ、自らの車も捨て、携帯電話も背広も川に捨て、ポー川のほとりの村を訪れる。

映画の見方はいくつかある。
監督は何を考えてつくっているのか、監督がしかけた仕掛けを見抜いてやろうという見方もあるが、
監督の仕掛けをみようとしなくていいのではないかと思った。
オルミ監督も、それを望んでいないのではないかと思った。

1 映画のなかには、カトリックの国イタリアならではのキリストの寓意がいくつもしかけられてはいる。
ぶどう酒の奇蹟や放蕩息子の帰還など、新約聖書を読んでいる人ならば、胸に落ちるいくつかの仕掛けはあるが、
この映画はその仕掛けにこだわらないほうがいいと思った。

この若い、かっこいい哲学の教授は、宗教ま権威による締め付けから離れ、教養の権威を無用の長物として、静かにその権力の世界から
放たれたのである。

ポー川のほとりの小さな壊れかけた小屋に、村の人たちが応援にかけつける。
なんとか生活ができるように家をつくってくれる。
素朴でシンプルな生活がはじまる。
ぜいたくなものは何もないが、豊かな自然と豊かな人間関係がつくられていくのがみえてくる。
マグダラのマリアを髣髴させるパン屋の娘が出てくる。
まさにイタリアの女優という感じの、パン屋の若い娘がいい。
哲学の教授は、みんなにキリストに似ているので、“キリストさん”といわれながら、パン屋の娘と心を通わしていく。

しかし、古文書に釘を打った犯人を捜して、警察が訪ねてくる。
結局、彼は捕まるが、彼の居場所が警察に知られるきっかけは、彼の村の人への思いやりであった。
村人やパン屋の娘はキリストさんが再び帰ってくるように、川辺の道に灯りをともす。
このショットとはたまらなく美しい。2
待ち焦がれる人がいてくれることの幸せ、を映像化している。

宗教や書物や哲学や教養や知識よりも、もっと大切なものがあることを巨匠オルミは最後に言おうとしている。
だからこそこの映画は、仕掛けられた寓意を見抜くような見方をしないで、
むしろ、ぼうっと景色の美しさをみながら、言葉につくせないような何かを見ればいい。
その何かが、言葉を超えて見えてくる映画だと思う。
幸せとは何かがみえてくる映画だ。
オルミの傑作だと思う。
監督の仕掛けを無視して、多くの観客が勝手に観ることを、巨匠オルミは喜んでいると思う。
評論家の言葉に左右されずに、自分流にこの映画を見ればいい。
『木靴の樹』もすごいが、それを超える。


公開は8月1日より。

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