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2010年2月

2010年2月28日 (日)

この人に会いたい(18) 玄田有史さん

「希望学」というちょっとかわった学問をはじめた東京大学社会科学研究所の教授。

希望を科学した。
どんな人が希望をもちやすいか分析している。

子どものころに期待された子は、大人になってから希望をもちやすいという。
希望は、性格や経済力に影響されていないというデータを示している。
ぼくは経済力がないと希望を失うと思っていたが、そうではないらしい。
友人がいっぱいいるほど、希望をもちやすいという。
これはわかるような気がする。
チャレンジ精神や好奇心が強い人は希望をもちやすいという。
いいかげんな人や優柔不断な人は希望をもちにくいという。
それに、挫折体験がある人のほうが、ない人よりも1.7倍希望をもちやすいという。

大事なのは、子どものころになりたい職業をもっていること。
子どものころになりたい職業をもっている人ほど希望をもちやすい。
実際には、その職業に就けなくても、なりたい職業をもったかどうかが大事だという。
希望をもっている人は勇気をもって生きているという。

ドンキホーテを書いたセルバンテスは言った。
「つまらぬ財産をもつより、立派な希望をもつほうがましだ」
なかなかいい言葉だ。
ドイツの詩人シェーファーは、「悩む限りは希望を抱ける。人間の最高の幸福はつねに希望、希望である」
サンテグジュベリは、皮肉な言葉を残している。
「人類が最後にかかるのは、希望という病気である」
なかなかおもしろい言葉である。

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2010年2月27日 (土)

エコファーマー

エコファーマーって言葉をご存知だろうか。
環境保全型農業に取り組む農業者が認定される。

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長野県では、認定者が1000人を突破した。
セロリ、菊、総合野菜、花のスターチス、アリストロメリアをつくっている農家が認定をとっている。
たとえば、セロリ。
セロリを育てるには、農薬が必要と言われていたが、諏訪地域では化学肥料や化学合成農薬の低減に向けた技術を高めることで、より安全なセロリを作ることができたという。
環境にやさしい農業は、今後の大きな売り物になる。
諏訪の高原野菜が東京で高い評価を受けたり、外国へ輸出できるようになるとおもしろいと思う。

~★~★~★~

写真は、3キロのダウンヒルをノンストップで3本滑った後、立ち寄ったスキー場の下にある温泉の入り口で。

イラクに行く前、スキーに行った。大雪が降った後で、ゲレンデはすばらしい雪だった。この数年、滑ったことがないほどのいい雪。
いい雪に恵まれると、歳とともに腕前は落ちているはずなのに、10歳くらい若返ったような錯覚に陥る。
高速パラレルで風を切って滑る爽快さは、このところの忙しさをいやしてくれた。
温泉とスキー。ぼくの宝ものです。

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今夜、ラジオ深夜便

本日27日の午後11時10分から、NHKラジオ第二の「ラジオ深夜便」に出演します。
人生“私”流のコーナーで、テーマは「共に闘うための大切なことば」。
生放送なので、どんな話になるのか、ぼくも楽しみです。
ぜひ、お聴きください。

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2010年2月26日 (金)

新刊、本日発売!

『空気は読まない』(集英社)が、本日26日発売された。

空気に負けず流されず、空気を変えていくすごい人たちの物語。

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子ども自身がつくる弁当の日を、教育の一環として始めた校長先生。
夫婦二人三脚の盲目のカメラマン。
人を殺したくない、人を愛したいと徴兵を拒否して捕われたチェコの音楽家。
家族とのディズニラーランドの旅を命がけで実行した末期がんの若い父親。
消えかけた地域の小児科を守ったお母さん。
そんな、自分の生き方を貫くすてきな人たちが登場する。

空気を動かし、かきまわし、時代を作り出そう! そんなメッセージを込めて書いた。

ぜひ、お読みください!

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鎌田が見たイラクの暮らし(番外編)

イラクを脱出してから、東京まで帰るのに1日半かかる。
まず、イラクからイスタンブールへ。
そこで、3時間くらい時間があったので、アヤソフィア寺院やブルーモスクがある町へ出かけた。
ライトアップしてとても美しい。

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エーゲ海と黒海をつなぐボスポラス海峡である。東へはシルクロードが伸び、西へはローマに続く。
ギリシャ、ローマの文化や、チンギスハンのモンゴルの文化が栄え、大きな歴史に動かされたまちである。
ここでは、魚料理を食べた。
ヨーロッパはイカやタコを嫌うといわれているが、ここではイカの輪切りの揚げ物があり、おいしかった。

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イスタンブールからウイーンへ行き、その空港で5時間ほど待ち、ようやく成田へ。
航空料金を少しでも安くあげるために、とてもたいへんな乗り換えの旅になった。
イラクでの緊張もあって、最後はへとへとになって、岩次郎小屋にたどり着いた。

今回のイラクのシリーズはこれでおしまい。
イラクの情報は、JCFのホームページをご覧ください。
鎌田もときどきブログを書いています。

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2010年2月25日 (木)

鎌田が見たイラクの暮らし④

町では、露天でいろんなものを売っている。

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甘いお菓子を売るお菓子屋さん。
クリスチャン以外はお酒を飲まないので、酒屋はないが、お菓子屋はたくさんある。

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クルド人の八百屋さん。
おじいちゃんの左にあるものは測り。
キャベツ、キュウリ、トマト、ミカンの類を量り売りしている。

