夫は細川護熙さん。肥後熊本藩主だった細川家の26代目である。
26代目というのは、想像を超える人たちのつながりである。
1代上には父と母が2人いる。それぞれに父と母がいるから、2代上には4人の父と母がいる。3代上は8人のご先祖がいることになる。
そうやって26代前には、2の26乗である、6710万8864人の父と母がいるという計算になる。
われわれの細胞にあるミトコンドリアのDNAは、代々、母から受け継がれる。
これをさかのぼっていくと、20万年前、アフリカのサバンナにいた一人の女性にたどり着くという論文もある。
結局、人間はみんなつながっているという証のような感じがする。
細川家は、26代のつながりがはっきりと古文書などで明らかになっている。
ぼくのうちは血筋とか家系がわからないが、細川さんのうちと同じようにつながっていることは確かである。
それが、見える家系と見えない家系があるだけ。
見える家系に嫁いだ細川佳代子さんは、なかなかステキな女性だ。
スペシャルオリンピックスは、知的障害のある人たちの社会参加を支援するため、スポーツとふれあい、その成果を発表する国際的なスポーツ組織である。
細川さんらは、スペシャルオリンピックス日本を立ち上げ、1994年、国際本部から認証れさた。現在は、NPO法人となり、その名誉会長になっている。
人口の2%前後は、知的障害をもった子が生まれる。
「その子はやさしさや思いやりを教えるために、神様がくださった贈り物」と聞いて、活動を始めたという。
もちろん競技だから金メダルや銀メダルはあるのだが、参加したすべての子が予選ではじかれることなく、予選を通してクラス分けをし、昨日より今日、努力したすべての子たちを表彰するのだという。
日本でのアスリートは6500人。
1万2000人のボランティアがいるという。
ミッション(使命)、パッション(情熱)、アクション(行動)をすぐれたビジョン(展望)のもとに、ダンプカーのように、進めていくのである。
中国残留孤児を育ててくれた中国の養父母にお礼をするための、ありがとう基金をつくったり、「世界の子どもにワクチンを日本委員会」というNPO法人をつくったり、情熱がすごい。
ワクチンには、ポリオワクチンなど冷凍保存が必要なものがある。
細川さんたちはコールドチェーンといい、ワクチンを冷凍したままアフリカなどの熱帯地域へワクチンを続ける方法をつくりだした。
これは並大抵のことではできない。
ぼくたちJIM-NETは、白血球を増加させる薬をイラクの病院に運ぶとき、砂漠の暑さにやられないように、缶コーラを冷凍して保冷剤代わりにして運んだことがあった。
そのときの苦労を思い出すと、細川さんたちの苦労はなみなみではなかったろうと想像できる。
資金集めが、またすごい。
日本でスペシャルオリンピックスをやったときは、1500円のTシャツを売って、4億5000万円の収入を上げたという。
ソフトバンクホークスの和田毅投手が、細川さんたちの運動に協力し、1球投げるこどにワクチン10本を寄付すると約束してくれた。勝利投手になると2倍、完投勝利すると3倍、完封すると4倍のワクチンを寄付したという。
その結果、2008年はなんとワクチン4万2000本分のお金が、和田投手から寄付された。
それ以来、多くの人たちが自分のルールで寄付をしてくれるようになった。
ある土木建設業者は、トンネルを1m掘り進めるごとにワクチン何本とか。
あるドーナツのお店では、簡易包装でいいといってくれたお客がいると、その分をワクチン代に回すという。
パチンコ屋で、景品に交換するときに、半端な玉を募金ならぬ「募玉」をしてもらう。
その「募玉」に、お客さんの寄付を合算して、ワクチン代にしてくれるという。
また別のパチンコチェーン店では、12月と1月、約1000万円分ずつの募玉をしてくれる。そして、店内の投票箱に「サービスがよかった」とお客さんから投票されると、その数に応じて、店側がワクチン代に上乗せするという。
ぼくも、何かぼくのルールで、参加できないかと思った。
ぼくは今も緩和ケア病棟で毎週、回診をしている。
一生懸命に診ているが、残念ながら患者さんが亡くなるときがくる。
医学の力が及ばず、助けてあげられないときがくる。
ご本人も、もっと生きたかったと思う。
その人たちの命を、次の世代の人たちにつなぐことはできないだろうか。
そんな意味を込めて、諏訪中央病院の緩和ケア病棟で亡くなった人たちの思いを、たとえばワクチン100本という形で、世界でワクチンを必要としている子どもたちに届けることはできないだろうかと考えている。
これから細川さんと相談してみようと思う。
とにかく、細川佳代子さんのファンドレイジングはすごい。
ぼくがしてきたボランティアとは桁が違う。
この発想法は、たいへん勉強になった。