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2009年10月

2009年10月31日 (土)

鎌田實の一日一冊(41)

『しあわせ食堂』(武内ヒロクニ+毎日新聞夕刊編集部、光人社、1890円)

著名人50人の「食」にまつわる思い出が、武内ヒロクニの絵とともに紹介されている。
鎌田實は、「もやしいため」。
環七のあの定食屋さんの、たしか50円の一番安いもやしいためを、父と二人でよく食べた。

武内ヒロクニの絵がいい。
暴力的だ。なんとんなく悲しい。なんとなくうきうきして楽しくなる。Photo
なんだかわからないハチャメチャな絵が多い。
特に、鎌田のもやしいためは、激しい。
なんだかわからないが、もやしいためが踊っている。

武内ヒロクニさんが拒食症になって、ごはんが食べられないときの絵だという。
田辺聖子さんは「お好み焼き」、妹尾河童さんは「カステラ」、やなせたかしさんはやっぱり「あんぱん」・・・。

ぼくの父は、怖い人だった。
だが、夜中に仕事から帰ってきて、2人で行った定食屋さん。
「ミノル、何、食いたい」
思い出すと、定食屋での父はいつもあたたかい顔、あたたかい声だった。
1皿のもやしいためを、二人で食べた。
最高の晩餐だったと思う。

『しあわせ食堂』けっこういい本です。

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2009年10月30日 (金)

「やすらぎの丘」講演会のお知らせ

老人保健施設「やすらぎの丘」20周年記念講演会が11月14日(土)、開かれる。

「リハビリ医の妻が脳卒中になったとき」0910176image406
講師は、桜新町リハビリテーションクリニック院長の長谷川幹先生と、日本医科大学付属病院医療安全管理部副部長、長谷川幸子先生。

長谷川幹は、鎌田實の大学時代の同級生。
80人のクラスで、成績は鎌田實が80番目。長谷川幹はいつも欄外で81番目。
その妻幸子さんは、日本医科大学付属病院の看護婦長のときに脳出血を起こした。
高次脳機能障害を起こしたが、持ち前のガンバリズムと家族の支え、本当のリハビリテーションプログラムで社会復帰。
同じ病院の副看護部長になる。
その間、大学院も卒業している。
夫として何をしたか。リハビリの専門医として何をしたか。
そして、本人はどんな思いでリハビリに取り組んでいたのか。
ふだん聞けないような壮絶な話が聞ける。0910191mage410

お2人の話を聞くと、脳出血を起こしてもこんなに元気になれるということがわかり、リハビリのヒント、生きるヒント、人を支えるヒントになると思う。

会場は、老人保健施設「やすらぎの丘」
日時は、11月14日(土)午前10時~12時(開場は、午前9時45分から)
先着200人 参加は無料

鎌田の「あったかい介護を求めて」というミニ講演もおまけである。
どうぞ、お誘いあわせのうえ、お出かけください。

 明日はハロウィーン。ジャック・オー・ランタンになるカボチャがゴロゴロ

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2009年10月29日 (木)

新ブログはじまる

読売新聞の新サイト「ヨミドクター」が本日29日、オープンした。
そのサイトで、鎌田實が新しいブログをはじめている。Pa190586
毎週水曜、更新していく。

鎌田流の健康法や医療や介護について、やってみたい!と思うような情報や、心があたたかくなるエッセイなどを展開する予定。
読売新聞で月に1度連載している「見放さない」も、これからはここで見ることができる。
読者からのコメントにもできるだけお答えしたいと思うので、ぜひ、アクセスしてください。

ヨミドクターをご覧ください↓

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=13273

★再放送のお知らせ

「鎌田實 いのちの対話」の再放送がある。
11月3日、NHK第一ラジオ午前9時05分から約3時間。
綾戸智恵さんら3人のゲストを迎えて、鎌田と村上信夫が介護について新しい視線で語っている。
綾戸智恵さんの、お母さんへの介護はじつにすばらしい。
鎌田が綾戸智恵さんのピアノで、書き下ろしのエッセイの朗読をしている。
お聞き逃しの方は、再放送をどうぞ。

写真は、秋晴れの岩次郎小屋

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2009年10月28日 (水)

鎌田實の一日一冊(40)

『一澤信三郎帆布物語』(菅聖子著、朝日新書、777円)

老舗ブランドのお家騒動で大変な苦しみを得た信三郎さん夫妻が、新しいブランドを立ち上げるまでのノンフィクション。

泥沼で苦しむ一澤信三郎さんをなんとか援護射撃をしようと思い、ぼくは「週刊朝日」や「PHP」で原稿を書いて、応援してきた。
講演旅行のときにも、できるだけ信三郎帆布のラベルのバックを持ち歩いた。

ぼくは、信三郎のお父さんをよく知っている。Photo
お父さんがどんな思いでいたか、信三郎さんにどんなに店を継がせたかったか、家のこともよくわかっていた。
だから、兄が持ち出してきた遺言書を信じることはできなかった。
やっと最高裁までいって決着がつき、信三郎さんが正しかったことがわかった。
その顛末が、この本によく書かれている。
また、日本の裁判の弱点も見えてくるが、まだまだ正義が認められることがわかり、安心もした。

著者の菅聖子さんとは、チェルノブイリへの旅を一緒にしたことがある。
広島で被爆した笹森恵子さんを、孫のように支えながら、旅をしてくれた。
あたたかい人である。
あたたかい人が信三郎帆布というあたたかな商品の奥にあるものを見事に書ききっている。

信三郎帆布の職員たちはあたたかい。
信三郎さんと恵美さん夫婦もあたたかい。
あたたかいいい本ができたと思う。

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「介護の日」セミナーまだ申し込めます

11月11日、「介護の日」セミナーが開かれる。
「自分らしく生きる。知恵と工夫で変える! がんばらない介護生活」をテーマに、講演やトークショー、展示などがある。

第1部は介護専門職の方向けの介護技術セミナー(11時~12時半)
「認知症の在宅介護 私たちにできること『在宅三本柱』でどこまでできるか」
 講師・岡本祐三先生
「排泄ケアの最新知識」
 講師・西村かおる先生

第2部は一般の方、介護専門職の方向けセミナー(13時半~16時)
「がんばらない介護生活の実現に向けて」
 講師・鎌田實
トークショー「日本の介護を“がんばらない介護”へ」
 厚生労働省関係者、鎌田實、別府明子さん

また、障害者や高齢者の着やすい洋服や、おむつをしていてもかっこいい洋服などのファッションショーがある。
鎌田も新しい、おむつをしていてもカッコいいウエアを着て、登場する。

会場は、東京都港区の「女性と仕事の未来館」4階ホール。
参加は無料。
まだ100人ほど申し込みの余裕があるので、ぜひ、お誘いあわせのうえ、ご参加ください。

問い合わせ、申し込みは「がんばらない介護生活を考える会」のHPへ。
Faxは03-3549-1685
E-mail info@gambaranaikaigo.com

~~★~~★~~

また、11月11日は、鎌田が「生活ほっとモーニング」に出演し、介護について語る。
NHK総合、午前8時35分~。
こちらもぜひ、ご覧ください。

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2009年10月27日 (火)

発見!特B級グルメ(84)盛岡じゃじゃ麺

盛岡には3大麺がある。
わんこそば、冷麺、じゃじゃ麺。0910131image393

わんこそばは勢いで楽しく食べていくもの。
そばどころ信州で暮らすぼくは、そばは繊細な芸術品と思っている。
そばは少量で繊細に、いちばんおいしいタイミングで味わう。
それがそばの食べ方だと思っている。
なので、わんこそばのリズムはあまり好きになれない。
値段もけっこう高い。

じゃじゃ麺は安くて旨い。
550円。
L1080145 HOT jajaというところで食べた。
ここの麺はかなり腰が強いので、13分ほどのゆで時間が必要。
この感覚も丁寧で好きである。
ひき肉とミソの油いためは、お店それぞれの味があるが、ここのは旨い。
それにキュウリとショウガのおろしを入れて食べていく。
途中で、生ニンニクのすりおろしや、胡椒、唐辛子、ラー油などをお好みで少しずつ加えながら、味の変化を楽しんでもよい。
ぼくは、この店に置いてあるニンニクの一升漬けを加えていくのが気に入った。
じゃじゃ麺の味を劇的に変化させ、実に旨い。
いろんな薬味で味が変化していき、ニクニクの一升漬けでクライマックスとなる。