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スパイスの店。
イラク料理は、けっこうスパイスを使う。

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シュワルマの店で、向こう側に肉がぶら下がっている。その肉をそいで、パンにぎっしり詰めてくれるので、あとは自分でキュウリや酢漬けの野菜を挟み込んで、好みのソースとスパイスで食べる。
ファストフードで、1つ70円で、注文すると10秒で出てくる。

クルドの人たちは明るくて、働き者。
おしゃべりしながら、売っている。
ここにはマニュアルなんてなくて、なんとも人間系の豊かな感じのファストフードだった。

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2010年2月24日 (水)

鎌田が見たイラクの暮らし③

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3月7日に選挙があるため、そこらじゅうにポスターが張ってあった。
遺跡の一部で、後ろはアルビルのお城。

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イラクの人は本が好き。本が露天で売られている。
しかし、識字率は低く、復興をとげた後、教育に力を注がないと、インドのような新興経済国にはなるのは難しい。
石油が出ている間に、医療や教育の充実をはかる必要があると思う。

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アルビルのお城にある、400年前の市長の像。

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クルド人たちの20~30年前の生活はこんな生活だったといわれる。
クルドのおじさんに、カフェで話しを聞くと、生活は格段によくなってきと言う。
クルドは、フセインにひどい目に遭ってきたが、アメリカのおかげで生活しやすくなったという。しかし、それでもアメリカは戦争すべきではなかったと話していた。

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2010年2月23日 (火)

鎌田が見たイラクの暮らし②

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アルビルのバザールに出ている、リアカーのお店。
子どもたちや若い女の子が集まっている。
男の人は、子どもへのプレゼントを探しているようだ。
クルドは、子どもの数が多く、人口が増えている。
7人、8人兄弟とか、大家族である。

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これは、羊の脳。
魚の白子のような味だった。
羊は大丈夫だといわれているが、ヤコブ病の原因となるプリオンのことを考え、恐々と食べた。

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カエルは、鶏のささ身のような味だった。

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鶏、これは日本でも食べられるような気がした。

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チグリス川の鯉。
南のバスラでは海の魚が食べられるというが、北イラクでは魚といえば川の魚である。
塩焼きのようにして、レモンをしぼって食べる。なかなかおいしい。

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2010年2月22日 (月)

ナイス素適音楽館 鎌田出演編(4)

「ナイス素適音楽館 鎌田出演編(4) 
八ヶ岳のアトリエで美しい音楽を作り続けているネイチャー・コンポーザー神山純一さんの番組に出演。 シリーズ最終回。

※最新刊などの情報は放送日当時のものです。
(4回にわけて公開します)
撮影:2006年11月。
制作:YOUテレビ。

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鎌田が見たイラクの暮らし①

昨日、イラクから帰国した。
現地からお伝えしきれなかった最近のイラクの生活をこれから数回にわたって、写真でお伝えしたい。

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今、イラクにいる日本人は10人ほど。
治安がいいアルビルなどの北イラク一帯に限っている。

このあたりはクルド自治区。
クルド人の人口は、2000万人とも3000万人ともいわれ、自分たちの国家がない悲劇の民といわれている。
全般的に貧しい人が多い。
クルド地区は、前回訪ねたスレイマニア県と、中心地であるアルビル、そして最も北にあるドホーク県がある。
ドホークの山を越えると、向こうはトルコである。

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食事は、野菜がたっぷり。
左のヒヨコ豆のペーストはパンに塗って食べる。とてもおいしい。
右側に梅干のように見えるのはオリーブ。
いろんな種類の野菜をサラダとして食べる。

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以前に紹介したが、「ひっくりかえす」という意味のマクルーバという料理。
羊の肉にいためたご飯を鍋の中に敷き詰め、ひっくり返したもの。

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カンファレンスが行われたホテルの昼食。
ビュッフェスタイルだった。

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最後はアラビアコーヒー。トルココーヒーともいう。
こしていないので、下半分は泥のようだが、これがまたおいしい。

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2010年2月21日 (日)

鎌田實の一日一冊(53)

『クローチェ1866-1952』(倉科岳志、藤原書店、3780円)

読みたかった本が出た。

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クローチェについては、ファシズムと戦ったイタリアの知の巨人ということだけは知っていた。
クローチェはファシズムは批判したが、政治的な文脈のなかでファシズムと戦ったというよりは、彼は自由主義者で自由を守りたかったということらしい。
ファシズムが自由を認めなかっため、ファシズム批判をした。
そういう意味では、自由主義という主義が自由を守らないとしたら、彼は自由主義にも批判をしたと思われる。
この本のなかの自由論はなかなか鋭い。

クローチェはファシズムを批判するだけでなく、アカデミズムに対抗した。
当時のアカデミズムは、専門分化しながら進化する方向にあった。
それに対して、彼は、統合の学を目指す思想家であった。

医学はまさに専門分化して進化してきた。
近代医学は、臓器ごとに分化してデータを集積し、あいまいな人間関係の要素を排除することによって成立した。
関係を切って、現象をみる。そのたくさんの現象をみることによって普遍性を導いている。
これが、科学的な方法論である。
しかし、医学は普通の科学とは違う。
人間の関係をいれないでみていくことは、はたして人間にとって役に立つ医学になるのだろうか。

