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2009年11月

2009年11月30日 (月)

この人に会いたい(14)葉祥明さん

1996年に出した絵本『地雷ではなく花をください』が話題となった。
翌年、日本絵本賞読者賞を受賞した。
水平線や地平線が美しく描かれ、そこに小さな灯台や家、教会がぽつりとある。
人が出てくることもあるが、ほんのわずか。

3年前、葉さんたちが中心に行っていた「えほんのくに」のイベントに出るため、熊本にお邪魔したことがある。Photo_2
3日ほど葉さんと一緒に過ごした。楽しい時間だった。

葉祥明阿蘇高原絵本美術館は美しいし、葉さんの絵も美しい。
美術館の裏庭に出て、べンチに座っていると、なんとも至福の時間がもらえる。
雲が流れていくのを見ていると、空からのささやきも聞こえてきそうである。
丘のような山が何重にも重なって、遠くまで見渡せる。
その山につくられた小道はどこまで続くのだろう。
たどっていくと、どこに行くのだろう。あの山を越えたら、何があるんだろう。
葉さんはたぶん、あの山の向こうに希望をみているんじゃないかと、思って見ていた。

『メッセージ・オブ・ライフ』『今日という日』など、メッセージブックもたくさん描いている。
毎日の暮らしで忘れてしまう何か、人生という日々に大切な美しい言葉が、美しい絵に添えられている。
たとえば、こんな文章がある。

「人は決して
一人だけでは生きてはいないPhoto
自分のためだけに
生きているのではない
人はみな
だれかのために
生きている
だれかのおかげで生きている」

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故を知り、作風が変わったと言う。
葉祥明はこんな言葉も書いている。
「意味ある人生
意義ある人生とは
自分を大切にし
ほかの人を大切に
いきとしいけるものを大切にし
地球のすべてを大切にする
そんな人生こそ!
人生と呼ぶに値する」

一度、葉祥明の絵本をご覧ください。
心が洗われると思う。

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12/2ラジオ出演

あさって2日「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送)に出演する。
ぼくの登場は、14時25分ごろから。

大竹まことさんとは同い年で、なんとなく気が合う。
年齢が一緒だけでなく、立ち位置が似ているような気もする。
力のあるものにつっかかってしまうような感じ。
すぐつっかかるくせに、あまり破壊しすぎてしまわないところも、軟弱と言えば軟弱で似ている。
ぜひ、お聞きください。

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2009年11月29日 (日)

サブリーンの追悼式

12月2日19時から、新宿のカタログハウスにて、サブリーンの追悼式を行う。

サブリーンは、目のがん網膜芽細胞腫になり、今年10月16日、イラクのバスラで亡くなった。15歳だった。
貧しくて、学校に行ったことがなかった。Can_card
入院して、病院のなかにある院内学級がはじめての学校だった。
そこで、JIM-NETのイブラヒム先生から字や絵を教わった。
絵を描くことが好きになった。
片目を摘出したが、もう一方の目でともかわいい絵をたくさん描いた。

ぼくたちJIM-NETは、イラクの病気の子どもたちの薬代を得るために、毎年、バレンタインチョコレートを売っている。
そのチョコレートには、サブリーンをはじめイラクの病気の子どもたちが描いた絵を添えてきた。
今年は、サブリーンの絵をプリントした缶入りチョコレートを販売する。
缶は4種類。中には、六花亭のおいしいチョコ3種類が10個入っている。
缶もかわいく仕上がった。

Photo サブリーンはがんが全身に転移し、亡くなる前の意識が亡くなろうというとき、
「私は死にます。でも幸せです。私の書いた絵がチョコレートの缶にプリントされ、それがイラクのほかの白血病の子たちの命を救うからです。みなさんありがとう」と言って亡くなっていった。
サブリーンのやさしい心を、チョコレートのともにみなさんに届けたいと思う。

追悼式は、参加自由。すべての人を歓迎する。
JIM-NET事務局長の佐藤真紀さんがサブリーンの思い出を語り、鎌田實が追悼の詩を読み上げる。
サブリーンの絵やポスターなども展示する。サブリーンが特に好きだった、赤い花の絵もある。
みんなでサブリーンを思い出しながら、イラク戦争はなんだったのか、静かに語り合いたいと思う。
ぜひ、たくさんの方、おいでください。

バレンタインチョコレート募金については、こちらをご覧ください。

http://www.jim-net.net/notice/09/10campaign_yokoku01.html

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2009年11月28日 (土)

「しがみつかない」vs「がんばらない」

文藝春秋スペシャル冬号の、「心と体の処方箋、健康への道」という特集で、「しがみつかない」香山リカと「がんばらない」鎌田實が対談をしている。Photo

「この生きづらい世の中で、ふつうの幸せが最大の幸福」と説く精神科医の香山リカさん。
「まったく無頓着もまずいんだけど、健康につがみついていることもまずい、いい・加減が大事」という鎌田。
話題は、空気を読むことについて及んだ。
「いまみんな空気を読むことに敏感ですが、それは友だちや親といった狭い範囲に限られています。もっと自分とは違う人たちの空気も読めばいいのに」と香山さんは言っている。
今、鎌田が力を入れて書き込んでいる「空気感染しない生き方」などについても触れている。
ぜひ、ご覧ください。

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秋から冬へ

信州の空も、秋から冬へ向かっている。

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2009年11月27日 (金)

ナイス素適音楽館 鎌田出演編(1)

八ヶ岳のアトリエで美しい音楽を作り続けているネイチャー・コンポーザー神山純一さんの番組に出演。 著書「がんばらない」についてのトークなど…。 (4回にわけて公開します) 撮影:2006年11月。 制作:YOUテレビ。

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この人に会いたい(13)古謝美佐子さん

彼女の島歌は、全部沖縄の言葉である。
ほとんど意味がわからない。
なのに何かが伝わるのである。

L1080173 彼女も、大和言葉で「花」という歌を歌っているが、そんなに好きではないという。
自分の故郷の言葉で歌っているときが、いちばん気持ちがいいという。
ジャズやブルースも歌うことがあるが、「(どんな歌も)沖縄の言葉で歌わせてもらえると、自分らしいと思う」と笑った。

「たとえば、どんな?」
食事の最中であったが、突然、ドボルザークの「家路」を歌いだした。
もちろん、アカペラである。
なんともすごい。
いちばん最後の、かあちゃんの待つ我が家です、というフレーズは、
「アンマー待ちゅる、わやでむぬ」L1080174
わからないが、といてもいいのである。

彼女の作詞した「童神」は、たくさんの歌手が歌っている。
物心つくまでの幼子は純白で、何者にも汚されていない神の魂をもっている、と彼女はいとおしがる。

障害者の施設や老人ホームにもボランティアで出かけるという。
彼女の歌が聴けるチャンスがあるときは、ぜひ聴いてみてほしい。

写真は、「鎌田實 いのちの対話」の公開放送の模様。古謝さんの演奏で、朗読する鎌田(右の写真)