このニンニクの一升漬けは置いていないところが多い。
元祖じゃじゃ麺の味も捨てがたいが、HOTjajaのじゃじゃ麺にニンニクの一升漬けの組み合わせは何とも言えない。0910132image394

あらかた食べ終わったら、麺を1~2本残しておいて、チータンタンスープを加えて仕上げる。
しいたけと昆布、玉ネギ、長ネギで出汁をとったスープに、生卵を入れてかき回し、ジャジャ麺の残りに入れて飲み干す。

じゃじゃ麺は、ぼくがすすめる健康にいいショウガやニンニクが十分に入っており、疲労回復にいい酢も使われている。
チータンタンスープで仕上げるころには、代謝効率が高まり、体がぽかぽかし、汗ばんでくる。
盛岡に行ったら、ぜひ、じゃじゃ麺を。

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2009年10月26日 (月)

発見!特B級グルメ(83)冷麺

岩手の盛岡に行った。
0910121image391 盛岡といえば冷麺。
「明明や」(みょうみょうや)という焼き肉屋さんのランチは、冷麺と石焼ビビンバ。
冷麺が抜群にうまい。

ぼくは、冷やし中華が異常に好きだった。09101122mage392
はじめて冷麺を食べたとき、度肝を抜かれた。
こんなにおいしい麺があるのか、と思った。

この日、冷麺を食べて大満足。
辛いカクテキをたっぷり入れて、汗をかきながら食べた。
代謝効率がよくなる感じがしていい。

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2009年10月25日 (日)

エゴン・シーレ大好き

「世紀末 ウイーンの美術展」を東京の高島屋で見てきた。
中心はクリムトであるが、なんといってもぼくが見たかったのはエゴン・シーレ。
今までもエゴン・シーレについてはエッセイを書いてきた。
彼の絵をウイーンに見に行ったこともある。

今回の展覧会では、シーレの自画像がたくさん来ていた。
感動した。
だが、まだ「死と乙女」=写真=というシーレの代表作には会えていない。
まだまだ見ていない絵が多い。
これから、もっと見たいと思う。Photo

エゴン・シーレの絵は、ウイーンのレオポルド美術館にたくさん置いてある。
医師ルドルフ・レオポルドがエゴン・シーレに魅せられて買い集めたコレクションだという。
シーレの裸婦は、ほかの芸術家たちに比べて桁外れに野蛮で粗野である。
自画像は、そっぽを向いていたり、にらみつける目つきであったり、悲しみに満ちもう生きていけないような目をしていたりする。
10年足らずの活動期なのに、2500作を残した。

彼は1918年に28歳で亡くなっている。
今、新型インフルエンザが流行しているが、彼はスペイン風邪で亡くなっている。
クリムトと同時代を生きた。
もう少し、エゴン・シーレが長く生きたら、どんな絵を書いただろうかと思う。
シーレが描いた家族は、なんとも力強く、素敵な絵である。
「死と乙女」と「家族」のようなだれも描いたことがないような絵を、20代で描き上げた男が、30、40歳になったとき、どんな絵を描いていたのか。
想像するだけでなんもと楽しくなる。

ぼくの家では、思うことや伝えたいことを家族みんなで書いているノートがあるが、それはエゴン・シーレの自画像が表紙になっている。
美しい表紙のノートを、家族全員のメモに使っている。
エゴン・シーレ大好き。

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2009年10月24日 (土)

この人に会いたい(7) 苫米地英人さん

『脳にいい勉強法』(アスコム)や、『脳を味方につける生き方』(三笠書房)など、次々に新しい本を出している売れっ子の脳機能学者。
コンピュータの専門家でもあり、実業家としても知られている。
全日本気功師会の名誉会長なども務める。

オウム真理教信者の脱洗脳を手がけたことで有名である。
そのほか、警視庁長官狙撃事件の実行犯とされる元巡査長の記憶を引き出した、などで知られる。

彼はこんなことを言っている。L1080115
「正しい勉強法の最大のコツは、がんばらないことです。がんばることで脳が拒否反応を起こし、IQがおもっいっきり下がります」
10年前から「がんばらない」といい続けている、がんばらない教の本家本元としては一度お会いしたかった。

『しがみつかない生き方』がベストセラーになっている香山リカさんにお会いしたとき、香山さんから「ちょっとぱくりしました」と言われた。
みんなに、「がんばらない」を意識されている。

脳機能学者が「がんばらないことのほうが頭かよくなるという」のはおもしろいなと思った。
脳はがんばる人より、楽しむ人に味方する、というフレーズをこの人も言っている。

おもしろいのは、人が治るときには、内科が使う薬や外科が行う手術の効果以上に、「治るのだ」という自信が重要なのだという。
だから、同じ手術の腕前の医師でも、「私が治します」とか、「私はナンバーワンの技術をもっている」と自信たっぷりの先生のほうが、治る率が高いという。
なるほど、その通りかなと思った。

いまテレビで「神の手」といわれて、引っ張りだこの脳外科医、福島孝徳先生は、以前、よく諏訪中央病院に手術にきてくれた。
そのとき、脳の手術をしている手術室のなかで、「ぼくは世界一だから」とい言いながら手術していたのを覚えている。
苫米地理論によれば、手術の前や後に直接、医師からそう言われた患者は、手術で治る以上に、この言葉で治っていくのではないかという。
その言葉が迫力やリアリティーをもつためには、やはり医療者として技術がなくてはならないが、言葉に出して言えるというのは、もっと大きいという。

手術の説明をするときにも、たいていは若いドクターが丁寧に合併症などのリスクや、助からない率などを説明して、手術の承諾書に署名してもらう。
しかし、そこに立ちあわなかった部長や執刀医が数時間後に病室を訪ね、「私が治しますよ」とか「全力でやりますから、治ります」と言い切ってあげると、手術後の経過がいいという。
がんの再発率までちがってくるという。

これは確かに見習っていい手法のように思う。
正直に1%の確率で合併症があるとき、99%は大丈夫ですといっても、患者は、自分はその1%なのではないかと心配するものである。
心配をしたまま、今の医療は放置していることが多い。
そのまま手術をすれば、手術の間中、不安のなかにいる患者は免疫力が下がり、治癒率が下がる。
もちろん、厳しい話もきちんと一度はしておいたほうがいい。
しかし、患者をおびえたままにさせることは、全体的にみればマイナスになる。

ぼくはいま朝日新聞社から出す予定の「言葉で治療する」という本を書いている。
医療にとって言葉がどれだけ大事かということは感じてきたことなので、苫米地さんがいうことは実によく納得できた。

気も合った。
文部科学省か厚生労働省から研究費がもらえれば、苫米地理論を諏訪中央病院で研究し、告知の仕方で治療成績が変わることを証明してみたい。
2人でちょっと政府に働きかけてみようか、そんな話も飛び出しだ。

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すてきな人たちとの対談

「PHP」11月号で、俳優の児玉清さんとの対談がのっている。
本の虫でもある児玉さんとの対話は実に広がりのある、おもしろい対談となった。
「潮」11月号では、安奈淳さんと対談している。
病気になって、いろいろなことがわかった、というお話。
ぜひ、ご覧ください。

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2009年10月23日 (金)

北部イラクの今 第4回

シリーズ「北部イラクの今」 ―平和と病院と難民キャンプ―

第4回 難民キャンプ、アンマン事務局、左足の神経を失った少年

2009年8月、JIM-NETのイラク医療支援活動のため、医師・鎌田實は今年もイラクに入国。
スレマニアの難民キャンプを訪れ必要な援助を確認。
アンマンの事務局では、治療のためバグダッドから来た親子と対面。
少年の足はイラク戦争の銃撃で神経が切断されている。

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東京女子医大で講演

東京女子医大の医学生、看護学生たちと記念撮影!