クローチェは医学のことを言っているわけではないが、彼のアカデミズムへの批判がまさに医学にも、そのほかの科学にも、反省を促す。
詩やレトリックなどの文体も、非科学的とせずに、科学的な統合の学のなかに含まれるのではないかとクローチェは考える。
「全体をみる知」をホンモノの知と考えたのである。
そうすることによって、大衆先導的なナショナリズムとも戦えると考えた。

クローチェの自由論はなかなか優れていると思う。
重い本を読む勇気のある人にはおすすめである。

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2010年2月20日 (土)

アルビルからイスタンブールへ

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↑写真家の奥村君が会った、アラブのおじさん。

子どもたちの命を救いたいという、情熱に支えられた第9回のカンファランスも、盛況のうちに終了。
本日、無事にアルビルを出て、イスタンブールの空港に到着しました。

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帰国は、明日の午前中になる予定です。

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アルビルから⑤

~カンファランス2日目(後半)~

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マーゼン医師が日本での3週間の研修の報告をした。
じつに日本の文化もよく勉強し、
「信州大学やJCFによくしてもらった」と、あたたかな空気のなかで報告された。

ジャイカの4年間の教育プログラムで信州大学に来ているリカア先生も、この1年間の成果を発表した。
世界ではじめてといわれているFTAカードを利用した小児白血病患者の遺伝子解析を行っている。
その経過とこれまでの結果が報告され、今後もイラクの白血病の病院が協力しあうことが約束された。
あと一年後には、世界的な研究がまとまるかもしれない。
楽しみである。

リカア先生のふるさとはモスルである。
モスルは、今もテロが多く危険。自分は信州大学に来ていなかったら、死んでいたかもしれないという。
ふるさとのモスルには、大切な自分の患者さんがいる。
小児科医にとって、患者は自分の子どものようだ。
「私は自分の患者を愛してきました。命がけで治療してきました」

モスルを去ったことに関して、申し訳ないと思っているが、何度もテロリストから脅迫され、3人の医師が家を燃やされ、1人は誘拐され行方がわからなくなったという現実をみて、出るしかないという思いに至ったという。
自分の家も、そのままにして出てきた。
ふるさとは好きだが、今は希望がもてないという。
今はしっかり勉強して、自分に与えられた課題に取り組んでいきたいという。
「それが今の私の夢」という。

トップの写真は、リカア先生に、ジャナハ先生が質問をしているところ。

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2日間のカンファレンスの終わりに、JCFやJIM-NETからそれぞの病院やドクターたちにプレゼントがわたされた。
次回の10回会議の開催地は、アルビルか、イスタンブール、ドバイ、バスラという案が出された。
全員が、次回までにさらに自分の病院のクオリティーを上げると誓い合い、カンファランスは閉会した。

【おまけ】

カンファランスはホテルで行われた。
昼食は、ビュッフェスタイルだったが、なかなかおいしかった。

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2010年2月19日 (金)

アルビルから④

~カンファランス2日目(前半)~

信州大学の井下先生が、イラクのドクターたちのデータをもとに、2006~09年にかけて
小児白血病の初期の治療死が15.2%から4.4%に抑えられた、と報告した。
この劇的な変化は、なんだろうか。

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一つは薬である。
バスラのジャナハ先生は、イラクでは政府からもらえる白血病治療の抗がん剤は約10%にすぎない。残りの40%はJIM-NETが、50%はオーストラリアのボランティア団体から供給されているという。
バスラの2つの病院に限っても、政府とJIM-NETが約50%ずつ薬を供給しているという。
先日、10万個を売り切ったJIM-NETの義理チョコ募金は、イラクの病気の子どもたちの薬代に使われている。
JIM-NETの大きな成果だと思う。
義理チョコに協力してくた方々一人ひとりの熱い支援のおかげで、薬が供給できている。

また、井下先生は、信州大学の白血病の治療成績について紹介し、感染症対策や、感染症に対する抗生物質の使い方、骨髄移植などによってどのように治療成績をあげてきたか、歴史をひもとくように語った。
イラクの白血病の専門医たちも興味津々であった。
イラクではまだ骨髄移植はできないが、数年のうちには、今回のカンファランスに参加している6つの病院のどこかに、骨髄移植センターが置かれると思う。

最後に、各病院と個別のコミュニケーションをとり、どんな支援を期待してほしいかヒアリングを行った。
驚くことに、今回、感染症対策のモデル病院として、ナナカリ病院に医師と看護師を派遣をしたが、バスラの病院からもバグダッドの病院からも自分たちの病院に来てほしいという強い要望が出された。
そうした声に対応するため、ナナカリ病院で看護師を中心に感染症対策の研修会を行うことになり、各病院とも積極的に参加することになった。

【おまけ】

ぼくたちが、一人4000円で泊まっているモーテル。

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2010年2月18日 (木)

アルビルから③

~固い絆に結ばれたカンファランス~

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2日間のカンファランスが始まった。
イラクの6つの病院から、小児白血病の専門の医師たちが集まってきた。
保健省やジャイカなどからもオブサーバーの参加があった。
カンファランスは、今回で9回目。
2004年6月にジャナン先生が「助けてほしい」と日本にやってきたのをきっかけに、8月、急きょ、第一回のJIM-NET会議をアンマンで開いた。
それ以来、お互いの友情を深め合ってきた。
久々に顔を合わせ、お互いの無事を喜び合った。