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2009年11月26日 (木)

この人に会いたい(12)細川佳代子さん

夫は細川護熙さん。肥後熊本藩主だった細川家の26代目である。
26代目というのは、想像を超える人たちのつながりである。
1代上には父と母が2人いる。それぞれに父と母がいるから、2代上には4人の父と母がいる。3代上は8人のご先祖がいることになる。
そうやって26代前には、2の26乗である、6710万8864人の父と母がいるという計算になる。

われわれの細胞にあるミトコンドリアのDNAは、代々、母から受け継がれる。
これをさかのぼっていくと、20万年前、アフリカのサバンナにいた一人の女性にたどり着くという論文もある。
結局、人間はみんなつながっているという証のような感じがする。
細川家は、26代のつながりがはっきりと古文書などで明らかになっている。
ぼくのうちは血筋とか家系がわからないが、細川さんのうちと同じようにつながっていることは確かである。
それが、見える家系と見えない家系があるだけ。
見える家系に嫁いだ細川佳代子さんは、なかなかステキな女性だ。Photo

スペシャルオリンピックスは、知的障害のある人たちの社会参加を支援するため、スポーツとふれあい、その成果を発表する国際的なスポーツ組織である。
細川さんらは、スペシャルオリンピックス日本を立ち上げ、1994年、国際本部から認証れさた。現在は、NPO法人となり、その名誉会長になっている。

人口の2%前後は、知的障害をもった子が生まれる。
「その子はやさしさや思いやりを教えるために、神様がくださった贈り物」と聞いて、活動を始めたという。
もちろん競技だから金メダルや銀メダルはあるのだが、参加したすべての子が予選ではじかれることなく、予選を通してクラス分けをし、昨日より今日、努力したすべての子たちを表彰するのだという。
日本でのアスリートは6500人。
1万2000人のボランティアがいるという。
ミッション(使命)、パッション(情熱)、アクション(行動)をすぐれたビジョン(展望)のもとに、ダンプカーのように、進めていくのである。

中国残留孤児を育ててくれた中国の養父母にお礼をするための、ありがとう基金をつくったり、「世界の子どもにワクチンを日本委員会」というNPO法人をつくったり、情熱がすごい。
ワクチンには、ポリオワクチンなど冷凍保存が必要なものがある。
細川さんたちはコールドチェーンといい、ワクチンを冷凍したままアフリカなどの熱帯地域へワクチンを続ける方法をつくりだした。
これは並大抵のことではできない。
ぼくたちJIM-NETは、白血球を増加させる薬をイラクの病院に運ぶとき、砂漠の暑さにやられないように、缶コーラを冷凍して保冷剤代わりにして運んだことがあった。
そのときの苦労を思い出すと、細川さんたちの苦労はなみなみではなかったろうと想像できる。

資金集めが、またすごい。
日本でスペシャルオリンピックスをやったときは、1500円のTシャツを売って、4億5000万円の収入を上げたという。
ソフトバンクホークスの和田毅投手が、細川さんたちの運動に協力し、1球投げるこどにワクチン10本を寄付すると約束してくれた。勝利投手になると2倍、完投勝利すると3倍、完封すると4倍のワクチンを寄付したという。
その結果、2008年はなんとワクチン4万2000本分のお金が、和田投手から寄付された。

それ以来、多くの人たちが自分のルールで寄付をしてくれるようになった。
ある土木建設業者は、トンネルを1m掘り進めるごとにワクチン何本とか。
あるドーナツのお店では、簡易包装でいいといってくれたお客がいると、その分をワクチン代に回すという。
パチンコ屋で、景品に交換するときに、半端な玉を募金ならぬ「募玉」をしてもらう。
その「募玉」に、お客さんの寄付を合算して、ワクチン代にしてくれるという。
また別のパチンコチェーン店では、12月と1月、約1000万円分ずつの募玉をしてくれる。そして、店内の投票箱に「サービスがよかった」とお客さんから投票されると、その数に応じて、店側がワクチン代に上乗せするという。

ぼくも、何かぼくのルールで、参加できないかと思った。
ぼくは今も緩和ケア病棟で毎週、回診をしている。
一生懸命に診ているが、残念ながら患者さんが亡くなるときがくる。
医学の力が及ばず、助けてあげられないときがくる。
ご本人も、もっと生きたかったと思う。
その人たちの命を、次の世代の人たちにつなぐことはできないだろうか。
そんな意味を込めて、諏訪中央病院の緩和ケア病棟で亡くなった人たちの思いを、たとえばワクチン100本という形で、世界でワクチンを必要としている子どもたちに届けることはできないだろうかと考えている。
これから細川さんと相談してみようと思う。

とにかく、細川佳代子さんのファンドレイジングはすごい。
ぼくがしてきたボランティアとは桁が違う。
この発想法は、たいへん勉強になった。

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2009年11月25日 (水)

『言葉で治療する』増刷決定

『言葉で治療する』(朝日新聞社)の増刷が、発売1週間で決まった。
鎌田實の本としては、いつものテイストと違うので心配していたが、手ごたえは上々。

言葉は大切である。Photo
日本の医療をよくするためにもたくさんの人に読んでもらいたい。
介護にも役立つと思う。
ちょっと読み方を変えれば、ビジネスの世界にも言葉がどんなふうに役立つがわかる。
もちろん、家庭でも。
この本にひっぱられるようにして、『幸せさがし』(朝日新聞社)も増刷が決まった。
ぜひ、あわせてお読みください。

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2009年11月24日 (火)

この人に会いたい(11)小山明子さん

介護度5の大島渚監督を介護しつづけている。
大島渚監督が脳卒中ではじめて倒れたとき、次の映画の話があったため、監督が倒れたということを秘密にせざるをえなかった。
そのとき小山明子さんは、大島監督が入院している病院に行って、介護をしてあげることができなかった。
それがきっかけでうつ病になった。001
「今はせいいっぱい介護させてもらっているので、うつ病はどこかへ飛んでしまった」と明るい。
看させてもらえないときがあったので、好きな人の介護ができるということがどんなに幸せか、実感できるという。
そうか、と思った。
介護は地獄かと思っていたが、「介護させてもらえる幸せ」というフレーズもあるのかと思った。

小山さんとは、何度も対談をしたり、お会いしている。
まるでお姉さんみたい。
ときどきご飯をご馳走になる。
マフラーをプレゼントしていただいたり、とてもあたかい心配りの行き届いた方だ。
あたたかい人、大好き。

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2009年11月23日 (月)

「遠くへ行きたい」29日放送

病気や障害ほもっている人が旅をする。
病気や障害をもっている人だって、遠くへ行きたいと思っている。
ぼくはこの5年間、障害のある人やがんと闘っている人たち、うつ病や難病の人たちと一緒に旅をしてきた。ハワイやグアム、温泉に行った。