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11月11日は介護の日

11月11日は「介護の日」です。
厚生労働省が「11月11日」を『介護の日』と決定した(2008年7月)ことに合わせて、今年は “自分らしく生きる。知恵と工夫で変える!「がんばらない介護生活」”をテーマに介護の日を盛り上げる活動を行います。

「がんばらない介護生活」の実現をめざして知っておきたい、進化する介護の考え方、介護技術や介護用品などの情報を、11月11日「介護の日」セミナーを通してお伝えします。

午前中は、介護専門職向けの介護技術セミナー。
テーマは「認知症の在宅介護」と「排泄ケア」です。
午後からは、一般の方も介護専門職の方もご参加いただけるセミナーです。

「がんばらない介護生活を考える会」委員代表の鎌田實の講演や鎌田と厚生労働省関係者らによるトークショーを行うほか、「がんばらない介護生活劇場」にて、高齢夫婦の『がんばらない介護生活』の一日を劇の形にして紹介いたします。
劇の中では、障がい者衣服のデザインも手がける服飾デザイナー鶴丸礼子さんによる元気のでるファッションも披露します。

○2009年『介護の日』セミナー <申込先着250名様 参加費無料>
 テーマ:“自分らしく生きる。知恵と工夫で変える!「がんばらない介護生活」”
 日 時: 11月11日(水)11:00~16:00 (開場 10:30) 
 会 場: 女性と仕事の未来館 4階ホール (東京都港区芝)

 
事前のお申込が必要です。
詳しくは、がんばらない介護生活を考える会のホームページ http://www.gambaranaikaigo.com/  をご覧ください。
セミナーに関するお問い合わせ先:
「がんばらない介護生活を考える会事務局 電話03-3541-6262(土日祝を除く10:00~17:00)

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2009年10月22日 (木)

24日NHKアーカイブス出演

10月24日午前10時05分~、「NHKアーカイブス」(NHK総合)に、鎌田がゲスト出演する。

2000年に放送された「愛する命を送るとき~ある夫婦のホスピス絵日記~」では、緩和ケアの現場にカメラが入り、夫を看取る妻がかいた絵日記を通して、人間の生と死について考えさせている。
人間が生きるとは何か、死ぬということは何かを語り合う。
ぜひ、ご覧ください。

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唐組公演「盲導犬」

唐組44回公演「盲導犬」を見てきた。
もちろん、唐十郎の作演出。

この「盲導犬」は、唐十郎が37年前、石橋蓮司や緑魔子らがやっていた第七病棟のために書いた脚本だが、当時の唐十郎の状況劇場でも、一度も上演していなった。
37年ぶりの、しかも自分の劇団でのはじめての上演となった。

これだけのすばらしい脚本をそのままにしていたのは、よっぽど次々に新しい芝居をつくる自信があったのだろうな、とあらためて唐十郎の才能を感じた。

セリフはほとんど当時のまま。いじっていない。_007
ドキドキするほど今の時代に合っている。
セリフはリズムよく、機関銃のように続くが、いつもどこかで詩的。
稲荷卓央がいい。
鳥山昌辰がいい。
芝居は、超幻想的。
新宿のコインロッカーの前にたどり着いた男や女たちの、現世とあの世の境界が出会う、わけがわからないが、心地よい世界が展開する。

公演はジブリの森で行われた。
エンディングは、いつものように舞台装置がパンと開き、舞台の向こう側にジブリの深い森が口を開けている。
なんとも幻想的なエンディングであった。

23~25日は、雑司が谷の鬼子母神で公演がある。
ぜひ、ぜひ、ご覧ください。

写真は、唐組「盲導犬」のもよう(撮影者・首藤幹夫さん)

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あの時代を歌うCD

加藤登紀子さんから「1968」というCDが送られてきた。
すばらしいCDである。

「1968年は世界の若者が同じ呼吸をした軌跡の年1968__
1968年ベトナム戦争が火を噴いていた
1968年若者が自分の言葉を持ち出した」

たしかに加藤登紀子にとっても、1968年は大事な年だったのだろう。
ぼくはこの年、大学に入った。
いろんなことがあった年である。

このCDのなかの「1968」もすばらしいが、「美しい昔」というベトナム戦争で歌われたチン・コン・ソンの名曲の、歌いっぷりが実にすばらしい。
「だれが、だれが、雨を降らせるのよ」のフレーズはなんともぐっとくる。
「雨よ、降るならば、思い出流すまで、涙のように、この大地に降れ」

おすすめのCDです。
ぜひ、聞いてみたください。

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2009年10月21日 (水)

この人に会いたい(6)岸朝子さん

料理の鉄人」という番組で一躍有名になった。
料理研究家。
「おいしゅうございました」
彼女の定番のコメントは、当時たいへん評判になった。Photo

「楽しまない健康づくりや我慢のダイエットは体によくない」と彼女は言う。
ぼくも、同じ考えである。
おいしくないものを食べてもつまらない。
おいしいと感じることが大事なのだ。

おいしいものも好きだけれど、お酒も好きだという。
息子さんが小さいころ、「うちではお母さんがビールを飲み、お父さんはカルピスを飲んでいます」と学校で話してしまったという。

月刊誌「毎日が発見」10月号で、対談の模様が載っている。
おいしいという幸せが心の栄養になるという内容。

最後に、岸朝子さんはこう言った。
「今日はあこがれの先生に会えて、うれしゅうございました。どうぞ、お健やかに」
あの有名なフレーズをちょっと変えた、しゃれた言葉をくれた。

楽しい対談なので、ぜひご覧ください。

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2009年10月20日 (火)

発見!特B級グルメ(82) ウナギ弁当

愛知県の海辺の町、一色町。
ここはウナギの養殖日本一といわれている。
ここに来たら、とにかくウナギを食べなくちゃいけないと思って、三水亭のウナギ弁当を食べた。
うまい!!
あつあつを食べたらもっとおいしいと思いながら、弁当でも十分おいしい。0910044image382

ごはんにたれがかかっているのが大好き。
子どものころ、母はコロッケ弁当を作ってくれた。
前日に肉屋で買ってきたコロッケを残しておき、それを甘辛く味つけして、ごはんの上にぽんとのせてもたせてくれた。
母親の、手抜きといえば手抜きの弁当だが、これが忘れられない。
おかげで、今も、ご飯の上に何かのっている丼ものに目がない。
これからも丼を求めて、さまよっていこうと思う。

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2009年10月19日 (月)

新型インフルエンザに負けない21

~~強い感染力~~

8月、81歳の方が新型インフルエンザでなくなった。
このとき、入院している患者と医師と看護師ら6人に院内感染した。
名古屋のある高度医療の病院で、である。
同時に、研修に来ている他院の医師にも1人感染した。
この他院の医師と、食事を一緒にしたその病院の医師にも感染している。
1人の患者さんから、感染に対して知識のある現場の医師たち8人に感染したという事実をみると、新型インフルエンザウイルスの感染力は並大抵のものではないと思う。

弱毒で、一般の人が思うほど怖いものではないが、免疫がないために感染力が非常に強いということは自覚しないといけない。
かぜっぽくなった人は、新型インフルエンザの可能性も考えて、人前に出ないようにすること。忙しくても、同じ仕事をするチームや周囲の人のことを考えて、休むことである。

今日から医療従事者のワクチン接種が始まったという。
新型インフルエンザは、感染力が強いので、医師や看護師たちは感染の危険が高い。
そうでなくても、医師や看護師たちは、小泉元首相や竹中平蔵さんたちの医療費抑制政策で、悪条件のなか、国民の命を守るために前線で働いている。
命がけで働いている医師や看護師たちを、もっと大事にしたほうがいいと思う。

冬場になると、どの病院もベッドが不足しがちになる。
それにくわえて、これから新型インフルエンザが大流行すると、高度医療の病院ではベッドだけでなく、重症の患者を診るための集中治療室も不足することは容易に想像できる。
一度、人工呼吸器につなげると、外せるようになるまで時間がかかる。
この4、5年小泉さんたちにいじめら続けた病院は、人工呼吸器の台数にも余裕がない。
次々に重症の呼吸不全の患者さんが発生したときは、高度医療の病院は十分、対応できるだろうか。

