われわれはどこから来たのか⑨
~~箸墓古墳は卑弥呼の墓か?~~
700万年前、アフリカのサバンナに人類が生まれた。
やがて、人類は旅をはじめ、世界中に広がっていった。
われわれ日本人はどこから、どうやって来たのか。
この問いのヒントを自分なりに探そうと、北極へ行ってイヌイットの族長に会ったり、タヒチのマオヒ族の人と会ったりしてきた。
奈良にある箸墓古墳について、このほど興味深い発表がされた。
放射性炭素年代測定によって、240年から260年の間にできたものらしい、と学会が発表したのである。
この古墳については、3月5日、ぼくはここを訪ね、巨大な前方後円墳のいちぱん先頭のところで写真を撮っている。
そのとき、ぼくは、おそらくここが卑弥呼の墓ではないかと推論をしていた。
卑弥呼は250年ごろに死んだとされているので、古墳のつくられた年代とぴったり合うのである。
周囲には5つほど古墳があるが、この箸墓古墳は桁はずれに大きい。
当時の日本の状況を考えれば、これだけの大きな古墳をつくれる権力者は卑弥呼しかいなかったのではないかと思う。
邪馬台国は三輪山の近くにあった可能性が大きい。
箸墓古墳の近くには纏向(まきむく)遺跡があるが、おそらく邪馬台国の都だったのではないか。
邪馬台国は、日本全土にわたる統一国家ではなく、近畿から中国一帯の地方豪族たちを、卑弥呼が連合の長として束ねるネットワーク型の国家ではないかと思われる。
「邪馬台」は「やまと」と読み、「邪馬台」と「大和」はイコールではないのか。
そして、ここから大和王朝につながり、持統天皇の時代くらいからアマテラスの神話が作られていく。
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