お伊勢参り⑤
~~南側の影響を探す~~
伊勢神宮はかつて、この地域の海人(あま)族の祈りの場であったという。
その海人族は、もしかしたら南側からの血や文化を受け継ぐ人たちなのではないか。
そう考えて、内宮や外宮をみてみた。
インドネシアなどの高床式の住居に近いものはあったが、とりたてて南の影響を受けているとは思えなかった。
神宮内には別宮や小さな神社、祠(ほこら)が125ある。
そのなかに、あったのである。
瀧祭神(たきまつりのかみ)を祭っている神殿は社がなく、イースター島のアフやタヒチ島のマラエに近い感じがした。
さらに、真ん中の写真、四至神(みわのめじりのかみ)は、タヒチ島のマラエ(下の写真)に非常によく似ていた。
この四至神は、伊勢神宮の四隅の境界を守っている神といわれているが、この土地自体がもともと祈りの地であり、そこを守っている神だと聞いた。
天照(あまてる)の神話は、もともと大陸北部に広がっていた。
もちろん日本の何十箇所からも、それぞれの部族の神話として、天照(あまてる)は残っている。
大和王朝は、海人族を征服し、その神話をも取り込んだ。
天武天皇や持統天皇は、大和朝廷の権力を強固にするために、うまく神話を利用したのである。
690年、伊勢神宮を興し、政治と政を分け、政の中心をここ伊勢に置いた。
そして、自らの正当性を強めるために、古事記や日本書紀がつくられていく。
天照大神は、いつしか女の神となり、女帝の持統天皇と重ねてみれるようにしかけられていく。
伊勢神宮に立つと、たしかに何か空気が違うような感じがする。
われわれはどこから来たのかを、解明したくて、今回、お伊勢参りをした。
38億年前、奇跡的に誕生した生命は進化をとげ、人類が生まれた。
人類は旅をしながら、日本列島にも入ってくる。
おそらく血も文化も、北からも半島からも南からもやってきたはずである。
その血が重なり合い、新しい日本が生まれてきた。
どんなに否定しようとしても、明らかに中国の影響を受けている。
南側からの影響も受けているが、その南とは、インドネシアなどの東南アジアなのか、中国大陸の南部、雲南地方なのか、あるいは南半球のポリネシアなのか・・・。
われわれはどこから来たのか、まだまだ答えを見出せないでいる。
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