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2009年7月

2009年7月31日 (金)

美しい富岡製糸場

先日、講演会場に向かう途中で、富岡製糸場の話になった。
富岡製糸といえば、明治のはじめ、ヨーロッパから機械化を取り入れ、日本の生糸産業を作り上げたところ。0907232
はじめは、官営であったが、昭和10年から、閉鎖される昭和62年までの後期は、片倉財閥が経営していたという。

片倉財閥といえば、諏訪の人にとってなじみ深い。
シルクエンペラーといわれた片倉である。
いまも、諏訪に片倉温泉が残っているが、ここはかつての女工さんたちの厚生施設であったらしい。

富岡製糸も、片倉だったのかと聞かされ、立ち寄ってみたくなった。
行ってみて、驚いた。
赤いレンガ作りの建物が、ものすごくきれいに残されているのである。
東西南北すべて建物に囲まれ、その中央に工場がある。
生糸産業はやがて東南アジアに移っていき、富岡は昭和62年に閉鎖された。
その後も、市に移管され、きちんとメンテナンスされている。

地元では世界遺産登録を推し進めている。
40軒ほどの農家が、今も蚕を飼っているという。

0907231 製糸工場というと、女工哀史のイメージがすぐに浮かぶ。
それも、歴史の一部であったかもしれないが、ぼくがかつて「女工」だったという患者さんから聞いた話では、
むしろ当時、恵まれた職業だったという人が多い。
たしかに労働はたいへんだったけれど、比較的高い給料をもらい、親に送金することができたと感謝していた。
特に片倉製糸は、士族の娘さんたちが働いていたから、あの時代において、女性にとって高級とりのいい職場だったのだと思う。

赤レンガの美しい西洋建築を見学し、感動して帰ってきた。

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2009年7月30日 (木)

発見!特B級グルメ(62) 丸亀製麺のかけうどん

ネギを山盛りかけ、トッピングのゴマもじゃんじゃんふりかけ、ショウガをいれて食べた。
280円。
これは、なかなか価値あるファストフードである。0907221

機械でうどんを打ち、すぐにゆでて、冷やし、そして食べる。
その手際がじつにいい。
うどんをおいしく食べる手際になっている。
そばはデリケートなので、こういう流れ作業的ではうまいそばは食えないが、うどんはこれでいい。

ネギもショウガも、生活習慣病予防にいいホルモン・アディポネクチンを刺激してくれる作用があるとされる。
ゴマは、抗酸化力が高いセサミンが含まれいる。

280円という安さを考えると、なかなか優れたB級グルメである。

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2009年7月29日 (水)

安奈淳さんが空気を変えた

安奈淳さんが、先日、諏訪中央病院看護専門学校の文化祭にきて、「絆、病気になって見えてきたこと」という講演をしてくれた。0907251
膠原病になり、ステロイドによる副作用でうつ病になり、死にかけた話や、やはりストロイドの副作用で肥満しやすくなり、トップスターに返り咲くために体型を維持しようと注意しきたこと、そして、幸いなことにステロイドの薬が全部きれて、膠原病の再発がないことなどが楽しく語られた。

話の合間に、ピアノの弾き語りがあった。
一世を風靡したベルバラのオスカルの歌や、美空ひばりの「川の流れのように」、ピアフの曲など5曲。
ピアノに向かい、歌いだすと、会場の空気が一変した。0907252
プロフェッショナルが、その場の空気を変える瞬間を間近でみて、感動した。
後半は、鎌田も舞台に立ち、安奈さんと対談をした。

講演のあと、安奈さんがあずさでとんぼ返りするまでの時間を利用して、月刊誌「潮」の対談を岩次郎小屋で行った。
そして、この地方イチオシのレストラン・ピーターで、鯛のカルパッチョや初物のマツタケなど、シェフが腕によりをかけてくれたごちそうを味わった。
いつもはB級グルメのぼくも、この日ばかりはA級グルメを堪能した。

写真は、諏訪看祭の模様(上)と、ピーターの鉄板焼きのテーブルで盛り上がっている安奈淳さんとぼく

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2009年7月28日 (火)

雑誌の対談

「婦人公論」8月7日号に、大平光代さんと鎌田の対談が載っている。1117_issue_img

生きてさえいればなんとかなる、と2人で語り合った。
幸せは日々の生活のなかにあるはず、人生には波がある、下がったものは必ず上がる、など、人生の極意が書かれている。

今月号の「ゆうゆう」は鎌田實スペシャルを特集しているが、たいへん好評で、方々で売り切れ続出とのこと。

よろしければ、ご覧ください。

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鎌田實の一日一冊(32)「イラクで私は泣いて笑う」

『イラクで私は泣いて笑う NGOとして、ひとりの人間として』(酒井啓子編著、JVCブックレット)を読んだ。
著者は、東京外国語大学大学院教授の酒井啓子さん。
イラク医師会が2007年9月に発表した数字では、医師の4分の3が廃業に追い込まれ、半分が国外に脱出したという。
「それでもイラク内に残っている医師がいるかぎり、子どもたちに薬を届けて、救命していく」とJIM-NET事務局長の佐藤真紀は述べている。Photo_3

2007年秋以降、徐々に治安は改善している。なかでも政府がサドル派を押さえ込んだことが大きいという。
日本のイラク復興資金援助は、約15億ドルが無償資金協力、35億ドルが円借款とのこと。
どうも相変わらず、有効に役立ってはいないような感じがしないでもない。

国外に脱出したイラク人は250万人。イラク人口の約1割が脱出している。
テロに襲われ、国内避難民も多い。
国内避難民とは、自分の家に住めなくなり、劣悪な環境の砂漠でテント生活をしている人たちであり、220万人いるという。

イラクは7割はアラブ人、2割はクルド人、1割はトルコ人か、あるいはキリスト教を信じているいくつかの小さな民族。
イラク軍が何度かクルド人を攻撃しており、フセイン時代にはアルファール作戦によって10万人が化学兵器で殺された。
そのためにクルドは、メシュメルガという民兵組織をつくる。
現在は、これがクルド地方政府の軍隊となり、しっかりとテロリストの侵入を防ぎ、治安維持を図っている。
石油も出ているために、経済も復興している。
復興支援も軌道に乗ってきた。

ぼくは、8月16日からこのクルド地区で、カンファランスを行う。
2つの病院も視察してくる。
現地からリアルタイムで、イラクの状況をブログでお知らせしたいと思っている。
ぜひ、注目してください。

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2009年7月27日 (月)

鎌田實の一日一冊(31)「ブルターニュ 死の伝承」

「ブルターニュ 死の伝承」(アナトール・ル=ブラース著、藤原書店)は、800ページ近い大著である。

フランスのブルターニュに住みついた人々は、ケルト人たちのなかでも最も「死」を身近に考える人々。
回りの人々に、神秘的な民族として畏れを抱かれていた。
このブルターニュのケルト人たちの言い伝えを書きとめたものである。
彼らのなかには、死者と生者の垣根がなく、生きる人がいる。
その人たちは熟達した語り部で、人が集まると、たくさんの死にまつるわる話をした。
本書は、その伝承をていねいに記録している。

Photo_2 「死んだふりをしてはいけない」という伝承は、笑ってしまった。
寄宿学校でいじわるをしようとして、死んだふりをしたら、そのまま死んでしまったという。
こんな笑いと悲しみと皮肉がごちゃごちゃになった話もある。

現実の厳しさを緩和するために、作られた伝承もある。
例えば、霊魂は牛の姿になって、悔悛の行をするものもいる。
金持ちの霊は、死後、小石が多く、まばらな雑草しか生えていない土地に放牧される。
貧乏人の霊は、豊かな牧草地に放牧される。そにはいくら食べても食べきれないほどクローバーや馬肥やしがいっぱいだ。
この両者を隔てているのは、低い石囲いだけ。
金持ちの霊は、貧乏人の霊がいい思いをしているのを見なくてはならないから、つらさがいっそう身にしみる。
逆に貧乏人の霊は、金持ちがみじめなありさまでいるのを横目で見ながら、自分の境遇をいっそうありかだく思うのだ。

「ああ、そうとも。この世とさかさまのことが起こらないのなら、なんのためにあの世があるのかわからないではないか」

こんな、現実の苦しさやつらさや悲しみを少し軽くするような、死後の話も語り継がれていた。
死にまるわる話だけで800ページにも及ぶ。
ちょっと勇気のある人、読んでみませんか。

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2009年7月26日 (日)

