お伊勢参り⑦
~~生命の記憶~~
『胎児の世界』(中公新書)は、三木成夫の名著である。
このブログでも何度も取り上げた。
3週間ほど前、イラクを旅したが、そのときも持って行き、砂漠のなかで読んでいた。
3月の、イースター島からタヒチの旅にもこの本をもって読んでいた。
すべての人間は母親の子宮のなかで十月十日生き抜いて生まれてくる。
その間、38億年の命の歴史を生き抜いてくるというのが、三木成夫の主張である。
三木の文は名文である。しかも難解。読み続けても飽きない。
三木はこんなことをいっている。
「私たちはかつて胎児であった。十月十日の間、羊水にどっぷり浸かり、子宮壁に響く母の血潮のざわめき、心臓の鼓動のなかで劇的な変化を遂げたが、この変身劇は、太古の海に誕生した生命の進化の悠久の流れを再演する」
美しい文なのである。
人類の生命記憶。
ふと、自分の経験とは思えぬ経験を思い出すことがある。
ぼくたちの細胞には、38億年前、海辺で生まれたときからの命の記憶がしみこまされている。
発生学という解剖学者が、こういうことを言うのがおもしろい。
三木先生はゲーテの「ファースト」を使いながら、最後に伊勢神宮に「命の波」を感じるという。
胎児の世界のなかにも命のリズムがあり、すべての植物、動物のなかに命のリズムがあるという。
20年に一度の式年遷宮も、命のリズムをつくっている。
命のリズムは、制度にも反映していく。
自分のなかにある7日に1回のリズム。
人が亡くなった後、初七日がある。さらに7週後、四十九日という社会システムが作られていく。
体のなかでも、たとえば睡眠は90分ごとにレム睡眠とノンレム睡眠が繰り返されていく。
『胎児の世界』では、命の記憶をたどりながら、後半の5分の1ほどは伊勢神宮の話になる。
なぜ伊勢神宮が出てくるのか。
三木先生は、あきらかにポリネシアの血と文化が何らかの形でこの地にたどり着いているということを、伊勢神宮を使いながらか書かれている。
われわれはどこから来たのか、という心の叫び声をゴーギャンは絵として描き、
空海は「生まれ、生まれ、生まれ、生まれる生のはじまりより冥く、
死に、死に、死に、死んで死の終わりに暗し」と言った。
胎内回帰である。
三木先生は永劫周期という言葉を使っている。
永久に繰り返していく命のリズムのことを言っているのだと思う。
哲学者ニーチェも永劫回帰という言葉を使っている。
繰り返していく命のリズム。
同じように命に刻まれた植物や動物のあり方。われわれはどこから来たのか、われわれはどこへいくのか、まだまだ解明できない。
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