知らない土地へ行き、おいしいものを食べると、心がうきうきする。012
知らない景色をみて感動する。
副交感神経が刺激され、血管が拡張し、循環がよくなり、血圧が下がる。
免疫力だって上がる。

10月下旬、「鎌田實と温泉に行こう」というツアーがあった。
元バレーボール選手の益子直美さんが、テレビの取材で訪ねてくれた。

旅の間中、みんなでよく歌った。
温泉にも入った。
おしゃべりをし、よく笑った。
ぜんぶ体にいい。
諏訪湖のほとりにある美しい原田泰治美術館は、障害者にやさしい。
車いすが用意され、目の見えない人も原田泰治の絵を手のひらで楽しめるように仕掛けがしてある。
原田泰治らしいやさしさが美術館のなかに浸透している。

この模様は、11月29日午前7時30分から、日本テレビ系「遠くへ行きたい」という番組で放送される。
番組のなかでは、もしかしたら、ぼくがプロデュースした坂田明のサックスの「遠くに行きたい」が流れるかもしれない。
そうお願いしている。
この曲が入った、CDアルバム「ひまわり」は、イラクやチェルノブイリの白血病の子どもを救うためにつくったもの。
坂田明の「遠くへ行きたい」もなかなかいい。
ぜひ、テレビをご覧ください。

写真は、益子直美さんと原田泰治さんと

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2009年11月22日 (日)

鎌田實の一日一冊(47)

『よみがえれ!夢の国アイスランド―世界を救うアイデアがここから生まれる』(アンドリ・S・マグナソン著、日本放送出版協会、1785円)

アイスランドはジェットコースターだった。
貧しかった国が、あっという間に世界有数の豊かな国になった。
人口30万人。
地熱発電と豊かな川があり、それをダム化して、80%がクリーンエネルギーを使っているという。
クリーンエネルギーでないのは、車くらい。
その車が電気自動車になれば、100%クリーンエネルギーという信じれないような国を実現している。

各地に温泉がわいている。Photo
その地熱を利用した電力発電が島全体にいきわたっている。
だから、電力が安い。
この安い電力で、アルミ企業が世界メジャーに進出する。
そのアルミ企業の大きな工場を誘致するために、大きなダムができる。
この小さな国に莫大な資本が入り込んでくる。
一気にインフレとなる。金利があがる。
ここで投資をした人たちは一気に巨額の資本家になっていった。

サブプライムローン問題がおこる数ヶ月前、ぼくはこの夢のような国を訪ねている。
著者のマグナソンと一緒に旅をした。
自然を壊し、ダムをつくり、島全体をアルミ工場にしていくという危険な構想に対して、これはまずいと二人で話した。
その数ヵ月後、本当にアイスランドは国が崩壊するほどの危機に瀕する。
マグナソンは、アメリカの軍隊が来ることにも反対する平和主義者で、ダム開発で自然が壊されることにも反対をしてきた。
もっと穏やかで、持続可能な自然や経済を作り出すことが必要だといい続けていた。
彼の心配していた通りになったのである。

しかし、この本のなかで、マグナソンは、「いい経験をした」という。
多くの若者は大学で学び、家族の時間を豊かに過ごそうとしている。
いらいらが減って、交通事故が減ってきている。
次々に多国籍企業が入り込むこともなくなった。
これから豊かな自然を守りながら、新しい国のあり方を模索するときがきたと考えている。

環境を守るためにどうしたらいいかヒントがあり、崩壊した経済がどのようによみがえっていくのかがうかがえるおもしろい本である。

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2009年11月21日 (土)

やすらぎの丘20周年記念

老人保健施設やすらぎの丘の20周年を記念した集いがあった。
たたきつけるようにな雨のなか、ありがたいことにたくさんのボランティアや町の人、このブログを読んで駆けつけてくれた人が集まってくれた。

0911141image442 鎌田は「あたたかい介護とは」いうミニ講演をした。
メインエベントは、鎌田の同級生でリハビリ専門医の長谷川幹先生と妻の幸子さんが講演をしてくれた。
テーマは「リハビリ医の妻が脳卒中になったとき」
幸子さんは、脳卒中をおこし、たいへん重い失語症となった。
当時、大学病院で看護師長をしていた。
言葉の理解も言葉を発することもほとんどできなくなった。
どのように病気や障害を克服したかが、医師、患者、夫、妻の立場で語られた。
たいへん感動的な話だった。
当時を思い出して、2人が声をつまらせることもあった。

長谷川幹は「なんとかなる」とずっと、患者である妻の主体性を大事にした。
奇跡はおこった。
幸子さんは、失語症を克服し、職場に復帰し、いままで以上に努力した。0911142image443
夜間大学にも通った。
自分のなかにおきたことをさらに論理的に言葉で伝えることによって、自らが所属する看護部のパワーアップに役立つと考えたのである。
ある時期は、大学病院にとってもっとも大切な医療安全管理部の副部長になった。要職についたのである。
病気に勝ったのである。

講演の後は、入所者やデイサービス利用者と「やすらぎの丘」20周年をお祝いし、夜は古いスタッフたちが集まってくれて、懐かしい時間を過ごした。

写真は、懇親会にも出席してくれた長谷川幹・幸子夫妻(上)と、以前、やすらぎの丘で働いてくれてたスタッフとのツーショット

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2009年11月20日 (金)

EBMと自然治癒力

学芸総合誌「環」(藤原書店)の特集「『医』とは何か」で鼎談をした。

管理された医療システムから、事故をどう解き放つか。Photo
医療依存を超えて、医療をどうしたらいいか。
なかなか激しいディスカッションになった。
かみ合わない部分ももちろんあったが、刺激的な討論となった。

特に、自然治癒の問題やEBMとは何かというのは、目からウロコのおもしい話だった。
根拠に基づく医療=EBMは、イギリスのコクランが言い出した。
手術や化学療法などの侵襲的医療をするときに、本当に効果があるかどうか、疫学的にきちんと調査されていないといけない。
コクランがいちばん言いたかったのは、人間のなかにある自然治癒の力がいかされるべきであるというのが大前提で、手術や化学療法をしたりするときに、そこに根拠があるかどうかが大事ということである。

今は、自然治癒力などというものを議論すると、笑われてしまいがちだ。
それこそEBMとは真逆のものととらえられている。
現在のEBMという考え方は、コクランの思いから変節していったのだという。
高い雑誌であるが、中身は濃い。

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北部イラクの今 おまけ

シリーズ「北部イラクの今」
― 平和と病院と難民キャンプ ―

「無事国外脱出」

難民キャンプでの診察を終え、砂漠を抜けて国外脱出。
東シリアのパルミラ遺跡で一泊し、ウィーンへ。

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2009年11月19日 (木)