発見!特B級グルメ(61) スープカレーが生まれる文化はおもしろい

2 札幌の北大の前にあるピカンティーという店のスープカレーが評判ときいて、食べた。
エリンギにしめじ、鶏肉などが入っているぜいたくなスープカレーである。

そもそもスープカレーという文化が生まれる北海道には、自由がある。
カレーから発展し、スープカレーという発想でごはんを食べるというのは、感覚が自由だ。1
北海道は離婚も多く、男女関係も比較的自由だと聞く。
食文化も、豊かで自由なのかもしれない。
改革というのは、境界をちょっと超えたぎりぎりのところに生まれる。

以前、札幌で一灯庵のスープカレーを食べたことがある。
ぼくの好みでは、スープカレーはやはり一灯庵がピカイチだと思う。3

スープカレーを汗をかきながら食べていると、学生から「鎌田さんですか」と声をかけられた。
北大の医学生らしい。
この店は、北大の医学生たちから愛されている店かもしれない。

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書くこと、物語ることの意味

月刊誌「国文学 解釈と鑑賞」8月号で、明治大学教授の林雅彦教授に聞き役になってもらい、おもしろい対談をした。
文学部の教授を相手に、鎌田が「物語ることの大切さ」を語ったのである。
文学とのつきあいについても、述べた。
特集が生と死を考えるというテーマだったので、38億年続いている命の話をしながら、生と死の話を語った。

書くことの力についても話した。
ぼくは以前、「良い加減」の話を書いているうちに、そんなにかっこよく、立派に「良い加減」を目指す必要はないのではないか、と考え方が変化していったことがある。
そして、「いいかげん」でもいいんじゃないか、と思い『いいかげんがいい』(集英社)をまとめた。
好きなことにこだわり、生きていくこと。
そんなふうに生きられれば、いいかげんだろうが、自堕落だろうが、どうしようもなかろうが、生きていりゃいいんじゃないかと気がついた。
書くことを通して、考え方が変わってきたのである。
書くことや、物語ることについて、鎌田流の考え方の展開をした。
ぜひ読んでください。

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2009年7月25日 (土)

諏訪中央病院デイケア

約25年前、諏訪中央病院が日本で初めて行った老人デイケアの記録。

ボランティアや医師、看護師が、重症な寝たきりの方たちを墓地公園や地元温泉施設などに連れ出し、あったかなデイケアを展開していった。

鎌田實の「がんばらない健康法」(3) もアップしました。

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夜明けのシャッターチャンス

ぼくは旅先でも、朝4時半に起きている。
同年代である大竹まことさんに「朝4時半に起きているなんて信じられない」と年寄り扱いされたが、早起きは40年以上のぼくの習慣である。

Photo_4
旅先では、最近、オリンパスペンという新しいカメラで夜明けの写真を撮ることに懲っている。
夜の闇が朝の光にとけていく時間を切り取りたいと思い、明けていく空をじっと見つめながら、シャッターチャンスを狙っている。1_2





↑これは、札幌のホテルからみた夜明け。
あいにく雲が厚く、太陽は見えなかった。
遠くの山の際に海が見える。


翌日は九州に飛び、その翌日は名古屋に行ったが、そこでも撮ってみた(→と↓)。
名古屋は、前日は大雨だったが、朝は晴れて、雲のなかから太陽が上がってくる姿を確認できた。


2_2 夜明けは、大好きな時間。
岩次郎小屋にいるときも、お気に入りのジャズを聴きながら、自分でコーヒーをいれて飲み、好きな詩や本を読んでいる。

夜明けを待つ間は、なんともぜいたくな時間である。


これからも、全国の夜明けの写真をアップしていくので、期待してください。

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2009年7月24日 (金)

鎌田實の一日一冊(30)

年間平均すると、3~5冊くらいの「帯」の依頼がある。
じっくり読み込まないといけないので、つらい仕事であるが、読んでいるうちにその本を好きになると、
コピーライターのように数行で何かいいまとめができないだろうかと考えてしまう。

『楽天力 上手なトシの重ね方』(沖藤典子、清流出版)もそんな一冊。
泣けて、笑えて、心が温かくなる本である。Photo
肩の力が抜ける。
老いと向き合うことは、そう悪いことではないなと思わせてくれたり、介護もなかなかおもしろいじゃないかと思わせてくれる話が満載である。
生き方のセンスが磨けそうな気がした。
老いることも、そう不安ではなくなる。
介護することも、いつか介護をうけることも、楽しく受け入れられるコツをマスターできそうな気がした。
読む人の人生そのものを、おしゃれにしてくれるヒントがいっぱいである。
そんな思いを込めて、帯をまとめた。
ぜひ、お読みください。

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われわれはどこから来たのか⑭

~~くらいところ~~

ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」には、闇が描かれている。
一見、何も描かれていないように見えるが、実は、ここに大切なものが描かれているのではないか。

この絵をみながら、空海の言葉を思いだした。
死ぬ間際に弟子に言ったという。

「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生のはじまりより冥く、死に、死に、死に、死んで、死のおわりに暗し」

冥いところから生まれ、死んでまた暗いところにかえっていく。それが人間。

くらいところというのは、おそらく母親の胎内ではないかと勝手に想像した。
子宮の中で胎児は、38億年の生命の歴史をたどりながら、この世に生まれてくる。
生命が、どんな苦難も生き抜いてきたしたたかさを考えずにはいられない。
なんとも、すごい大作に出合って、いろんなことを考えている。

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2009年7月23日 (木)

介護の新しい発想④

鷹巣のその後に思うこと

羽田澄子監督とお会いした。
「婦人之友」で、羽田さんと樋口恵子さん、そしてぼくとで、日本の介護の問題をあぶりだす鼎談をした。

終わった後、食事をしながら、映画の話になった。
羽田澄子さんは、『嗚呼、満蒙開拓団』について書いたぼくのブログを読んだという。
前半は、いい映画だと評価している。
後半の数行は、羽田澄子批判をしている。
それも読んでくれていた。

0906141 秋田県の鷹巣町は、かつて福祉先進地として脚光を浴びた。
その地域が、町長選によってリーダーが変わり、福祉が後退していった。
羽田監督は、鷹巣町が、日本の福祉先進地として先頭を走っていくところから、徐々に後退していくところまで、3本の映画を作っている。
ぼくは、インテリが泥臭い田舎に介入したため、地域の人はしらけてしまい、結局は住民自治が育たなかったのではないかと危惧を抱き、そのことを書いた。

しかし、誤りがあった。
羽田監督は、民主主義のあり方を問いたいと思い、映画を撮ったという。
福祉を推進しようとする元町長の岩川さんグループと、ソフトよりもハード(建物)を重視して街づくりをしようとする反岩川グループの対決を、どちらにも与せず、丁寧に追いかけた。
「岩川町長とは、一度も食事をしなかった」と羽田監督から聞いて、まさかと思った。
なんとなく、岩川さんグループを応援していると思っていたが、非常に浅はかな見方であったと反省した。

羽田監督の映画は、福祉の町づくりとか住民自治という切り口で、住民たちが全国各地で自主上映会をしている。
ぼくたちの町にもこの映画がやってきた。
特に上映会の主催者は、福祉の街づくりや住民自治に関心が高いので、福祉の街づくりをするのが○で、反対派は×という空気を生み出しやすい。
その空気が、マスコミによって全国に広がってしまった可能性はある。

でも、選挙をするのはその土地の人である。
そんな空気をマスコミが作り出してしまうと、地域の人は意固地になる。
おれらのことはおれらが決める、という反発が起こってくる。
それは当然のことだと思う。

岩川さんは町長選に破れた。
外の人間から見ると残念な結果になってしまったのだが、これが民主主義なんだと思う。
住民自治をさらに豊かに推し進めていくために、高い授業料をはらったのだ。

住民自治のことを考えるなら、外の人間はできるだけ手を出さないことである。
むりやり住民自治や民主主義を持ち込んでも、メッキはすぐにはげる。
ゆっくりと時間を待つ必要がある。
どうしても介入するなら、どんなことがあっても、選挙に勝ち抜いて、正しいことをやりぬく強い意思が必要である。
まわりの知識人が、ヤンヤヤンヤと煽ったり、東京の有名人が選挙カーに乗って応援しても、そういう選挙は勝てないと思う。
勝ったとしても、あまりいい勝ち方ではないのではないだろうか。

鷹巣町は残念な結果になった。090506
たしかに介護の先進地がつくられつつあったと思う。
だが、マスコミがいうほど完成したものではなかったように、ぼくは考えているが、
それでも日本の介護シーンを変える先進的な取り組みになりえたものが、つぶれてしまったのは残念でならない。