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カンファランスのメンバーは、イラクを代表する小児科のドクターたち。
シーア派もいれば、スンニ派もいる。
クリスチャンもいる。
アラブ人もいれば、クルディスタンもいる。
だが、まったく違和感を感じさせない。
自由に自分の意見を言い、批判もする。
お互いの意見を尊重しあって、オープンマインドなカンファランスに育ってきた。
逆境のなかで生き抜いてきた自信と、子どもの命を助けたいという思いが、見事な会に成長させたと思う。

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冒頭に、鎌田が開会のあいさつをした。
今日は、6つの病院の現況の報告が行われた。
バスラやバグダッドの病院では、白血病の初期治療の死亡率が14%から4%に改善している。
ナナカリ病院ではまだ20%と高いが、今回のカンファランスの事務局を担当してくれた井下先生と、感染症対策を指導してくれている川添看護師によって、1~2年のうちに治療成績は向上していくと思う。

川添看護師の感染症対策の報告も行われた。

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バスラやバグダッドの病院からも、川添看護師に来てほしいという要請があるようだ。

明日は、効率的な支援はどうあるべきか、検討会が行われる。

朝9時から夜10時まで、固い絆に結ばれたカンファランスは続く。

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2010年2月17日 (水)

アルビルから②

ナナカリ病院を視察した。

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神経芽細胞腫の女の子↑。
ちょっとつらそうな状況だったが、チョコレートをあげると、とてもうれしそう。
若い女の子らしいいい笑みを浮かべた。

ナナカリのドクターたちと↓。

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ナナカリ病院の白血病の子ども↓。
一時期、敗血症になって、皮膚に潰瘍ができたが、なんとか乗り越えることができた。

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白血病の子どもとツーショットの川添看護師↓。
川添看護師は、昨年11月からナナカリ病院に入り、感染症対策を指導してきた。
いくつかのプロジェクトのなかで最も成果をあげている。
病院では士気が上がり、かなり本気になって感染症対策ができるようになった。

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ナナカリ病院の視察後、視察してほしいと要請があった北のほうの病院を訪ねた。
最新の医療機器があるが、使いこなせていない。
消耗品が十分、供給されないという大きな問題がある。
血小板輸血をするためのセルセパレータという大型の医療機器が入っているが、実際には動いていないようだ。

昼ご飯は、時間がないので、ナナカリ病院を出て、次の病院に向かう途中、ファストフードのようなもので済ませた。
シュワルマという。
鶏肉を割いて、野菜とともにパンに載せて食べる。
陽気なおじさんがつくるシュワルマは、なかなかおいしい。

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【おまけ】
マクルーバという料理。
羊の肉を鍋の底に置き、その上に野菜と、炊いたご飯を重ね、鍋ごとひっくり返したもの。
マクルーバとは、ひっくり返すという意味だそうだ。
典型的なイラク料理である。

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2010年2月16日 (火)

アルビルから①

昨日、北イラクのアルビルに無事、入った。

スタッフのみんなと打ち合わせの後、一休みをして、アルビルのダウンタウンへ行った。
お城があった。
トルキッシュの城で、400年前に造られたという。

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果物が豊富で、果物売りのおじさんが、愛想を振りまいている。

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シャルガムという、かぶを煮付けたものを露天で売っている。
うまかった。

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タートゥリーという、かりんとうみたいなお菓子。

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バスラで院内学級の先生をしている、JIM-NETのイブラヒム先生と久しぶりの再会を喜びあった。

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明日は、ナナカリ病院などの視察に行きます。

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今日の夕飯

サラダに、コムスというパン。
黄色く見えるのは、ムハララトという酢漬けのきゅうりです。
そして、豆スープ。

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2010年2月15日 (月)

イスタンブールに到着

ウイーンを経由して、昨日の夜中、トルコのイスタンブールに到着した。
日本との時差は7時間。
しかし、なぜかぼくは現地時間の朝4時半に目が覚めてしまう。

この写真は、イスタンブールの夜明けの写真。
写メールが、日本に届いてしまうというのがすごい。

昨夜も、東京から携帯に電話が入った。
集英社で出している本を、台湾で出版していいかどうかという相談の電話だった。
世界中、どこにいてもつながってしまう。
今さらながら、オドロキです。

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下の写真は、イスタンブールの町の様子。

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これから、イラクのアルビルに向けて出発。
本日の午後には、到着する予定だ。
明日からは、イラクの様子をお知らせします。

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2010年2月14日 (日)

本日出発

本日14日、イラクへ向けて出発する。

イラク北部アルビル空港までの経路には、成田からウイーンを経由して、入る方法もあるが、よりチケットを安く抑えるために、成田からウイーン、さらにトルコのイスタンブールを経由して入ることになった。
ウイーンは2時間ほどのトランジットで、町に出る時間はない。

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前回、イラクを訪ねた際には、ウイーンのカフェを訪ねた。
ウイーンにはカフェ文化があり、コーヒーだけでも10種類近くの飲み方がある。
日本のウインナーコーヒーに近いものもある。
どれもこれも、日本では飲めないようなおいしいコーヒーが出てくる。

ぼくが大好きな画家、エゴン・シーレが通った老舗カフェが、閉店のピンチにあるという。
これにはタバコがかかわっているらしい。
禁煙を好む客が昨今増えているが、禁煙を好む客は外国のチェーン店に行き、愛煙家は昔ながらのカフェに集まるという傾向があった。
カフェでは、分煙をするため、法律で喫煙室をつくらなくてはいけなくなったが、喫煙室をつくる予算がないために、閉店に追い込まれているという。
なんとも悲しい。

今回は、オーストリア航空でウイーンまで行くが、その飛行機でのコーヒーはおいしい。
その先のイスタンブールやイラクも、トルキッシュコーヒーが独特でうまい。
たいへんな旅の疲れを癒してくれる。

通信状況によるが、できるだけイラクから旅のご報告をするつもり。
ぜひ、お楽しみに!