鎌田實の一日一冊(46)

『往復書簡 いのちのレッスン』(内藤いづみ、米沢慧 雲母書房、1680円)

親友・内藤いづみ先生のホームページで交わされた往復書簡が、一冊の本になった。
キューブラー・ロスのことや写真家岡村昭彦の評価を通しながら、いのちとは何か、深く語り合われている。
読み応えのある、なかなか刺激的な本である。
米沢慧が内藤いづみに送った最後の手紙のなかに、わが師、三木成夫のことが書かれていて、さらにぐっとひきつけられた。

解剖学者の三木先生は、心臓は植物的営み、脳は動物的営みと考えた。Photo
動物的営みである脳は、人間の精神あるいは理性を象徴するものだということ。
植物的営みである心臓は、人の心、あるいは人の心情と切り離せないこと。

『「二つの器官が互いに依存しあって、はじめて人間を主張することになります。
ところが人の体は進化の過程で、脳がどんどん肥大化してしまい、二つの勢力の均衡が崩れ、生の中心がしだいに心臓から脳に移行していった」と三木先生は語っている。
頭が心の声を聞くことをやめ、ロゴス中心の思考にうつっていったということです。
つまり、動物・植物両器官のもつ本来の双極的な命のかかわり方が、支配と被支配の主従関係になっていたということです。
ですから、人間としての精神の病は、いのちのあり方としての矛盾、宿命として、現象するようになったといえます』

そうなんだ、三木先生はこういうことをおっしゃっていた。
心臓は植物的な存在で、人の心情と切り離せない。
最近の脳科学者は、脳と心は一緒であるという言い方をするが、三木先生は脳は動物的な営みで精神あるいは理性を象徴する。理性と心情を分けようとしている。
三木先生の著書『胎児の世界』を読むと、生命の発生学的に、心臓が植物的な存在であることがよくわかってくる。
米沢さんが、三木先生の話をこの時代に持ち出してきたことには、たいへんオドロキでもあり、うれしくもあった。
いい本です。

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2009年11月18日 (水)

この人に会いたい(10)渡辺昌彦医師

消化器外科の専門誌「フロンティアズ・イン・ガストロエンテロロジー」で、対談をした。
北里大学医学部外科学教授。
大腸ファイバーによる大腸がんの治療については、日本を代表する名医の一人である。
治療において、言葉がどんなに大切か、ムントテラピーについてディスカッションした。

渡辺教授とは以前、月刊誌「がんサポート」で対談したり、インターネットの大腸がんの患者さんたちの相談コーナーのようなところで、大腸がんの最新の治療についてお話をうかがったことがある。
かれこれ4回目。
今回は、お忙しいの諏訪まで来ていただき、トンポがえり。恐縮であった。
腕がよくて、あたたかな教授であった。

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2009年11月17日 (火)

鎌田實の一日一冊(45)

『健康不安社会を生きる』(飯島裕一編著、岩波新書、735円)

健康づくりの光と影などが、うまく書かれていてわかりやすい。Photo
メタボ対策よりももうちょっと具体的に糖尿病対策をしたほうがいいなど、論点がしっかりしている。
メタボ対策は医療費の抑制にはつながらないだろう、と著者は推測している。
本当の医療を充実させていくためには、総合医が必要であるともいう。
諏訪中央病院は、まさに総合医を充実させながら、地域医療のメッカになる道を進んでいる。

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発見!特B級グルメ(87)ハルピンラーメン

南信のラーメンのコンテストがあり、諏訪中央病院から歩いて5分ほどの「蔵人」(くろうど)というラーメン店が2位になった。
古い土蔵を利用したしゃれた店である。0910291image435
赤味噌ラーメンは、味噌を焼いて香ばしくさせている。

1位は、鎌田家全員がファンのハルピンラーメン。
諏訪インターを出て諏訪市のほうに向かって車で少し走ったところにある。
ニンニクラーメンと、ハルピンラーメンが抜群に旨い。
鎌田はニンニクラーメンがお気に入り。
ぜひ、食べてみて。

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2009年11月16日 (月)

緩和ケア病棟遺族会

先月、諏訪中央病院の緩和ケア病棟の遺族会が行われた。
70人近くのご遺族が集まってくれた。
院長はじめ医師5人、緩和ケア病棟の看護師たちは病棟を守っている人たちをのぞいて全員が参加し、緩和ケア病棟に勤めていた人たちも、それぞれの病院からはせ参じた。
大分や愛知など、遠方から来てくれた人もいた。
看護部長を先頭に、それぞれの病棟の婦長たちも参加。
たくさんの看護学生たちも来てくれて、校歌「愛の卵」を歌ってくれた。0910173image403 
市民のボランティア茅野ギターアンサンブルがすばらしい演奏を聞かせてくれた。
あたたかな空気が流れた。

ぼくが座ったテーブルの目の前には、ぼくと同い年で亡くなったご主人の奥さんが東京から来ていた。
ご主人は山登りが好きだった。
人生につまづいた女の子たちの更生施設の指導教官をしていた。
熱血指導教官である。
八ケ岳に何度も子どもたちを連れてきて、心と体を鍛えようとした。
山が好きということで、自ら望んで諏訪中央病院にやってきた。
最期まで自分の力で生きていたいと、奥さんに言ったという。

ぼくの隣に座った親子は地元の方。
父岩次郎が信州に来たとき、ゲートボールの仲間に入れてくれた人のご遺族である。
岩次郎さんが地域の人たちと人間的なつながりをつくる大事なキーパーソンになってくれた。

ななめ前に座った方は、30代の娘さんを乳がんで亡くしたご両親。
このお母さんと娘さんには、飛び切りの思い出がある。
娘さんは、がんの末期だった。
診察をしているうちに、焼き肉が大好きということがわかった。
「じゃあ、焼き肉を出してもらおう」とぼくは簡単に考えた。
ぼくの動きはすばやい。
すぐに栄養士にお願いした。
栄養士は二つ返事。諏訪中央病院の栄養科はいつもあたたかい。
目の前で熱々の、焼きたて焼き肉を食べていただきましょうか、という話になった。
だんだん話が盛り上がっていく。
このときにお母さんが、うちの娘だけ焼き肉を食べさせていただくのは申し訳ない、病棟全体でやったらいかがでしょうか、と提案された。
今まで、緩和ケア病棟で焼き肉はそぐわないと思っていた。
体力が弱っている人が多い。焼き肉はうんざりではないかと思ったのが、思い違いであった。
調理師たちがオープンキッチンのように、ベランダに火を用意して、その火でいろんな料理をしながら、焼き肉を焼いてくれた。
ホスピスが、なんだか炭火焼レストランのにおいになった。
多くの患者さんとご家族が参加し、ホスピスの焼き肉会は異常に盛り上がった。