福祉のまち鷹巣に関しては、マスコミがいっぱい入りこみ、おだてすぎたと思う。
秋田の町の小さなまちづくりという意識が離れ、インターナショナルな町づくりとして、いわばワンダーランド化してしまった感が否めないような気がした。
介護は、実にリアルな世界での話だから、違う世界へワープしてしまうのはいいことではないと思ってみていた。
だから、鷹巣報道をするジャーナリストや大学教授たちを冷ややかにみていた。
ぼくは、岩川さんが町長をしていたときには、一度も行っていない。

全室個室の老人保健施設や、24時間体制の在宅ホームヘルプサービスの充実などはたしかに優れていたとは思うが、
やっぱり大事なことは、地域とどうつながるか。
その地域がもっている歴史とか風土とか文化とか、その町の福祉のサービスやシステムのなかに色や臭いがあることが大事なような気がするのだが、
映画やテレビや本や新聞でよむ範囲では、その色や臭いは感じられず、北欧型ならば、北欧にみにいったほうがいいのかなと思った。

介護あるいは福祉と住民自治は、密接につながっているように思う。
自分たちの町を自分たちの手でよくしようとする、民主主義の根幹があって、
介護にほどほどの税金の投入がなされながら、税金だけに頼らず、自分たちで作り上げていく感覚や、汗を流すことが大事なのではないかと思う。

茅野市の「福祉21ちの」は、まさにこの住民自治をめぐっての闘いだった。
この10年、住民が福祉の町づくりに計画段階から参画し、住民同士が協力しあい、町をよくしていこうとしている。
羽田監督はまさに、そのことにこだわって、どちらにも与せず、ていねいに住民自治のあり方を撮ってきたのだと聞いた。
もう一度、そういう目で見直してみないといけないと思った。
映画は深くておもしろい。
ちょっと表面的にみてきたことに、反省をしている。

先日、元鷹巣町長の岩川さんが、北秋田市長選に出て、公職選挙法違反容疑で逮捕されたと報じられた。
なんか、ひっかけられたのかなと思う。岩川さんらしくない。

鷹巣で行われた試みは、本当に残念だった。
時代や社会や地域を変える可能性があったのに、このまま消え去ってしまうのはなんとももったいない。
このチャレンジの失敗が、うまく次につながることを祈る。

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われわれはどこから来たのか⑬

~~ミトコンドリア・イブ~~

ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへいくのか」の本物の絵を見て、
あまりゴーギャンらしくない青のイメージが強い絵だと思った。
紫の色が強く出ている。
両上の端には、日本画の琳派や狩野派の金箔を思わせるような色が使われ、真ん中に、リンゴをつかむ、少年か少女かわからない人物が描かれている。
真ん中の人間は、まるでリンゴを盗ろうとしているエバのようにも見える。

2 人間を構成している細胞のなかには、ミトコンドリアと呼ばれるものがある。
かつて別々の細胞が共生し、一つの細胞のなかにミトコンドリアという別個のDNAをもつものが入り込んだという説がある。
だから、一つの細胞のなかには、核の中にあるDNAとは別に、ミトコンドリアの独自のDNAがある。
ミトコンドリアのDNAは母親からしか受け継がれないので、母親を追いかけていくことができる。
これをさかのぼっていくと、20万年ほど前、アフリカに生きていた女性にたどりつくという。
これをミトコンドリア・イブという。

現在、生きている人類は700万年前にはじまり、何度か出アフリカをしながら、旅の途中で絶滅し、またアフリカを出る人たちがいて、世界にひろがっていった。
サルから人類に分かれ、その境目の何種類もの人間が生まれ変わりながら、出アフリカに成功し、世界中に散らばっていったのである。
ゴーギャンの絵に描かれているのは、このミトコンドリア・イブだったのではないか、と勝手に深読みしている。

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2009年7月22日 (水)

われわれはどこから来たのか⑫

~~腰椎の凹突起~~

サルと人間との明確な違いは、直立二足歩行ができるか否かである。
人間は、直立二足歩行することによって、視野を広げることができた。
危険から身を守ることができ、イメージすることができ、500グラムの脳が1250グラムほどに重さを増していく。090702
そして、イメージを広げながら、共同幻想という抽象的な、仲間とか社会とか、家族というものを生み出した。
並行して、叫び声や感動の声が言葉になっていく。

なぜ直立二足歩行ができるようになったのか。
おそらく突然変異で、腰椎の凹突起という骨ができ、腰をしっかり支え、安定して立つことができた。
これが人類の進化の大きな要素である。
この凹突起の突然変異が起こらなければ、人類は地球上に広がらなかった可能性が高い。

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2009年7月21日 (火)

われわれはどこから来たのか⑪

~~奇跡の隕石~~

人類が生まれる大きなきっかけは、隕石だったかもしれない。
5億4000万年ほど前の、カンブリアの爆発とも呼ばれるカンブリア紀、水の中で、われわれ祖先は、多様化し、進化していく。
その後、4億1000万年くらい前から、陸へと上がっていく。
そして、3億6000万年前から爬虫類が地球の支配者になる。爬虫類、いわゆる恐竜が、巨大化していく。
7000万年ほど前に哺乳類が生まれる。
6500万年ほど前、恐竜の支配が終わり、そのために哺乳類が生きやすくなる。

なぜ爬虫類の支配の時代が終わったのか。
おそらく巨大な隕石が落ち、火災によって生じた塵やすすが何年にもわたって太陽の光を遮断し、植物は光合成ができずに枯れたためではないかといわれている。
3億年近い間、爬虫類は繁栄を続けていた。
そのまま爬虫類が力をもっていれば、人類がこれほど繁栄することはなかったかもしれない。

巨大な隕石が、地球にぶつかった跡は、メキシコあたりに残っている。
巨大な隕石の落下は、地球崩壊の危機である。
だが、銀河系では、木星と土星という巨大な星が、巨大な引力で隕石を引き寄せてくれているため、地球に落ちてくる数はとても少ない。
にもかかわらず、たまたま地球に落ち、それが恐竜の絶滅を呼び、われわれ人類が生まれてくるきっかけをつくった。
とすれば、奇跡としかいいようがない。

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鎌田劇場へようこそ!(27) 「ディア・ドクター」

鶴瓶が最高。
主役ははじめてとのことだが、いい味を出している。
最高のキャスティングである。
鶴瓶でなかったら、考えられなかったかもしれない。

過疎地の地域医療の現場を丁寧に追っかけている。
はしゃぎすぎのところもあるが、監督の西川美和はいい線を押さえている。
西川は、原作、脚本、監督をやっているという。
才能のすごさも見えてくる。

映画のなかには、いくつもののウソが織り込まれている。
『へこたれない』で、ぼくのうちのなかにあったウソにも触れたが、どこにもウソはある。
ウソで塗り固められたニセ医者のはずの鶴瓶演じる男が、不思議な形で人を支えているのである。

慢性呼吸不全で在宅酸素療法を受けていた老人が、おすしを食べた直後、呼吸困難を訴える。
みんなが飛んでいく。
親戚も、村の人も、集まっている。
鶴瓶の前で、老人の息が止まる。
挿管をするか迷っているところの空気が実にいい。
回りの家族はもういい、もういい、という目をする。
それを感じた鶴瓶は、心マッサージをするのをやめる。
そして、死亡の宣告をした後、「よう生きたなあ」と、老人を抱きしめる。
おおこれは、すごいと思った。Photo
こんな臨終、みたことない。
ぼくも、多くの臨終に立ち会ってきたが、死の宣告のときに、患者を抱きしめてあげるなんことはしたことがなかった。
そんなことを思っていた矢先、老人が息を吹き返す。
赤貝がのどにひっかかっていたのである。
大笑いである。
だが、この出来事により、小さな村に伝説が生まれてしまう。
あの医者は、死んだ人を助けた、と村の人たちははしゃぐ。
つるべの戸惑っている顔がじつにいい。

八千草薫扮する女性が胃がんになる。
彼女は、大きな病院がないこの村に、ずっといたかった。
「先生、一緒にウソをついてください」と頼まれ、家族に病気ことを言わない約束をする。
このウソが結局は自分の墓穴を掘ることになる。
ここのところは、ちょっと納得できない。
ぼくがこの村の医者だったら、八千草薫の娘に、母親の気持ちも、病気も、きちんと伝えるだろうと思う。
娘は、医者である。
鶴瓶がこの村を逃げるようにして去っていくと、母親は娘のいる都会の大病院に入院し、なんともつらい日々を過ごす。
もし、鶴瓶がこの村にいたら、母親はこの自然豊かな村で最後まで暮らすことができたと思う。
本当の話をしていれば、患者の思いを遂げることができたはずである。
ここはやはりニセ医者の限界であったような気がしてならない。

