« 失業率は過去最悪 | トップページ | 杉並区で講演 »

2009年9月 7日 (月)

鎌田實の一日一冊(35)

『取材ノートから』(小林照幸著、河出書房新社、1785円)

Photo 小林氏とは、あるテレビ局のニュース番組のコメンテーターとして、何度かご一緒した。
中年にさしかかっいる年齢なのであるが、ぼくは「小林青年」と呼んでいた。
若々しく、ハンサムな好青年なのである。
1999年に大宅壮一ノンフィクション賞を、史上最年少(当時)で受賞している。
第1回開高健賞奨励賞を受賞しているので、若くして才能を認められた書き手である。

この男の書いたもので最も好きなのは、『神を描いた男・田中一村』(中公文庫)。
力作である。
田中一村という孤高で、異端の画家は、奄美大島で絵を描き続けながら、世に一切認められずに亡くなっていく。
後に世界で認められていくきっかけとなったのは、田中一村の人柄にふれた友人たちが、公民館で開いた展覧会だったという。
ドラマチックな話である。

ぼくは、田中一村の絵をみたくて、奄美大島まで行ったことがある。
彼が住んでいた借家も訪ねた。
一村は、芸大で絵を学び、ストイックな生き方をしながら、奄美大島に流れていった。
そして、大島紬の職人として生活費をためると、何日も家にこもって絵をかいたという。
鬼気迫る生活である。

一村が暮らした借家は、奄美の言葉で「トネヤ(神屋)」という、神さまの山のまん前にあった。
シャーマンが祭祀を行う場に近いところに住み、それを肌で感じていたのではないか。
それが、一村の作品に、神々しい深みのあると理由ではないかと、小林青年は分析している。
たしかに、一村の作品「クワズイモとソテツ」や「アダンの木」などには、南の島の自然や、そのなかに隠れている神の姿が見えてくるような気がする。Photo_2

ところで、一村が、芸大で東山魁夷氏と同級生だったというのはおもしろい。
東山魁夷さんとは以前、日本チェルノブイリ連帯基金が、信濃毎日新聞賞を受賞したときに、ご一緒したことがある。
ぼくらの活動に賛同してくれ、バザー用に、東山先生のシルクスクリーンの複製画と手紙を寄付いただいた。
それを東山先生のファンに買っていただき、資金をチェルノブイリの白血病の子どもたちの薬代に充てたのを覚えている。
田中一村は、その東山先生に、並び称されるような才能を早くから指摘されていた。

小林青年の本は、ほとんど全部読んできた。
いろんな分野に挑んできた多作の作家の取材ノートである。

|

« 失業率は過去最悪 | トップページ | 杉並区で講演 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事