うれしくて、たくさん食べ過ぎて苦しい、苦しいという患者さん。
みんな大笑いである。
それからこの焼き肉会は、この病院で定番になった。

0910174image404 ちょうど後ろ席の方から声がかかった。
長い間、茅野市の行政のリーダーをなさった方のご遺族だった。
ぼくがいつも夢のような話をすると、この方は市長さんにうまく言ってあげるといって、よく了解をとりつけてくれた。
ぼくの母が亡くなり、東京で葬式を出すときにも、この方は茅野からわざわざ駆けつけてくれた。
肺がんがみつかり、ぼくは東京での重粒子線治療を紹介し、一時よかったが、さらに進行し緩和ケア病棟に入った。
「この病院があるのは、あなたのおかげがずいぶんあります」とぼくが言うと、「いや、いい病院ができたね」と喜んでくださった。

たくさんの人たちの思い入れで病院がなんとか成り立ってきた。
70人が参加してくれると、70人の物語がある。
遠くから来ている方が、実に多いことがわかった。
また来年、この紅葉の時期に会えることを楽しみにしています、と帰りがけに声をかけてくださる方もいた。
あったかな、あったかな遺族会であった。

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鎌田實の一日一冊(44)

『医療のこと、もっと知ってほしい』(山岡淳一郎著、岩波ジュニア新書、819円)Photo

高度救急医療や地域医療、国際医療支援など、それぞれの医療現場で医師たちはどんな思いで働いているのか、どんなにやり甲斐があるのか、若い読者に向けて書かれている。
鎌田のことも、ちょっと書かれている。

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2009年11月15日 (日)

鎌田實の一日一冊(43)

『渋澤流30年長期投資のすすめ』(渋澤健著、角川SSC新書、819円)

日本の資本主義の父といわれている渋沢栄一の孫、渋澤健が著者である。
渋沢健とは対談をしたことがある。
1987年、UCLA大学のMBAを取得している。Photo
2008年にコモンズ投信株式会社を創業した。

長期投資によってどのように、この国の資本主義を支え、自分の資産を伝えていくか。
澁澤流の「長期投資のすすめ」は、鎌田流のあたたかな資本主義にマッチしている。

23歳のときから、毎月2万円の投資をすると、5%の利回りと仮定すると60歳で2585万円になっているという。
37年間で、である。
毎月2万円の投資を20年すると、利回り5%の場合、857万円。
その儲けは、孫の世代の大学へ行ったり、留学するための資金として使うのもいい。
孫の成長を楽しみにしながら、この国の資本主義を救うことができるかもしれないのが、長期投資の魅力である。
渋澤流は30年という長いスパンでの投資をすすめている。
安定して発展できる企業、志の高い企業、マネージメント能力のある企業など、30銘柄が選ばれている。

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2009年11月14日 (土)

発見! 特B級グルメ(86)ナマズ

岐阜県海津市へ講演に行った。
お昼ご飯には、地元の郷土料理を出してほしいとお願いしている。
生まれて初めて、ナマズを食べた。

来年1月新年号から「週刊ポスト」でB級グルメの連載を始める。0911081image439
タイトルは、「くう・みる・ひたる」。
おいしいものの話や景色や映画の話、温泉にひたった話や感動にひたった話などを紹介していく。
そのために、ちょっと変わったものを食べたいと思っている。
だから、岐阜でナマズが出たときはうれしかった。

カッコはちょっとぎょっとする。
沼で釣ったナマズを、一週間くらい池で泥を吐かせた後、料理するという。
そのせいか、とても食べやすい。
蒲焼みたいな焼き方である。
軽い白身で、実にうまかった。

この土地では、川魚をよく食べる。
揖斐川があり、木曽川があり、長良川がある。
よく洪水に見舞われているという。

洪水には、堤防が大事な役目を果たす。
だが、同じくらい、川底を浚渫することが大事だという。
土地の人たちは、何度も浸水した経験から、ダムよりも、川底の浚渫や堤防を強化することが大事だと思っている。
むしろ、ダムによって魚の生態系を壊してしまわないか、心配する声のほうが多い。

江戸時代、この地の治水のために、幕府が薩摩藩に命じて、堤防作りの職人940人を派遣し、川の堤防などを築いたという。
鹿児島の島津家は、沖縄を中心にした南蛮貿易などで豊かであった。
幕府はそれを警戒し、余分な富を蓄えさせないように、この地の堤防づくりを命じたのだ。
その縁は、今も続き、鹿児島と海津は姉妹都市になっているという。

鯉こくもおいしかった。
鯉のあらいの刺身、マスの塩焼き、もろこの佃煮もおいしかった。

海津市は大型農業化に成功して、自然や昔からの文化を守ってきた。
日本の農村風景がいまもある。
なかなかおもしろい街づくりをしているとみえた。

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2009年11月13日 (金)

鎌田實 日本経済への提言32

~~住宅取得資金贈与の非課税枠をもっと拡げて~~

民主党の新政権が、住宅購入のために、親から資金をもらった場合の贈与税の非課枠の大幅拡大を検討しはじめているという。
GOODである。
この案は、経済を浮上させるために、ぼくが昨年から提案してきたなかの、柱の一つである。
住宅購入だけでなく、車でも、外国への留学でも、お金を使うことを前提にして、期間限定で相続税を撤廃すれば、親の世代で滞っているお金が動く。
子どもの世代はまだまだ買いたいものがあるので、親からの資金援助があれば、経済は動き出と思う。

相続税の期間限定廃止というのは、反対意見もいっぱいあるだろう。0910143image398
相続税はたくさんとるべきだ、と。
だが、この場合のポイントは、限定した期間だけ、ということ。
ある期間だけ相続税を撤廃することが経済を動かし、そして若者の雇用を広げ、むしろ貧富の差を縮小していくことができる。
「豊かな人」を守る制度では、決してない。
今1500兆円ある日本国民がもっている貯金を動かすことが大事なのである。
そうすることで危機を脱出することができる。

ぼくは日本中を講演であるいている。
かつての繁華街も、いまは閑散としている。
東京や名古屋などの大都市は、人が多いから表面上は以前と変わりないように見えるが、内実はよくない。
地方に行ってみると、見るからにさびしい。

住宅購入のための贈与税の非課税枠の拡大は、自民党政権時代も緊急経済対策として行われたが、その額は600万円だった。
このへんが、自民党の感性の悪さだったと思う。
新政権は、聞こえてくるウワサでは2000万円くらいの枠を考えているというが、ぼくは3000万円くらいに拡大してもいいと思っている。

できるだけ早く実行に移すべきだと思う。
経済は3月まで落ち込んでいくが、12月の国会で即日できるようにしてしまえば、マンションの受注や新築の受注が増え、お金が動きだす。
それが、経済危機の対応になる。

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2009年11月12日 (木)

ココセレブのインタビュー

ココセレブのトップページに、鎌田實スペシャルインタビューが紹介されている。
たいへん長いインタビューで、前編と後編を2週にわたってのせる。Photo_3

インタビューは、椿山荘フォーシーズンズのご協力で、美しい庭を背景にしながらの気持ちよいものだった。
本などのプレゼントもある。
鎌田實がイラクの病気の子どもたちのためにボランティアで行っている、バレンタインチョコレートやがんばらないレーベルのCDのご案内もある。
後編は11月26日にアップされる。
ぜひ、ココセレブをご覧ください。

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新そばの季節、到来

新そばの季節がやってきた。

0910182image408 0910181image407 蓼科に向かう途中にある登美のそば。

おいしいそばは、つやつやと美しい。

ぼくは辛味大根そばが好きで、ここに来ると、よく食べている。

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対談が一冊に!