新型インフルエンザは、ほとんどが軽症ですんでしまう。
だが、まれに肺炎や脳炎を起こす患者さんがいる。
その重症の人に対して、できるだけ早く、きちんと対応できるシステムを構築していく必要がある。

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発見!特B級グルメ(81)トンテキ

三重県四日市市は、トンテキのまちという。
「元祖」を名乗る「来来憲」は、お客が行列をつくっている。
店内は、50~60人のお客が雑然と、入れるだけ入って賑わっていた。

大トンテキは、地元の人たちは「グローブ」と呼んでいる。091003image380
本当に、野球の古いグローブみたいだ。
このグローブがうまい。
フライパンにラードをひき、ニンニクを丸ごと入れて、豚の肩ロースを揚げるように焼いてから、蒸し焼きにするので少し時間がかかる。
肉に十分火が通ったところで、特殊なソースをからめて食べる。
丸ごとのニンニクが、実にパワフル。
肉は分厚く、迫力がある。
厚いのに、筋がなく食べやすかった。
山盛りのキャベツがつく。

四日市市は人口31万人のまち。
ぼくが行った日、すぐ近くの鈴鹿でサーキットがあったために、わさわさしていた。
かぶせ茶という上質なお茶もこのあたりで作られている。
四日市コンビナートのまちであるが、かつてのような光化学スモッグはなく、公害は完全に抑えられている。
おいしいまちになっている。

四日市トンテキ協会というがあるのがおかしい。
トンテキマップというのも出来ている。
26軒ある。
岐阜県にも協会の会員になっているのが2軒、栃木県にも1軒。
トンテキのブームが来るかもしれない。

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2009年10月18日 (日)

この人に会いたい(5)香山リカさん

『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎)というしゃれたタイトルの新書がベストセラーになった。
著者の精神科医、香山リカさんと対談した。
このもようは、12月販売の文藝春秋スペシャルに掲載される。Photo

4年ほど前、ぼくがかかわっている国保地域医療学会が北海道で行われたとき、香山リカさんに講演をしていただいた。
そのとき、ぼくは座長を務めた。
ちょうど小泉さんの郵政選挙が行われる前日の講演だった。
「あれから、この国にはいろんなことがありましたね」

ベストセラーの著書について、
「先生の『がんばらない』を少しもじりました」
と、香山さんはのっけから切り出した。

もじれたり、パクられたりするようになれば、認められた“古典”ということになる。
それはそれで幸せな本だと思う。

恋愛にしがみつかない、老化することにしがみつかない、お金にしがみつかないとか、「ふううの幸せ」を手に入れるためのコツが書かれている。
なかには、勝間和代を目指さない、というチクッとしたものもあり、なんとも香山さんらしい切り口である。

2人で心と体の健康について、おもしろい対談をした。
ぜひ、12月の文藝春秋スペシャルをお楽しみに。

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2009年10月17日 (土)

ブドウの話

昨日に続き、仙台での国保地域医療学会の話をしよう。

市民公開講座を担当した。
聖路加国際病院の副院長で、小児科医の細谷亮太先生とあったかな医療について語った。
たくさんの市民たちが聞きにきてくれた。

ぼくは、最近の諏訪中央病院のアニマルテラピーや、緩和ケア病棟を支えてくれているボランティア、病院の庭をいつも美しく手入れをしてくれているグリーンボランティアたちの活動についてお話しながら、最後に『雪とパイナップル』の話をした。

細谷先生は、「鎌田先生がパイナップルなら、ぼくはブドウの話をします」といい、はじめた話がとてもすばらしかった。

白血病の子どもをもったお父さんが、ブドウの好きな自分の子のために、季節はずれのブドウを食べさせてやりたいと思った。
有名な銀座の果物屋さんの前を行ったり来たりした。
1房丸ごとは、高すぎて買えない。
何度も行ったり来たりしているうちに、店員さんから声をかけられた。
「子どもにブドウを食べさせてあげたいけれど、子どもの病状はよくなくて、1房は食べれそうもない」
それを聞いた店員さんは、
「わかりました、特別に量り売りをしましょう」
1房の何分の1かにはさみを入れて、小さな子ども用の房をつくってくれた。
なんともいい話だなと思った。

房から落ちそうなブドウの粒を3粒ほど差し上げるという手もあるように思うが、きちんとお金をやり取りしたことに意味があるように思う。
資本主義社会のなかでは、お金が回るということはとても大事なこと。
そして、そのときにあったかなお金の回り方をしたことが、すばらしい。
お父さんにとっては、小さな房でも、高いブドウであったと思うが、小さく分けてもらって買ったブドウの房には価値があると思うし、店員さんのビジネスマインドにも優れたものを感じた。
自分の商いを大切にしながら、病院のなかにいる白血病と闘う子どもに対して、見事な想像力があると思った。

国保地域医療学会の一日目が、あったかい空気のなかで終わり、懇親会が行われた。
懇親会場で、ぼくが仙台のずんだもちを食べていたら、ハンサムな青年から声がかかった。
「ぼくは、理学療法士と作業療法士をしています」という。0910022image379
そして、ぼくと一緒にグアムやハワイに旅行した大橋さんのリハビリをしていることがわかった。
偶然の出会いである。
なんともうれしくなってしまった。
「リハビリをしながら、いつも鎌田先生の話をしています」
大橋さんは、滋賀県に住む方で、鮒寿司を送ってくださったり、ぼくが忙しく飛び回っていると「お疲れにならないよう」とメールをくれるようになった。
そのメールを打ってくれていたのが、このハンサムな青年だったのだ。

こんなあたたかい好青年にリハビリを受けている大橋さんは、幸せだなと思った。
あたたかな医療が、そこらじゅうにあると感じた一日だった。

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2009年10月16日 (金)

ホスピタルコンサート2009(3)

2009年8月9日、諏訪中央病院で行われた第19回ホスピタルコンサート。シリーズ3回目(完)。 毎年、超一流の音楽家たちがボランティアで集まってくれる。 出演料はいつもの通り、庭のハープの花束とハーバルノート、ハーブティー。 ステージ後半は、オペラの名作「蝶々夫人」(プッチーニ)。 そして最後はいつものように皆で合唱をして感動のフィナーレとなった。

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地域医療のニューウエーブ

仙台で、国保の地域医療学会があった。
福井県名田庄村の中村伸一先生が、あきっぽい自分がなぜ地域医療にのめりこんだかという、たいへんおもしろいセミナーがあった。
ぼくは、その座長をした。
地域医療の魅力を、若い医師や看護師たちに知ってもらおうという、学会の新しい企画である。

中村先生はいま日本中から注目を集めている。
今年の冬、NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」に地域医療のニューウエーブとして紹介された。
17年前、医師になって3年目、たった一人の医師として名田庄村に赴任。
がん検診や往診、在宅でのがんの患者さんたちの看取りをし、8年間に11人にレジデントの地域医療研修を引き受けてきた。0910042image378

若い医学生たちがこの村の診療所に集まり、地域医療の実践を学んでいく。
面倒見がよく、教育熱心である。
いい話ばかりでなく、つらい話も聞かせてほしいといったら、こんな話をしてくれた。

「申し訳ない話なのだが・・・」と中村先生は、話し始めた。
診察した患者さんが、数時間後に具合に悪くなり、もう一度診療所にやって来た。
そのとき、はじめて、くも膜下出血を見逃してしまったことに気づいた。
本人やご家族は、許してくれた。
許してくれたことによって、長く地域医療をする一つのきっかけができたという。
いい話だなと思った。ほろっとしてしまった。
地域の人たちの「ありがとう」の一言や、「先生、もういいよ、精一杯やってくれたんだから」という言葉に支えられて、ぼくもやってきたなと、中村先生の話を聞きながら思った。

地域医療学会では、諏訪中央病院から4題の演題の発表があった。
緩和ケア病棟の看護師2人(=写真=)が、患者さんやその家族をどう支えるかという発表をしている。
在宅医療の責任者や緩和ケア医療の責任者のドクターたちも、別の会場で発表をした。

