鎌田劇場へようこそ!(27) 「ディア・ドクター」
鶴瓶が最高。
主役ははじめてとのことだが、いい味を出している。
最高のキャスティングである。
鶴瓶でなかったら、考えられなかったかもしれない。
過疎地の地域医療の現場を丁寧に追っかけている。
はしゃぎすぎのところもあるが、監督の西川美和はいい線を押さえている。
西川は、原作、脚本、監督をやっているという。
才能のすごさも見えてくる。
映画のなかには、いくつもののウソが織り込まれている。
『へこたれない』で、ぼくのうちのなかにあったウソにも触れたが、どこにもウソはある。
ウソで塗り固められたニセ医者のはずの鶴瓶演じる男が、不思議な形で人を支えているのである。
慢性呼吸不全で在宅酸素療法を受けていた老人が、おすしを食べた直後、呼吸困難を訴える。
みんなが飛んでいく。
親戚も、村の人も、集まっている。
鶴瓶の前で、老人の息が止まる。
挿管をするか迷っているところの空気が実にいい。
回りの家族はもういい、もういい、という目をする。
それを感じた鶴瓶は、心マッサージをするのをやめる。
そして、死亡の宣告をした後、「よう生きたなあ」と、老人を抱きしめる。
おおこれは、すごいと思った。
こんな臨終、みたことない。
ぼくも、多くの臨終に立ち会ってきたが、死の宣告のときに、患者を抱きしめてあげるなんことはしたことがなかった。
そんなことを思っていた矢先、老人が息を吹き返す。
赤貝がのどにひっかかっていたのである。
大笑いである。
だが、この出来事により、小さな村に伝説が生まれてしまう。
あの医者は、死んだ人を助けた、と村の人たちははしゃぐ。
つるべの戸惑っている顔がじつにいい。
八千草薫扮する女性が胃がんになる。
彼女は、大きな病院がないこの村に、ずっといたかった。
「先生、一緒にウソをついてください」と頼まれ、家族に病気ことを言わない約束をする。
このウソが結局は自分の墓穴を掘ることになる。
ここのところは、ちょっと納得できない。
ぼくがこの村の医者だったら、八千草薫の娘に、母親の気持ちも、病気も、きちんと伝えるだろうと思う。
娘は、医者である。
鶴瓶がこの村を逃げるようにして去っていくと、母親は娘のいる都会の大病院に入院し、なんともつらい日々を過ごす。
もし、鶴瓶がこの村にいたら、母親はこの自然豊かな村で最後まで暮らすことができたと思う。
本当の話をしていれば、患者の思いを遂げることができたはずである。
ここはやはりニセ医者の限界であったような気がしてならない。
最後は本当に感動である。
鶴瓶が、胃がんの患者に最後に届けたものは、医療を超えた医療だったように思う。
医療は、ときどき病気を直すことができる。
でも、いつもではない。
いつもできることは、心を支え、癒すこと。
医療のもっとも大切なものを、鶴瓶は最後のワンカットで表現していると思った。
鶴瓶という多才なタレントがなければできなかった映画。
鶴瓶という人間の虚と実も垣間見せながら、それでも人間ていいなと思わせてくれる。
ウソのない人なんていない。
鶴瓶のなかにも、ウソはあると思うが、これがすてきなんだと思う。
鶴瓶、最高の演技でした。
ぜひ、ご覧ください。
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