子どもだけで作る「弁当の日」を提唱している竹下和男さんとの対談が一冊にまとまった。
『始めませんか 子どもがつくる「弁当の日」』(自然食通信社、1680円)

香川の小さな学校の校長、竹下先生が始めた弁当の日。Bento
当初、弁当の日をつくったくらいでは何も変わらないと思っていたカマタは、話を聞くうちに目からウロコ。
小さな実践が、大きな改革となり、家庭や学校、地域へと波及。
弁当の日は、全国500校に広がっている。
それは、涙なしには読めない。
校長自ら撮った子どもたちの写真がとても美しい。

竹下校長の熱い思いを応援したくて、この本を出した。
ぼくの本のなかでは、初版の部数は10分の1程度。
今まででいちばん少ないが、竹下和男先生の熱い思いを最もたくさんの人に伝えたい本。
とにかくしゃれた本。
子どものいるお父さん、お母さんにぜひ読んでいただきたい。
教育に携わっている人にぜひ、読んでいただきたい。
公務員もサラリーマンも熱い思いが、組織をどう変えるか、戦術的なこともわかる。

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2009年11月11日 (水)

介護の日に

NHKラジオ「ラジオビタミン」に出演。
司会の村上信夫さんらと一緒に。

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「生活ほっとモーニング」でご一緒した、城戸真亜子さんと。

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イラクの子どもを救う絵本

イラクの病気の子どもを救う絵本を、スマイルクリニックのゆかり先生と妹のひかりさんが制作している。
文章は姉のゆかり先生、絵は妹のひかりさん。Photo_2
スマイルクリニックは、24時間一次救急外来をやっている小児科の医療施設で、JIM-NETの一員としてイラクの子どもたちを救う医療支援をともにやってきた。
ひかりさんも、JIM-NETスタッフである。

その絵本に、ちょこっとだけドクター・カマタも登場する。
原田泰治さんの絵の鎌田は、髪が少々少なくて不満であるが、ひかりさんの絵は、帽子を被っているので髪の毛はわからない。
もうすぐ絵本ができる。お楽しみに。

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2009年11月10日 (火)

秋の信州

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秋の日差しはドラマチック

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介護の日セミナー

11月11日介護の日を記念して、「がんばらない介護生活を考える会」が主催して、「介護の日」セミナーを開く。
鎌田は、第二部(13.30~16.0)で講演、厚生労働省関係者らとトークショーをした後、ファッションショーにもモデルとして登場する。
認知症や障害がある高齢者がカッコよく街へ遊びにいける、ファッショナブルで、着脱が便利、動きやすく、排泄がしやすいフォーマルウエアを提案する。
介護の新しい知識が手に入ると思う。
ぜひ、ご参加ください。
問い合わせ、申し込みはこちらまで。

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2009年11月 9日 (月)

北部イラクの今 第6回

シリーズ「北部イラクの今」 ―平和と病院と難民キャンプ―

第6回 難民キャンプの診療所

2009年8月、JIM-NETのイラク医療支援活動のため、医師・鎌田實は今年もイラクに入国。
砂漠を抜けてやっとたどりついたアルアリードの難民キャンプでは、診療所で働く医師と患者たちが待っていた。カマタは早速診察を始める・・・。

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発見!B級グルメ(86)かぶら寿司

先日、金沢を訪れた。0910251image415
ガラスが写ってしまったが、夜明けの写真です。

0910252image416 石川県のかぶら寿司は、かぶとかぶの間にブリが挟まっている。
お米を発酵させた、なんともおいしい発酵食品。
なれ寿司のなかでは、食べやすいほう。

食べやすく、体にいい食品だと思う。

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11日は、テレビ・ラジオに出演

091102image437 11月11日は介護の日。
この日は、「生活ほっとモーニング」(NHK総合午前8時35分~)に出演し、介護をテーマに50分ほど語る。

介護の日が制定されて2年目。
全国で介護にちなんだイベントが開催され、テレビでも特集が組まれている。
現在、介護に関係ない人も1年に1度、介護する側に回ったときに、どんな心づもりをしておくのがいいのか、考える日になるといい。
あるいは、自分が病気に倒れ介護が必要な身となったとき、どう介護をうまく利用して自分らしく生きていくか、心の準備もできると思う。
ぜひ、ご覧ください。

同日、NHKラジオ第一の午前11時台の「ラジオビタミン」に10分ほど出演する。
鎌田實が、障害のある認知症の患者になった場合、どんな便利な洋服があるか、鶴丸礼子さんという九州の服飾デザイナーに提案してもらった洋服について語る。
着脱のしやすい洋服、排泄のしやすい洋服、歩きやすい洋服は、病気や障害のある人たちが病気や障害に負けずに旅に出たり、街に出たり、おいしいものを食べに行ったりすることを後押しする。
11月23日放送の「鎌田實 いのちの対話」の予告もある。
ぜひ、ラジオファンの方はお聞きください。

写真は、諏訪中央病院の庭

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2009年11月 8日 (日)

発見!B級グルメ(85)きりたんぽ鍋

寒くなると鍋が恋しくなる。
秋田のきりたんぽ鍋は、鶏のだしが舞茸、ねぎ、きりたんぽらしみておいしい。
本場のきりたんぽ鍋は、秋田に行かないとなかなか食べられないが、JA秋田の通販を利用すると、本格的で伝統的なきりたんぽ鍋セットが届く。0910193mage412
材料はすべてそろっていて、最高においしい。

初めて知ったのだが、きりたんぽには新米を使うのが、昔からの作法らしい。
だから、新米の季節の今がいちばんおいしいということだ。

寒い日、ぜひ、家族で鍋を囲んで食べてみては。

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2009年11月 7日 (土)