では、行ってきます!!

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2010年2月13日 (土)

木落とし坂の観覧席

諏訪大社下社の勇壮な木落としは、4月9~11日に行われる。
木落とし坂の有料観覧席の申し込みも、下諏訪町役場で受け付けているという。
応募は19日まで、抽選は25日に行われる。
詳しくは、こちらを。

諏訪大社下社のミタマシロが秋宮から春宮へ遷宮された。
諏訪盆地は、御柱一色に染まりはじめている。
はっぴや祭りの小道具などの注文が入り、不景気のなかでも少しずつ氏子たちが燃えはじめている。
おそらく、こういう一つひとつが人間の知恵。
御柱祭によって、社会を元気にしたり、経済をわかしたりしながら、ぼくたちのご先祖は新しい時代を切り開いていったのではないか。
暗くなっていてはいけない。
できるだけ明るく。
4月はじめから5月はじめにかけて、諏訪盆地は燃える。

明日14日から、いよいよイラクへ向けて出発します!

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最後の手紙大賞

月刊ゆうゆうの第二回最後の手紙大賞の選考委員になった。
「あなたはだれに書きますか、大切な人に残す言葉と思いを」ということで、手紙を募集したところ、すばらしい手紙がたくさん寄せられた。Photo

大賞受賞者は、60歳の女性。
生後9日目に育てられくなった女の子どもを、引き取って育てた。
彼女の書いた手紙は、娘に宛てたもの。
「親にならせてもらってよかった」と書いている。
卵巣がんになり、肺に転移し、万が一のことを考えながら書いた手紙である。
自分の病気のことを娘には隠したままにしておきたいという思いがあるが、子どもには本当のことを知る権利があると考える。
すばらしいお母さんだと思う。
これが、本当のやさしさだと思う。
佳作になったほかの手紙も、甲乙つけがたいほどすばらしいものだった。

昨年も、最後の手紙大賞の選考委員をさせていただいた。
メールの時代だからこそ、手紙の重みがさらに増しているような気がする。
大切な人に大切な思いを手紙で伝える。
いい習慣を残したくないと思う。
ぜひ、月刊ゆうゆう3月号をご覧ください。

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2010年2月12日 (金)

100万人突破!

「日刊・鎌田實なげださない」のアクセス数が、100万人を超えた。
2008年5月のスタート当初はほぼ毎日、最近は一日も休むことなく、お送りしてきた。
プラハやイラク、イースター島などからも、アップすることができた。
通信状況が過酷なところに行ったときほど、どうやってブログをアップするか工夫をしてきた。
おもしろいチャレンジだった。
14日からはイラクに入る。
通信状況がよくなければ、ほかの話題をアップするが、前回の経験からおそらくイラクから、ほぼリアルタイムの報告ができると思う。ぜひ、お楽しみに。

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2010年2月11日 (木)

大根もち

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神戸のお好み焼き千代から、大根もちが送られてきた。
週刊ポスト「じたばたしない」で、神戸の大震災のことを交えながら、お好み焼き屋千代が出す絶妙な中華料理という、アンバランスな魅力について書いた。

ぼくの連載を読んで、わざわざ東京から食べにいった客もいたという。
もともと料理の鉄人に勝ったことがあるくらい、うまい人気店だが、カマタが好きな店ということで、訪ねた客もいたようである。

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大根もちには、大根と干しえび、干し貝柱、シイタケ、ちょうづめなどが入っている。
めちゃくちゃおいしい。
薄切りにして、フライパンで焼いて、しょうゆをかけて食べる。
わさびしょうゆでもいいし、ラー油しょうゆや辛子しょうゆでもうまい。

神戸に行った方は、ぜひ、この店で中華を味わった後、最後はお好み焼きでしめるといい。
中華は広東の家庭料理でうまい。
お好み焼きは絶品。

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2010年2月10日 (水)

諏訪中央病院 施設の特徴と業務の概要5

諏訪中央病院の現在を映像にまとめたもの。

シリーズ第5回(全7回)
「地域に密着した手作りの医療を実践する」
・ほろ酔い勉強会
・グリーンボランティア
・案内ボランティア
・アニマルセラピーボランティア
・図書ボランティア
・ホスピタルコンサート
・医療体験
・二水医会
・地域連携室

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どうしたニッポン

トヨタが「ブレーキの不具合」問題で、日本でもリコールを届け出た。
欧米では、高温の場所に長時間駐車すると、ペダルが動きになくくなるという苦情が2007年にあった。
にもかからず、改善することができず、1000万台ものリコールが発生している。

