許すということ
2005年4月、福知山線脱線事故で107人が死亡した。
被害に遭ったご本人も、ご家族も、不条理だと思う。
簡単に許せるわけがない。
JR西日本の社長が在宅起訴された。当然といえば当然である。
何がいけなかったか、きちんと裁判で明らかにする必要がある。
そして、こういう事故を二度と繰り返さないためにどうすべきか、方針を出さなければいけない。
つい最近、大阪にある聖トマス大学で行われている「癒しの連続講演会」に呼ばれて行ってきた。
そのとき、こんなことが頭の中をよぎった。
アメリカで、アーミッシュの学校が銃撃され、女の子5人が殺害された。
銃撃犯はすぐに自殺した。
アーミッシュは、プロテスタントの一派であり、北米に移住し、現代文明や暴力を否定し、再生可能な生き方をしている。
そのアーミッシュは、犯人の男の家族を訪ねて、男を許すと伝えた。
被害者の葬儀に、男の家族も招いた。
数週間後には、双方の家族が集まり、悲しみを分かち合ったという。
聖トマス大学に設立された「日本グリーフケア研究所」の呼びかけで、
福知山線の事故後、何年にもわたって、500~600人の人たちが「グリーフケア」(悲嘆の支え)の勉強をしているという。
この参加者のなかには、被害に遭った本人やご遺族がいる。
さらにJR西日本の前社長をはじめ社員たちが自主的に多数参加しているという。
元社長の垣内剛さんと会場で会い、ごあいさつをさせてもらった。
毎回、この勉強会に来ているという。
裁判は裁判で、JR西日本の責任を厳正に明らかにしながら、
もう一方で、被害者と加害者が同席して、何年にもわたって命について勉強しつづけてきているという事実のすごさ。
これによって、何かがすぐに変わるわけではない。
だが、同じ時間、同じ空気を吸いながら、命について学ぶということは、何かすごい可能性を含んでいるように思う。
恨みや憎しみの連鎖は、新しいものを生み出すことは少ない。
恨みや悲しみを緩和し、癒しながら、二度とこういう不幸を起こさないために、両者がともに学んでいくことは、
新しい企業のあり方だけでなく、新しい社会のあり方を模索していくうえで、大きな役割を担っているように思う。
当日、階段教室は、参加者であふれかえった。
もう一つの教室では、同時テレビ中継で講義が見られるようになっているが、そこも満杯。
こんなにたくさんの人たちが、事故後、何年も、命について勉強していることに驚きと感動を覚えた。
写真は、先日、原村へ往診するときに撮った空。遠くに見える八ケ岳や甲斐駒が美しい
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