介護の新しい発想⑥

居心地のいい杜の中のゴジカラ村

愛知県の長久手町に、ゴジカラ村という不思議な村がある。
杜のなかに、いろんなものが点在している。
ケアハウスや特養、グループホーム、訪問看護ステーション、託児所、幼稚園、多世代交流住宅。
「ほどほど横丁」という老人アパートがあったり、すきまだらけで、なんだかわからないけれど、居心地がいい。
そのゴジカラ村に、新しく小規模特養「だいたい村」ができた。
「だいたいで生きていけばいい」というのが、名前の由来。L1080137
だいたい村には、29人が入る。
この村のリーダー吉田一平のいい意味でのいい加減さが発揮されている、おもしろい施設である。

杜のなかには、古民家もある。
これがなかなかすばらしい。
吉田一平は、杜を残すこと、木を植えること、古民家を再生させることを柱に、こんなにおもしろい村をつくりあげた。

グループホームは、「よりみち」と「嬉楽家」がある。
それぞれ9人が生活できる。
そこには、“居候”が泊まれるところもいくつかある。
“居候”は、吉田の好みか、若い女の子に2万数千円で泊まってもらいながら、お年寄りたちに声をかけてもらおうという戦略である。
杜のなかを見て回ったが、なんともほっとした。

認知症のおばあちゃんが、ぼくを見つけると、「いい服きているじゃないか」と話しかけてきた。
「おばあちゃん、元気だね」と言うと、「元気、元気」とぼくに抱きついてきた。
ぐっと抱きしめてあげたら、うれしそう。
息子さんがやさしくて、毎日来てくれるという。
遠くにお嫁にいった娘が顔をみせてくれたときには、このだいたい村に何日も泊まっていった。
家族もここに泊まると、ほっとする、気持ちがよくなる。
環境がいいと、家族も訪ねやすくなる。
施設に行くと気持ちが滅入ってしまうと、どうしても足は遠のいてしまう。
ここには、家族がふらりとやって来て、杜のなかのあちこちで、いい交流が行われている。

L1080141 ぼけてしまっても、どうってことはない。
人間の当たり前の姿。
おばちゃんは、ちょっと抱きしめられただけで、にこにこおだやかな顔をしている。
職員とともに、せっせとご飯づくりをしている。
ここではグループごとに、自分たちでご飯のメニューを考えて、勝手に作っている。
これがまたいい。
自分たちの好きなものが作れる。
昔の得意な料理、得意技を見せてくれる。

ぼけてもみんな生き生きしている。
みんなまだらなのだ。
ぼけたところもあるし、いいところもある。
ただそれだけ。
ぼくもそう。
まだらのなかのいいところと付き合っていけば、けっこう上手に付き合えるものだ。
いいところと付き合っていると、不思議なほど人間が壊れていかない。
このだいたい村には、そんな工夫がほうぼうに張り巡らされている。
居心地のいい村である。

入り口には障害者が運営している喫茶店がある。
吉田は、夜はここで一杯飲み屋ができないかと考えている。
二には、そろばん塾になっていて、子どもたちが来る。
そのうち、入所しているおばあちゃんが昔とった杵柄で、そろばんでもはじき出したら、おもしろいことになるな、とぼくは思った。

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2009年11月 6日 (金)

『言葉で治療する』本日発売

週刊朝日で連載していた「言葉で治療する」が、一冊の本にまとまった。
「頑固だからがんになるんだ」Photo
「うちは看取りはやりません」
「出て行ってくれるなら、紹介状は書きます」
信じられないような言葉を、医療従事者から浴びせられて、傷つく患者。
きちんとした説明もなく検査ばかりが続き、結局、「この病院に死にきた」と言って亡くなっていった人もいる。
医療現場では、言葉が粗末に扱われている。
平気で心を傷つけたり、コミュニケーションを断ち切ったり。

しかし、その半面、言葉には人を癒す力がある。治療する力がある。
医師や看護師など医療の現場の人間、そして医療を受ける患者さんにとっても、何か救いの道ははないだろうか。「言葉」を通して、解決策を探っている。

『言葉で治療する』(朝日新聞出版、1260円)、本日発売です。
ぜひ、お読みください。

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この人に会いたい(9)笹森恵子さん

笹森恵子さんがアメリカから久しぶりに帰国した。
広島で被爆をしたが、ノーマン・カズンズの養女となり、渡米して新しい生活をはじめた。
明るくて強い人。
体の3分の1がケロイドになっても、負けなかった。
がんになっても、負けなかった。

笹森さんと、一緒にチェルノブイリを旅した。0910232image414
来年はピースボートに乗って、被爆したことやその後の人生が変わったこと、平和主義者だったノーマン・カズンズのこと、アメリカでよかったこと、つらかったことなど、船旅をしながら話をすることになりそう。

テレビドラマ「仁」で脚光を浴びている俳優の大沢たかおさんが、アメリカまで笹森さんを訪ねた。
笹森さんの生き方に感動したという。
その後、2度ほど、笹森さんが帰国のたびに声をかけると、忙しいなか、いつでも1、2時間とってくれるという。
本当に「実」のある人だと、大沢たかおさんのことを語っていた。

笹森さんは、正式には小学校しか出ていない。
女学校に行っているときに被爆し、卒業式も行われなかった。
その後、自分の体験をアメリカのある大学の講演で語った。
大学中が感動したという。
そして、笹森さんが卒業証書をもっていないことを聞いた学長は、今年の大学の卒業式に招待状を出し、名誉博士生号を送るという。
アメリカにもあたたかい人たちがいると思った。

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2009年11月 5日 (木)

鎌田實と温泉に行こう

0910271image417 10月下旬、「鎌田實と温泉に行こう」ツアーがあった。
220人の障害や病気をかかえる人たちが集まった。
みんな元気である。
紅葉真っ盛りの諏訪をみんな思い思いに楽しんだ。

朝6時半にみんなで諏訪湖の湖畔を散歩して、足湯につかった。
みんなで叙情歌を歌ったり、温泉に入ったり。0910272mage418
原田泰治美術館に行き、原田泰治さんに会ったりした。

夜は、15分間、1000発の連続花火が打ちあがった。
季節はずれの花火にみんな感動。
車椅子のおばあちゃんが泣きながら言う。
「花火で泣いた。温泉に入って泣いた。先生の話を聞いて泣いた。うれし泣きを3回もしちゃいました」

0910281image421 目の不自由な人たちもたくさん参加したが、花火は大好評。
盆地に開くスターマインのどんという響きを、体で感じている。

たくさんのトラベルサポーターたちが協力してくれ、参加者たちを楽しそうにお世話してくれた。0910284image427 
また、みんなで春にはグアムかハワイに集まろうと盛り上がった。

今回は、「遠くへ行きたい」の収録で元バレー選手の益子直美さんが、諏訪中央病院やこのツアーを訪ねてくれた。
このもようは、11月29日午前7時半から日本テレビ系で放送される。
ぜひ、ご覧ください。

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2009年11月 4日 (水)

鎌田實の一日一冊(42)

『民主党波瀾の航海』(鎌田慧、アストラ社、1785円)

