美しい富岡製糸場
先日、講演会場に向かう途中で、富岡製糸場の話になった。
富岡製糸といえば、明治のはじめ、ヨーロッパから機械化を取り入れ、日本の生糸産業を作り上げたところ。
はじめは、官営であったが、昭和10年から、閉鎖される昭和62年までの後期は、片倉財閥が経営していたという。
片倉財閥といえば、諏訪の人にとってなじみ深い。
シルクエンペラーといわれた片倉である。
いまも、諏訪に片倉温泉が残っているが、ここはかつての女工さんたちの厚生施設であったらしい。
富岡製糸も、片倉だったのかと聞かされ、立ち寄ってみたくなった。
行ってみて、驚いた。
赤いレンガ作りの建物が、ものすごくきれいに残されているのである。
東西南北すべて建物に囲まれ、その中央に工場がある。
生糸産業はやがて東南アジアに移っていき、富岡は昭和62年に閉鎖された。
その後も、市に移管され、きちんとメンテナンスされている。
地元では世界遺産登録を推し進めている。
40軒ほどの農家が、今も蚕を飼っているという。
製糸工場というと、女工哀史のイメージがすぐに浮かぶ。
それも、歴史の一部であったかもしれないが、ぼくがかつて「女工」だったという患者さんから聞いた話では、
むしろ当時、恵まれた職業だったという人が多い。
たしかに労働はたいへんだったけれど、比較的高い給料をもらい、親に送金することができたと感謝していた。
特に片倉製糸は、士族の娘さんたちが働いていたから、あの時代において、女性にとって高級とりのいい職場だったのだと思う。
赤レンガの美しい西洋建築を見学し、感動して帰ってきた。
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