最後は本当に感動である。
鶴瓶が、胃がんの患者に最後に届けたものは、医療を超えた医療だったように思う。
医療は、ときどき病気を直すことができる。
でも、いつもではない。
いつもできることは、心を支え、癒すこと。
医療のもっとも大切なものを、鶴瓶は最後のワンカットで表現していると思った。
鶴瓶という多才なタレントがなければできなかった映画。
鶴瓶という人間の虚と実も垣間見せながら、それでも人間ていいなと思わせてくれる。
ウソのない人なんていない。
鶴瓶のなかにも、ウソはあると思うが、これがすてきなんだと思う。
鶴瓶、最高の演技でした。
ぜひ、ご覧ください。

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2009年7月20日 (月)

許すということ

2005年4月、福知山線脱線事故で107人が死亡した。
被害に遭ったご本人も、ご家族も、不条理だと思う。
簡単に許せるわけがない。

JR西日本の社長が在宅起訴された。当然といえば当然である。
何がいけなかったか、きちんと裁判で明らかにする必要がある。
そして、こういう事故を二度と繰り返さないためにどうすべきか、方針を出さなければいけない。

0907151 つい最近、大阪にある聖トマス大学で行われている「癒しの連続講演会」に呼ばれて行ってきた。
そのとき、こんなことが頭の中をよぎった。

アメリカで、アーミッシュの学校が銃撃され、女の子5人が殺害された。
銃撃犯はすぐに自殺した。
アーミッシュは、プロテスタントの一派であり、北米に移住し、現代文明や暴力を否定し、再生可能な生き方をしている。
そのアーミッシュは、犯人の男の家族を訪ねて、男を許すと伝えた。
被害者の葬儀に、男の家族も招いた。
数週間後には、双方の家族が集まり、悲しみを分かち合ったという。

聖トマス大学に設立された「日本グリーフケア研究所」の呼びかけで、
福知山線の事故後、何年にもわたって、500~600人の人たちが「グリーフケア」(悲嘆の支え)の勉強をしているという。
この参加者のなかには、被害に遭った本人やご遺族がいる。
さらにJR西日本の前社長をはじめ社員たちが自主的に多数参加しているという。

元社長の垣内剛さんと会場で会い、ごあいさつをさせてもらった。
毎回、この勉強会に来ているという。

裁判は裁判で、JR西日本の責任を厳正に明らかにしながら、0907152
もう一方で、被害者と加害者が同席して、何年にもわたって命について勉強しつづけてきているという事実のすごさ。
これによって、何かがすぐに変わるわけではない。
だが、同じ時間、同じ空気を吸いながら、命について学ぶということは、何かすごい可能性を含んでいるように思う。
恨みや憎しみの連鎖は、新しいものを生み出すことは少ない。
恨みや悲しみを緩和し、癒しながら、二度とこういう不幸を起こさないために、両者がともに学んでいくことは、
新しい企業のあり方だけでなく、新しい社会のあり方を模索していくうえで、大きな役割を担っているように思う。

当日、階段教室は、参加者であふれかえった。
もう一つの教室では、同時テレビ中継で講義が見られるようになっているが、そこも満杯。
こんなにたくさんの人たちが、事故後、何年も、命について勉強していることに驚きと感動を覚えた。


写真は、先日、原村へ往診するときに撮った空。遠くに見える八ケ岳や甲斐駒が美しい

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2009年7月19日 (日)

「発見!特B級グルメ」をシリーズ化

全国を歩きながら、できるだけ時間をみつけて、その土地の、安くて、旨いものを食べてきた。
ラーメンや焼きソバなど、大衆に愛される食を、「B級グルメ」として、このブログで紹介してきたが、なかには、ちょっと「B級」というには気がひけるものもあった。

ある程度、高いお金を出せば、旨いものに出会う確率は高い。
でも、実はうんと安くても、あるいはちょっとだけ高くても、その土地の人に愛されてきた食べ物は多い。
こういう食べ物に出会うと、ぼくはうれしくなる。

食を、A級、B級とランキングするのも何かと思うが、ぼくはそういうコストパフォーマンスのいい旨いものを「特B級グルメ」と名づけることにした。
「特B級」には、「B級」そのものと、「B級」と「A級」の境界領域も幅広く含めている。

ぼくは以前、肥満と正常の間を「ちょい太」という言い方で、実は「ちょい太」のほうが健康で長生きできると主張してきたが、
同じような発想で、ちょいとA級の、B級以上A級未満の境界領域こそ、旨いものの宝庫であると確信している。
そんな各地で見つけた旨いものを今後、「発見! 特B級グルメ」のシリーズで紹介していこうと思っている。
どうぞ、ご期待ください。

090712発見! 特B級グルメ(59) 近江市場の海鮮どんぶり

左の写真は、金沢の近江市場で食べたイクラとウニのどんぶり。090711
これをB級といったら、怒られるよね。
金沢では、今年初めて、鮎の塩焼きもいただいた。

発見! 特B級グルメ(60) 吉塚うなぎ
09071934ug

今日は、土用の丑の日。お昼には、博多の「吉塚うなぎ」のうなぎを食べた。
たいへんおいしかった。
相変わらず、忙しく飛び回っているが、おいしいうなぎで活力をもらい、夏バテ防止になったような気がした。

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介護の新しい発想③

デイケアのきっかけ

ぼくたちの病院で、なぜデイケアが始まったのか。
きっかけは、健康づくり運動で地域に出て行ったとき、寝たきり老人の実態をみたからだった。
悲惨だなと思った。
ほっとけないと思った。
あたたかな職員たちが、やろう、やろうと声を出した。
うわさを聞いて、まちのボランティアが集まった。Photo
行政の保健師や社協のへルパーなどプロフェッショナルが集まってきた。
みんなのあたたかかく、ほっとけいなという思いが、一つになり、いい空気を生み出した。
そして、そのころあった精神障害者のデイケアの制度を利用して、身体障害の高齢者のデイケアが産声をあげたのである。

はじめはオンボロ病院の、図書室の机やいすを片付けて、デイケアの会場にした。
その図書室が、会議や医師の学会発表の準備で使われるときには、病院の外に探すしかなかった。
公園の無償の休み茶屋を利用したり、ホテルの人にあたたかく迎えいれていただいたこともある。
おかげで、ホテルの温泉に入り、おいしいお昼ご飯を食べるデイケアなど、多彩な形のデイケアが生まれていった。
恵まれた環境ではなかったために、かえって知恵を働かせたのである。

町へ出て行くと、町の人たちがあたたかく迎えてくれた。
少しずつ町にいい空気が漂い始めたのである。
右側の動画像をクリクックしてみてほしい。
これも、市民が記録を残してくれていた映像である。
まだビデオが普及していない時代、8ミリに記録してくれていた。
みんなあたたかかった。

これまで、動画像を毎週1本、更新してきている。
「がんばらない健康法」などは、2000人以上の人がアクセスをしてくれた。
ぜひ、ごらんください。

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2009年7月18日 (土)

8/9 ホスピタルコンサート

第19回ホスピタルコンサートのプログラムが決まりました。Photo_5

司会はおなじみ畑中良輔先生。
テノール下野昇さん、バリトン吉沢哲夫さん、メゾソプラノ永井和子さん、ピアノは奈良真潮さん。
伊藤京子さんの詩の朗読があります。
今年は、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」のハイライトで、蝶々夫人は岩崎由紀子さんが務めます。

《第19回ホスピタルコンサートのお知らせ》
日時 8月9日
開場 午後1時30分
開演 午後2時
会場 諏訪中央病院のロビー

先着順です。
どうぞ、たくさんの方、おいでください。
レベルの高いコンサートを楽しんでいただけます。

写真は昨年のホスピタルコンサートの様子

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お知らせ

明日19日、読売新聞朝刊に、鎌田實の連載エッセイ「見放さない」が載ります。

20日午前9時05分から、NHKラジオ第一で「鎌田實いのちの対話」が再放送されます。
たいへん好評のため、アンコール。
鎌田が、端唄をちょっとだけ歌う。
日本の最高の三味線を伴奏に、鎌田實の朗読もお聞き逃しなく。

24日午後8時からは、NHK総合テレビ「そりゃ あんまりだ!」にコメンテーターとして出演します。
男の介護について、なかないかいい取材がされている番組です。
日本の介護の問題が浮き彫りになっているので、ぜひ、たくさんの人に見ていただきたいと思います。

