鎌田實の一日一冊(52)
『カフカ 田舎医者』(山村浩二、フランツ・カフカ、プチグラパブリッシング、2100円)
いま3月出版予定の本を作っている。
苦しい。
けど、おもしろい。
徐々に目を覚ます時間が早くなってしまう。
午前3時に起きて、ふと、自分が変身するとすれば、どんな変身を遂げるのかと思い、へんな詩ができた。
そんな鎌田實の変身を軸にしながら、一本の木の物語と鎌田の物語、読者の物語が重なり合うような構成にしようと思っている。
自分の思考をわかりにくい不可思議な世界に追い込むために、カフカを読み続けてきた。
99%は、簡潔でわかりやすく、メッセージ性のある文章だが、残りの1%はわかりにくい、カフカのような世界である。
散文詩のようなスタイルでまとめている。
そのなかで、山村浩二の『カフカ 田舎医者』に出合った。
カフカ的という意味では、なかなかいい絵である。
田舎医者の孤独と不安が、幻想に満ちた山村の絵とマッチする。
カフカの不可思議な世界が、見事なタッチで再現されている。
田舎医者が吹雪のなか、急患に呼ばれる。
16キロ離れた雪道を馬車でいく。
ようやく家にたどり着くと、赤い傷をもった子どもが死に掛けている。
医者は、村人たちに裸にされる。
そして、その赤い傷をふさぐように、子どもの横に座らせる。
なんだかわけがわからない不思議な話である。
ぼくは、カフカが好きだった。
カフカが小説を書いていた家を訪ねたことがある。
そこは、旧プラハ城内の、17世紀の国王ルドルフ2世の時代に錬金術師や占星術師たちが住まわされていた一郭にあった。
カフカが借りていた錬金術師の家は、天井が低く、小さな部屋だった。
カフカは、その部屋で小説を書きながら、労働者障害保険協会というところでサラリーマンをしていた。
この『田舎医者』は、1917年ごろ、33歳の作品だ。
41歳で結核で亡くなるまで、ほとんど無名だった。
自分が死んでいくことがわかったとき、友人に宛てた手紙の中でカフカは、「『田舎医者』のなかのバラの花を覚えているかい」と書いている。
この小説は、どうすることもできない最後というものがあるということを暗に示す言葉で終わっている。
山村浩二は、同名のアニメーション映画をつくっている。
その原画を、絵本にまとめたのがこの本。
山村の絵からは、新しいエネルギーをもらえように思う。
「絶望的なこの道を、私は歩くしかないのだ」
絶望的な道をどう希望へ変えていくか、これが生きるということ。
そういえば、カフカ博物館を訪ねたとき、カフカが老子の本を読んでいるのを発見した。
『変身』のなかには、タオイズムのような空気が流れている。
3月に出版するぼくの詩集のタイトルは、『よくばらない』。
タオイズムが、重なり合う。
出版をお楽しみに。
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