現在、諏訪中央病院では、在宅医療で診ている人の53%が在宅死を実現するようになった。
すごい数字である。
諏訪中央病院の訪問看護ステーションいろはと、在宅医療を自らすすんでやろうとしてる14人の内科医たちによって、ますます地域医療が活発になっている。
ぼくも数名の患者さんだが、今も往診させてもらっている。
医師たちが数人でもいいので、在宅医療をやり続けていると、病院の中からだけではなく、地域から病院をみるという視点ができ、「病院のなかの医療」を「住民中心の医療」に変えていくことができると思う。

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2009年10月15日 (木)

発見!特B級グルメ 名古屋コーチンの親子丼(80)

ぼくは親子丼が好き。
名古屋コーチン料理の「とり五鐵(ごてつ)」で親子丼を食べた。
たいへん評判がいいというが、実際食べてみて、本当にうまかった。
卵の黄身がのっているが、甘くなるため、ぼくは崩さずに食べた。0910161image381

これは、鎌田家の妙なクセかもしれない。
とろろそばなども、つゆの中に卵が落とされているが、だれ一人として、黄身を壊さない。
黄身を箸でつつかないように上手にそばを食べなから、最後、つゆもきれいに飲み干した後
も、まだ卵はそのまま残っている。
ちょっと不気味な光景だが、卵の黄身は崩さないのが流儀なのだ。

ここのところ、親子丼づいている。
郡山での比内地鶏の親子丼、岡山の山のなかで食べた親子丼。
この2ヶ月くらいで、3回もおいしい親子丼を食べている。
カツ丼も好きだけど、親子丼、好きですね。

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2009年10月14日 (水)

寄付に感謝

諏訪中央病院看護専門学校の学生たちが、文化祭を通して、チェルノブイリの病気の子ど0910144image374_2もたちを救おうと募金活動をしてくれた。
ありがたいことです。
文化祭では、安奈淳さんの講演とピアノの弾き語りがあった。
たいへん満足した聴衆の方々が、お気持ちを募金箱にいれてくださった。
こちらも、毎年、ありがたいことである。
こうやってたくさんの方からご支援をいただいて、チェルノブイリやイラクの子どもたちの支援ができています。

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2009年10月13日 (火)

80代でも続けられる健康法

80歳のおばあちゃんが内科の外来にやってきた。
『ちょい太でだいじょうぶ』(集英社)の文庫を2回読んだという。
夫は89歳。1回読んだという。

ばあちゃんは『ちょい太』を2回読んで、できる範囲で実践してみたら10キロやせたという。
「おお太」だったおばあちゃんが、「ちょい太」になり、坂道を登るときも疲れなくなったという。
じいちゃんは慢性肝炎があって、肝機能があまりよくないが、もうすぐ90歳なのに絶好調という。
『ちょい太でだいじょうぶ』は、無理なくメタボ対策ができる。0910082image384
長続きするコツがのっている。
どんなに意思の弱い人でも、やり続けられるような健康法である。
やり続けているうちに、じわじわと効果が出てくる。
急激に成果を出さないが、そのぶんリバウンドも出さないのである。

80歳と89歳の夫婦が文庫本を読んでいるというのも大したものだ。
「ばあちゃんが2回も読んだっていうのは、すごい」とぼくがほめると、
「いいことがいっぱい書いてあった。目からウロコで、もっと早くこの本に出会っていればと私はおお太にならなかった」と、ばあちゃんに言われた。

「ちょい太」健康法の実践者では、ぼくが知るなかでは最高齢者。
目標設定も厳しくないので、楽しく取り組めるのである。
これは生き方にもつながる。
本が役立っていると聞き、本当にうれしかった。

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2009年10月12日 (月)

新型インフルエンザに負けない20

~~新しい習慣~~

新型インフルエンザが広がり始めている。
9月28日号の日経ビジネスで、「世界で20億人が感染するパンデミックの脅威」という特集が組まれている。
そのなかで、このブログ「日刊・鎌田實なげださない」のインフルエンザ対策の記述が取り上げられた。

ぼくはインフルエンザワクチンに対する、旧政権の対応の悪さを、今年の春から指摘し続けてきた。
いま、塩野義第一三共、富山化学工業などが開発している抗インフルエンザウイルス薬も、できるだけ早く治験を行わなければならない、ということも書いている。
国民の命を守りながら、低開発国にワクチンや抗ウイルス薬を提供して社会貢献を果たしたり、先進国には薬を売ることによって経済効果を生み出すという、新しい産業形態の変更が求められているということも書いた。P9230482 新型インフルエンザが広がって、注意しなければならないことは、かぜの人はとにかく人前に出ないこと。
新型インフルエンザとわからなくても、かぜ様の症状があれば、無理をして学校や職場、会合、コンサートなど人中に出ないことである。
ほかの人に迷惑をかけるからである。

近畿のある老人保健施設や福祉施設の経営者から聞いた話である。
ある職員がかぜの症状が出たため、インフルエンザの検査をしたところ陰性だったため、仕事を続けた。
その職員はがんばり屋で、多少具合が悪くても、人に迷惑をかけてはいけないということで、かぜをおして仕事に出てくれた。
しかし、数日後に症状が悪化し、再度検査をしたら、新型インフルエンザであることが判明した。
施設側は大慌てだ。
結局3日間、かぜを押して働いたことで、入所者、同僚たちに感染した疑いが強まった。
入所者には特別な経過観察が必要になり、同じチームの同僚たちもしばらく休ませるしかなかった。
組織としてはたいへんなダメージを被ったという。
そうなのだ。
むしろ、その時しんどいと思っても、休んでもらうことが大事。

今まで日本人の気質からすると、かぜくらいで休まないのが美徳であった。
社会的評価も、かぜぐらいで休む奴は弱いとされ、出世競争で負けてしまう。
しかし、これからは、新型インフルエンザと診断される前、かぜ様症状でも無理をしないことである。
かぜ様症状が出たときには、新型インフルエンザかもしれないということを頭において、できるだけ家からでない。
そして家人にも感染しないように、本人はマスクをして自宅待機をする。
「かぜくらいで休めない、みとっもない」という、今までの意識を変える必要がある。
そういう習慣に変えていくことは、数年後におそらく襲ってくる、強毒性の鳥インフルエンザの予行演習になると思う。

写真は、岩次郎小屋の庭。コスモスが咲き誇る

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100歳のお祝い

諏訪中央病院に隣接する老人保健施設「やすらぎの丘」で、先日、入所中のお年寄りの100歳のお祝いが行われた。
県知事や茅野市長から表彰状やお祝いが届けられた。090928image372
うれしそうである。

この方のご主人も、ここで看させていただいた。
ご夫婦ともお元気だったころから、地域のいろんな活動で何回か一緒になったことがあった。
ご主人は環境問題にたいへん詳しく、農民画家として絵もかかれていた。
やすらぎの丘におられるときも、いつもデッサン帳を持っていた。
地域医療をやっているとおつきあいが長くなる。

11月14日は、やすらぎの丘20周年記念の講演会が開かれる。
講師は、リハビリ医療に取り組む長谷川幹先生。
鎌田の同級生である。
鎌田のミニ講演もある。
会場は、老人保健施設やすらぎの丘。
午前10時から。
どなたでも、無料で参加できるので、気軽に聞きにきてください。

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2009年10月11日 (日)

鎌田實の一日一冊(39)

『昨日と明日の間―編集者のノートから』(小尾俊人著、幻戯書房、3780円)

昭和20年、敗戦のなかで、みすず書房を立ち上げた出版人の編集ノートである。
なかなかおもしろい。

いま「言葉で治療する」というタイトルの本を書いている。Photo
その本に参考になる言葉をみつけた。
ゲバラ日記。
「われわれは21世紀の人間を創造するであろう」とゲバラは述べ、20世紀はオオカミの心をもった人間が自分の欲望のために帝国主義というスタイルを築いたということを言いたかったのだろう。21世紀は違うぞ、という未来を、ゲバラは信じていたのだろう。

ゲバラは医者であり、革命家であった。
1965年、キューバで、カストロの懐刀として大臣の仕事をしていたが、その大臣の職を辞し、キューバから消える。こんな言葉を残している。
「私は新しい戦場に、最も神聖な義務を果たそうとする感情を携えてく。言葉は私が望むことを表現しえない・・・・」