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岩次郎小屋の四季 初夏の鎌田農園

2
鎌田農園では、プリーツレタスがいきいきと育ち、はやく食べてほしいと訴えている。

セロリやキュウリも、食卓にのりはじめた。

Photo_2トマトは、もう少しすれば、赤くなる。
孫が来たときに、収穫させたいと思っている。


りんごの木を植えた。
このりんごがいつ実をつけるか、いまから楽しみだ。Photo_3

風に揺れて黄色く咲くのは、染色用のカモミールの花。

Photo_4

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2009年7月17日 (金)

鎌田劇場へようこそ!(26) 「愛を読むひと」

ケイト・ウィンスレットがアカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した映画である。
ケイトが、すごくいい。
「タイタニック」で、評判になったときは22歳。                                                                                 この映画では34歳。
「タイタニック」よりは何倍も厚みのある空気を持ち出した。
暗くて、強くて、あったかくて、お母さんのようで、娼婦のようで、なんとも、ステキなハンナ・シュミッツという女性を演じている。
ベストセラーになった小説「朗読者」を映画化したものであるが、美しい映像で、本に負けないくらい出来栄えのいい映画になっている。

1_215歳の青年と、何か秘密がありそうな36歳の女性が恋に落ちる。
こんな恋をしてしまうと、一生が変わってしまうだろうと、想像できる。
それでもこれだけ人を好きになれるならば、一生が狂ってもいいような気がしないではないなと思った。
謎めいた女は、突然消える。
そして8年後、裁判所で再会する。
ナチスの親衛隊に入り、アウシュビッツなどの収容所で働いていた。

ハンナは、青年に本を朗読することを求めた。
それは、なぜか。

ぼくは『いいかげんがいい』で、旅役者だったために学校に行けず、文字が読めないおばあちゃんのことを書いた。
文字が読めない、書けないというのはけっこうつらい。
村の集まりに行っても、村の役が回ってこないか不安をもちながら、いつも隠れるように隅のほうに座っていたという。
自分に役が回ってきて、みんなから字が読めないことがばれないか、びくびくしていた。
何かの事情で字を覚えることができない子ども時代を過ごしてしまった人がいるのだ。

「愛を読むひと」は、なんともいくつもの問題を提示している。2
人を好きなること、いかに生きるか、そして、人間の原罪、責任とは何か、いくつものことを考えさせれる。
厚みのある深い映画にしあがっている。
しかも、はらはらどきどきする展開になっている。
ケイトの潔い裸もなんとも上品でたくましい。
22歳の「タイタニック」のときとは、二の腕の太さが違うなと思いながら、こうやって人は年輪を重ね、人間としての厚みを増していくのだと確信させてくれる出来栄えのいい映画になっている。

ぴあの点数はあまり高くないが、絶対におすすめの映画である。

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雨上がる

0907172 朝方、たたきつけるような雨があがった。
中腹に雲がかかりながら、大きく裾野を広げている今朝の八ケ岳。0907171

高遠へと向かう里山には、雲が低くたなびいている→。

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2009年7月16日 (木)

紅いこうもり傘

なんとなく、唐十郎のことが気にかかってしょうがないのである。
最近、DVD3枚組の『演劇曼荼羅 唐十郎の世界』を見続けた。

先日、彼の家を訪ね、芝居の話をいっぱい聞いた。

気になっていたのは、唐十郎と水の世界である。
水の中から登場することがかなり多い。
唐十郎の芝居の多くは、朝鮮半島と日本列島との間の海峡にもスポットを当てている。

「なんで水にこだわるのか」とぼくは聞いた。
唐十郎は、小学校4年のとき、水溜りを見ているうちに、魚がいるような気がして、釣り糸をたれた。
釣り糸をたれて、ずっと浮きを見ていると、浮きがたつ。
10センチくらいの水溜りの底に魚が泳いでいるような気がしてならなかったという。

『あのね 子どものつぶやき』(朝日新聞社)という子どもの言葉を集めた本のなかに、
冷やそうめんを食べながら、そうめんを浮かべた器の水の中で泳ぎたいなと言った子どもがいた。

唐十郎は、そんな子どもの想像力を、今も持ち続けている特権的想像力の持ち主のような気がしてならない。
かつて不忍の池のほとりで『二都物語』を上演したとき、Photo_2
舞台の袖のテントがぽんと開かれると、大久保鷹や根津甚八が、池の向こう岸から泳いできた。
しかも、大久保鷹は和式の机を背負っている。
舞台にそのままあがってくると、引き出しから水がどっとあふれ出した。
まさに特権的肉体をもちあわせた異形的役者の集まりだった。

紅テントは、まるで子宮のようだ。
そのなかで育つ胎児は、羊水によって守られている。
だから、いつも水にこだわっているのかなと思った。

かつて寺山修司が「唐さんは私探しをいつまでもしている」と言ったことがある。
ぼくが、そのことについて聞くと、唐十郎はこう答えた。
「私探しをしているけれど、そもそも原点の私は壊れていて、私に似た私を探しているのです」
鋭い目をして言った。
だが、すぐににやっと笑い、その鋭い目を隠した。

芝居の話をたくさん聞いて、お昼を食べて、彼のうちを帰ろうとすると、雨が降っていた。
唐十郎が「この傘、もっていきな」と差し出してくれたのが、紅いこうもり傘だった。
傘を広げると、まるで、あの花園神社の境内に忽然とたつ、紅テントのような空気になった。

あれからぼくは、あの紅いこうもり傘を部屋の中で差しながら、小説や『唐十郎 紅テント・ルネサンス』(河出書房新社)を読んだり、DVDを見たり、
唐十郎の世界に浸っている。

写真は、唐十郎からもらった紅い傘、コレガホントウノ唐傘?

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鎌田實の一日一冊(29)

『図説神聖ローマ帝国』(菊池良生、河出書房新社)
ローマ帝国が滅亡した後、群雄割拠の戦国時代が続き、かつてのローマ帝国の平和、パックスローマーがあこがれられた。
そんな時代の13世紀、神聖ローマ帝国ができる。
850年に及ぶ壮大な歴史絵巻が、資料や写真、地図、年表によってつづられ、実にわかりやすい。Photo

著者は、『神聖ローマ帝国』『戦うハプスブルク家』『傭兵の二千年史』『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』など、
たくさんのハプスブルクの歴史を、新鮮な視点で書いてきた。

ハプスプルク帝国が、近代郵便制度の誕生につながったなど、実ににおもしろい話も紹介されている。
壮大な歴史が、総括的に整理ができるように、うまくつくられているのもいい。
ヨーロッパの歴史が好きな人にはおすすめの一冊である。

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2009年7月15日 (水)

本日放送「イラク、小児がんの子どもを救いたい」

イラクのバスラで、小児がんに苦しむ子どもたちについての番組が放送される。
JIM-NETの佐藤真紀事務局長が出演する。
イラクの子どもたちを救いたいと、信州大学で研修を受けているイラク人医師にも密着している。

放送は、本日15日午後11時15分から、NHK BS1「きょうの世界」。

ぜひご覧ください。

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われわれはどこから来たのか⑩

~~ゴーギャンの大作に会う~~

今年3月、イースター島からタヒチへ船旅をしながら、
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへいくのか」とずっと考え続けてきた。
旅の間、サマセット・モームの『月と6ペンス』を読みふけった。

タヒチにあるゴーギャン博物館では、ゴーギャンの大作『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』のレプリカがおかれている。
この作品は、フランスにいる娘のアリーヌが肺炎で亡くなったあと、失意のなかでかき上げたもの。
彼は生きる力を失いながら、この大作をかき上げて、自殺を図る。
しかし、砒素を大量に飲みすぎたため、嘔吐をして、一命を取り留めた。

その後、ゴーギャンはタヒチよりもさらに未開の島、ヒバオア島に移り、
最後の数年、いくつもの傑作を遺して亡くなっていった。

フランスからタヒチへ行ったゴーギャン。
下っていく人間のおもしろさに、興味をもってきた。090709
最後まで生活も苦しく、評価もされず、生き延びる。
「十分に傲慢に生きてきた」と自ら言っている。
「私は意志することを意志したのだ」
ゴーギャンは、新聞を発行した時期もあり、言葉を使える人である。
「意志することを意志した」というのは、まさにゴーギャンらしい言葉である。

こんな言葉も遺している。
「腐れきった文明に対して、私は野生に由来するもっと何者かをぶつけようとしている」

この考えは、ゴーギャンの絵に表れている。生き方に表れている。
ゴーギャンの祖母は、女性解放運動の先駆者であった。そんな血をひいているような気がする。

タヒチでは、ゴーギャンは、島の人々から好かれていなかったようだ。
13歳の女の子と同棲をしたり、次々と子どもをもうけたり。
一度、フランスからタヒチに戻ったときに娼婦から梅毒をもらって、最後は血管性の梅毒になり、足の痛みなどに苦しんだようである。
ゴーギャンは、最後までゴーキャンらしく生ききったように思う。

