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2010年3月 8日 (月)

高校無償化の問題を考える

高校の授業料無償化法案の審議がヒステリックになっている。
特に、朝鮮学校を対象にするかということに対して、ヒステリックになりすぎないようにしないといけない。

読売新聞の3月5日の社説はとてもいい社説だった思う。

「格差解消の本質を見失うな」というタイトルがついている。
「北朝鮮による核開発、ミサイル発射、拉致問題への国民の反発があるにせよ、今回の問題で朝鮮学校を他の外国人学校とことさら区別するのは、無理があろう」
と書かれている。

詳しくは、こちら→http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100304-OYT1T01277.htm?from=any

新聞は、右とか左とか、ある程度、方向性を示すことで、購読者を確保してきた。
大新聞では、ニュートラルな立場をとりながら、やはりチョイ右、チョイ左の発言をチョイチョイあらわしてきた。
そのチョイ右の新聞が、そんな立場を超えて大人の発言をした、いい社説だと思う。

大切なことは、高校無償化がなんのために行われるか冷静に考えることである。I1003032mage499
それは当然、子どもたちの未来を守り、日本の未来に夢をもつことにつながる。
同時に、日本は国際社会の一員として生きていかなければならない。
いろんな境遇のなかで生きざるを得ない若者たちが、高校のとき、日本から受けた扱いは、20年後、30年後に影響を及ぼす。
そのことを冷静に考えたほうがいい。
右か、左か、なんていう主張は子どもじみている。
政治家もマスコミも、そんなお遊びの主張ではなく、本質を見極める大人の対応が必要になる。

もちろん、右でも左でも、主義主張をもつのは自由。
でも、チョイ右の人がチョイ左の人の主張を理解できる、チョイ左の人がチョイ右の人に共感する、ということが大切だ。
政治が混迷するなかで、本当の意味でのニュートラルな大人の対応が求められる。

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