2007年ごろといえば、トヨタは、1兆円近い利益を生み出しそうな勢いをもちながら、世界一にのしあがるべく、事業拡大をしていた。
世界一になりたかったのだと思うが、トップを走れば風圧が強くなる。
トップ集団のなかにいても、もう数年は3位くらいに位置して、急激な工場拡大などせず、手綱を抑えながら、第3コーナーをまわるべきだったのではないかと今から思えば思う。
資本主義の企業であるから、生産台数がトップにならなくても、利益率がトップならいいのにとも思う。
もちろん、円高という魔法で錯覚をしていた面もあったと思う。
GM車よりもクオリティーが高く、作れば売れると思い込んだのだろうか。

今後、トヨタは間違いなく復活をしてくる。
ただし、復活に時間にかかると、電気自動車時代をトップで走っていくのは難しくなる。
若手のベンチャー企業が巨大なファウンドを集め、中国などの巨大なマーケットを相手に成功を収める可能性がある。
体勢を立て直すなら、この1、2年が勝負。
でなければ、世界の自動車革命のなかでおいてけぼりになってしまう。

そのいい例は、日本のソニーやパナソニックと、サムソンとの関係である。
5年ほど前は、サムソンの製品は買いたいと思うものがなかったのに、あっという間にサムソンがソニーをぶっちぎり、パナソニックよりも世界的に評価され、どうみても日本の電気メーカーが青息吐息であるなかで、年間8500億円の利益を出している。
圧倒的にサムソンが世界で台頭している。
このことは7年ほど前にヨーロッパに行ったとき、強く感じた。
もうソニーの看板も、パナソニックの看板もなかった。
ロシアでも、圧倒的にサムソンの看板は目立っていた。
そのころは、日本のメーカーのほうがいいものを作っているのに、何をやっているのかと思っていたが、あっという間にサムソンが世界進出したのである。
技術は負けていないのに、世界戦略が弱い。

北イラクはいま復興ビジネスがたいへん盛んである。
世界の大企業がマーケットとして入ろうとしているなかで、日本の企業の動きは実に弱い。
若者の雇用を考えたときに、日本の企業が元気でいることは大事。
政府と企業がもっと連携を密にして、もう一度世界の先頭集団に割って入るようなアクティビティをもつべきだと思う。

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2010年2月 9日 (火)

コソボフィル

コソボフィルハーモニー交響楽団なんて聞いたことがあるだろうか。
コソボは、2008年独立宣言をした。0912242image468
ずっと戦争が続いていた国である。

日本・コソボ国交樹立記念特別演奏会が7月17日岡谷市のカノラホールで開かれる。
コソボフィル団員と日本のプロ演奏家が、オーケストラを編成するという。
曲はモーツアルトのレクイエム。

こういう話はいいなと思う。
音楽が戦争をすることがばからしさに気付かせてくれるといいと思う。
音楽は、国境を越えて共感させる力をもっている。
国を興しても、まだ力が弱いため、つらいことも多いと思うが、いい音楽は生きる力をくれる。
コソボフィルの首席指揮者は、柳沢寿男さん。
日本人というのも、うれしくなる。

写真は、韓国で見つけた人形

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2010年2月 8日 (月)

2/11はラジオの前で

2月11日、「鎌田實 いのちの対話」を放送する。
公開生放送。
今回は、広島県尾道市からお送りする。

ケストは、冒険家の堀江謙一さん、登山家の田部井淳子さん、シンガーソングライターのリピート山中さん。
司会は、おなじみの村上信夫さんである。

NHKラジオ第一、午前9.05~11.50。
ぜひ、お聴きください。

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空気の値段

欧州気候取引市場で、二酸化炭素排出量価格が、昨年12月に行われたCOP15(第15回国連気候変動枠組み条約会議)の開幕のときに比べて、大幅に値下がりしている。

空気を売り買いしてはいけない。
というのが、鎌田流ウエットな資本主義の主張である。

中国は、二酸化炭素の排出削減の目標を、かなり甘く設定した。
自国で二酸化炭素の排出を抑制する行為をうまく計算に取り入れて、排出権取引に売り出し、しっかりお金儲けだけはしようとしている。

空気を売り買いすることは、実質経済からかけはなれていく。
サブプライムローンと同じような、想像上のやりとりで、二酸化炭素の排出権が売り買いされている。
地球環境を守るという目的から離れ、お金儲けにはしっていく危険を感じる。

地球温暖化対策はしっかりと取り組むべきであるが、空気を売り買いすることに日本が加わるのは、日本にとってプラスではないと思う。

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2010年2月 7日 (日)

読書サミット

2010年は国民読書年。
茅野市で7月に、読書サミットが開かれる。

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茅野市では市民団体「読りーむ・イン・チノ」が、茅野市で生まれたすべて子どもに、ファーストブックを送るという運動が行っている。
そして、小学校新一年生には、セカンドブックをプレゼントしている。
たくさんの本の用意され、そこから好きなものを選ぶことができる。

子どもたちの朝の10分間読書運動も積極的に行われている。
保育園や幼稚園の子どもたちへの読み聞かせ運動も、病院の小児科病棟に入院する子どもたちに、市民ボランティアが読み聞かせにきてくれることもある。
市民団体の特色のある活動を、読書サミットでは発信できると思う。

写真は、先日の雪が残る庭で。

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2010年2月 6日 (土)

