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2009年9月 9日 (水)

病院の存亡 

京都舞鶴市民病院は、かつて充実した臨床研修によって医学生たちからあこがれられ、全国から若い医師が集まることで有名であった。
アメリカからベテランの臨床教授を召還して、教育だけに担当させた。
諏訪中央病院にも、この教育を受けた医師がいるが、じつによくできる。
ここで教育を受けた医師は、全国の病院で活躍しているが、臨床能力がとても高い。
非常に優秀なので、諏訪中央病院に一週間、研修医の教育のために来ていただいたこともあった。
臨床能力が高いだけでなく、優れた教育を受けているので、優れた教育を展開できるのである。

しかし、残念なことに、当時の市長は教育に興味を示さなかった。0908034
お金がかかるという理由で、当時、教育を中心に担っていた副院長と意見が合わず、副院長は退職。
内科医は14人のうち13人が病院を撤退した。
その結果、毎年、赤字幅は何倍にも膨れあがり、市は70億円を補填する状況に追い込まれてしまった。
わずか数千万円の赤字を減らすために、充実した教育をやめさせようとしたことが、病院のすべての機能を壊してしまったのである。

教育は大事である。
もし今も、京都舞鶴市民病院の教育があり、日本中からたくさん研修医が集まっていたならば、京都舞鶴市民病院は医師が集まる病院として経営的な危機も回避できたのではないだろうか。
今、多くの病院が、医師が集まらないことにより、経営的な危機を抱えている。
千葉県の銚子市立病院は、研修医制度の改革によって大学側が医師を送る力がなくなり、
医師がいなくなると同時に赤字は巨大化し、2006、07の2年間で、総額31億円という補填を必要とするようになってしまった。
そのために、病院を一時閉院した。
このとき、閉院ではなく、民間への売り渡しなどを行い公設民営にするなど、積極的な策をとっていれば、職員を離散させないですんだ可能性は高い。
一度、職員が離散してしまうと、なかなか元には戻らない。
医師不足のみならず、看護師不足が激しい現状では、銚子市立病院の再開はきびしいものだと思う。

病院の経営はたいへん難しい。
ぼくも16年間ほど経営にかかわったが、つねに綱渡りであった。
いい医療をやりながら、大幅な黒字はなくても、何とかトントンになるように経営をしてきたが、薄氷を踏む思いだった。
ほんのわずかな流れを読み間違えると、大幅な赤字が出てしまう。
現代は、病院にとって、さらにつらい時代である。
それなりの努力をしていれば、トントンの経営が達成できるような医療政策をとらないかぎり、多くの医師たちはつぶれてしまう。
現在の状況は、よほどいい場所で、よほど優れたリーダーがいて、大学病院からの医師の派遣も順調という、奇跡的な条件が重ならないかぎり、病院の経営は難しい。
このうちどれか一つでも欠ければ、経営を成り立たすのは至難の業ではないか。
新しい政権には、新しい医療政策で、この状況を変えてほしいと思う。

写真は、諏訪中央病院

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