おいしいそばと鎌田塾
今年も諏訪中央病院に、新卒の前期研修医や後期研修医たちが大勢やってくる。
現在、前期研修中の人が10人。
後期研修中の研修医が19人。それにさらに10人が加わるという。
総合診療という領域で、指導医たちが質の高い指導を行っている。
その評判を聞きつけて、全国からたくさんの研修医がやってくる。
指導医たちが構成している研修委員会から、今年も鎌田塾を開くように依頼がきた。
4月7日、仕事が終わった夜に開くことが決まった。
36年前、歩け歩け運動を行った90歳前後のおばあちゃんたちが何人か来てくれるという。
当時の保健師にも登場してもらう。
どうやって地域で健康づくり運動をしたのか、保健師の立場と、住民であるおばあちゃんたちの立場から、話を聞くことができると思う。
歩け歩け運動は、今も続いているという。
本当の「行動変容」を起こしてしまうと、人間は長く続けることができる。
どうやったら「行動変容」を起こせるのか、おばあちゃんたちから聞くつもりである。
そのおばあちゃんの仲間に、ミチ子さんという人がいる。
『がんばらない』のなかの、」のなかの、「医学会総会へ田舎のかあちゃん殴りこみ」というエッセイに書かせてもらった人だ。
ミチ子さんは、息子さんを43歳で亡くした。
がんだった。
東京の大きな病院で受けた医療は、あたたかい医療とはいえなかった。
3年たってもミチ子さんの心は癒えていなかった。
4年に1回の医学会総会が東京の国際フォーラムで開かれ、全国から医師たちが集まった。
ぼくとミチ子さんは、その総会で発表した。
ミチ子さんの発表の最後は、こんな言葉だった。
「医学の手の届かぬ病でも、本人、家族は死の恐怖と痛みと苦しみとたたかっています。そのなか、たとえ積極的な治療を選択しなかったとしても、心のサポートを必要としています。患者の苦しみや家族の不安を理解してくれるお医者さんが一人でも増えることを切に切に願っています。息子の悲しい死を無駄にさせたくない思いで発表させていただきました」
15年近く前の話である。
今も日本の医療に横たわっている問題でもある。
ミチ子さんが鎌田塾に来てくれるならば、歩け歩け運動の話とともに、市民がどんな医療を望むのか、切なる思いを伝えてくれると思う。
会場は、わざと病院の外にする。
地域と病院がつながっていることを、若い医師たちに見せてあげたい。
毎回、鎌田塾にはおいしいものがついてくる。
今回は、『がんばらない』のたぬきのおばあちゃんの息子さんのそば。
息子さんはそば打ち名人。
彼が丹精こめて育て、そば粉にした「小林一茶のそば」は、全国から注文が入り、すぐに売り切れてしまうという。
そのそばを食べながら、36年前、鎌田が地域とどんなかかわりをもち、どんな医療を展開してきたのか、大切に伝えようと思っている。
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