浅香さんからご寄付

女剣劇の第一人者浅香光代さんとは「主治医のみつかる診療所」というテレビで鎌田特集をしたときに、お会いした。
なんか、とても気があった。
それ以来、浅香さんからパーティーやお芝居にお誘いをいただいていますが、なかなか顔を出せていない。
先日、サブリーンの絵のチョコレートをお送りしたところ、JCFへ3万円のご寄付をいただいた。
ありがたいことです。
昨年春には、旭日双光章を受章された。
受章記念新春特別公演も、大成功に終わったようだ。
いつも明るく、元気で、キップのいい浅香さん。
お芝居が好きな方は、ぜひ一度、観にいかれては。

続きを読む "浅香さんからご寄付"

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2010年2月 5日 (金)

縄文のビーナス

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茅野市から出土した日本最古の国宝「縄文のビーナス」と、重要文化財「仮面の女神」は、今、旅に出ている。
昨年秋、大英博物館の土偶展に出展。
イギリスから帰国し、上野の東京国立博物館の国宝土偶展で展示されている。
ほかにも縄文時代から弥生時代にかけての、全国で出土した日本の代表的な土偶が一堂に会している。
縄文人たちが、どんなに命を大事にしきたか、自分たちの種を守るために、どんな祈りがあったか、「縄文のビーナス」や「仮面の女神」をみていると少し想像ができるように思う。

ふだん「縄文のビーナス」や「仮面の女神」は、尖石縄文考古館に展示されている。
この裏側にある雑木林は、ぼくは心の癒しの場の一つ。

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今の季節はほとんど人が入らない。
長靴を履いて、林に入っていくと、縄文人の声が聞こえてくるような気がする。
縄文の空気がただよっているような林がある。

茅野市一帯は縄文銀座といわれ、縄文時代、もっとも人口密度が高い地域だったといわれている。
いま書き溜めている「われわれはどこから来たのか」というテーマの原稿にも、茅野市の縄文遺跡のことを書こうと思っている。

ぼくが大好きな縄文の森は春もいい。
3、4月になったら、土偶が戻ってきていると思うので、ぜひ見に行ってほしいと思う。

「国宝土偶展」については、こちらをご参考に。

写真は、先日の大雪の翌日に撮影。岩次郎小屋は銀世界

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2010年2月 4日 (木)

ロックの女王が童謡を歌う

白井貴子さんとは、3年ほど前に、渋谷のNHKホールでご一緒したことがある。
そのときは大ヒット曲「チャンス」を生で歌った。
今回は、ラジオビタミンに出演させてもらった際、CDで聴いた。

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「チャンス」には思い出がある。
かつて、ペースメーカー・カマタとオールモスト・イルネスという超ヘタクソバンドで演奏したことがある。
もっとも、超々ヘタクソなのはカマタ。
リズムオンチのカマタがドラムを叩くので、リズムが崩れる。
チャンス、チャンス、チャンスというところで、シンパルがちょっとずれて、しまらない「チャンス」になったのを覚えている。
シンパルははずれても、ぼくは白井貴子のファンだった。

番組が終わった後、ぼくは2月11日公開生放送の「鎌田實 いのちの対話」の番組宣伝用の声を収録するため、昼まで待つことになっていた。
そこへ白井貴子さんが、番組出演のためにやってきた。
待ち時間の間、白井貴子さんのコーナーをスタジオで見せてもらった。

北原白秋の「この道はいつか来た道」をアカペラで歌いだした。
ロックの女王が、童謡というのも味がある。
森を守る運動をしたり、その運動を応援する歌をつくっているらしい。

年間に300ステージくらいコンサートをしていた売れっ子のときに、さっとイギリスへ渡った。2年ほど充電期間をもった。
なかなか潔い。

そのロックの女王、白井貴子は今、新しい感覚の歌をつくり、丁寧に歌っている。
ロックも歌うが、童謡も歌う。自然を守る応援歌も歌う。
かれこれ50歳に近い。
でも相変わらず、少年のような空気を漂わせていた。

写真は、ラジオビタミンの村上信夫さんらと、ロックの女王を囲んで

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2010年2月 3日 (水)

チョコレート売り切れ御礼

おかげさまで、義理チョコ募金のチョコレート10万個が売り切れました。
後半は、怒涛のごとく注文をいただき、あっと言う間の完売です。
ありがとうごさいました。
2月14日にイラクに向かいますが、みなさまの気持ちをしっかり伝えてこようと思います。

感謝、感謝、感謝です。

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日本一の馬刺し屋さん閉店

ぼくがエッセイにたびたび書いてきた上條食堂が、この2月で閉店になる。
おやじさんはもうすぐ85歳。
何度も引退しかかったが、たくさんの上條食堂ファンが「やめないでくれ」という大合唱で引き止めてきた。
あとを継ぐ者がいないため、年齢を考えて、おやじさんはついに重大決意を下した。
うわさを聞きつけて、東京や大阪から予約の電話がひっきりなしという。

ここの馬刺しは赤身で実にうまい。
馬刺しの次は、ぼくは馬のステーキを食べる。
牛ステーキよりも、コレステロールが少なく、グリコーゲンが豊富。少し焼くとうまみが出でくる。
おやじさん得意の鯉のまる煮は、形を崩さず、骨まで食べられるほど柔らかい。
ここのインゲンをショウガしょうゆで炒めたのもおいしい。
キノコやハチノコなど、地元ならではものもふんだん。
最後は、馬のすき焼きでしめくくる。
馬つくしである。

