鎌田實の一日一冊(34)
『がんと闘った科学者の記録』(戸塚洋二著、立花隆編集、文藝春秋、1750円)
ニュートリノ観測でノーベル賞受賞を確実視されていた物理学者が、ブログに公表していたものをまとめた本。
著者は、2000年11月、最初の大腸がんの手術を行ったが、04年、左肺に転移が発見される。
05年には右肺に転移。このとき、手術は不可能となった。
08年には肝臓、骨、脳に転移がみつかった。
そんな過酷な状況のなかで、子どもたちや知人への近況報告のため、そして、つれづれなるままに書き残しておきたくためにブログを始めたという。
ある知人から、「鎌田さんに戸塚さんが手紙を書きたいと言っているがいいかな」と言われた。
もちろん、光栄なことだと思った。
しかし、戸塚さんは突然、命を終え、結局、手紙もメールも届かなかった。
この本のなかに一カ所だけ、「鎌田實先生のご本『がんばらない』。“がんばらない”は重要なキーワードですね」という文章が出てくる。
この本を読むと、どんな状況に追い込まれても、科学者としてできるだけのことをしようと模索しているのがよくわかる。
「なげだしていない」スタイルが十分に伝わってくる。
戸塚さんは、肝臓に転移しても、脳に転移してもひるむことはなかった。
しかし、スピリチュアルな痛みを感じていたのだと思う。
痛みには、肉体的な痛みと精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアルな痛みがあるといわれるが、日本人はこの最後の
スピリチュアルな痛みとは何かがわかりにくいとされている。
「稀にですが、ふとんの中に入って眠りにつく前、突如、自分の命が消滅した後でも、世界は何事もなく進んでいく。そんなことに気がつき、飄然とすることがあります」
そんなことが書いてある。
日本を代表する物理学者戸塚洋二は、自分のなかにできたがんという細胞とつきあいながら、自分が消滅した後の世界を絶対に垣間見ることはできないという現実に気づき、虚空に吸い込まれるようなスピリチュアルな痛みを感じていたのではないか。
命に対して、実に大切なことを訴える本である。
戸塚洋二が残した命の哲学を、ぜひ、たくさんの人に読んでもらいたいと思う。
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