「言葉は私が望むことを表現しえない」
ゲバラはこのとき、言葉では何かを変えられないと思ったのだろう。
医師の道を捨て、革命家になろうとしていた。

医師にとって言葉は大事である。
ソクラテスは、哲学者と同じように、医師も言葉を扱う職業であると述べている。
言葉によって人を癒すこともできる、人を治すこともできる。
そんな思いで、「言葉が治療する」という本を書いている。
11月末の出版をお楽しみください。

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2009年10月10日 (土)

発見!特B級グルメ(79)

Photo 郡山に行った。
ご当地のB級グルメを探したが、なかなか見つからない。
親子丼のおいしいところがあると聞き、食べにいった。
郡山駅から歩いて3、4分のところにある、比内やサスケという店。
なかなか瀟洒な古い蔵を利用した鳥料理屋さんである。
ここの親子丼がおいしいという。L1080107

三段階あり、極上の親子丼というのを食べた。
肉も卵も比内地鶏を使っているという。
モモ肉を串に刺して、皮がついている側だけを一度、火で炙り、香ばしさと、皮にパリパリ感を出している。
地鶏のしっかりとした歯ごたえも旨く、卵そのものもおいしかった。

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2009年10月 9日 (金)

11日は、エゴン・シーレと唐組芝居

ウィーン・ミュージアム所蔵の「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」が、日本橋高島屋で開かれていると聞いた。

ぼくはクリムトは嫌いではないがどちらでもいい。Photo
だが、エゴン・シーレは大好きで、ウィーンまでみにいったことがある。
どんな絵が来ているのかわからないが、日本でエゴン・シーレがみられると聞き、いてもたってもいられない気持ちである。

11日は、東京で講演をした後、エゴン・シーレの絵に会いにいき、恵比寿ガーデンプレイスにラブレター展を見に行って、新宿・花園神社に唐組の芝居を見に行こうと思っている。
唐組の芝居には、安奈淳さんとご一緒する予定だったが、安奈さんは芝居の稽古が大詰めということで行けなくなってしまった。
大好きな絵と、大好きな唐十郎の芝居。
11日はなんだか目が回りそうである。

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われわれはどこから来たのか⑯

~~虫の音をどこで聞くか~~

信州は、秋が深まってきた。
鳥は、激しくさえずっている。
たんさん虫の音も聞こえてくる。
この虫の音を、われわれ日本人は左脳で聞くという。左脳は言語脳である。
対して、欧米人は一種の雑音として、右の音楽脳で聞くという。

たしかに、日本人が虫の音を聞きながら、詩や俳句や和歌の世界を広げていったのは、言語脳で受け止めているからかもしれない。
ぼく自身も、いろんな音を左脳で聞いている感覚が強いように思う。

坂田明さんと旅をしたとき、音楽脳の右脳が発達しているなと思った。090929image375
外国ではじめて聞く言葉も、すっと使ってしまうのである。
外国語に強い人たちは、わからない言葉を聞いたときにも、右脳で言葉を受け止めて、きちんと頭のなかにアップすることができる。

ぼくは外国語が苦手。意味から入ろうとするために、時間がかかってしまう。
はじめて聞いた言葉をひとつの音の塊としてとらえることなく、日本語に置き換えてみないとなかなか自分の脳のなかにアップできない。
それは左脳的な働きが強いからだと思う。

本題に戻そう。
実は、虫の音を右脳で聞くのは、欧米人だけでない。
予想に反して、韓国や中国の人たちもそうだという。
これは三木成夫の本に書かれていた。

日本人と同じように左脳で聞くのは、なんとハワイ、サモア、トンガ、ニュージーランド。
まさに南半球の南の国々の人たちだったわけである。

われわれはどこから来たのか。
その答えの一つは、南ということができそうだ。
だが、その「南」は、中国の雲南地方やインドネシアだけではなく、もっともっとはるか南の海から来ている可能性があるのではないか。
虫の音を聞きながら、そう思った。

写真は、雨上がりの夕方、里山に低くたなびく雲。岩次郎小屋から望む

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2009年10月 8日 (木)

ラブレタープロジェクト2009

10月10、11日、恵比寿ガーデンプレイス、ザ・ガーデンルームでラプレターの展示がある。
鎌田實はイラクの骨肉腫の女の子に書いたラブレターを出展している。

ぼくは、筆で手紙を書く。
ぼくがある人に送った手紙が、額装されて飾られていたのを見たときには、少し気恥ずかしかったが、筆文字は大好きである。
もともと字が汚かったので、さだまさしと一緒に、原田泰治さんに手ほどきをしてもらった。それ以来、やみつき。

ラブレタープロジェクトに協力を依頼されて、イラクの病気の女の子に手紙を書いた。
手紙とは思えないくらい大きな紙に、太い筆で書いている。
よろしかったら見に来てください。

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われわれはどこから来たのか⑮

~~命の旅~~

われわれはどこから来たのかという膨大なテーマを抱えながら、お伊勢参りをしてきた。
決して、単純なつながりとして、われわれは生きているのではないことが少し見えてきた。
われわれはどこから来たのかという膨大なテーマは、結局は命の旅を見つめようとしているのではないか。
そうすると、命とは何かという壁にぶつかる。

イヴァン・イリイチの『生きる意味――「システム」「責任」「生命」への批判』(藤原書店)という分厚い本を読んだ。
少し脱線するが、おもしろいことを言っている。

「法律家や医者といったかつてのリベラルな職業は、それらが提供するサービスを強制的なものとすることなく特権を獲得してきた。そして支配する職業になり、いずれ合法的な独占事業となり、暴力団の冥加金取立てと同じ仕組みを有するようになった」

イリイチは、脱病院社会とか脱学校社会など提唱した社会学者。
わかりやすい話として、墓掘り人についてこんなふうに書いている。
「自分たちを葬儀屋と称することによって、あるいは大学から信任状を獲得することによって、また自分たちの収入を増やすことによって、仲間の一人をライオンズクラブの会長にすることによって自分たちの商売につきまとう風評を取除くことによって、(中略)一つの職業を形成したのである」
なんともわかりやすい言葉である。

ぼくは、評判の高かった映画「おくりびと」をどうも好きになれない。
それは、この支配する職業、専門家の型枠によってかたどられたいびつ性を、「いやな空気」として感じたからかもしれない。

次の本を用意しているなかに、ぼくは「おくりびと」というエッセイを書いているが、専門家のおくりびとに任せるのではなく、自分たちの親戚や友人や地域の人などアマチュアがおくりびとになることにあこがれをもち、鎌田流の「おくりびと」のアンチテーゼを示している。
イリイチの思いに少し近いなと思った。

本題に戻そう。
生命とは高度に抽象的な言葉、だからこそそれは容易に操作されてしまうのでしょうか、という質問に対して、イリイチはこう答えている。
「生命という言葉は疑いなく根なし草の言葉であり、明らかに常識によって指し示される対応物を欠いた言葉です。一口に生命といっても、それは一人の人間であったり、一人の子どもであったり、あるいは一個の細胞であったり、すなわち子宮内の、乳児になる前の細胞であったり、一頭の熊であったり、一匹の蜂であったり、一個の分子であったりします。それゆえ単に生命といっても、それによってあなたは何のことを話しているのか、だれにもわからないのです」

そう、ぼくは最近、講演のなかで「命とは何か」という話をし、38億年つながってきた命の話をする。
命には、どうしても必要な二つの仕掛けがある。
一つは、生命活動を支え、維持するための代謝という機能。
もう一つは、伝えるという機能である。
地球上に奇跡的に生命が生まれても、その生命の代謝が終われは生命も終わる。
しかし、生命は途切れることなくつながった。それは、生命のなかに伝えるという仕掛けがあるからである。
ぼくが生命と言うとき、その二つの機能をもつ一つの細胞を示し、その細胞によって構成された、生きている何かを示している。それは熊であったりするし、蜂であったりするし、人間だったりもする。
命は、単細胞からはじまり、少しずつ変化を遂げながら複雑な命の形になっていった。
命は、長い旅を続け、今を迎えている。
われわれは、いまも命の旅をし続けている。