おやじさんとは36年の付き合いである。
繰り返し腸閉塞を起こした。
8回目の手術は、当時、若手医師の尊敬の的だった高田先生が執刀した。
この先生がいるから、青年医師が諏訪中央病院に集まってきた。
高田先生は画期的な手術を行い、おやじさんはそれ以降、腸閉塞に悩まされることはなくなった。
その後も、大動脈瘤や心筋梗塞など、何回か瀬戸際まで行ったが、奇跡的にうまく治り、上條食堂という、いかにもつぶれそうな料理屋で、安くておいしい馬の料理を出してくれていた。

個性的な店が、また一軒なくなるのは悲しい。
おやじさんから、どうしてももう一度先生に食べてもらいたい、2月中に予約を、と言われた。
2月はイラクに行く予定。
この間もバクダッドで大きなテロがあったと聞く。
相変わらず危険な状態が続いている。
3月に選挙があるため、イラクはいらいらしている。
イラクの5つの病院と、カンファランスをする。
久しぶりに大きなカンファランスである。

その前後で、どうしても上條食堂にいかなくちゃ、と思っている。

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2010年2月 2日 (火)

大雪がやんだ朝

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夜中、しんしんと雪が降りつもった。
いつものように4時半に起きると、すでに雪はやんでいた。

先週、山口へ行き、中原中也記念館をのぞいた。
何度も通っている。
「生ひ立ちの歌」にはこんな一節がある。

<わたしの上に降る雪は
あついひたいにおちもくる
涙のようでありました>

中也の詩を口ずさみながら、雪を見た。
中也はずいぶん雪を歌っている。

<汚れちまった悲しみに
今日も小雪が降りかかる>

雪は心のなかにある詩的なものを刺激しやすいのかもしれない。

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夜が明けてくる。
有線放送が入る。
子どもの通学路の雪かきの要請が入る。
妻のサトさんが雪かきに出かけていく。
ぼくは週刊ポストの次の原稿を書いている。
明るく楽しいテイストで原稿を書こうとしているのに、
こんな白銀の世界を見ていると、感傷的になって、じーんとした文章のほうへ向かってしまう。
ふしぎである。

東京の山谷にあるバッハのコーヒーを淹れる。
サティーの音楽をかける。
朝になっていく。
岩次郎小屋の窓から、美しい雪景色が姿をあらわした。

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木やり名人

木やりは、御柱祭には欠かせない。
御柱を八ケ岳から切り出し、2ヶ月かけて人力で曳いて、諏訪大社に奉納するわけであるが、木はなかなか進まない。
そのときに、木を進める役が木やり師である。

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木やり師の声が、御柱を曳く氏子の心を揺さぶり、重い御柱を動かしていく。
特に難所では、木やり師の声が氏子たちの心に響かないと、木は動かない。
木やり師たちの腹の底からの「おねがいだあ」という声が張り上げられると、諏訪大社の氏子たちから「よいさ、よいさ」の声とともに、重い御柱が動き出すのである。
そうやって、道がほぼ直角に曲がる大曲(おおまがり)というコースや、木落とし、川越えなどの難所を越えていく。
子どもたちの木やりも、曳き手が疲れているときに、元気をくれる。

木やり日本一コンクール上社の部が、茅野市民館マルチホールで行われ、160人が自慢の声を競った。
木やり名人がいるというのは、うれしくなる。
今回、2人木やり名人に指名されたが、そのうちの一人は父親も木やり師だったという。
残雪の八ケ岳に木やり師たちの声が響く御柱祭が、いよいよ近づいている。


写真は、一晩中降り続いた雪。春を告げる御柱祭の話題を書いたが、まだ信州は雪の中である。

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2010年2月 1日 (月)

諏訪中央病院 施設の特徴と業務の概要4

諏訪中央病院の現在を映像にまとめたもの。

シリーズ第4回(全7回)

・緩和ケア
・人工透析
・介護老人保健施設 安らぎの丘
・地域リハビリテーションセンター
・東洋医学センター
・介護老人福祉施設特別養護老人ホーム ふれあいの里
・在宅ケア・訪問看護ステーション

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じたばたしない

週刊ポストで新連載「じたばたしない くう、みる、ひたる」をはじめた。
全国津々浦々の、その土地では有名な食べ物を紹介したり、温泉や、いい景色やときには映画の感動にひたったり、ほっと一息つける内容である。

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第三回は、ラブレターとバレンタインチョコレートについて書いている。
ある有名な書家の書道展で、筆でラブレターを書くというイベントに協力を要請された。
しばらくラブレターなんて書いたこともなく、だれに書いていいのか思いあぐねたが、イラクの少女アーヤに宛ててラブレターを書くことにした。
アーヤは骨肉腫で右足を切断した10歳の女の子である。
そのアーヤから返事をもらった。
そんな話を通しながら、バレンタインのチョコレート募金のことを書いた。
おかげさまで反応がいい。
現在までのチョコレートの注文は、9万2000個。ソールドアウトまであと少し。ゴールが見えてきた。
ラジオや各新聞そして週刊誌がとりあげてくれた。
みなさんのおかげである。

バレンタインデーに、ぼくはイラクのアルビルに向けて出発する。
週刊ポストでは、イラクの政治状況やテロの状況、子どもたちの様子、そしてイラクの食べ物や風景を連載で報告するつもりである。
ぜひ、週刊ポストをご覧ください。

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