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2009年7月15日 (水)

われわれはどこから来たのか⑩

~~ゴーギャンの大作に会う~~

今年3月、イースター島からタヒチへ船旅をしながら、
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへいくのか」とずっと考え続けてきた。
旅の間、サマセット・モームの『月と6ペンス』を読みふけった。

タヒチにあるゴーギャン博物館では、ゴーギャンの大作『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』のレプリカがおかれている。
この作品は、フランスにいる娘のアリーヌが肺炎で亡くなったあと、失意のなかでかき上げたもの。
彼は生きる力を失いながら、この大作をかき上げて、自殺を図る。
しかし、砒素を大量に飲みすぎたため、嘔吐をして、一命を取り留めた。

その後、ゴーギャンはタヒチよりもさらに未開の島、ヒバオア島に移り、
最後の数年、いくつもの傑作を遺して亡くなっていった。

フランスからタヒチへ行ったゴーギャン。
下っていく人間のおもしろさに、興味をもってきた。090709
最後まで生活も苦しく、評価もされず、生き延びる。
「十分に傲慢に生きてきた」と自ら言っている。
「私は意志することを意志したのだ」
ゴーギャンは、新聞を発行した時期もあり、言葉を使える人である。
「意志することを意志した」というのは、まさにゴーギャンらしい言葉である。

こんな言葉も遺している。
「腐れきった文明に対して、私は野生に由来するもっと何者かをぶつけようとしている」

この考えは、ゴーギャンの絵に表れている。生き方に表れている。
ゴーギャンの祖母は、女性解放運動の先駆者であった。そんな血をひいているような気がする。

タヒチでは、ゴーギャンは、島の人々から好かれていなかったようだ。
13歳の女の子と同棲をしたり、次々と子どもをもうけたり。
一度、フランスからタヒチに戻ったときに娼婦から梅毒をもらって、最後は血管性の梅毒になり、足の痛みなどに苦しんだようである。
ゴーギャンは、最後までゴーキャンらしく生ききったように思う。

「はてしなき辛苦、そうでなければ、いったい人生に何の意味があるのだ」という言葉を遺しながら、
彼は最後までつっぱり続け、そこらじゅうに波風を立てて亡くなっていった。

ゴーギャンは、マルキーズ諸島の小さな島、ヒバオワ島で死に、埋葬されている。
村人はゴーギャンのことをあまりよく思わなかったため、墓は手入れもされず、あまり花も手向けられないと聞いた。
回りの目を気にせず生き抜いたゴーギャンの最後らしい。

東京国立近代美術館で、9月23日まで「ゴーギャン展」が開かれている。
『我々はどこから来たのか~』の本物に、やっと会えた。

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