お伊勢参り②
~~南方の影響はみられるか~~
今年3月、イースター島からタヒチ島へと船で旅をした。
イースター島では、モアイの台座に当たる神殿をアフといい、石が大事な役割をしていた。
タヒチ島では、先住民の村に行き、祈りの場所を見せてもらった。
マラエという石の神殿の遺跡がいくつも残っていて、みてあるいた。
ポリネシアの石の遺跡と、伊勢神宮が似ているのではないかと、船旅で一緒だった池田香代子さんは言う。
ぼくは伊勢神宮を見たことがなかった。
とにかく一回、伊勢神宮をみてみたい。
そして、南側からの影響があるのか、それを確かめたい。
それが、今回の伊勢参りの動機だった。
もともと伊勢神宮の御師(おんし)であった太郎館(たろうだち)さんの説明を受けながら、伊勢神宮の中をみてあるいた。
御師とは、お寺でいうなら宿坊のようなもので、参拝する人たちを案内し、宿泊の世話をする人のことである。
太郎館さんのうちは、毎年3万9000枚のお札を売り、それを買った人たちが伊勢参りをしたとき、無料で泊めたという。
もちろん、お金に余裕のある人はお礼としてお金を置いていくが、原則的には無料。
こういう旅が、江戸時代にはやったという。
太郎館さんのご先祖のような御師たちが、日本中をまわって伊勢信仰を広めていくのに一役買った。
時代とともに御師たちは、お札をつくらないようになり、多くは神主になられたという。
太郎館さんの説明によると、伊勢神宮の内宮と外宮の中に125の末社があるという。
まず、外宮からお参りをした。
太古の何かを感じさせる、無駄を廃した、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)。
装飾をほどこしているいつくかの留め金などは、中国の影響を感じさせる。
日本古来のものといいたいのだろうが、やはり中国からの影響は受けている感じがした。
千木(ちぎ)もみえた。
勝男木(かつおぎ)もみえた。
しかし、イースター島のアフやタヒチ島のマラエとはまるで違う空気が漂っていた。
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