「はてしなき辛苦、そうでなければ、いったい人生に何の意味があるのだ」という言葉を遺しながら、
彼は最後までつっぱり続け、そこらじゅうに波風を立てて亡くなっていった。

ゴーギャンは、マルキーズ諸島の小さな島、ヒバオワ島で死に、埋葬されている。
村人はゴーギャンのことをあまりよく思わなかったため、墓は手入れもされず、あまり花も手向けられないと聞いた。
回りの目を気にせず生き抜いたゴーギャンの最後らしい。

東京国立近代美術館で、9月23日まで「ゴーギャン展」が開かれている。
『我々はどこから来たのか~』の本物に、やっと会えた。

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2009年7月14日 (火)

介護の新しい発想②

虐待を防ぐには

介護の現場では、虐待が起こりやすい。
高齢者や障害者の施設でも、家庭でも、まま行われていることがある。
虐待は、する側が気がつかない場合がある。

身体的な虐待だけでなく、心理的な虐待、性的な虐待、無視するというネグレクトもある。
本人の年金を取り上げて、自由に使わせないようにする経済的な虐待もある。

施設での虐待を防ぐためには、施設の部外者が定期的に視察し、サービス利用者と話をしながら、SOSをとらえやすい機会をつくっている。
できるだけオープンにすることが、虐待の悲劇を防ぐことになる。
スタッフたちの教育を、徹底して改善する必要もある。
サービス利用者の人権を守るために、別の利用施設に変えることも手段の一つである。

家庭のなかで虐待が行われる場合は、加害者になっている家族の介護疲労も考えながら、一度分離してあげることである。
サービス利用者を施設に預けて、人権を守るとともに、加害をしている家族を休ませてあげることが大事である。
加害する人を理解したり、援助したりするのはいかにも矛盾のようにみえるが、
虐待をしている人のつらさを理解してあげることで、虐待が緩和されることがある。

しかし、虐待はいつもグレーゾーンで、もしかしたらと思いながら、安易に問題視することができない。
かえって、白黒はっきりつけないほうがいいという場合もある。
そのときには、当事者に直接話をせず、サービスを提供している側がケース検討をして、たんさんの人の目を通して、
どこまで虐待かを客観的に明らかにしながら、人間関係の改善をはかっていくことが大事である。
決定的に人間関係を壊さない努力がつねに大事であり、なおかつ、少しずつ改善していくことが大事である。

でも、改善の余地が見込まれないときには、加害者と被害者を分離して、施設でサポートすることも仕方ない選択になると思う。
大事なことは、身体的な虐待だけでないということ。
いろんな虐待があるということを考える習慣をつけて、自らの言動が、介護を受けている人をつらい気持ちにさせていないか、ふりかえれるような心の余裕をもてる現場にすることが大切である。

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2009年7月13日 (月)

10代いのちの対話お便り募集

終戦の日8月15日の夜、ラジオ第一放送で、
10代と平和やいのちについて語り合う『10代いのちの対話』を放送します。
ゲストは、『バッテリー』をはじめ少年少女をテーマにした小説を多く手掛ける作家のあさのあつこさん、
歌う道徳講師と呼ばれ、学校コンサートで全国行脚する歌手の大野靖之さん、そして諏訪中央病院の鎌田實。
ゲストと10代のリスナーと電話を結んで、語り合います。

番組では、10代の皆さんからのお便りをお待ちしています。

「どんなときに、いのちを意識しますか」
「平和のために、自分ができることはどんなことですか」
「生きるのが嫌になったことがあったとしたら、それはどんなときですか」
「大人に注文したいことは?」
「最近、感動したことは?」

こういったテーマで、お便りお寄せください。
インターネットや携帯電話の『10代いのちの対話』のホームページ、あるいは、FAX03-5455-4141まで。

8月10日締め切りですが、なるべく早めにお願いします。
なお、投稿は10代の方に限らせていただきます。

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発見!特Bグルメ(58)小淵沢の鰻

090702 白焼きの鰻とたれで焼いた鰻の両方が一度に楽しめる鰻重。

山梨県小淵沢にある井筒屋という鰻屋でいただいた。


帰り道、富士見から八ケ岳を望む。09070

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鎌田實の一日一冊(28) 内藤いづみという生き方

内藤いづみは在宅ホスピス医である。
山梨県甲府市で、在宅ホスピスを中心に開業している。
難しいスタイルのクリニックである。
日本で在宅ホスピスを築いた女医である。

内藤いづみ先生から、諏訪中央病院の緩和ケア病棟に患者さんを紹介してくれることもある。
彼女が最近、新しい本を書いた。
『最高に幸せな生き方と死の迎え方』(オフィスエム)Photo
しゃれた本だ。
その前書きに永六輔さんがこんなことを書いている。

「内藤いづみ氏を見ていると、日本の家族が見えてくる。イギリス人の夫と大学生から高校生までの子ども三人が支えているところが大きい。
彼女が一人で在宅ホスピスに駆け回っているのではない。クリニックのスタッフも充実しているが、家族が、母であり、妻であり、ホスピス医である彼女を支えているのがよくわかる。
そのことを誇りにし、家族のエピソードで笑わせるときの彼女のなんと幸せそうなこと。家族に感謝している医者をみつめ、患者の安心感はさらに広がる」

たしかに、その通り。
夫がじつにやさしい。
24時間いつでも、患者さんの自宅に駆けつける彼女の医療スタイルを支えているのは、このイギリス人の夫である。

日本に緩和ケアが少しずつ広がっているのも、内藤いづみの力が大きい。
特に在宅ホスピスケアを志す若い開業医師たちが現れだしているのも、内藤いづみの力が大きいと思う。

この内藤いづみ先生が、諏訪中央病院ほろ酔い勉強会にやってくる。
2009年の講師のラインナップの検討は、最終段階に入った。
第1回は9月9日、諏訪中央病院の研修センター3階で内藤いづみ先生の講演を1時間。
その後、内藤いづみ先生と鎌田實の命の対話を予定している。
参加は無料。
先着150人なので、早い者勝ちです。

永六輔さんは、内藤いづみさんのことがかわいくて、かわいくてしょうがいない。
そのことは、この本の巻末を読むとわかる。
あとがき対談という、内藤さんと永さんとの丁々発止の対談が載っている。
ぜひ、お読みください。

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2009年7月12日 (日)

鎌田實の一日一冊(27)

「あのね 子どものつぶやき」(朝日新聞出版編)
朝日新聞生活面のコラム「あのね」から収録し、文庫にした。

笑ってしまう。
ほっとする。

4歳になった娘の誕生日。Photo_5
母が「大きくなったね。あっという間にお嫁にいっちゃうかな」とつぶやくと、
「だいじょうぶ。すぐ帰ってくるから」
映里穂ちゃん、おうちが好きなんだ。

6歳の陸くん。
蝉の脱皮をみて、
「お母さんは、ぼくの抜け殻やなあ」
抜け殻にならないように、お母さんは厳しい課題を与えられたように思って、笑った。

道郎くん5歳は、サイダーをコップに注いだ。
耳を近づけて、
「夏の音がするよ」
情感が豊かで、とてもすばらしい。
たしかに夏の音がするような気がする。

妻のさとさんのお父さんは、サイダーが好きだった。
「がんばらない」に書いたが、義父は、あったかくてやさしい人だった。
ぼくとは違って、きちんと自分のことは自分でする人だった。
大好きなサイダーをいろんなところにおいて、いつでも飲めるように用意周到だった。
亡くなっていくときも用意周到で、見事に人生の締めくくりをした人だった。
義父は、なんでサイダーが好きだったんだろうか。
そんなことを思いながら、義父がのこしていったサイダーを、一人であけて飲んだのを今も覚えている。

道郎くんの一言を読んで、義父はもしかしたら夏の音が聞きたかったのかもしれないと思った。
あと少しで夏がやってくる。
そんな季節に父は亡くなっていった。

もうすぐ、信州に夏がやってくる。久しぶりにサイダーを飲んでみようと思う。
義父を思い出しながら、夏の音を聞いてみようと思う。

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岩次郎小屋の四季 梅雨のまにまに

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バケツをひっくりかえしたような激しい雨のあと、
雨が小降りになった。
伊那へ抜けていく里山の雲が、動きはじめた。

Photo_3







雨のなかを出て、シャッターを切った。
葉っぱが、しずくの重みでたわんで、とても美しい。





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岩次郎小屋の下の小川には毎年、蛍が飛んでくる。
今年は、まだ。

待ち遠しい。

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2009年7月11日 (土)

