緩和ケア病棟遺族会
先月、諏訪中央病院の緩和ケア病棟の遺族会が行われた。
70人近くのご遺族が集まってくれた。
院長はじめ医師5人、緩和ケア病棟の看護師たちは病棟を守っている人たちをのぞいて全員が参加し、緩和ケア病棟に勤めていた人たちも、それぞれの病院からはせ参じた。
大分や愛知など、遠方から来てくれた人もいた。
看護部長を先頭に、それぞれの病棟の婦長たちも参加。
たくさんの看護学生たちも来てくれて、校歌「愛の卵」を歌ってくれた。
市民のボランティア茅野ギターアンサンブルがすばらしい演奏を聞かせてくれた。
あたたかな空気が流れた。
ぼくが座ったテーブルの目の前には、ぼくと同い年で亡くなったご主人の奥さんが東京から来ていた。
ご主人は山登りが好きだった。
人生につまづいた女の子たちの更生施設の指導教官をしていた。
熱血指導教官である。
八ケ岳に何度も子どもたちを連れてきて、心と体を鍛えようとした。
山が好きということで、自ら望んで諏訪中央病院にやってきた。
最期まで自分の力で生きていたいと、奥さんに言ったという。
ぼくの隣に座った親子は地元の方。
父岩次郎が信州に来たとき、ゲートボールの仲間に入れてくれた人のご遺族である。
岩次郎さんが地域の人たちと人間的なつながりをつくる大事なキーパーソンになってくれた。
ななめ前に座った方は、30代の娘さんを乳がんで亡くしたご両親。
このお母さんと娘さんには、飛び切りの思い出がある。
娘さんは、がんの末期だった。
診察をしているうちに、焼き肉が大好きということがわかった。
「じゃあ、焼き肉を出してもらおう」とぼくは簡単に考えた。
ぼくの動きはすばやい。
すぐに栄養士にお願いした。
栄養士は二つ返事。諏訪中央病院の栄養科はいつもあたたかい。
目の前で熱々の、焼きたて焼き肉を食べていただきましょうか、という話になった。
だんだん話が盛り上がっていく。
このときにお母さんが、うちの娘だけ焼き肉を食べさせていただくのは申し訳ない、病棟全体でやったらいかがでしょうか、と提案された。
今まで、緩和ケア病棟で焼き肉はそぐわないと思っていた。
体力が弱っている人が多い。焼き肉はうんざりではないかと思ったのが、思い違いであった。
調理師たちがオープンキッチンのように、ベランダに火を用意して、その火でいろんな料理をしながら、焼き肉を焼いてくれた。
ホスピスが、なんだか炭火焼レストランのにおいになった。
多くの患者さんとご家族が参加し、ホスピスの焼き肉会は異常に盛り上がった。
うれしくて、たくさん食べ過ぎて苦しい、苦しいという患者さん。
みんな大笑いである。
それからこの焼き肉会は、この病院で定番になった。
ちょうど後ろ席の方から声がかかった。
長い間、茅野市の行政のリーダーをなさった方のご遺族だった。
ぼくがいつも夢のような話をすると、この方は市長さんにうまく言ってあげるといって、よく了解をとりつけてくれた。
ぼくの母が亡くなり、東京で葬式を出すときにも、この方は茅野からわざわざ駆けつけてくれた。
肺がんがみつかり、ぼくは東京での重粒子線治療を紹介し、一時よかったが、さらに進行し緩和ケア病棟に入った。
「この病院があるのは、あなたのおかげがずいぶんあります」とぼくが言うと、「いや、いい病院ができたね」と喜んでくださった。
たくさんの人たちの思い入れで病院がなんとか成り立ってきた。
70人が参加してくれると、70人の物語がある。
遠くから来ている方が、実に多いことがわかった。
また来年、この紅葉の時期に会えることを楽しみにしています、と帰りがけに声をかけてくださる方もいた。
あったかな、あったかな遺族会であった。
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