同じ鎌田であるが、一度もお会いしたことはない。Photo
かつて鎌田實の本がだれも知らなかったとき、『がんばらない』を何度か取り上げてくれた。
それ以来、お会いすることはないが、本ができるとお互いに送り合う仲になった。
3カ月前に出された『橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか』(平凡社)は優れた本であった。
いま数年がかりで人間の心のなかいる獣というテーマで原稿を執筆をしているが、
鎌田慧氏の『橋の上の「殺意」』は参考になる。

いつも弱いものへ向けたあたたかいまなざしがある。
厳しいジャーナリスト魂を持ち続けていると、尊敬している。

今回もまたまた激しい本ができた。

「かぎりなき退廃を続けた自民党に、有権者は一票をたたきつけて水に沈めた。自民党は谷垣新体制によって浮上をはかろうとしているが、民主党の失敗がないかぎり復活は難しい」

新型インフルエンザ対策で悪乗りした前厚労相を手厳しく批判している。Photo_2
ぼくも、このブログで舛添さんを批判してきたが、鎌田慧さんはさらに激しい。

この10年ほど、自民党は死んだようなものだったので、やらなければいけないことが山積みになっている。
この後をついだ民主党が、数カ月でなにもかもうまくやれるわけがない。
とにかく民主党はあせらず、1、2年でマニフェストの4分の1をやればいい、
4年で半分できればいい、とぼくは思う。

大事なことは、大きなミスをしたときには、政権交代するというが、この国で当たり前になること。
民主党は政権交代を成し遂げたのだから、あせらず、気負わず、丁寧な政治をしていけばいい。

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2009年11月 3日 (火)

北部イラクの今 第5回

シリーズ「北部イラクの今」
―平和と病院と難民キャンプ―

第5回 シリア・ダマスカス~イラク・アルアリードの難民キャンプへ

2009年8月、JIM-NETのイラク医療支援活動のため、医師・鎌田實は今年もイラクに入国。
ダマスカスではラマダンが始まり、ホテルはイスラム教徒であふれていた。
砂漠を抜けて、シリアからイラクへ入国。
アルアリードの難民キャンプへたどりついた。

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この人に会いたい(8) 秋吉久美子さん

読売新聞の135年周年事業で、公開の対談をした。Pa230608

お父さんやお母さんの看取りについての話をした。
命の話をした。
頭のいい人である。
しらけてなんていない、熱い人である。
丁寧で、一生懸命の人である。
50歳代に入ってから大学院に入り、主席で卒業したという。
なかなか根性の持ち主である。

1974年、藤田敏八の映画「赤ちょうちん」に主演。
「挽歌」「深い河」「ひとひらの雪」など、評判になった作品にたくさん出ている。
若いころに「私は素直なのはきらいです、人が赤だとえば無理にでも黒だといいたくなる」と言っているが、なかなか言葉とは違って素直な人。
自分に素直だから、言いたいことは全部言ってしまうのだろう。

言葉に対する感覚が鋭い。
お父さんが受けた告知を「当て逃げされたような告知」と言う。Pa230612
お母さんのときには告知はできなかったが、そのときの状況を「やり直しの効かない、精一杯の素人芝居でした」。
女優は、お母さんにがんの話ができない状況をこんなふうに表現している。

この対談の模様は、読売新聞で大きく取り上げられる。
また、秋吉久美子さんも鎌田も、読売新聞の新しい医療サイト「ヨミドクター」で、ブログを書いている。
ぜひ、お読みください。

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深まりゆく秋の信州

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                   奥蓼科の御射鹿池(みしゃがいけ)にて写す

岩次郎小屋も、秋色に染まる――。

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2009年11月 2日 (月)

発見!特B級グルメ(84)焼きサバの棒寿司

この何年も、こんなに駅弁で感動したことはなかった。

秋田から飛行機で羽田空港に着いた。Pa190587
夜7時。
そこから新宿発8時のあずさに飛び乗る。
曲芸である。
いつもこういうギリギリが好き。
しかも、1分、2分というわずかな時間に、ちゃんとおいしいものを探すのはぼくの特技。

新宿駅南口の駅構内にある「お弁当屋」という店に走りこんだ。
目と目が合ったのが、「焼きサバの棒寿司」。
押し寿司である。
なんとなく瞬間、うまそうと思った。
蓋を開けると、サバが美しい。
大きくて厚い。
福井県の観光土産品最優秀県知事賞を受賞している。
やっぱなと思いながら、すぐに一口ほうばる。
旨い。
ガリと、しいたけの煮汁がしみこんだごはん、焼きサバの味が絶妙である。
口のなかでとけあう。

この時間まで夕飯を食べれなかったので、がつがつと食べた。
写真を撮るのを忘れてしまった。

食い物は味であるはずなのに、うまいものは見た瞬間、何かいい空気を漂わす。
福井県の越前田村屋というところのお弁当が、なぜ新宿駅の南口の売店にあったのかわからない。
いつもその店に行けばあるのかもわからない。
しかし、お土産に買っても損はない。
久々にちょっと遠回りをしても、食べてみようと思う駅弁に出会った。

いい駅弁に出会った、いい余韻を残して、おかながいっぱいになった後、茅野まですやすやと寝込んだ。

写真は、深まりゆく秋の信州(岩次郎小屋からの風景)

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2009年11月 1日 (日)

イラク支援に感謝

来年2月17、18日、イラクのアルビルでカンファランスをする準備をすすめている。
今まで、JIM-NETが支援してきたイラクの4つの小児病院と、クルド人自治区の2つの病院あわせて6病院の、小児白血病や小児がんの専門家たちが一堂に会する予定。

ぼくたちの支援は、イラク戦争で破壊された医療システムが回復するまでのつもりだったが、現在も医療状況は悪く、子どもたちの命を自力では救えない状態が続いている。
5年間で2億4000万円の支援を送ってきた。Pa210601
これも、JIM-NETを応援してくれる皆さまの厚いサポートのおかげと感謝している。

今年も、チャリティーのバレンタインチョコレートを売り出す予定。
北海道の六花亭にご協力をいただき、原価で、しかも、今年はさらにグレードアップした缶入りのチョコレートになった。
イラクの白血病の子どもたちが今年も美しい絵を描いてくれている。
その絵を缶にプリントする計画が進んでおり、きれいな、おしゃれな4種類の缶になる。
もちろん、チョコレートの味は抜群。

今年は、10万個を販売する。
11月24日からファクスとメールで先行予開始。
たくさんの方々に応援をしていただきたいと思っている。

JCFで行っている、がんばらないレーベルのCD「ひまわり」「おむすび」「ふるさと~プラハの春~」も好評。
音楽が好きな人は買っていただけると、イラクの病気の子どもたちの薬代になる。

イラクの病院が立ち直るまで、応援をお願いいたします。

写真は、高田馬場にあるJIM-NET事務局での運営会議

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