鎌田劇場へようこそ!(25) 「レスラー」

妻、家、キャリア、自尊心。
すべてをなくして闇のなかにいた男が、闇のなかからすっくと立ち現れてくるような映画である。
主演はミッキー・ローク。
1980年代、アイドル的な人気を博すが、何を血迷ったのか、91年ボクサーに転向する。
結局、大したボクサーにはならず、その間にハンサムな顔が壊れる。
94年には家庭内暴力を起こし、警察に逮捕される。
95年ボクサーをあきらめ、再び映画の世界にもどってくるが、だれにも相手にされない。

ミッキー・ロークの人生と重なり合うように、この映画はすすんでいく。090217_wrestler_newmain
失敗の連続。
かつてマジソンスクエアガーデンで観客をいっぱいにした花形レスラーの主人公。
それから20年たって、いまはドサ回り。
自分が捨てた娘と出会う。
和解できそうになりながら、破局。
ドジな男である。
このドジさがたまらなくいい。
これが人生というものか。

マリサ・トメイというストリッパー役の44歳の女優が、またすばらしい。
みんな、おちぶれている。
みんな、人生をうまく生きれない。
それでも生きているということはすばらしいと思える映画である。

監督アロノフスキーが低予算でつくった起死回生の一作。
4館だけで上映がはじまり、徐々に評価された。
次々に映画賞を獲得していく。
ドサ回りのおちぶれたレスラーの話が、全米にヒットしていくのである。
深く感動的な映画だ。
人間ていいなと胸を打たれた。

最後の数分のエンディングがすばらしい。
映画館のシートにすっぽりと包み込まれてしまって、身動きできない感じがした。
ミッキー・ロークだからできた映画だと思う。
そして、ことごとく失敗の人生を生きてきた彼の人生は、つらいことはいっぱいあったが、無駄なことは一つもなかったと示しているような気がした。
心が揺さぶられる。
プロレスの場面は、女性はちょっと苦手かもしれないが、そこは薄目でみてみるといい。
感動間違いなし。

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2009年7月10日 (金)

「ゆうゆう」8月号は鎌田スペシャル

グラビアで12ページ、「命を愛し、慈しむ日々」というテーマで、鎌田實ワールドがどんなふうにしてつくられてきたか、上手にまとめられている。Magazine_main_10

父岩次郎からもらった自由とは何か、自由でありつづけることとは。
岩次郎のためにつくった岩次郎小屋で、今は自分自身がこの小屋に守られている。
岩次郎のためにつくったものが、結局ブーメランにようにまわりまわって、自分の命を支えていることが、だんだんにわかってきた。
そんな岩次郎小屋物語が書かれている。
ぜひ、ご覧ください。

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2009年7月 9日 (木)

鎌田實 日本経済への提言31

~~茨城県医師会の場合~~

資本主義社会は、お金が回らないと息も絶え絶えになる。
それが現在の不況を生み出している。
安心を生み出すには、2200億円の社会保障費の抑制をやめること、とぼくは数年前から言い続けている。

自民党の総務会では、なんとなく抑制しないというムードでまとまったようだが、文言を入れなかった。
茨城県医師会の原中勝征会長と講演会場で話したことがある。
原中会長は、自民党が医療や福祉を大事にしないことに異議を申し立てている。
茨城県医師会の政治団体である茨城県医師連盟では、まず幹部10人が自民党を離党。
そして、それぞれ医師会員に自由に判断してもらった結果、明確に党員を続ける人は46人で、3462人の党員のうち、1256人が自民党に離党届を出したという。
離党届を出し、明確に意思表示をした人以外の人は、おそらくそのまま党費を払わないことによって、自然脱退することになるだろう。0906302 
おおかたの人が会長の意見に同意したという。

医師会は、自民党の最も強力な応援団である。
それがひび割れ出している。
与党の自民党の方針が医療を抑制させ、医療崩壊を起こしている。
その結果、国民は安心ができず、財布のひもを締めてしまう。
経済は動きださない。
税金を使った公共投資というカンフル剤を何度も用いているが、動かない。
いま大切なのは安心の国づくりである。

これに対して、茨城県医師連盟は勇気をもって声を出した。
このことがいいことかどうかというよりも、「政府が言うならばしかたない」と思わないことが大切である。
みんなが空気に染まり、思考停止してしまわないことである。
医師会員だから、現在の権力にすり寄るというのではなく、医師だからこそ、国民のための医療を行うためにはどういう政治が必要か、
一人ひとりがきちんと考えて行動を起こすことである。
空気に負けない、空気に染まらない判断を、茨城県医師会は判断をしたように思う。

みんながそれぞれの立場で、この国をどうしたらいいか、考える大事なときにきている。

写真は、諏訪中央病院の庭

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2009年7月 8日 (水)

発見!特Bグルメ(57) カリカリ梅のそば

090701 蓼科に上っていく街道沿いの長寿更科は、いつも新しいそばを工夫している。
夏のメニューとして登場したのが、カリカリ梅のそばだ。
自分のうちの梅をカリカリに漬けて、大根おろしとともに、おそばを食べるという新メニュー。
もともと、おそばが手打ちで、うまい。
力のあるそばに、さっぱりとした梅を散らしているので、とても夏らしい味になった。
ここのおかみさんはいろんなことを考える。

おかみさんは、かつて保健補導員の会長をして、ぼくと地域健康づくり運動をしてきた。
いま、地域の朗読ボランティアをして、7、8月はぼくの『この国が好き』を、子どもたちに読み聞かせしてくれている。
子どもたちに、平和の大切さを伝え、この国のことを考えるきっかけを与えているとしたら、うれしい。

カリカリ梅のおいしいおそばを食べながら、おかみさんと平和について語り合った。
「カマタ先生、どうですか?」
と、おかみさんが聞くので、ぼくはもっとカリカリ梅を増やしてほしいとリクエストした。
梅とそばはなかなか合う。

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鎌田實 2009年度ベスト・ファーザー賞受賞

2009年度 ベスト・ファーザー イエローリボン賞(学術・文化部門)に選ばれました。

授賞式とインタビューの模様をご覧ください。

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2009年7月 7日 (火)

大平光代さんと対談

先日、弁護士の大平光代さんと「婦人公論」(7月下旬発売号)の対談で会った。
女の子がいて、もうすぐ3歳になる。
いないいないバーをして、手を差し出すと、にこにこしながら、ぼくの懐に飛び込んできた。
とてもかわいい。
とても大切に育てられていることがよくわかる。

大平光代さんの生き方は、いつもかっこいい。
と、ぼくは思う。
落ちるところまで落ちる。090629
中学2年でいじめにあって、学校に行けなくなり、暴走族に入り、さらに暴力団の組長の妻になり、背中に刺青をした。
親を蹴ったり、殴ったりもした。
どんなに苦しくてあがいても、なかなか落ちた世界から脱出できなかった。
それが、あるところから変わるのである。
劇的ですごいと思う。
どんなに落ちても、人間は変わる。

北新地の夜の町で、お店のナンバーワンになった。
タダモノではないなと思うのは、極道の妻をしているときも株の勉強をしたり、
ホステスをしているときも、ナンバーワンになるために、何紙もの新聞を読んだ。
読めない漢字があるのに、日経新聞を読むのがとても大変だったという。
それでもいろんな努力をしたという。
落ちるところまで落ちても、いつもちょっとうごめいている。
ここがすごいところだと思う。
何かもいいきっかけさえあれば、一気に変わる何かをもっていたのだと思う。

勉強の仕方がいい。
ぼくが主張している勉強の仕方とまったく同じだ。
1科目に一冊、参考書やテキストを用意し、それに書き込んでいく。
それを繰り返し繰り返し読む、という方法だ。
ぼくが18歳のとき、自分の環境から抜け出そうとしてやった手法がこれ。
この人も同じことだった。
意気投合した。

7月の中旬に、中央公論社から『今日を生きる』という本が出版される。
生き方のヒントがいっぱいのいい本だ。

2人で今年の冬までには本を完成しようということになった。
「比べない」「つくる」「泣く」「傷つけない」「壊れるものは壊れる」「いじめない」「我慢する」など、いくつかのキーワードを使いながら、2人で斬新な本をつくる予定。
期待してください。

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2009年7月 6日 (月)

新シリーズ・介護の新しい発想①

介護の空気を変える

「介護崩壊」が始まった。
現在、特養入居者は40万人。待機者は約40万人。
療養型は、38万床から18万床に減らす見直しがされたが、緩和措置がとられて2万床プラスされ、20万床にするという。
重い障害のある高齢者を在宅でみていこうという政府の方針はたいへんいいことではあるが、実際のところ重い介護度4、5の人をみていくには、とても家庭では難しい。
介護者が2人いる、住居の構造が介護する部屋が一つ余計にあるなど、いくつもの条件をクリアしないと長期間の在宅ケアは実際のところ難しい。

