今朝、シリアのダマスカスを出発し、砂漠のなかを走って、シリアとイラクの国境までたどりついた。
しかし、国境の手前で2時間半近く立ち往生。
イラクの外務省の許可は得ているのだが、国境を越えるのは大変なことのようだ。
予定では、イラクに無事、再入国できれば、そこからパトロールがついて、アルアリードの難民キャンプまで連れていってくれる。
そして、難民たちの診察を終えたら、またシリアに脱出する手はずになっている。
だが、アルアリードのキャンプは国境のすぐ近くなのに、目前まで来て、国境がなかなか越えられない。
この行きと帰りの国境越えで足止めが続いたら、ぼくらが難民になってしまう(笑)。
カマタが難民になったら、助けに来てください。
なんていうのは冗談ですが、とにかく今はそんな状態。
また、様子をお知らせいたします。
★難民キャンプの子どもたち
今回は、19日に訪ねたスレイマニア近郊の難民キャンプのことを紹介したいと思う。
スレイマニア近郊にあるカラワ・キャンプには、538人が暮らしていた。
彼らは、バグダッド近郊でテロにあったり、脅迫されたりして脱出したきたイラク国内の避難民である。
同じイラク人でも、宗教の違いとか、アラブとクルドの反目とかで、安心して国内に住めなくなっているという問題もあるのだ。
ブルーシートや毛布などで囲った掘っ立て小屋のようなところに、寝泊りしていた。
悲惨な生活だった。
ぼくらが難民キャンプに到着したとき、ひと悶着があった。
ぼくらを案内してくれていた難民キャンプの責任者を見つけると、
「5日も新しい水が運ばれてこないのは、どういうことだ」
と、詰め寄ってきた。
そうこうしているうちに、タンクローリーが到着し、みんなが一斉に水をくみに集まってきた。
3歳ほどの子どもも、大きな容器を二つ抱えて、水をくみに出て来た。
食事も衛生的とはいえない。
5歳の男の子が、パンでなべの底をこすって食べていた。
この子は、両親も兄弟もぜんぶテロリストに殺された。
たまたまよそに働きに出ていたお兄さんと再会することができて、一緒にこのキャンプで暮らしている。
お兄さんは、1歳くらいの女の赤ちゃんを抱いていたが、子どもは4人いるらしい。
幼い子どもと弟を食べさせていかなければいけないわけだが、なかなか仕事がなく、難民キャンプを出ることができないのが現状だ。
イラク国外に出た難民は仕事をしてはいけないが、国内避難民は仕事をしていい。
このお兄さんは、建築現場でときどき日雇いの仕事をもらえるときもあるというが、ここはクルド人の土地なので、仕事をもらえるのもクルド人たちが優先で、 アラブの彼らにはあまり仕事はまわってこない。
家がない、仕事がもらえない、生活のメドがたたない。
戦争というのは、本当に人の人生を狂わせてしまう。
だが、よく考えてみれば、今の日本も同じような問題を抱えはじめている。
人間が生きていくうえで大切な家と仕事というのが、きちんと保障される社会にしなければならないとあらためて思った。
難民キャンプで、ぼくがドクターだとわかると、カルテみたいなものや薬を持ったり、小さな子どもを抱いてきたり、次から次へと人が集まってきた。
10日に1度、現地のドクターが来ているというが、あまり評判はよくないらしい。
日本人に対して、信頼してくれているようで、診てほしいという人たちに取り囲まれてしまった。
難民キャンプの責任者は、政府側の人なので、安全上の理由で、途中でシャットアウトしてしまうようなところがある。
ここの責任者はそんなこともなく、むしろ難民の人たちの相談にのってやってほしい、という感じだった。
おかげで、こちらは大変だったのだが、子どもたちの状況を知るいい機会となった。
この後、もう一つ別のキャンプも訪れたのだが、昼から始まった視察と相談は、夜8時までかかってしまった。
カラワ・キャンプを後にし、バリカ・キャンプへと向かう頃には、もう夕闇が迫っていた。
ここは、カラワ・キャンプとはまた別の複雑な問題を抱えていた。
ぼくは4、5年前から、イラクとヨルダンの国境沿いにあるノーマンズランドでキャンプ生活をしている人たちをみてきた。
イラクを脱出したものの、ヨルダンに入国できず、国境の中間地帯にずっと立ち往生している人たちである。
ヨルダンへの入国が許されない。だが、故郷イラクも荒れ果てて帰るところがない。
いつかヨルダンに入国を許されることに希望を託して、ノーマンズランドに留まっているのである。
バリカ・キャンプには、そのノーマンズランドのキャンプにいた人たちが移されてきていた。
400家族がいた。
生活は、水道があり、簡易式住居が整えられており、ノーマンズランドのキャンプよりは格段にいい。
しかし、平和と希望を求めてイラクを脱出したのに、またイラク国内におし戻されてしまったということで、精神的に重たいものがのしかかっているようだった。
生活はよくなったけれど、希望が見えてこないのである。
かつては北欧などが難民を受け入れていたが、今はどの国も不況により、経済的にも精神的にも、難民を受け入れる余裕がない。
難民たちは、後にも先にも進めない。
生きていくには、ここしかない。
夕暮れのなかで、一人の少女がたたずんでいる光景が印象的だった。