野球部の仲間
秋の彼岸に、父・岩次郎さんと母の墓参りに行ってきた。
ご住職に家までお経をあげにきていただき、その後、墓に行った。
お墓に行くと、きれいに墓が洗ってあった。
新しいお線香がつけられたあとがあり、新しい花も供えてあった。
中学時代の親友の若林君に電話を電話した。
「もしかして、来てくれた」と聞いた。
「おう、いったぞ。オマエ忙しいから、できないと思って、オレしといた」
すごい友だちである。
母が死んだあと、父を一人東京において、ぼくは諏訪中央病院で夢中で仕事をしていた。
そのとき、若林君は父の面倒をよくみてくれた。
若林君のうちに、ご飯をごちそうになったこともあったようだ。
いつも若林君は、見えないところで支えてくれている。
ありがたいことです。
同じ仲間に、宿谷君がいる。
いくつも会社をつくっては失敗し、苦労に苦労を重ねてつくった会社がやっと軌道にのった。
それ以来、「鎌田を応援してあげるよ」といって、毎年、諏訪中央病院の横にある老人保健施設やすらぎの丘に、高級な魚をたくさん送ってくれる。
鯛やヒラメ、カニ、いくら・・・。お年寄りに寿司を食べさせてあげてほしいという。
ありがたい友だちがいっぱいいる。
明治大学で文学部の教授をしているオッチンは、ウイーンに留学しているときがあった。
ぼくがチェルノブイリからイラクへ行く途中、3日間ウイーンに滞在したとき、ウイーンの街を案内してくれた。
みんな野球をやった仲間である。
オッチンはピッチャー。キャッチャーは、若林。宿谷は一塁。カマタはショート。
そう、カマタは野球少年だった。
この4人は野球部でありながら、足も速かった。
運動会の競争も速かった。
悪いことをして、逃げ足も速かった。
学校をエスケープして、ラーメン屋に行ったとき、野球部の顧問の青沼先生にみつかり、顔がぶっ壊れるほど殴られたのも、この野球部の仲間だった。
ぜんぶいい思い出である。
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