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2009年10月 7日 (水)

お伊勢参り⑦

~~生命の記憶~~

『胎児の世界』(中公新書)は、三木成夫の名著である。
このブログでも何度も取り上げた。
3週間ほど前、イラクを旅したが、そのときも持って行き、砂漠のなかで読んでいた。
3月の、イースター島からタヒチの旅にもこの本をもって読んでいた。
すべての人間は母親の子宮のなかで十月十日生き抜いて生まれてくる。
その間、38億年の命の歴史を生き抜いてくるというのが、三木成夫の主張である。
三木の文は名文である。しかも難解。読み続けても飽きない。

三木はこんなことをいっている。
「私たちはかつて胎児であった。十月十日の間、羊水にどっぷり浸かり、子宮壁に響く母の血潮のざわめき、心臓の鼓動のなかで劇的な変化を遂げたが、この変身劇は、太古の海に誕生した生命の進化の悠久の流れを再演する」
美しい文なのである。

人類の生命記憶。
ふと、自分の経験とは思えぬ経験を思い出すことがある。
ぼくたちの細胞には、38億年前、海辺で生まれたときからの命の記憶がしみこまされている。

発生学という解剖学者が、こういうことを言うのがおもしろい。
三木先生はゲーテの「ファースト」を使いながら、最後に伊勢神宮に「命の波」を感じるという。
胎児の世界のなかにも命のリズムがあり、すべての植物、動物のなかに命のリズムがあるという。
20年に一度の式年遷宮も、命のリズムをつくっている。
命のリズムは、制度にも反映していく。
自分のなかにある7日に1回のリズム。
人が亡くなった後、初七日がある。さらに7週後、四十九日という社会システムが作られていく。
体のなかでも、たとえば睡眠は90分ごとにレム睡眠とノンレム睡眠が繰り返されていく。

『胎児の世界』では、命の記憶をたどりながら、後半の5分の1ほどは伊勢神宮の話になる。
なぜ伊勢神宮が出てくるのか。
三木先生は、あきらかにポリネシアの血と文化が何らかの形でこの地にたどり着いているということを、伊勢神宮を使いながらか書かれている。
われわれはどこから来たのか、という心の叫び声をゴーギャンは絵として描き、
空海は「生まれ、生まれ、生まれ、生まれる生のはじまりより冥く、
死に、死に、死に、死んで死の終わりに暗し」と言った。
胎内回帰である。
三木先生は永劫周期という言葉を使っている。
永久に繰り返していく命のリズムのことを言っているのだと思う。
哲学者ニーチェも永劫回帰という言葉を使っている。

繰り返していく命のリズム。
同じように命に刻まれた植物や動物のあり方。われわれはどこから来たのか、われわれはどこへいくのか、まだまだ解明できない。

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2009年10月 6日 (火)

お伊勢参り⑥

~~伊勢神宮はどのようにしてつくられたか~~

『伊勢神宮―魅惑の日本建築―』(井上章一、講談社、2940円)は550ページにもわたる大著だ。
興奮しながら読んだ。
現在の伊勢神宮の千木(ちぎ)や勝男木(かつおぎ)は天皇家独特のものといわれる。
古事記は、勝男木を天皇の宮殿に許された飾木であると書いている。
しかし、江戸時代、古事記の研究をしていた本居宣長は、勝男木は宮殿だけでなく山里の民家の防風用にも使われていることも知っていたという。
ちなみに本居宣長は開業医であった。
評判のいい医者で、たいへん忙しい臨床の合間に、源氏物語や古事記の研究をしたというからすごい。Epdyh4

井上章一は、天皇家にとって大事な伊勢神宮をやたらの推測で語るわけにはいかず、たくさんの研究者たちの研究や、歴史的文献を上手に使いながら、見事に伊勢神宮はどのようにしてつくられてきたかを示していく。
結局、天皇家独特のものかと思っていた千木や勝男木は、日本の各地域の民家にもみることができることがわかってきた。
千木にいたっては、南方のマレーシアや雲南地方、インドネシアでもみられるという。

この本の中で、太田博太郎という建築学者が出てくる。
太田先生は、蓼科に別荘があったため、亡くなる10年ほど前におつきあいをさせていただいた。
古代の建築の話をよく聞いた。
太田先生は、明治の新政権によって、神宮は途方もなく立派につくりかえられている、一種の工芸品になってきてしまったと批判的にみている。
絶対主義政権の一つの具体的な表現だ、と語っている。
伊勢神宮の社殿は、桧の節目のない、どちらかみても正目に見える贅沢な材でつくられるようになったが、おそらくかつて社殿は、贅沢なものではなく、素朴な美しさをたたえたものだったはずである。

建築史家の伊藤延男は、生命を失った形式化がいっそう進められた、明治以降、表面的なこぎれいさを狙う細工がされているという。

多くの学者たちが、大きな流れとしては大陸や南側からの影響を明らかに受けているが、どこかの時点から、これは意見が分かれるのだが、ある時代のところからより日本的なものに少しずつ切り替えられていく。
しかも、その時代、その時代の遷宮で、微妙にタッチの違う神宮がつくりかえられていったのではないかと、この分厚い本を読んで思った。
当然、人がやることであるから、まったく同じものはできず、その時代のなんらかの印象が現れていくことは致し方ないことだと思う。
高床式には床にネズミ返しがはられている。
おそらく伊勢神宮の始まりは、米の神庫であった可能性がある。
その時代のお米は祈りの対象であり、収穫された米を収めた場が祈りの場になっていったのではないか。
神宮の形式が日本的であるという話は、けっこう疑わしい、少なくとも鵜呑みにはできないと、井上章一は考えている。
神宮の社殿は大陸的なんだとも言い切れるわけでもない。
もちろん、短絡的にインドネシア的であると決め付けるのも間違っている。

権力の戦いの中でつくられ、そして当然、民衆の思いに支えられてきた伊勢神宮。
人は、ホモ・ルーデンス、遊ぶ動物ともいわれるが、その遊ぶ動物がお伊勢参りを名目に見たことのない土地を旅し、この伊勢で祈り、そして、いろいろな羽目をはずしながら、再び自分の日常に戻っていったのではないだろうか。

伊勢神宮という魅惑の日本建築を550ページの大著にまとめた井上章一、なかなかの腕力である。

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2009年10月 5日 (月)

明日ラジオ出演

明日10月6日13時から、文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演する。
メインの大竹まことさんと、火曜日担当の山本モナさんが、お話を聞いてくれる。
ぜひ、お聞きのがしなく。

明日は東京の府中の森芸術劇場で18時30分から、ヴラダン・コチのチェロのコンサートがある。

ヴラダン・コチは、チェコの音楽家。
今年春、オバマ大統領が「核のない世界」を訴え、プラハ宣言をしたあの国からやってくる。

1968年、「プラハの春」が起きたけれど、本当の春はやってこなかった。
ヴラダン・コチたち若者は、再び「プラハに春を」と訴えて、戦争に反対し、徴兵を拒否した。
牢獄に入った。
自分の主旨を変えない男であった。
1989年、若者たちが立ち上がり、民主化が成功した。「ビロード革命」である。

1968年プラハの春。1989年ビロード革命。そして、2009年のオバマのプラハ宣言。
みんな同じ広場から、新しい波を起こそうとしている。
そのすばらしいプラハからやって来て、すばらしい演奏をしてくれる。

むさし府中青年会議所の若者たちが、チャリティーコンサートを企画してくれた。
ありがたいことです。
いよいよ明日、コンサートが楽しみである。

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野球部の仲間

秋の彼岸に、父・岩次郎さんと母の墓参りに行ってきた。
ご住職に家までお経をあげにきていただき、その後、墓に行った。
お墓に行くと、きれいに墓が洗ってあった。
新しいお線香がつけられたあとがあり、新しい花も供えてあった。

中学時代の親友の若林君に電話を電話した。090922image367
「もしかして、来てくれた」と聞いた。
「おう、いったぞ。オマエ忙しいから、できないと思って、オレしといた」
すごい友だちである。