政府は10年前、高齢者を大切にするといい、介護保険の導入に踏み切った。
家族による介護から、社会による護へと転換が図られた。0906301
社会的な介護サービスを、だれもがいつでも権利として利用できるように、介護保険という制度がつくられたのである。

にもかかわらず、政府は介護費用の上昇にブレーキをかけ、介護報酬を抑制しつづけてきた。
そのために介護の現場で働く人はきちんと報酬がもらえず、介護の世界を辞めざるを得ない若者が増えだした。
介護のプロを養成する学校も募集定員をそろえるのが難しくなりだした。
高齢化はさらにすすみ、介護の仕事をする人は40万人足りないと言われている。
介護の仕事に就く人がいないために、長野県にできた特養でも、入所希望者は殺到したが、介護のスタッフを十分にそろえられないために、
高齢者を入所させられないというちぐはぐなことが起きている。

社会保障費2200億円の抑制の枠がやっと、6月23日の自民党の総務会で削られることになった。
ぼくが言い続けたことがやっと成立したのである。
医療崩壊、看護崩壊、介護崩壊がこの数年でべらぼうに進んでいる。
なんとかしないといけないときに、ようやく自民党は社会保障費2200億円を断ち切ることができた。
えらい、とほめてあげたい。
介護報酬を今年の春から3%アップしたこと、この10月より介護にかかわる人材の1カ月1.5万円分のベースアップすること、その交付金が約4000億見積もられている。
これによって、介護のムードが変わっていくだろうと思う。
優秀で誠実でやる気がある若者たちが、介護の世界に入ってくることを望んでいる。

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2009年7月 5日 (日)

鎌田實「がんばらない健康法」②(全6回)

鎌田實「がんばらない健康法」②(全6回)

鎌田實「がんばらない健康法」②(全6回)

ちょい太で健康・長生き!

コレステロール値と死亡危険率の関係とは?
お魚をたっぷり食べて、骨粗しょう症や心臓病を予防し、血管を若々しく保とう!

全6回でお届けしています。

第1回はこちら

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鎌田劇場へようこそ!(24)「木靴の樹」

エルマンノ・オルミ監督の最新作「ポー川のひかり」が8月からロードショーされる。
30年前、評判になった映画をもう一度みたいと思った。

1978年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。Photo 
出演者は、全員、本物の農民。素人である。
これがじつにいい。
美しい風景があり、一人ひとりが気高く生きていて、悲しみが胸を打つ。

貧しい農家の子が、学校へ行く。
しかし、子どもの靴が壊れてしまった。
禁じられているのを知っていながら、父は樹を一本切り倒し、息子のために靴をつくるのである。
地主に見つかり、農地から出て行くようにいわれる。
少年のラストシーンの涙は、なんとも胸がしめつけられる。

このオルミ監督が、「最後の劇映画」として制作発表した「ポー川のひかり」が楽しみになってきた。

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2009年7月 4日 (土)

岩次郎小屋の四季 いよいよ夏支度

Photo_2

岩次郎小屋は、夏支度をはじめた。

5年ぶりに、カナディアンファームのハセヤンがつくってくれた日よけの布ターフをテラスに広げた。
真ん中の丸いところから、風が抜ける。
なかなかすぐれもので、ワンタッチで張れるようになっている。
朝日や西日を避けたり、方向転換もできる。


Photo_3

ヤマボウシは、下からはなかなか花が見えないが、
上からみると、美しい白い花が咲き誇っている。

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2009年7月 3日 (金)

うれしい知らせ

「ピック病で万引きの、元課長の免職を撤回」のニュースが報じられた。

茅ヶ崎市市役所で課長をしていた中村さんは、2006年、自宅近くのスーパーで、3300円相当のお菓子などを盗んだとして、現行犯逮捕された。
本人には、盗む気などまったくなかった。
会計することを忘れてしまったのだ。
不起訴処分ととなったものの、市役所を懲戒免職された。0906281

それ以前から、ネクタイを何本も買ってきたり、トイレットペーパーを繰り返し買ってきたり、異変が現れていた。
本人も妻も、何か怪しい、と思いながら、きちんと診察は受けなかった。
そして、万引きの現行犯逮捕。
すぐに受診すると、ピック病と診断された。

万引きは、ピック病によるものだったとして、家族は市の公平委員会申し立てた。
その結果、市は懲戒免職処分を取り消し、停職6ヶ月としたのだ。
すでに停職期間はすぎているため、復職し、退職することもできる。

ぼくは中村さんご夫妻に2度お会いしている。
1度は雑誌の対談。
2度目は、医学系の研究会で、医師たちに、認知症の患者さんの声を聞いてもらおうと思い、協力をしていただいた。

中村さんは認知症であるが、まだら状で、社会とつながることができる。
ただし、奥さんのサポートは並大抵のものではない。
奥さんは、中村さんを町に連れ出し、進行をくいとめようとしてた。
市役所を突然、懲戒免職にされて、経済的にもたいへんになった。
奥さんが仕事に行くのだが、夫を一人にすることもできず、職場に連れていくということも聞いた。
ピック病は、認知症のなかでも人格崩壊が強いといわれているが、中村夫婦はそれでも明るく、必死に病気とたたかっていた。
そして、夫婦は実名を公表し、ピック病ということを隠すことなく、社会にメッセージを発している。

09062823 この夫婦の誇りが守られたのは、とてもうれしい知らせだった。
茅ヶ崎市がきちんと判断の見直しをしたことは、えらい。

中村さん夫婦には、これからもいきいきと地域で生きていってほしいと思う。
地域の人たちも、応援をしてあげてほしい。
夫婦が町に出ていったら、あたたかなまなざしでみてあげてほしい。

認知症の人たちの人権が、当たり前に守られる社会の第一歩になったらいいなと思う。

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2009年7月 2日 (木)

忘れられないひと言

『忘れられない、あのひと言 「いい人に会う」編集部編』(岩波書店、1575円)が、出た。
・あのひとこと 岩波諸点から>
辺見じゅんさん重松清さんら、50人ほどの人たちが、忘れられないひと言について語っている。Photo_2
鎌田の忘れられないひと言は、
「太ったわね。顔がまんまるよ」
妻に冷たく笑われたひと言を取り上げた。
デブは1日にしてならず。
いくつもの悪い生活習慣の積み重ねで、デブはつくられる。
妻に厳しいひと言を言われたおかげで、ぼくははっと我に返ったのである。

グサッとくる言葉を言う人を毛嫌いしたり、煙たく思わないことが大事かもしれない。
そういう人を大切にしたいものだ。
しかし、人間の心はいいことを言ってくれるほうがうれしい。
人間とは困ったものだ。

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2009年7月 1日 (水)

7/25 諏訪看文化祭

諏訪中央病院看護専門学校の文化祭が、7月25日土曜に開かれる。
当日は、将来看護師になりたい人たちのために、諏訪中央病院看護専門学校の紹介や、鎌田實のミニ講演、看護学生や卒業生たちの体験談などのイベントを用意している。

文化祭のメインイベントは、安奈淳さんによる「絆、病気になって見えたこと」というテーマの講演会。
安奈淳さんは、元宝塚歌劇団花組トップスターで、「ベルサイユのばら」のオスカル役で一世を風靡した。Imgp0491
1987年に「風とともに去りぬ」で宝塚を退団、その後、演劇やコンサート、ディナーショーなどで活躍を続けている。
膠原病になり、生死をさまよい、膠原病の治療で使ったステロイドの副作用でうつ病にもなり、そこから脱出しながら、
舞台で大活躍するという、すごい波乱万丈の人生を送っている。
鎌田とはたいへん気が合う仲で、カマちゃん、アンちゃんと言い合っている。
いまだにスタイルがよく、自分を鍛え続け、しかも、ものすごく前向きで、努力家。
安奈淳さんが自らの人生を語り、看護学生や一般の方々に命の大切さを話してくれるのはとても楽しみだ。
ピアノも用意しているので、弾き語りも何曲か聞かせてくれる。
すばらしいひとときになると思う。
そのあとは、安奈さんと鎌田との対談を予定している。

講演会は13時~。無料。
先着200人。会場がいっぱいになり次第締め切るので、お早めにおいでください。
予約はありません。

ぜひ、ぜひ、たくさんの人のお越しをお待ちしています。

諏訪中央病院看護専門学校のHPもご覧ください。
http://skango.blog.so-net.ne.jp/

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