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2009年8月23日 (日)

イラク便り⑥~国境に思う

昨日はシリアとイラクの国境で予想以上の足止めをくらい、「鎌田は難民になるかも!?」と不安になったが、なんとか無事に国境を越え、イラクに再入国できた。
そして、アルアリードの難民キャンプで診察をし、夜の10時にまたシリアに戻ってこれた。
今朝は、東シリアにある、紀元前150年にできた世界遺産のパルミラ遺跡の近くにあるホテルで朝食をとり、ほっと一息ついている。
無事、難民にもならず(笑)、この旅の最後の大仕事が終わってほっとしているところである。

昨日から、こちらはラマダン(断食月)だった。
朝日が昇る前の午前3時半、このホテルは近くにシーア派の聖地があるため、宿泊客のほとんどはシーア派の人たちらしく、朝からお祈りがはじまった。
彼らは朝のお祈りの前に食事をすませ、それから夜まで、水もとらない、ツバものみこまない、という断食を行う。
一切を我慢して、貧しい人たちの思いを忘れないようにする儀式だ。

そんな独特の雰囲気のなかで、ぼくらは夜明け前に食事をすませ、ホテルを出発した。
ところが、昨日書いたようにシリアとイラクの国境で思わぬ立ち往生。
結局、シリアの国境を越えるのに5時間、イラクの国境を越えるのに2時間、合計7時間待たされた。
ようやく、目的地のアルアリードの難民キャンプへと向かうのであるが、やはりイラク国内は緊張が漂う。
パトロールとして、2人の若者がぼくらの車の上に連発銃を設置し、テロリストの襲撃から守ってくれながらの移動となった。

アルアリードの難民キャンプは、3度目である。
1800人が生活をしている。
昨年はかなり衛生状態が悪く、大腸炎などが多発していた。
ぼくらは医療機器などを寄付し、医療水準をあげる応援をしたり、UNHCRが衛生状態を改善しようと数百メートルほど場所を移して作りなおしたこともあり、衛生状態は昨年よりも改善していた。
しかし、精神衛生は、まったく改善されていない。
むしろ深刻化している。
「キャンプシンドローム」とぼくは呼んでいるが、悲惨な状態がいつまで続くかわからない現実に、不満と不安が充満していた。

今回、ぼくらは、超音波の医療機器を寄付し、診療所のドクターに扱い方を教えてきた。
また、4、5年前から医療支援しているイラクとヨルダンの国境の間にあるノーマンズランドのキャンプにいた子どもたちが、ここに移されたので、その後の経過をみたりした。
キャンプでの様子は、明日ウイーンから写真とともにお送りしたいと思うので、お楽しみに。

帰りの国境は、2時間ほどで通過することができた。
だが、国境を通過するだけで、行きと帰りをあわせて9時間もかかったことになる。
国境を越えるというのは、本当に大変なことである。

ぼくは常々、難民は国境がつくると思ってきた。
国と国とを分けるラインは1本だと思われがちだが、実は2本ある。
その2本の国境の中間地帯で、行き場を失った難民もみてきた。
イラクを出国したものの、どこからも入国を許されない、ノーマンズランドのような難民である。
国境がなくなれば、人間はもっと自由になれると思ってきたが、今回、国境を越えることの大変さを体験し、国境という見えない壁の厚さにぼく自身がため息をつくことになった。

今日は、こちらの午後4時のフライトで、ダマスカスからウイーンに向かう。
この旅もいよいよ終盤。
ウイーンに到着したら、インターネットの状況がいくらかよくなるので、写真をお送りしたいと思う。

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