母が死んだあと、父を一人東京において、ぼくは諏訪中央病院で夢中で仕事をしていた。
そのとき、若林君は父の面倒をよくみてくれた。
若林君のうちに、ご飯をごちそうになったこともあったようだ。
いつも若林君は、見えないところで支えてくれている。
ありがたいことです。

同じ仲間に、宿谷君がいる。
いくつも会社をつくっては失敗し、苦労に苦労を重ねてつくった会社がやっと軌道にのった。
それ以来、「鎌田を応援してあげるよ」といって、毎年、諏訪中央病院の横にある老人保健施設やすらぎの丘に、高級な魚をたくさん送ってくれる。
鯛やヒラメ、カニ、いくら・・・。お年寄りに寿司を食べさせてあげてほしいという。
ありがたい友だちがいっぱいいる。

明治大学で文学部の教授をしているオッチンは、ウイーンに留学しているときがあった。
ぼくがチェルノブイリからイラクへ行く途中、3日間ウイーンに滞在したとき、ウイーンの街を案内してくれた。

みんな野球をやった仲間である。
オッチンはピッチャー。キャッチャーは、若林。宿谷は一塁。カマタはショート。
そう、カマタは野球少年だった。
この4人は野球部でありながら、足も速かった。
運動会の競争も速かった。
悪いことをして、逃げ足も速かった。
学校をエスケープして、ラーメン屋に行ったとき、野球部の顧問の青沼先生にみつかり、顔がぶっ壊れるほど殴られたのも、この野球部の仲間だった。
ぜんぶいい思い出である。

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2009年10月 4日 (日)

お伊勢参り⑤

~~南側の影響を探す~~

伊勢神宮はかつて、この地域の海人(あま)族の祈りの場であったという。L1080087
その海人族は、もしかしたら南側からの血や文化を受け継ぐ人たちなのではないか。
そう考えて、内宮や外宮をみてみた。
インドネシアなどの高床式の住居に近いものはあったが、とりたてて南の影響を受けているとは思えなかった。

神宮内には別宮や小さな神社、祠(ほこら)が125ある。
そのなかに、あったのである。
瀧祭神(たきまつりのかみ)を祭っている神殿は社がなく、イースター島のアフやタヒチ島のマラエに近い感じがした。
さらに、真ん中の写真、四至神(みわのめじりのかみ)は、タヒチ島のマラエ(下の写真)に非常によく似ていた。
この四至神は、伊勢神宮の四隅の境界を守っている神といわれているが、この土地自体がもともと祈りの地であり、そこを守っている神だと聞いた。

L1080092 天照(あまてる)の神話は、もともと大陸北部に広がっていた。
もちろん日本の何十箇所からも、それぞれの部族の神話として、天照(あまてる)は残っている。
大和王朝は、海人族を征服し、その神話をも取り込んだ。
天武天皇や持統天皇は、大和朝廷の権力を強固にするために、うまく神話を利用したのである。
690年、伊勢神宮を興し、政治と政を分け、政の中心をここ伊勢に置いた。
そして、自らの正当性を強めるために、古事記や日本書紀がつくられていく。
天照大神は、いつしか女の神となり、女帝の持統天皇と重ねてみれるようにしかけられていく。

伊勢神宮に立つと、たしかに何か空気が違うような感じがする。L1070001
われわれはどこから来たのかを、解明したくて、今回、お伊勢参りをした。
38億年前、奇跡的に誕生した生命は進化をとげ、人類が生まれた。
人類は旅をしながら、日本列島にも入ってくる。
おそらく血も文化も、北からも半島からも南からもやってきたはずである。
その血が重なり合い、新しい日本が生まれてきた。
どんなに否定しようとしても、明らかに中国の影響を受けている。
南側からの影響も受けているが、その南とは、インドネシアなどの東南アジアなのか、中国大陸の南部、雲南地方なのか、あるいは南半球のポリネシアなのか・・・。
われわれはどこから来たのか、まだまだ答えを見出せないでいる。

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2009年10月 3日 (土)

お伊勢参り④

~~賑わうテーマパーク~~

内宮を参拝しようとしたら、45分待ちといわれてしまった。
平成20年の伊勢神宮の参拝者は、751万人。0909206image366
若い人たちの参拝が多いという。

一つはテレビのスピリチュアル番組の影響があるのではないかと、案内をしてくれた太郎館さんは言う。
テレビのスピリチュアルの番組はうそっぽくて大嫌い。なんであんなものを見るのだろうかと苦々しく思っていた。

もう一つは、おかげ横丁など、テーマパークのようになっている一角があり、内宮を参拝すると、後はおかげ横丁などで時間を過ごす家族連れが多いという。
そのために外宮の参拝者は、全然増えないという。

この日も、おかげ横丁は人が歩けないほど混雑していた(写真)。

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2009年10月 2日 (金)

この人に会いたい(4)荒木由美子さん

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17歳のとき、デビュー曲「渚でクロス」がヒット。
その後、テレビドラマ「燃えろアタック」で主役をし、人気を集める。
7年のタレント生活のあと、歌手の湯原昌幸さんと結婚し、引退。
なんと、結婚2週間後に湯原さんのお母さんが脳卒中で倒れる。
7年後には認知症が悪化。
20年、介護をしつづけた。
そしてお母さんが亡くなるとき、「こんな私をみてくれて、ありがとう」と言ったという。
湯原さんとはおしどり夫婦で、湯原さんは「すまない」とか「ありがとう」とよく言ってくれた。
その言葉が、崩れそうな心を支えたという。
そして、いまトラウマもなく、やりきったと思えるのは、最期にお母さんがありがとうといってくれたことが大きい。
「もうゆみちゃんに悪いことは一つもおこらないからね」と言ってくれたという。

今回の「鎌田實いのちの対話」では、「がんばらない介護」をテーマにしたのだが、荒木由美子さんも実によくがんばっている。
がんばって、がんばって、がんばって、みごとな介護をしたなと思う。
なかなか頭が下がる人たちが多い。

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2009年10月 1日 (木)

この人に会いたい(3)綾戸智恵さん

NHKラジオ「鎌田實いのちの対話」にゲスト出演していただいた。
テーマは「がんばらない介護」。
だが、綾戸智恵はがんばっている。
4年前脳卒中で倒れたお母さんを介護している。
とことんいい介護である。
お母さんを少しでもよくしようと、一生懸命リハビリを行い、お母さんが好きなすし屋やピザ屋に連れて行こうと必死になっている。

リハビリの先生は稲川先生。偶然にも、ぼくもよく知っている先生だった。L1080105
もともと理学療法士をしていて、勉強をしなおして医学部に入り、医者になった。
リハビリの優れた専門家である。
人間的にも魅力的な人で、諏訪中央病院の院長をしていたころ、彼を何度もリハビリの部長として招聘しようと口説いたことがある。
うちに泊まりに来てもらって、家族全員が信州を気に入ってもらえるように作戦を立てたこともあったが、説得しきれなかった。
その稲川君が、綾戸智恵さんのお母さんのリハビリをしている。
これは、なかなか大したもんだと思った。

今回は、松阪市で3時間の公開生放送となったが、名古屋までお母さんを連れてきて、友人に半日預け、お昼に放送が終わると名古屋に飛んで帰った。
とにかく親孝行だ。
40歳でデビューをして、どんな大きなホールでもすぐにチケットが売り切れるほど人気を博している。
その真っ只中にいて、休業宣言をする。
「家族がいるから、私のジャズがある」
好きなジャズをちゃんとやるために、まず、自分とお母さんとの生活を優先したかったという。
なんともかっこいい。

温かく、包んでくれそうな、そしてちょっとしゃがれた声が好きで、綾戸智恵のCDは4枚ほど持っている。
自分の部屋や書斎、リビングなどでもよくかけ、特に夜明けの4時半に聴くことが多い。
休業1年たって、これからバンバンとコンサートをするという。
お母さんは、ときには人を頼って、人に預けたりしながらも、できるだけ置いていかずに、お母さんを温泉やおいしい食べ物で誘い出し、コンサートツアーをしたいという。
あこがれの綾戸智恵さんに、アメージング・グレイスを弾いてもらいながら、書き下ろしエッセーの朗読をした。
一生忘れられない幸せな時間だった。

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